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人類最後の聖域と遺伝子保存プロジェクト

第一章 GEN MATRIX ~エデンの庭師 (1)

STORY
謎の生物の大量死の後、人類のリーダーとなる≪十二の頭脳≫は、全生物のDNAと体細胞を保存する「遺伝子保存プロジェクト」を立ち上げ、基地となる超高層ビル『TOWER(タワー)』を建設するが、アクシデントによって設計図は失われ、人類は上層の半閉鎖式生命圏に閉じ込められる。
目次 🏃

滅びの歴史 ~生物の大量死と文明崩壊

それは生物の大量死で始まった。

魚類、鳥類、昆虫類、爬虫類、植物から霊長類に至るまで、生物という生物が死に絶え、地上から姿を消していった。

生態系の破壊により、農作物も実を結ばなくなり、世界は深刻な食糧危機に陥った。また天敵となる捕食者が姿を消したことで、害獣や害虫が蔓延し、身体の弱った者から感染症や栄養失調で死んでいった。

やがて人民の不満は暴動やクーデターを引き起こし、方々で武力紛争が繰り広げられた。国境沿いの救護施設には避難民が怒濤のように押し寄せ、食糧危機と感染爆発(パンデミック)に拍車をかけた。

ほんの数年前まで進歩的だった都会も、破壊と略奪によって見るも無惨な廃虚と化し、路上には餓えと病で力尽きた人々の遺骸がゴミのように転がる。

社会から一切の理性と仁徳が失われ、暗黒時代に逆戻りしたかに見えたが、人類の英知はまだ失われていなかった。

有志の呼びかけにより、各界の識者が結集し、生き残り策を模索し始めた。

その一つが、生殖細胞とゲノム情報の保存だ。

彼らは生命情報科学(バイオ インフォマティクス)を駆使して、あらゆる生物のゲノム情報をデジタルアーカイブ化し、世界中の研究機関で共有した。

また一部のメンバーは、植物の種子や動物の生殖細胞を混乱する国や地域の外に持ち出し、あるものは地下シェルターに、あるものは孤島の研究施設に運び込んで、凍結保存した。ゲノム情報の容れ物となる生殖細胞があれば、死滅した動植物も再生可能だからだ。

この計画は『遺伝子保存プロジェクト』と呼ばれ、人類が生き残る為の唯一の手立てとなった。

だが、世界的危機に打ち克つには、彼らはあまりに無力だった。地下に逃れた人々も、孤島の研究者も、次々に飢えと病に倒れ、凍結保存された種子や生殖細胞も冷凍庫の中で死滅していった。

TOWER ~人類最後の聖域

最後に残されたのは、北の寒冷地にそびえ立つ《TOWER(タワー)》だ。

タワーは針葉樹林の生い茂る山間に建設された。上へ上へ、逃れるように拡張工事を繰り返し、最終的にその高さは1500メートル以上に及んだ。

高さの定義が曖昧なのは、どこを『地上0階(グランドフロア)』と呼ぶかで長辺も違ってくるからだ。一見、すらりとしたバベルの塔だが、基底部はそれぞれ機能の異なる複数の施設が複雑に組み合わさり、その大半は地下に埋設されている。

北の寒冷地が選ばれたのは、生殖細胞の凍結保存とデジタルデータの恒久的運用に最適だからだ。

夏は日照時間が長く、太陽光発電に有利な上、冬は雪と氷に覆われ、地下水脈と近くを流れる河川から大量の雪解け水を取り込むことができる。気候は年間を通じて冷涼で、害虫や害獣も少なく、厳冬期は細菌やウイルスの感染力も低下する。また四方に広がる山岳は外敵の侵入を防ぎ、不正な電波の遮断に役立つ。辺境の寒冷地は、産業活動には不向きだが、大量の熱を放出する冷蔵・冷凍装置やIT設備の運用には適していた。

基本設計は、当時流行していたジッグラト・スタイルを取り入れ、大きさの異なる階層が段々に積み重なっている。外壁は五階層おきに90センチほど外側に張り出し、随所に採光用のアクリル樹脂パネルが嵌め込まれているが、平素は作業用通路として使われ、緊急時は避難経路にもなる。

