アルトゥール・ランボーの詩と伝記映画『太陽と月に背いて』

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フランスの詩人 アルトゥール・ランボーについて

今なおカリスマ的な人気を誇る、詩人アルトゥール・ランボーは、1854年10月20日、フランスのシャルルヴィルに生まれました。

父親のフレデリックは叩き上げの歩兵太尉ながら、見聞記をしたためるような文才の持主で、母親のヴィタリーは地元の農園主の娘で、信心深い女性でした。

しかし、1860年、妹イザベルが誕生した年に両親は別離し、父親は二度と家に帰ることはありませんでした。

アルトゥールは、1869年、15歳にして、大学管区コンクール優等賞を受賞し、詩を新聞に発表するなど、文才のひらめきを見せます。

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転機となったのは、1871年、詩人ヴェルレーヌとの出会いでした。

すでに名声を確立していたヴェルレーヌは、ランボーが送った韻文詩『酔いどれ船』を高く表記し、自宅に招きます。

当時、ヴェルレーヌは新婚でしたが、無愛想なランボーに対して夫人の印象は芳しくなく、何度も住まいを転々とします。
その間にも、ランボーとヴェルレーヌは親好を深め、その特殊な友情は同性愛であったと見られています。

*

しかし、二人の関係は長くは続かず、1873年には、痴話げんかの末に、ヴェルレーヌがランボーを拳銃で撃ち、逮捕されます。

一方、ランボーは、有名な『地獄での一季節』の印刷を完了。そのうちの一冊をベルギーの監獄にいるヴェルレーヌに届けます。

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ヴェルレーヌが釈放されると、しばらくは一緒に過ごしますが、またも別離し、1874年末にはランボーはシャルルビルに帰郷。

1875年、シュトゥットガルトでヴェルレーヌと最後に会い、それきり二度と一緒に過ごすことはありませんでした。

ヴェルレーヌとの別れの後、ランボーはオランダの外人部隊に六年契約で入隊したり、キプロス島で石切り場の現場監督として雇われたり、放浪を繰り返します。

そして、1880年、フランスの商社に雇われ、アフリカのハラール支店を任されますが、1891年、膝をいためて、歩行不能に陥ります。

同年5月にはマルセーユに入院し、片脚を切断。7月にはロシュの農園に帰りますが、再び状態が悪化し、11月10日、マルセーユの病院で息を引き取ります。

しかし、妹イザベルの尽力などもあり、ランボーの残した詩は若者を中心に広く読み継がれ、今なお、自由と青春のアイコンとして、世界中の読者を魅了し続けています。

参考文献 地獄での一季節 Kindle版 篠沢秀夫 (翻訳)

名詩集『地獄での一季節』はこちらもご参照下さい。篠沢教授の解説と名句を紹介しています。
アルトゥール・ランボーの詩集 『地獄での一季節(篠沢秀夫・訳)』より

ランボーの代表作

私の好きなランボーの詩を三点、ご紹介します。
ランボー詩集 (新潮文庫)・堀口大学空の引用です。

永遠

永遠

もう一度 探し出したぞ
何を? 永遠を。
それは、太陽と番った 海だ。

待ち受けている魂よ、 一緒につぶやこうよ、
空しい夜と烈火の昼の 切ない思いを。

人間的な願望(ねがい)から
人並みのあこがれから、
魂よ、つまりお前は脱却し、
そして自由に飛ぶという……。

絶対に希望はないぞ、 希いの筋もゆるされぬ。
学問と我慢が やっと許してもらえるだけで……
刑罰だけが確実で。

熱き血潮の柔肌よ、
そなたの情熱によってのみ
義務も苦もなく 激昂(たかぶ)るよ。

もう一度 探し出したぞ
何を? 永遠を。
それは、太陽と番った 海だ。

僕の永遠の魂よ、 希望は守りつづけよ
空しい夜と烈火の昼が たとい辛くとも

人間的な願望から 人並みのあこがれから、
魂よ、つまりお前は脱却し、
そして自由に飛ぶという……。

絶対に希望はないぞ、 希いの筋も許されぬ。
学問と我慢が やっと許してもらえるだけで……。
刑罰だけが確実で。

明日はもうない、 熱き血潮のやわ肌よ、
そなたの熱は それは義務。

もう一度 探し出したぞ!
──何を? ──永遠を。
それは、太陽と番った 海だ。

この詩に痺れない人はないだろう。
私も、上記のCMに感化されて、すぐに詩集を買いに走った。
どこか官能的な情景の向こうには、太陽=ランボー、海=ヴェルレーヌの男色関係を示唆するものがある。

