映画『戦場のメリークリスマス』について
第二次大戦下、ジャワ島の日本軍捕虜収容所で、日本語を理解する英国陸軍中佐ジョン・ロレンス(トム・コンティ)は、捕虜たちを監督するハラ軍曹(ビートたけし)といつしか心を通わせるようになる。
一方、厳格で、名誉と武士道を重んじる収容所の所長、ヨノイ大尉(坂本龍一)は、新たな捕虜となったジャック・セリアズの美しさと真っ直ぐな気性に次第に魅了されていく。
大戦下の収容所を舞台に、日本と外国文化の違いを浮き彫りにする一方、 若衆道を彷彿とするスリリングな男の愛(?)を描き、当時の先鋭的な女史の心をざわつかせたセンセーショナルな一本。
音楽家・坂本龍一の実力を世界に知らしめた80年代カルチャーの代表作でもある。
戦争中の収容所という極限状態で出会った男たちの織り成す複雑なドラマを中心にして、西欧と日本の文化的衝突を豪華キャストで描き、世界を魅了した大島渚の超話題作。初の本格的な日英合作となった本作では、ニュージーランドのラロトンガ島に長期ロケを敢行。製作費16億円の大作にふさわしく、セリアズ役にデヴィッド・ボウイ、ヨノイ大尉に坂本龍一、粗暴なハラ軍曹にはビートたけしなど、独特の俳優起用で定評のある大島作品ならではのスターが揃った。カンヌ映画祭を沸かせた映画史の残るラストシーンに向けて、男たちの熱いドラマが始まる!
<特典>
収録:劇場用予告篇、フォトギャラリー
封入:解説リーフレット(篠田正浩監督による弔辞 他)(76頁)
【画像と台詞で紹介】 戦場のメリークリスマスの魅力
1942年。ジャワ島の日本軍捕虜収容所。現代の日本社会では嫌悪されそうな描写も散見される。
だが、いずこの国民も、そうしなければ生き残れない時代だった。
庶民レベルでは誰もが戦争の被害者だ。
名誉と道義を重んじる古武士のようなヨノイ大尉(坂本龍一)
日本軍の輸送体を襲撃して、捕虜となった英国の陸軍少佐ジャック・セリアズ。
麗しい男は脱いでも綺麗。。。
麗しい男は吊されても綺麗。ジャック・セリアズは寸前で銃殺刑を免れる。どんな時も毅然とした態度にヨノイ大尉も心を揺さぶられる。
文化や価値観の違いを超えて、意思の疎通を図ろうとするロレンス中佐。粗野ではあるが、人情のあるハラ軍曹。
二人は戦火の中、互いの死生観について語り合う。
ハラ軍曹:
お前はなぜ死なないんだお前ほどの将校がなぜ自決しない
なぜこんな恥に耐えることができるんだ
なぜ自決しないロレンス中佐:
我々は恥とは呼ばない
我々は捕虜になっているのを喜んでいるわけではないハラ軍曹:
ウソつけ死ぬのが怖いだけだ
恥を晒しても、生きて帰ることに価値をおく英国人と、生き恥をさらすぐらいなら、死んだ方がマシと自決する日本人。
それは軍に強制されたものでもなければ、戦争の影響で狂ったわけでもない。
自国の文化や習慣が、人間の精神性をそのように作り上げるのだ。
国同士は敵対しているが、個人では心から語り合うことができる。
戦争という状況が人を狂わせ、殺しに駆り立てるのだ。
絶望と虚無感に包まれた収容所の中で、ユーモアに溢れるセリアズ中佐は、次第に捕虜たちに希望をもたらす。
麗しい男は花を食べても綺麗。生真面目なヨノイを挑発するような不敵な笑みがニクい。
セリアズの泰然とした態度に疑念と苛立ちを感じるヨノイ大尉。
この極限下で、なぜそのように余裕をもって振る舞えるのか。
ヨノイはセリアズ中佐の強さが不可解な一方、心ひかれずにいない。
ほとんど片思い警報、発令中。
捕虜の処遇をめぐって懲罰を受けたロレンス中佐を救おうとして、ヨノイに見つかってしまう。
ヨノイは剣を向けるが、セリアズは闘おうとはしない。
セリアズの精神性は敵意さえ超えていた。
それは外国人捕虜と日本軍の間に入って、なんとか平和に収めようとするロレンス中佐も同じ思いだ。
「(苛立つヨノイらを指して)何が奴らをこんな風に?」と尋ねるセリアズに、ロレンス中佐は答える。
「日本人はあせってた。個人では何もできず、集団になって、発狂した。私は個々の日本人を憎みたくない」
