アメリカ人に「ホイットニー」と言うと爆笑される理由
初稿 2011年11月2日
もしあなたがバブル世代のアメリカ人の友人を持って、マイケル・ジャクソンやビリー・ジョエル、MC・ハマーやカルチャー・クラブの話をしたら、きっと喜んで聞いてくれるだろう。
でも「ホイットニー・ヒューストン」と言った途端、
「誰、それ??」
と、首をかしげられるにちがいない。
「ホイットニー・ヒューストンだよ! 女性シンガーのホイットニー! 映画『ボディガード』に出てた人! 知らないの? 超有名じゃん!!」
と説明すれば、
「ああ、Whitney Houston!」
と彼は笑いながら教えてくれるだろう。
あなたの発音が全く異なることを。
このWhの音って、日本語にはないのね。
あえて表記するなら、「ウィトニー」が一番近いか。
少なくとも、「ほいっとにー」とは言わない。
では、なぜ日本では「ホイットニー」と言うのか。
これは私の憶測だが、初めてWhitneyを日本に紹介した人が、意識して「ホイットニー」と日本語表記したのではないだろうか。
「ウィトニー・ヒューストン」よりは「ホイットニー・ヒューストン」の方が日本人には馴染みやすいからだ。
プロの翻訳家や通訳者が、あの発音を「ほいっとにー」と聞き取るとは到底思えない。
それくらい、英語ネイティブの発音は違う。
そんなアホなと思う方は、こちらの動画でしっかりヒアリングしてみよう。
受賞者の名前を読み上げる時、『ほいっとにー』とは言ってない。『うぃとにー』と聞こえるはずだ。
I’ll always love you, Whitney Houston !
似たような例に、ポーランドの民主化運動で有名なレフ・ワレサ議長の日本語表記がある。
本名は、Lech Wałęsa 。ポーランド語の発音では、レフ・ヴァウェンサ になるが、当時、日本では「ワレサ議長」と報道されていた。
なぜなら、英語圏では、Lech Walesa と表記され、そのまま「レフ・ワレサ」が国際共通語のようになっていたからだ。
そして、今も Lech Walesa で通っている。
一例 https://www.nobelprize.org/prizes/peace/1983/walesa/biographical/(リンク先は削除されています)
ちなみに、ロシア語やギリシャ語やアラビア語やスロヴァキア語や中国語など、英文字を使用しない、もしくは、ウムラウトやアクサンテギュのようなアクセント符号を有する名前の人は、ビジネスカード(名詞)に『英名』を使っている人が多い。
Tomasz(トマシュ) なら、Thomas(トーマス)。
Małgorzata(マウゴジャタ)なら、 Margaret(マーガレット)みたいに。
ホイットニー以外にも、「マクドナルド」とか、そのままでは通じない発音はたくさんあるが、今でも多くのアメリカ人にとってホイットニーが自国の誇りであることに変わりなく(多分)、アメリカ人と何を喋っていいか分からない人は、とりあえず、洋楽やハリウッド映画の知識をたくさん仕込んでおくと、話が弾むと思う。
ただし「レオナルド・ディカプリオのファン」とだけは言わないこと。
これだけは、どこの国でも噴飯ものなので(多分)
ホイットニー・ヒューストンの名曲
I will always love you ~映画『ボディガード』 主題歌
ホイットニー・ヒューストンの代表曲と言えば、世界中の誰もが知っている、「えんだ~ いや~ アイ・オールウェイズ・ラブユー」のフレーズが印象的な『I will always love you』だろう。
映画『ボディガード』は、1992年、主演にケヴィン・コスナーを迎え、全編、ホイットニー・ヒューストンのプロモーションビデオのようなノリで制作された。
凄腕のボディガード、フランク・ファーマー(ケヴィン・コスナー)は、世界的スーパースター、レイチェル・マロン(ホイットニー・ヒューストン)の身辺警護を依頼される。彼女の身辺で異常な出来事が続き、脅迫状が送られてきたからだ。
最初は渋っていたフランクも、彼女が置かれた状況を知るとボディガードを引き受け、邸宅の改装や監視カメラの取り付けなど、警備体制の強化を図るが、歌と踊りに集中したいレイチェルは、フランクの存在に苛立ち、「ボディガードは要らない」とはねつける。