「番った」は、原文では「avec(アベック)」に相当し、なるほど、カップルを意味する「アベック」にはそのような意味があるのかと改めて感嘆させられた。
共生とも、一体ともとれる、官能的な結びつきが、このavecには感じられる。
私もこの詩を原文で読みたいが為に、一時期、「フランス語を勉強しよう」と思ったほど。

レオナルド・ディカプリオの映画『太陽と月に背いて』(後述)でも、ラストシーンに効果的に使われていた。

「もう一度、探し出したぞ」とつぶやくランボーに、「何を?」とヴェルレーヌが答える。

「永遠を。それは、太陽と番った、海だ」

現実には泥沼の三角関係に陥り、幸せな愛情生活からは程遠かった二人だが、詩の中では、永遠に一つとなり、魂の幸福を謳っている。

人間的な願望から 人並みのあこがれから、
魂よ、つまりお前は脱却し、
そして自由に飛ぶという……。

この一節が素晴らしい。

最後の塔の歌

最後の塔の歌

あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、
気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした。
心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか!

僕は自分に告げました、
忘れよう そして逢わずにいるとしよう
無上の歓喜の予約なぞ あらずもがなよ、なくもがな。

ひたすらに行いすます世捨てびと
その精進を忘れまい。
聖母マリアのお姿以外 あこがれ知らぬつつましい
かくも哀れな魂の やもめぐらしの憂さつらさ
童貞女マリアに 願をかけようか?

僕は我慢に我慢した。
おかげで一生忘れない。
怖れもそして苦しみも 天高く舞い去った。
ところが悪い渇望が 僕の血管を暗くした。
ほったらかしの 牧の草 生えて育って花が咲く
よいもわるいも同じ草 すごいうなりを立てながら
きたない蝿めが寄りたかる。

あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、
気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした
心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか!

この詩も中学時代に魅せられた。

『あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、
気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした
心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか!』

この一節がまさに当時の自分の心境だったから。
映画『太陽と月に背いて』でも、「ランボーの詩は、若い人から圧倒的な支持を得ているのです」という台詞があるが、ランボーの若い情熱と激しい希求は、時代を超えて若い魂に訴えかける。

わが放浪

わが放浪

僕は出掛けた
底抜けポケットに両の拳を突っ込んで。
僕の外套も裾は煙のようだった。

僕は歩いた、天が下所せましと、
詩神どの、 僕はそなたに忠実だ、

ああ、なんと素敵な愛情を
僕は夢見たことだった!

はきかえのないズボンにも
大きな穴があいていた。

夢想家の一寸法師、
僕は道々詩を書いた。

大熊星が僕の宿、
み空の僕の星たちは
やさしく衣ずれの音させた。

路傍の石に腰掛けて、
星の言葉に聴き入った。

新涼九月の宵だった、
養命酒ほどさわやかに

額に結ぶ露の玉、
奇怪な影にとりまかれ、
僕は作詩にふけってた、

ボロ靴のゴム紐を竪琴の弦に
見立てて弾きながら、

片足はしっかりと胸に抱えて!

私もこんな風に旅立ってみたい……といつも憧れていた。
夜空を見上げる度に、『大熊座が僕の宿』という一節が脳裏に浮かんだほど。

ランボーの詩は、なるべく早くに読んだ方がいい。
年をとって落ち着いてからだと、「そんな頃もあったかな」と思い出になってしまうから。

どうせ読むなら、「そうだよ、ランボー、私もだよ」と肩を抱いて語り合える頃が一番いい。
今でも大熊座は私の心の宿だけど。

ランボー & フランスの詩集(本の紹介)

ランボー詩集 -堀口大学

言わずとしれた名著。典雅で格調高い訳文に酔いしれる。
できれば原文も読みこなしたいが、堀口氏の翻訳でも十分にランボーの世界を堪能できるのではないだろうか。
後にも先にも、これに勝る訳文はないような。それくらい勝ちのある一冊。