ヨノイらの怒りをかい、ロレンス中佐と共に独房に入れられたセリアズは、悲しい身の上話を語る。
上流階級の生まれで、一流のパブリックスクールに通うセリアズには、身体の障害を持ちながらも美しい声で歌う可愛い弟がいた。
しかし、エリート仲間の級友に、奇形の弟がいると知られるのが嫌で、皆に苛められる弟の姿を目にしながら、見捨ててしまう。
上流階級の子弟の集まりとは思えない、パブリックスクールの酷いイジメ。
歌うことを強制された弟は、恐怖と羞恥心に震えながら、お気に入りの歌を口ずさむが、皆は弟を裸にして奇形を嘲笑う。
騒ぎの後、セリアズは弟と再会するが、弟は心を閉ざし、二度と歌おうとしなかった。そして、そのまま疎遠になってしまう。
セリアズは言う。
弟は僕を待っていた
全校生徒の目が彼の背中を見る
僕は隠れたかった
僕の身内は完璧であってほしかった
私は教師に頼み
実験準備のために居残った弟は二度と歌を歌わなかった 二度と
弟はやがて父の農場を注いだ
彼の結婚式で 弟に会ったが それが最後で
それからは想いだけが私に取り憑いた
弟に会いたいのに会わなかった私は32歳で独身だった
焦燥の弁護士と言われたが
ただそれだけの男
そこへ戦争が
僕は戦争にとびついた
心の重荷がおりて
何年も感じることのなかった情熱を感じた外人部隊に入ったほうがラクだったのに
楽をしたくなかった
収容所で傷ついた仲間を庇い、日本軍にも寛容な態度をとるのは、贖罪の気持ちでもあった。
やがてロレンス中佐とセリアズはハラ軍曹の恩赦によって釈放される。
「今日はクリスマス。自分はサンタクロースだ」と、にこやかに語るハラ軍曹。
軍規が全てではなく、個々の中には憐れみもあった。
『メリークリスマス、ミスター・ローレンス』
一方、軍規に忠実なヨノイ大尉の苛立ちはクライマックスに達する。
スパイを調べる為に、病人まで点呼に駆り出そうとして、とうとう重病の囚人が絶命してしまう。
猛然と抗議した捕虜のリーダーは捕らえられ、ヨノイはその場で首を刎ねようとする。
『今度は見捨てない』
セリアズは強い決意でヨノイ大尉に立ち向かう。
真っ直ぐ自分に向かって歩いてくるセリアズ中佐に、ヨノイ大尉は「Go Back ! Go Back!」と命じるが、セリアズは一歩も引かない。
坂本龍一の「ごぉ、ばぁっく!」が可愛い❤
突然の抱擁。
まさかの頬チュー。ヨノイ大尉は激しく動揺する。
ヨノイの秘めた想いを知ってか、何度もチューチュー。(原作では、このキスにもちゃんと意味があって、日本人は決して他人と抱擁しないし、握手すらしない、ましてキスなど、天地がひっくり返るような衝撃だ、それでも心を込めてキスすることで、お互いの障壁を乗り越えることができるのではないか、、、というような含みがあります)
おののくヨノイ大尉。
憐れみをもって、じっとヨノイを見つめるセリアズ。ほとんど少女漫画の世界。
ヨノイは狂乱して剣を振り上げるが、斬ることができない。
そのまま気絶して倒れてしまう……って、もろ少女漫画やん(*^_^*)
罰として、セリアズは生き埋めにされる。それも覚悟の上での行動だった。
今度は弱い者を見捨てず、最後まで闘ったセリアズの魂は、瀕死の中で故郷に戻り、長く会っていない弟と再会する。
長年心にわだかまっていた悔悟の気持ちをようやく打ち明け、セリアズの魂は救われる。
一方、瀕死のセリアズを、ヨノイ大尉が夜遅くに見舞う。
思い出に髪を一房取り分けて、大切に持ち帰る。
重罪人であるセリアズに最大の敬意を払うヨノイ大尉。戦火においては決して相容れることのない敵同志だが、人間的には心惹かれていた。
セリアズの顔に一匹の蛾が止まり、彼が息絶えたことが分かる演出。残酷ながらも美しく切ない。
戦争が終わり、立場は逆転した。日本軍は負けて、裁かれる側になり、ロレンス中佐は処刑を明日に控えたハラ軍曹の独房を訪れる。
既に覚悟を決めたハラ軍曹は嬉しそうにロレンス中佐を迎える。