建物は大きく三つのパートから成り、巨大建築物の重心を支える構造設備とインフラ設備が集中する基底部、タワー全体のITシステムと管理を司る中層部、居住施設のある上層部に区分される。

基底部から中層部にかけては外壁も厚く、窓もほとんど無いが、上層部は居住性と省エネを重視した作りになっており、外壁の大半が透明度の高いガラスカーテンウォールで構成されている。

もっとも、このガラスは眺望を楽しむ為ではなく、各階の窓際に植えられたインサイドグリーンや農作物、微細藻類を使ったバイオカーテンの光合成を促すのが目的だ。窓際のグリーンは遮光や換気に役立つだけでなく、空気を浄化し、住空間を快適に保つ。

ガラスカーテンウォールに用いられているのは、有害な紫外線や電波を遮る電磁波シールドガラスで、断熱性能に優れ、厳冬期の冷気から屋内を守ってくれる。また表面は特殊金属膜で加工され、過度な日射熱を軽減する働きもある。

わけてもユニークなのが、建物の中心に据えられた直径15メートルのライトフォール(光井戸)だ。まるで光のトンネルのように最上階から中層部まで一直線に貫き、アクリルパネルの天板から太陽光を採り入れている。さらには縦横に張り巡らされた光ダクトがライトフォールの光を分散し、屋内を明るく照らしている。

GEN MATRIXと遺伝子保存プロジェクト

こうした巨大建築と遺伝子プロジェクトを可能にしたのは、《GEN( ゲン ) MATRIX(マトリクス)》と呼ばれるサイエンスグリッドだ。

サイエンスグリッドとは、複数のコンピュータをイントラネットで接続し、共通のミドルウェアを用いて、スーパーコンピュータを超える高速演算処理能力を実装するものである。GEN MATRIXは、世界 中の研究施設のコンピュータを繋ぐネットワークの総称であり、その用途はDNA解析のみならず、遺伝情報データベースの高速検索、研究用プログラムの開発、タンパク質の立体構造予測に至るまで幅広い。

特に仮想空間を用いたゲノム編集の3Dシミュレーションは遺伝子工学を飛躍的に発達させ、それまで実験動物の犠牲を抜きにして成り立たなかった生物学的テストや理論構築を可能にした。

GEN MATRIXの使い手は、テキストを書き替えるようにゲノム情報を編集し、生物本来の形質を作り替えることができた。

これを究めれば、仮想空間における合成人間の製造やデザイナーベビーの設計も不可能ではない。

それはさながらデジタル世界の生命創造であり、ポストヒューマニズム時代の幕開けでもあった。

だが、良識ある人々は、GEN MATRIXの脅威を問題視し、選ばれた者だけが3Dシミュレーションを操作できるよう制限した。

その管理を一手に担ったのが、《十二の頭脳》( Quorum of the Twelve )だ。

彼らは生物学、生化学、遺伝学、情報工学、社会学などのエキスパートであり、各界の指導者に助言を与える上級顧問でもある。《十二の頭脳》は、GEN MATRIXのマスターコンピュータと全生物のゲノム情報が記録された石英ガラス《ゲマトリアンクォーツ》を中層部の司令部に持ち込むと、これを遺伝子保存プロジェクトの拠点とした。彼らはまた上層階に遺伝子センターとバイオバンクを開設し、植物の種子や動物の生殖細胞を凍結保存して、来るべき日に備えた。

一方、タワーには世界各地から避難民が押し寄せ、その数は三万人に上った。当初は治療の必要な者を屋内に収容し、それ以外は災害救援用のシェルターハウスでケアしていたが、次第に収容しきれなくなり、食糧や生活用品の分配も困難になった。

それでも春になれば物流も再開し、救いの手も差し伸べられると期待したが、夏の終わりになっても救援トラックは訪れず、外部との連絡もつかない。監視衛星の映像にも人影はなく、都市という都市が機能不全に陥り、路上に打ち捨てられた遺骸ばかりが目に付く。

まさかタワー以外のコミュニティは全滅したのか? 軍も行政機関も崩壊し、タワーだけが生き残ったのか?