16歳で天才の名をほしいままにし、19歳で筆を断った早熟の詩人ランボーは、パリ・コンミューンの渦中にその青春を燃焼させた天性の反逆児であった。ヴェルレーヌに“偉大なる魂"と絶讃された深い霊性と、今日の詩人たちにも新鮮な衝撃を与え続けるその芸術的価値において、彼こそ空前絶後の詩人と呼ばれるにふさわしい。
本詩集には傑作『酔いどれ船』を含む代表作を網羅した。用語、時代背景などについての詳細な注解、年譜、および作品解説を付した決定版。

海潮音 - 上田敏

フランスの詩に興味をもったらぜひ読んで欲しいのが、上田敏の「海潮音」。
クラシックで格調高い美しい翻訳が楽しめます。

ちなみに私が一番好きなのは、ジャン・コクトーの一行詩、

わたしの耳は貝の殻。海の響きを懐かしむ。

近年では、上田敏 名作全集: 日本文学作品全集(電子版) (上田敏文学研究会) Kindle版(読み放題)がリリースされているので、 Kindleをお持ちの方は、そちらもご利用下さい。

ヴェルレーヌ、ボードレール、マラルメ、ブラウニング……。
清新なフランス近代詩を紹介して、日本の詩壇に根本的革命をもたらした上田敏は、藤村、晩翠ら当時の新体詩にあきたらず、「一世の文芸を指導せん」との抱負に発して、至難な西欧近代詩の翻訳にたずさわり、かずかずの名訳を遺した。
本書は、その高雅な詩語をもって、独立した創作とも見られる訳詩集である。

海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)
海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)

海潮音(青空文庫・Kindle版)も無料でリリースされています。

フランス名詩選 (岩波文庫)

フランス語の原文も楽しみたいなら、こちらの文庫本がおすすめ。
ボードレール、マラルメ、ヴェルレーヌ、コクトーといった、フランスが誇る名詩を100篇を精選、原詩と日本語訳を対照して紹介しています。

15世紀のヴィヨンから,19世紀のボードレール,マラルメ,ヴェルレーヌ,ランボー,さらにジャム,ヴァレリー,アポリネール,そして現代に続くブルトン,コクトー,プレヴェール-日本でも多くの愛好者を持つフランス詩の豊饒の世界を最適の編訳者を得て1冊に収める.年代順に約60人,100篇を精選,原詩と日本語訳を対照.

フランス名詩選 (岩波文庫)
フランス名詩選 (岩波文庫)

饗庭孝男『フランス 四季と愛の詩』

こちらも私の大好きなフランスの詩の本。
フランスの四季を写した美しいフォトもさることながら、饗庭さんのコラムが非常に知的で、エレガント。
詳しくは、「饗庭孝男『フランス 四季と愛の詩』 詩と写真で感じる大人の絵本」のレビューをご参照下さい。

映画『太陽と月に背いて』

月と太陽に背いて レオナルド・ディカプリオ

19世紀。時の大詩人ポール・ヴェルレーヌ(デヴィッド・シューリス)のもとに、才気あふれる16歳の天才詩人アルチュール・ランボー(レオナルド・ディカプリオ)が訪れる。若く美しく才能あるランボーにヴェルレーヌは惹かれるが、嫉妬と愛憎入り混じる激しすぎる愛ゆえ、ふたりは別離を繰り返していく。
心理的SM関係のランボーとヴェルレーヌの、激しすぎる関係を軸に、2人の出会いからランボーが孤独な死を迎えるまでを格調高く描いていく。よくある同性愛モノのようにメロウに流れることなく、厳しい目で2人を見つめ、芸術家の心のうちをえぐり出していく。
ディカプリオがプライドと才能がにじみ出る残酷な若き天才を、乗り移ったかのように演じている。適役とはまさにこのこと。酒におぼれ妻を殴り、妻とランボーの間を行ったりきたりするヴェルレーヌ役のデヴィッド・シューリスもすばらしい。
ちなみに、原題の『Total eclipse』が意味するところは、太陽=ランボーが、月=ヴェルレーヌを完全に支配することを象徴しているのだそうだ。

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本作では、ランボーとヴェルレーヌ、そしてヴェルレーヌの妻との複雑な三角関係をベースに、稀代の天才詩人二人が惹かれ合い、互いにインスパイアしながらも、破滅にひた走って行く過程が描かれています。