しかし、ナイトクラブでライブを強行した夜、レイチェルは興奮して舞台に上がった男に突き落とされ、あわやのところでフランクに救い出される。危険を身に染みたレイチェルは、これまでの非礼を詫び、フランクと仲直りするが、警護対象に深い愛情を抱くことを恐れたフランクは、彼女に冷淡な態度を取るようになり、レイチェルの心を深く傷つける。
再びレイチェルはフランクを遠ざけ、アカデミー賞の会場に向かうが、そこにはレイチェルの命を狙うスナイパーが待ち受けていた――。
ストーリー的には少女漫画のようで、映画通からは酷評されることもあったが、まさにホイットニーの全盛期に作られた音楽映画で、主題歌『I will always love you』をはじめ、恋する気持を歌った『Run to You』、歌唱が非常に美しい『I have nothing』など、サントラも名曲ぞろい。ここまで美しく、かつソウルフルに歌える歌手も希有だろう。
ケヴィン・コスナーも、この頃が人気絶頂であり、ディズニー映画の実写版『ロビン・フッド』をはじめ、農夫の作った私設野球場に往年の名選手のゴーストがプレーに来る『フィールド・オブ・ドリームス』、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』など、次々に世界的ヒットを飛ばした。
『I will always love you』は、本作のエンディングで効果的に歌われ、当時大流行していたMTV(ミュージックTV)のような演出で締めくくるのも味がある。
YouTubeの公式動画はこちら https://youtu.be/3JWTaaS7LdU
I Have Nothing ~映画『ボディーガード』挿入歌
挿入歌の『I Have Nothing』も、I will always love you に勝るとも劣らずの素晴らしい曲だ。
メロウなスローバラードで、当方は、I will … よりも、こちらの方が好みである。
聞くだけなら単純に感じるが、カラオケで歌ってみれば、この曲の難しさとホイットニーの技巧の素晴らしさが分かる。
Saving all my Love for You(邦題:すべてをあなたに)
私がホイットニーを知るきっかけとなったヒット曲。
内容は、いわゆる不倫ソングで、友人にそんな恋愛はやめろと忠告されても、愛することを止められない、女性の心情を謳ったものだ。
Love gives you the right to be free
You said be patient, just wait a little longer
But that’s just an old fantasy
あなたはよく「駆け落ちしよう」
「恋をすると自由になった気がする」と口にする
「もう少しだけ辛抱して」とも言ったわね
でも そんなのは夢物語だった
私もカラオケでよく歌ったが、「コ~ザ ナイッ! イザ ナイッ!(そう聞こえる)」の部分は案外難しい。(トは言わなくていいようだ)
あの都はるみのようなコブシは天性だと思う。
I’m Every Woman ~40代になるのが怖いアナタへ
追記:2016年9月9日
これからいよいよ40代……と思うと、胸にズシンとくる女性は多いでしょうね。
30代までは、化粧や服装でなんとか誤魔化せても、40の坂を過ぎると、もう二度とキラキラした容姿には戻りしませんし、家庭でも、職場でも、面倒な事が増えて、一番心身にダメージを受けやすい時期だと思います。
私も二十代の頃、職場の先輩から「女は四十代が一番キツイ」とさんざん聞かされて、そうなのかと他人事のように受け止めてきましたが、自分が実際、その年代になって、「ああ、これがその事か」と思い知らされることはたくさんありました。
若い頃はうるさく思うことしきりでしたが、今では、いろんな「おばさま看護婦」に諭され、叱られしてきたことに感謝しています。
注意されるということは、それだけ可能性があるということ。
「この子に何を言っても聞かないし、言うだけ無駄」と目上の人に見切りをつけられたら、そこで終わりでしょう。
十代、二十代の、一番物事を学ばねばならない時期に、誰にも何も教えてもらえないって、非常に損ですよ。
当人は、誰にもうるさく言われない、とラッキーに感じるかもしれないけれど、確実に何かを失っているから。
そんな私から、四十代になるのが怖いアナタに声を大にしてお伝えしたいのは、『四十代のうちに自分の一番大きな夢を叶えろ』ということです。
五十代でも、六十代でも、できなくはないですが、体力的に非常に厳しいですし、運が悪ければ、早々と死ぬこともあります。