様々な憶測が飛び交う中、状況は日に日に悪化し、体調のすぐれない人々が一粒の錠剤を求めて、医療テントの前に長蛇の列を作る。このまま物資の補給もなく、食糧も底をつけば、冬には全滅必至だ。

誰もが絶望に打ちひしがれる中、地上のキャンプ生活に不満をもつ四人の若者が周囲の制止を振り切って、南の150キロメートル先にある補給基地に向かった。森を抜け、川を渡り、三日目には平地に辿り着いたが、途中で一人が下痢や発熱など体調不良を訴え、一行はタワーに引き返した。だが、それが間違いだった。若者に同情してテントに招き入れた老夫婦が相次いで死亡し、地上のコミュニティがパニックに陥ったのである。

このままでは病人や暴徒がタワーに押し寄せ、人類最後の聖域まで崩壊してしまう。

そこで《十二の頭脳》とキャンプ・コミュニティの代表は、《隔壁》と呼ばれる遮断システムで都市空間を締め切り、タワーの上部144階層に半閉鎖式生命圏を作り出す施策を打ち立てた。《十二の頭脳》は《スリーパー》と呼ばれる冷凍睡眠装置に入って四十年の眠りに就き、大地に帰還する日に備える。その間、少年少女を含む百名が都市空間に留まり、遺伝子センターやバイオバンクを保守する。そして四十年後、《十二の頭脳》が目覚めたら、彼らを補佐して、動植物の再生と社会再建に取り組む計画だ。四十年という歳月は、外部からの補給なしに都市機能を維持できる、ぎりぎりいっぱいの年数である。また生物の大量死や破壊兵器によって荒廃した農地が、再び耕作に適した状態に自然回復するまで必要とされる年月でもあった。

それ以外のスタッフは、避難民と共に南の補給基地に向かい、次の手立てを考える。タワー周辺で全員が飢えて死ぬよりは、少しでも温暖な地域に移動した方が生き延びる確率も高いからだ。

《十二の頭脳》の提案に誰もが納得し、健康な者が率先して移動の準備に取りかかった。

一方、《十二の頭脳》はゲマトリアンクォーツを4階の遺伝子センターに運び入れ、隣接するデータ室のノード1に接続すると、ここを遺伝子保存プロジェクトの新たな拠点とした。また3階のIT室から中層部にあるGEN MATRIXのマスターコンピュータとメインフレーム2を遠隔操作できるよう設定し、《隔壁》を締め切る日に備えた。

ちなみにタワーの都市空間ではトップフロアを1階と定め、下方に向かって階数が増えていく。最下階は144階、ここが《隔壁》との境界だ。

ところが、さらなる不幸が人々を襲った。

冷凍睡眠の実験中に《スリーパー》が誤作動を起こし、十二人全員が低体温症で絶命したのである。

タワーに再び衝撃が走り、人類も遺伝子保存プロジェクトもこれまでかと思われた。

エルメインと悪魔の契約書 ~選ばれた8000人

そこに救世主の如く現れたのがエルメインだ。

エルメインは高度な遺伝子工学の技術を有し、VIPの信任も厚い。VIPとはタワー建設に巨額の寄付をした《特別な人々》だ。最上層のVIPフロアに住み、庶民の前に決して姿を現すことはないが、タワー運営に隠然たる影響力をもっている。

エルメインは都市部のITシステムを掌握すると、動揺する人々に新たな契約を提示した。心身ともに健康で、執政府に協力的な市民八千人をタワーに迎え入れ、社会奉仕と引き換えに衣食住を保証する案だ。これには一部の市民が歓喜した。病人や年寄りを連れて150キロメートル先の南の補給基地に移動するよりは、屋内農園のあるタワーに移り住んだ方がはるかに安楽だからだ。