Total Eclipseは皆既月食の意味。

レオナルド・ディカプリオが最高に美しかった頃の秀作です。

これは創作活動も人生も共にすると誓ったランボーとヴェルレーヌが熱い口づけを交わす名場面。
美しいレオ様の唇が爬虫類のようなデヴィッド・シューリスの唇と重なった時――。
すべての観客が「ウウッ」と息を呑むのがひしひしと感じられました。

レオ様も筆舌に尽くしがたいほど美しい。
なんと、本作ではオールヌードも披露しています。

これもファン垂涎の名場面集。
「海が見たい」と甘えるランボーの願いを叶えてあげるヴェルレーヌ。
上記の『永遠』の詩を脳裏に浮かべながら見れば、うずうずすること請け合い。
こんな可愛い男の子に甘えられたら、ヴェルレーヌでなくても、何でもしてあげてくなりますね。

この後、レオナルド・ディカプリオは、バズ・ラーマン監督の『ロミオ&ジュリエット』で注目を集め、『タイタニック』で人気を不動のものにしました。

しかしながら、その後10年、これといった作品に恵まれず、「タイタニックには出るべきではなかった」と後悔したそうです。
(『仮面の男』とか、しょぼいコスチュームものとかやってたし。とても国王には見えない)

キャリアを持ち直したのは、アフリカの紛争ダイヤを描いた『ブラッドダイヤモンド』あたりからでしょうか。まさかアクション系に舵を切るとは思いませんでしたが。


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ディカプリオの一番美しかった瞬間を捕らえた奇跡の作品。 (← まったくその通り)
脚本は晩年までを描いたばかりに失敗に終わっているが、ランボウとヴェルレーヌのダメっぷりは忠実に描かれていると思う。
衣装やセット、音楽、映像の質感と言った部分も文句なしに素晴らしいと思う。
ディカプリオもこの作品を最後に、ランボウのように引退していたらインディー界のスターとして伝説になっていたこと間違いなし。
金に目がくらんでへんてこな作品にばかり出演している現状が嘆かわしい。
- amazonレビューより

おわりに ~名作も人を選ぶ

世界名作文学にも二種類ある。

一つは、「年を重ねるほどに良さが分かる」。

もう一つは、「若い頃に読まないと共感できないもの」。

年を重ねるほどに良さが分かるといえば、ドストエフスキーなど、その典型だろう。

若い頃に読んでも、そこそこ感動するが、世の中を知り、人間や社会の本質が見えるようになれば、いっそう面白くなる。

逆に、「若い頃に読まないと共感できないもの」の典型は、ニーチェやマルクスだろう。

「共産党宣言」も「ツァラトゥストラ」も、ぎらぎらした正義感に燃える青年であれば、共感する部分がたくさんあるが、世間を知り、ある年齢に達すると、突然、興味をなくして、「きついわー」と感じる日がやって来る。

どんな本にも読むべき時期があり、ランボーも後者の一つだと思う。

ランボーの心の中の野心、情熱、挑戦、孤独、焦燥といったものが、言葉のマシンガンのように繰り出され、若い魂に深々と突き刺さるからだろう。

大人になってからも感慨はあるが、青年期のようなワクワク感はない。

やはり文学は本質的に若者の世界であり、読む方も、書く方も、時期を逃せば、一生の損失ということだろう。

いつの時代も、大人は若者に向かって、「本を読め、それも世界名作文学のように超絶ヘヴィな作品だ!」と力説し、その度に、若者はうんざりした顔で立ち去るものだが、大人の言説には100%根拠があって、年を重ねてから読んでも面白くない作品の方が圧倒多数だからである。

大人の説教にげんなりしながらも、世界名作文学を紐解き、ランボーの詩に魅せられた人は幸運だ。

そんな瞬間は、人生に二度と訪れないから。

何を読むかは人が選ぶかもしれないが、名作の方でも読者を選ぶものである。

あなたがランボーを選んだように、ランボーもまた、あなたという読者を選んだ。

そう思う方が、きっと幸せな人生を送れる。

読書も、一期一会。

ページをめくってみるだけでも、価値があるのではないだろうか。

誰かにこっそり教えたい 👂
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この記事を書いた人

MOKOのアバター MOKO Author

作家・文芸愛好家。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚の小説を手がけています。東欧在住。作品が名刺代わり。Amazon著者ページ https://amzn.to/3VmKhhR

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