新約聖書『ゲッセマネの祈り』について
ゲッセマネの祈り(オリーブ山の祈り)は、ユダの裏切りと自分の運命を予感したイエスが、オリーブ山で死の恐怖と闘いながら、「父(神を指す)よ、できるなら、この杯(苦難と死を意味する)を私から取りのけて下さい。しかし、私の望みからではなく、あなたの御心のままに」と祈る場面です。
英語では、【Agony of Garden(庭園の苦悩)】と表され、『Agony』は、「苦痛」を意味するPainよりも、いっそう激しい苦悩を表します。
新約聖書では『マタイオスによる福音書』『ルカスによる福音書』『マルコスによる福音書』で、次のように記述されています。
※ マタイオス=聖マタイ、ルカス=聖ルカ、マルコス=聖マルコ
マタイオスによる福音書 第二十八章 『ゲトセマニで祈る』
さて、イエススは弟子たちといっしょにゲトセマニという所に来ると、彼らに、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言った。そして、ペトロスおよびペダイオスの子二人(ヤコボスとヨハンネス)を連れて行ったが、悲しみと悩みに襲われた。そして、彼らに言った。
「わたしは死ぬほどに悲しい。ここにいて、わたしといっしょに目を覚ましていなさい」。
少し進んで行って、うつぶせになり、こう祈った。
「父(神を指す)よ、できることならこの杯(苦難と死を意味する)を過ぎ去らせてください。でも、わたしの望みどおりではなく、お望みどおりになさいますように」。
それから、弟子たちのところへ戻ってみると、彼らは眠っていたので、ペトロスに言った。
「お前たちはそんなに、わずか一時間もわたしといっしょに目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。心ははやっていても、肉体は弱いものだ」。
また、二度目に向こうへ行って祈った。
「父よ、わたしが飲まないかぎり、この杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの意志のままに行ってくださいますように」。
また戻ってみると、弟子たちは眠っていた。眠くてしかたがなかったのである。
そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈った。それから、弟子たちのところに戻って来て言った。「まだ眠っているのか。休んでいるのか。さあ、時が近づいた。(人の子)は罪人たちの手に引き渡される。立て。行こう。わたしを裏切る者がやって来た」。
同本では、「罪人」とは、神および「メシア(救い主)」に敵対する者の意」と定義されています。
ルカスによる福音書 第二十二章 『オリーブ山で祈る』
イエススはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行くと、弟子たちもついて来た。いつもの場所に来ると、イエススは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言った。そして自分は石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈った。
「父(神を指す)よ、できるなら、この杯(苦難と死を意味する)を私から取りのけて下さい。しかし、私の望みからではなく、あなたの御心のままに」
すると、天使が天から現れて、イエススを力づけた。
イエススは苦しみもだえ、ますます熱心に祈った。汗が血のしたたるように字面に落ちた(本節の書けている異本もある)
イエススが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻ってみると、彼らは悲しみのために眠り込んでいた。
イエススは言った。
「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように起きて祈っていなさい」
マルコスによる福音 第十四章 『ゲトセマニで祈る』
一同がゲトセマニという所に来ると、イエススは弟子たちに「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言った。
そして、ペトロス、ヤコボス、ヨハンネスを連れて行ったが、イエススはひどい恐れと悩みに襲われ、彼らに言った。
「わたしは死ぬほどに悲しい。ここにいて、目を覚ましていなさい」。
少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと、こう祈った。
「アッバ、父よ、あなたはなんでもおできになります。この杯(苦難と死を意味する)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが望むことではなく、お望みになることが行われますように」。