《十二の頭脳》に代わってコミュニティを取り仕切るようになった執政府は、厳しいスクリーニングを行い、タワーに上がれる八千人を選出した。そして、引っ越しが完了すると、直ちに《隔壁》を締め切り、その他は容赦なく切り捨てた。

《隔壁》は、上部144階層に半閉鎖型生命圏を作り出す遮断システムの総称で、外界に通じる全ての開口部――非常口、エレベーター、配管、通風口、光ダクト、配線の引込口にいたるまで、鋼製シャッターや鋼板、遮断弁などでブロックする。地上と唯一通じるのは、水循環システムの配管とネットワークの配線、廃棄物や危険物を地下に投棄する為の輸送チューブのみだ。

そして、この《隔壁》は、地上観測システム『EOS(イオス)(Earth Observation System)』と連動し、安全宣言が出るまで解除されることはない。

EOSはタワーの周囲500平方キロメートルの大気、水、土壌から観測データを収集し、自動分析する装置で、《隔壁》を締め切った後も司令部のマスターコンピュータを介して作動している。EOSが『安全』と判断すれば《隔壁》も解除され、地上への帰還が叶うというわけだ。

こうしてタワーの上部144階層に創出された半閉鎖型生命圏はCelestial Domain《天都(てんと)》と名付けられ、エルメインを中心に組織された最高評議会と執政府が統治することになった。市民は衣食住を保証される代わりに、清掃、給食、営繕といった社会奉仕を義務づけられ、病気や保育以外の理由で放棄することは許されない。

一方、高度な専門技術を有する者にはClassified(クラシファイド)の称号が与えられ、庶民よりワンランク上の暮らしを享受することができた。上階の広々した住まいや上質な食事、新品の靴や服などである。

また徹底した人口管理の為、男女とも第二次性徴を迎える十二歳から十四歳の間に不妊手術が行われ、女子には卵管結紮、男子には精管結紮が施された。手術の際、生殖細胞を採取されるが、その使い途について質問したり、異議申し立てすることはできない。子供は心身共に健康な男女だけが人工授精によって一人だけ持つことが許され、厳しいカリキュラムの元、徹底したエリート教育が施された。それが《天都》に上がる為の条件であり、物資の消費を最小限に抑える為の施策でもあった。

それでも市民から不満の声が上がらなかったのは、十年か二十年後にはEOSの安全宣言が出され、地上に帰還できると楽観していたからだ。いざとなれば《隔壁》を開き、タワーの外に出る選択肢もある。これは世界の終わりではなく、現代のノアの方舟だと。

ところが、十年経っても、二十年経っても、EOSの安全宣言は出されず、人々は《天都》に閉じ込められたままだ。《隔壁》を締め切る際、タワーのITシステムに重大なエラーを生じ、メインフレームとの接続も失われたからである。

今では外部の様子も分からず、《隔壁》の開け方も分からない。タワーの設計図も破損し、六十億個のピースに分割されたからだ。頼りのGEN MATRIXも起動せず、ゲマトリアンクォーツの読み取り装置《ゲマトリア》も故障したままである。

そうして五十年が過ぎ、六十年目に突入すると、さすがに市民の不安も高まり、人類滅亡説も囁かれるようになった。

それでもエルメインと最高評議会は《隔壁》の強制解除を良しとせず、現状維持を訴えている。外界はどうなったのか、なぜ設計図は失われたのか、徹底追究することもなく、不毛な話し合いを繰り返すばかりだ。

そして、七十年。

《天都》に移住した第一世代も大半がこの世を去り、圏内で生まれ育った第二世代が社会の中核を占めるようになると、ここが世界の全てとなり、EOSもほとんど話題に上らなくなった。

ここより他に行く当てもなく、圏内にはもはや諦めムードさえ漂っている。

誰かにこっそり教えたい 👂
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この記事を書いた人

MOKOのアバター MOKO Author

作家・文芸愛好家。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚の小説を手がけています。東欧在住。作品が名刺代わり。Amazon著者ページ https://amzn.to/3VmKhhR

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