「また今度」「あれが一段落したら」と言ってる間に、可能性はどんどん失われ、六十代、七十代になってから悔やんでも二度と帰ってきません。
十代、二十代には「来年」という言葉があるけれど、四十代、五十代には「来年」などという言葉はないのです。
わけても一番おすすめしたいのが、「少女時代の夢を叶える」ということ。
今の世の中、小学校の卒業文集に書いたことを忠実に実行し、形にした人間がどれほどいることやら。
忘れ、諦め、子供時代の自分を裏切る人が大半だと思います。
現実志向といえば、その通りかもしれませんが、果たして子供時代の自分を裏切って、何の悔いも感じないものでしょうか。
もし「やり残した」と思うことがあるなら、今すぐに始めることです。
四十を過ぎたら、時間は待ってくれません。
若者と同じように「明日」という日は無いのです。
失われたものを取り返すなら、今しかない。
四十代は、人生最後のチャンスと思って下さい。
そんな私のオススメは、ホイットニー・ヒューストンの『I’m Every Woman』。
80年代から90年代初頭にかけての、女の時代を象徴するようなパワフルな楽曲です。
元はチャカ・カーンの代表曲ですが、ホイットニーが現代風にアレンジして、一世風靡しました。
私も今、ホイットニーに「一緒に踊ろう」と言われたら、後列で踊ってそうな気がします。
一般には、「Every Woman=私は全てをもっている女」と言われますが、「全て」というのは、美貌や地位や能力のことではありません。
女性らしい強さや優しさ、知恵、機転、反面、弱さや脆さ、焦り、不安、嫉妬など、いろんな側面を併せた「全て」という意味でしょう。
ホイットニーも「私は美人で、金持ちで、才能のあるアーティストなのよ」と自慢する為に歌っているわけではありません。
私は強いところもあれば、駄目なところもある。でも、それらもひっくるめて、女性である自分が好きだし、これからも、何にでも挑戦して、自分が納得いくように生きるわ、と宣言する歌です。
‘Cause I’m the one
Just ask me
Oh, it shall be done
And don’t bother
to compare
I’ve got it
私は自慢してるわけじゃない。
なぜって、私は「One」(この世で唯一の存在」だから
自分の胸に聞いてみて
それはきっと成し遂げられる
他人と比べて くよくよしたりしないで
私は it を持ってるんだから
it というのは、何かを成すに十分な気力や知恵、いろんなパワーを持っている、と解釈してもいいかも。
他と比べて、自信をなくしたり、引け目を感じたりしなくても、あなたには既にそれをやり遂げるパワーが備わっているはず、という応援歌ですね。
四十代に限らず、人は何にでも言い訳したがるものだし、いろんな理屈をこじつけて、現状に納得しようとします。
でも、屁理屈の果てに何が残るかといえば、いつまでたっても自分を肯定できない苦さでしょう。
そんな苦さを胸の奥に抱えたまま、一生を終わりたいかと問われたら、多くの人は首を横に振るはず。
ならば、今一度、子供時代に帰って、「やりたい事は何ですか」「やり残したことは無いですか」と問いかけてみませんか。
どうせなら、小学校の卒業文集を書いている自分に、胸張って自分の人生を語りたいでしょう。
四十代って、自分の人生の終わりを生々しく実感するからこそ、再び大きく生まれ変わることができるし、実行できる気力や体力が残されている最後の年代でもあります。
ぼやぼやしているヒマはありません。
さらに年をとって、いよいよ人生の終わりが近づいてきた時、後悔や絶望に効く薬など、本当にないんですよ。
今やらなかったら、いつやるのか。
今一度、自分自身に問いかけ、再起のチャンスを掴んで下さい。
最後に素敵な言葉を……
(失敗しようと、成功しようと)
少なくとも、自分が信じたようにやってきた。
- ソウルな歌唱とは自我の発露 ~ジェニファー・ハドソンの歌唱が素晴らしい 映画『ドリームガールズ』
ホイットニーの追悼コンサートで I will always love you を熱唱したジェニファーのソウルフルな歌唱が堪能できるモータウン系音楽映画の傑作。
【追記】 80年代 世界が熱狂したPOPSと一体感
80年代をリアルに体験したことのない人には、TVをつけても、ラジオをつけても、駅に行っても、商店街を歩いても、世界のヒット曲が繰り返し流れ、大人も子どもも『エンダ~ いや~ アイム・オールウェイズ・ラブユ~』と口ずさむことができた社会の様相など想像もつかないだろう。