収容所でもそうだったように、ロレンス中佐とハラ軍曹は、再び立場を超えて、心から語り合う。
ロレンス中佐:
私ならいますぐあなたを自由にして家族の元に帰すハラ軍曹:
覚悟はできています
ただひとつ わたしのしたことは 他の兵隊がしたことと同じですロレンス中佐:
あなたは犠牲者なのだ
かつてのあなたやヨノイ大尉のように
自分は正しいと信じてた人々
もちろん正しい者などどこにもいないヨノイ大尉から彼の髪を預かりました
日本の彼の村に持ち帰り神社に奉納してくれとハラ軍曹:
残念です
大尉は終戦後 処刑にロレンス中佐:
同感です
考えてみればセリアズはその死によって
実のなる種をヨノイの中にまいたのですハラ軍曹:
あのクリスマスの事を覚えてます
いいクリスマスでしたロレンス中佐:
すてきなクリスマスでした
勝利がつらく想われる時があります
さよなら ハラさん
神の恵みを
メリークリスマス、ミスター・ローレンス
戦争が終わって、どちらが勝っても負けても、そこには夥しい人の死があるだけ。戦時下でなければ、わかり合えた事もたくさんあるはずだ。
ロレンス中佐の「正しい者などない」という言葉はまさにその通り。勝てば正義、負ければ罪人、力の強さが全てだ。
作中では、ヒステリックに反戦を叫ぶことはないが、昨日の勝者が明日には敗者として処刑される事実を見れば、大島監督の伝えたいことが全て理解できる。
たけちゃんの笑顔がつるつる輝いているだけに、否応なしに戦争に巻き込まれる一般大衆の運命が哀しい。
ヨノイ大尉とセリアズ少佐に、心からの花束を❤
何度見ても、ヨノイ大尉=坂本龍一の「ごぉ、ばぁっく! ごぉ、ばぁっく!」が可愛い。
声が震えとるがな……。
Wikiによると、「当時、たけしと坂本は、2人で試写のフィルムを見て、たけしが「オレの演技もひどいけど、坂本の演技もひどいよなぁ」と語りあい、ついには2人でこっそりフィルムを盗んで焼こうという冗談を言い合ったという」とのことだが、ビートたけしも、坂本龍一も、この演技でよかったのだ。
なまじ芸達者な役者が演じていたら、デヴィッド・ボウイと対等になって、天使のような存在感も薄れてしまっただろう。
坂本龍一がくらくらしながら「ごぉ、ばぁっく! ごぉ、ばぁっく!」と乙女のように叫び、ビートたけしが舌っ足らずな英語で「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」と微笑んだから、かえって日本人の内気さや、ぎこちなさを上手く表現できた。彼らにまさるキャスティングはないだろう。
【同人コラム】 JUNEの乙女ら 頬チューに死す
大人になって初めて魅力に気付く作品がある。
とりわけ、公開当時、「騒ぎすぎ」「商魂丸出し」「猫も杓子も戦メリ、戦メリとやかましい」etc、その他もろもろの理由から距離を置いていた作品が、ブームが去り、世代交代し、いよいよ主演俳優や監督の訃報を耳にするようになると、途端に騒いでいた頃が懐かしくなる。
何年、時には何十年の時を経て観ると、なんと新鮮でで、味わい深いことだろう。大島渚監督、デヴィッド・ボウイ&ビートたけし主演の映画『戦場のメリークリスマス』もその典型だ。
小学生の頃から竹宮恵子だの、萩尾望都だの、山岸凉子だの、”あのへん”の作品に親しみ、当時の先鋭的な美青年ウォッチャーに混じって、デヴィッド・ボウイ、デヴィッド・シルビアン、JAPAN、デュラン・デュラン近辺もチェックしていた私にとって、戦場のメリークリスマスもCMだけで十分魅力的だったが、猫も杓子も戦メリ、戦メリと騒ぎ立てるあの雰囲気――本当は美青年にもJUNE的な世界にもまったく興味がないくせに、ブームに乗っかって、例のデヴィッド・ボウイと坂本龍一の頬チューの場面を知った風に語るエセ文化人が鬱陶しくて
正面から向き合おうとはしなかった。
観れば、絶対夢中になるのも分かっていたが、わざと距離を置いていた。
皆がきゃーきゃー騒いでいる時に、一緒になってきゃーきゃー騒ぎたくなかった。
なので、戦メリも後回し。
