人にあわれみをかけない者には、あわれみのないない裁きが下される ≪新約聖書より≫

わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、外面だけを見て人を差別してはなりません。

あなたたちの集まっている所に、金の指輪をはめ、りっぱな身なりをした人が入って来、また、汚らしい服装をした貧しい人も入って来るとします。あなたたちが、そのりっぱな身なりをした人に特別に目を留めて、「どうぞ、こちらの席にお掛け下さい」と言い、貧しい人には、「お前は、そこに立っているか。わたしたちの足元に座るしかしていなさい」と言うなら、あなたたちは、自分たちの中で不当な差別をし、謝った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。

≪中略≫

人を差別するなら、あなたたちは罪を犯すことになり、立法によって違反者と断定されるのです。律法全体を守ったとしても、一つの点で落ち度があるなら、律法全部の点について有罪となるからです。

≪中略≫

人にあわれみをかけない者には、あわれみのないない裁きが下されます。あわれみは裁きに打ち勝つのです。

ヤコポスの手紙 『差別に対する警告』 第二章 - 新約聖書 共同訳全注 (講談社学術文庫)

多分、キリスト教――その他宗教も含めて――信仰にも文化にも興味のない人は、『わたしたちの主が』『愛する兄弟が』『神は見ておいでです』みたいな文言に違和感を覚えるのではないでしょうか。私も長年、教養として親しんでいますが、この手の言い回しは苦手といえば苦手ですから。

でも、そんな風にしてしまったのは、決してイエス・キリストや聖書のせいではなく、いかがわしいエセ教祖や、サロン勧誘の謳い文句が原因だと思います。

どれほど美しい言葉も、白鳥の振りをしたカラスが口にすれば、胡散臭い響きしかないですからね。

さておき――

社会における差別はいつの時代も深刻です。

「金持ちと貧者」のみならず、容姿、学歴、地位、出自、人を差別し、ランク付けするものは、この世にごまんとあります。

イエス・キリストが活躍した2000年以上前から問題視され、今なお、根本的な解決に至らぬところを見ると、差別の感情というのは、知性や価値観に基づくものではなく、人類の本能に組み込まれた、「敵か、そうでないか」という、群れをなす動物ならではの感情という気もします。○○人だから、底辺だから、というよりも、属性の異なるものに対する違和感であり、敵愾心です。群れで生きていく動物にとって、共同体の連帯は何よりも重要なものです。連帯を維持する上で、異質なものが混じり込めば、本能的に危機感を感じるのは当然かと。

しかしながら、現代人は文明人であって、自村の井戸を守る為に隣の部族を襲撃するような野蛮さは持ち合わせていません。

文明人が文明人たる所以は、本能にまさる知性や崇高な理想を兼ね備えているか、どうか、この一点に尽きます。

行き過ぎた「政治的正しさ」も息苦しいものですが、個々の社会生活においては、最大限に努力する必要があるし、相手を差別し、攻撃したところで、自分たちの地位が高まるわけではなく、むしろ失墜した時の反動は、犯した過ち以上に大きいというのが常ではないでしょうか。その極端な例が、独裁者に対する虐殺です。失墜した途端、街灯に吊され、身体を切り刻まれ、壮絶な報いを受けますよね。そこまでの恨みはかわないにしても、『人にあわれみをかけない者には、あわれみのないない裁きが下される』というのは、その通りだと思います。

いじめっ子、って、その場では勝ち組でも、人生トータルに見れば、それなりの報いを受けてますよ。

職場の新人をいじめて、退職に追い込んで、皆で馬鹿にしてたら、数年後には職場そのものがリストラで無くなる、みたいな話です。「母さん、数年前に私を退職に追い込んだあの人、今はあの人自身が退職に追い込まれて、その後、求職活動はどうなったでせうね?  私は良いご縁に恵まれて、今は小さな会社でも、優しいスタッフの皆さんに囲まれて、和気藹々、仕事を楽しんでいますが」みたいな話です。

日本も移民受け入れ政策で、これからどんどん文化や価値観、生活レベルの異なる人が入ってくるであろうし、多くの人が、今まで以上に複雑な差別感情、あるいは事実を体験することになると思います。そして、そこで生じた恨みや敵意は、それを推進した政府ではなく、入ってきた人たちに向くでしょう。かといって、口で言い聞かせたぐらいで、一夜で習慣や価値観が変わるものでもなし、国際結婚、いや、同じ日本人同士の結婚でさえ、お膳の並べ方をめぐって嫁と姑が諍いを起こすくらいなのに、それが異国、しかもマッスになれば、どんな混乱が起きるか、容易に想像がつくでしょう。ある意味、○○人と△△人の社会的な対立より、箸の上げ下げや魚の焼き方をめぐる、日々の苛立ちの方が、はるかに根深く、人間をマッドにさせるものです。「○○人を皆殺しにする!」と狂信する人より、「隣の部屋で朝早くからドンドン足音を立てるヤツ、超ムカつく」みたいな人の方がはるかに多いように。

そうした懸念も含めて――

人間が似たような属性で群れをなす社会的動物である限り、差別というのは絶対に無くならないし、心の中から完全に払拭できるものでもありません。

文明人にとっては、差別感情や事実をいかに乗り越えるか、という課題があるのみです。

相手が誰であれ、わっと噛みつく前に、あわれみをもって応じることは大事だし、たとえ、あわれみの通じない相手でも、敵意を向ければ、敵意でもって撃ち返されるのは、その通りだと思います。

今は何かといえば問題視し、非難する人が多いですが、現代人の一つの処世として、無視することを覚えるのも、有効かと思います。

初稿: 2018年11月29日

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この記事を書いた人

MOKOのアバター MOKO Author

作家・文芸愛好家。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚の小説を手がけています。東欧在住。作品が名刺代わり。Amazon著者ページ https://amzn.to/3VmKhhR

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