ホイットニー・ヒューストンのヒット曲は、洋楽にまったく興味がない人でも、サビの部分ぐらいは知ってたし、それはホイットニーに限らず、マイケル・ジャクソン、プリンス、ホール&オーツ、ビリー・ジョエル、等々、当時のPOPスターに共通していえることだ。ついで言うなら、日本の歌謡曲や演歌もそう。10代の若者でも「あなた、変わりはないですか(都はるみの『北の宿から』」と歌えたし、70代のおじいちゃんでも、「あ~、わたしの恋は~」と高らかに歌う松田聖子の声ぐらいは知っていた。世界中が同じ時の流れの中で一つのコンテンツを共有できたのが80(70)年代なのだ。
ホイットニーは、そんな時代を代表する女性シンガーだ。
世界的な女性シンガーといえば、マドンナ、マライア・キャリー、レディ・ガガ、アデルなども含まれるが、ホイットニーの存在感はそれらを遙かに上まわる。
「ヒットしているから」「皆が聞いているから」というレベルを超えて、世界中がその歌声を知っていた。
『えんだ~』と聞いただけで、ホイットニーを抱き上げるケヴィン・コスナーのCMが浮かび、張り合うように活躍するマイケル・ジャクソンの姿が思い出される。
それは現代のシェアとは全く異なる、社会の一体感だった。
世界的ヒットといえば、ADELの『スカイフォール』もそうだが、それが時代や世相を象徴する作品かといえば、決してそうではない。今でこそ繰り返し流れているが、果たして、20年後、30年後も、時代を象徴する歌曲として世界中でリクエストされるだろうか。私はそうは思わない。魅力的な曲には違いないが、世界がのめり込むような一体感はなかった。それがホイットニーとの違いだ。ホイットニーの歌曲は、あの時代を生きた人々の共通の出が詰まっている。TVやラジオで繰り返し流れる『えんだ~』の歌声、ケヴィン・コスナーのアップが表紙を飾る映画雑誌にFM週刊誌、『ボディガード』のポスターで埋め尽くされたクリスマス前の商店街やCDショップ、まさにボディガード一色の町中を若者らが華やかに着飾って飲みに出掛けた、皆の日常に完全に溶け込んでいたヒット曲だからだ。
今は音楽市場も音楽を聴くツールも大きく様変わりし、「皆で聴く」から「一人で一台」になった。皆が一様に耳にする機会も激減し、個々がイヤホンを装着し、自分一人の世界でお気に入りを楽しむ時代になっている。
それが悪いとは言わないが、何億人が一つのコンテンツを共有し、一体感を得る体験がだんだん失われていくのは淋しい。
現代のシェアは、一体感よりも『同意』の意味合いの方が強いからだ。
一緒に祭りを楽しむのと、「このお祭り、楽しいでしょ」と周りに同意を求めるのでは、心に残るものがまったく違うだろう。
TVやラジオでホイットニーを聴いていた私たちは、80年代という時代を共に生き、共に楽しんだ。
そこには同意もカスタマイズもなかったけれど、一つの音楽の中で個々に思い出の花を咲かせることができた。
今も私たちが『えんだ~』を懐かしむのは、あの頃、世界中を湧かせた一体感が残っているからに違いない。
追記:2018/04/26
【追記】 ホイットニー・ヒューストンの訃報に寄せて
一部、リライトしています
先ほど、インターネットのニュースでホイットニーの訃報を知りました。
私にとってはマイケル・ジャクソンの死より悲しみが深いです。
もう80年代のような活躍は難しいとしても、どこかで歌い続けて欲しかった。私には青春時代の思い出そのものだから。
(FMラジオや商店街でホイットニーの歌声を聞かない日など、あっただろうか?)
これでいよいよPOPSも終わった。80年代(あるいは20世紀)も終わった。
誰がもう一度、歌声ひとつで世界を繋いでくれるのか。
心の時間軸がスコーンと抜けた感じです。
ある意味、ホイットニーは消えるべくして消えたのかもしれません。
なぜって、彼女が歌っていたような抒情的な歌詞もメロディも流行らなくなったから。
さながら、風の歌が通り過ぎるように、ホイットニーも20世紀と共に去って行ったのかもしれません。
あたしは時の流れを旅する女。あなたの思い出の中にだけ存在する青春の幻影――みたいに。(参考『銀河鉄道999』のメーテルのセリフ)
冥福を・・なんて、私には言えません。
彼女にはステージこそ至福の場所だっただろうから。
今日はホイットニーのベストアルバムでも聞いて、世界中のファンと一緒に追悼します。
ほんとに・・悲しいです。
初稿 2012年2月12日