ラジオから坂本龍一のテーマ曲が流れてきても、わざと心の耳を塞いで、好きな気持ちを抑えてきた。
こんな曲、俗っぽくて嫌い、『増殖(Multiplies)』の方がいい! と自分に言い聞かせていた時もある。(スネークマン・ショー、最高)
そのくせ、誕生日には、原作『影の獄にて(L・ヴァン・デル・ポスト著)』を必死で読んだりして、ちっとも素直じゃなかった私。今にして思えば、本作のデヴィッド・ボウイがあまりに美しすぎて、好きになるのが怖かったんだよね。
ルパート・エヴェレットの時もそうだけど、美しい男に夢中になると、一日中、ぼーっとして、こっちの世界に戻ってこれなくなる。それくらい現実世界が色褪せる。
そうした経緯もあって、2013年、大島渚監督が亡くなり、2016年には、とうとうデヴィッド・ボウイまでお隠れになった時には、さすがにショックも大きく、改めて『戦場のメリークリスマス』を鑑賞。そこで気付いたのは、作品の根底に流れる、大島渚監督の戦争に対する深く静かな怒りだった。
Wikiによると、大島監督は、1932年3月31日生まれ。生々しい戦争の記憶を持つ一人である。
しかし、子供の私にとって、大島監督は遠い向こうの世界の人、子供には決して窺い知れない、『大人の世界』の住人だった。
深夜のお色気トーク番組『11PM』で、大橋巨泉や野坂昭彦と美味しそうにウイスキーを飲みながら大人の話に花を咲かせていたのが印象に残っている。
もちろん、子供の私には、彼らが何を面白がっているのか分からない。
そもそも、子供が深夜11時まで起きていて、裸の女性のイラストが「シャバダバ、シャバダバ、ウ~ア~」と踊るようなTV番組を親に隠れて鑑賞すること自体が罪深い。わけても、大島監督は、猥褻表現で社会問題となった『愛のコリーダ』の作者であり、存在そのものが『見てはいけないもの』の代表格であり。
だから、『戦場のメリークリスマス』もあまり期待していなかった。
デヴィッド・ボウイの頬チューや坂本龍一のテーマ音楽は魅力的だけど、なにせ『愛のコリーダ』のイメージが悪すぎたからだ(子供にとっては)。
しかし、時を経て、『戦場のメリークリスマス』をじっくり見返してみると、なんとスリリングで、味わいのある作品か。
全編に流れるのは反戦の感情であり、階層社会や権威に対するエクスキューズでもある。
一方で、上質な衆道の世界を醸しだし、まさに実写版・同人誌という感じ。
大島監督はそう評されることを決して好まないだろうけど、戦メリはヨノイ君の秘めた欲望を描いた、最高にスリリングなラブロマンスなのだ。
原作『影の獄にて』と坂本龍一のサウンドトラック
テーマ音楽と頬チューのインパクトが強すぎて、どうしても ヴァン・デル・ポストの原作『影の獄にて』が後ろに回ってしまうが、やはり原作を読まないと、セリアズが命を懸けてまで仲間を救おうとした動機が理解できない。
映画でも描いてはいるが、見せるものには限界があり、弟のエピソードを語るのが精一杯だろう。
その点、原作には、セリアズの懊悩と贖罪、日本人と外国人の文化の違いなどが丁寧に綴られ、頬チューに対する印象も大きく変わるはずだ。
機会があれば、ぜひ手に取ってもらいたい一冊。(現在、中古市場で4000円~40000万円の高値で取引されています・・)
L・ヴァン・デル・ポスト (著), 由良 君美 (翻訳)
サウンドトラックはSpotifyでも全曲視聴できます。テーマ曲もいいけど、頬チューの場面でかかる、Swoing The Seed(種を蒔く)が秀逸。
ヨノイ大尉の元に一直線に歩いていくセリアズの決意が感じられる傑作。
最後に収録されている、デヴィッド・シルビアンの歌うForbidden Coloursもおすすめです。
CDはこちら
坂本龍一の映画音楽の代表作をぎゅっと集めたベスト盤。『ラストエンペラー』も素晴らしいです。
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初稿 2011年11月14日