それから、戻ってみると、弟子たちは眠っていたので、ペトロスに言った。
「シモン、眠っているのか。わずか一時間も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。こころははやっていても、肉体は弱いものだ」。
また向こうへ行って、同じ言葉で祈った。
また戻ってみると、弟子たちは眠っていた。眠くてしかたなかったのである。彼らはイエススになんと答えてよいかわからなかった。
イエススは三度目に戻って来て言った。
「まだ眠っているのか。休んでいるのか。もうこれでいい。時が来た。さあ、(人の子)は罪人たちの手に引き渡される。立て。行こう。わたしを裏切る者がやって来た」。
同本では、「『アッバ』はアマライ語で、元来は『父』を表す幼児語。ここでは神を指す」と定義されています。
西洋絵画で読み解く『ゲッセマネの祈り』
『ゲッセマネの祈り』を描いた絵画は数多く存在しますが、最も有名なのは、ベリーニ、マンテーニャ、エル・グレコあたりでしょう。
イタリア・ルネッサンスを代表するアンドレア・マンテーニャの『ゲッセマネの祈り』は、足元で眠りこける三人の弟子、ペトロス、ヤコボス、ヨハンネスと、天上でイエスを力づける天使(キューピーみたいで可愛い)の対比が印象的です。
また、山の向こうには、遠くから近づいてくる「罪人たち(裏切り者)」の姿があり、これから起こる悲劇をドラマティックに描いています。
同じく、イタリア・ルネッサンスを代表する画家ジョヴァンニ・ベッリーニの『ゲッセマネの祈り』は、天使が苦難を意味する杯を捧げ、その下でイエスが祈りを捧げています。
弟子は一人が爆睡、その向こうに、イエスを捕らえに来る人々の姿が見えます。
18世紀に活躍したドイツの画家、ハインリヒ・フェルデナント・ホフマンの『Christ in Gethsemane(ゲッセマネのキリスト)』は、祈るイエスにフォーカスし、深い苦悩の中にも厳かな雰囲気を醸し出しています。
19世紀のデンマークの画家、カール・ハインリッヒ・ブロッホの描く『Gethsemane』は、イエスに寄り添う天使の姿が母のように優しく、輝いています。
中世期の画家らが、聖書の世界観を忠実に表そうとしたのに対し、近代の画家は、イエスに現代人の苦悩を重ね見るような絵柄が多いです。
14世紀のイタリアの画家、ジュゼッペ・チェーゼリの描く『 The Agony in the Garden』は、爆睡する弟子たちにフォーカスし、人間の心の弱さを浮き彫りにします。
画面右端、闇に紛れて近づいてくる裏切り者らの姿も、この後の悲劇を想起させ、運命の場面をドラマティックに演出しています。
弟子たちも、この後、十分に苦しむのだから、イエスが好意で寝かせておいてあげた・・・とうのは、突飛な考えでしょうか。
自分も苦しいのに、傍らでぐうぐう寝入っている弟子達をたたき起こさなかったのは、それも優しさと感じます。
人間、眠れる時に眠らないと、疲れて、闘えませんから。
イエスには、すべて分かっていたのかもしれないですね。
オリーブ山の動画
イエスが祈りを捧げたオリーブ山は、エルサレム東部にある海抜814メートルの山で、イエス昇天の山とも言われます。イエスが祈りを捧げた岩の上には、現在、教会堂が建てられています。(視覚デザイン研究所『マリアのウインク』より)
また、ゲッセマネは、新約聖書 共同訳全注 (講談社学術文庫) 文庫にて、次のように定義されています。
実際にどのような場所かは、下記の動画で視聴することができます。 『Virtual Jerusalem』より。
Descent From MOUNT OF OLIVES To GETHSEMANE. JERUSALEM
決然と生きる ~現代の『ゲッセマネの園』
自分の運命を悟ったイエスは、人間らしく死の恐怖から逃れたいと願いますが、最後には父なる神の望むがままに任せます。
それは諦めではなく、自ら定めを受け入れる、力強い決意です。
オリーブ山の祈りが万人の胸を打つのは、最後までイエスが信念を貫き、決然と死んでいったからでしょう。
神の子だから……といえば、その通りですが、その道程はイエスが自ら選んで歩いてきたもの。
決して投げやりではなく、最後まで意志的です。
だからこそ、その死は弟子たちの心ばえを変え、イエスの教えも世界に広まったのではないでしょうか。
神の望みとは、個々の願いが成就することではなく、あらゆる定めを受け入れ、人間として一段と強く成長することです。
そこに幸も不幸も存在せず、あるのは決然とした美しさです。
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