寺山修司の名言– tag –
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思想のないものはせめて方法を持て
思想のないものはせめて方法を持て 酒場がぼくの学校だった ここはことばの暴力教室だ 思想のボクシングジム 自己の絶壁をのぞく勇気を 思想のないものはせめて方法を持て 怒りをぶちまけてサンドバッグをたたけ 「出会い」と「関係」と「対決」を 人生に退屈してはいけない すべての疑問についてやりとりを ぼくが変わったのか読者が変わっ... -
酒場が僕の学校だった ~どこで学ぶかより、何を知りたいか
酒場がぼくの学校だった バイロンという詩人が書きました。「酒場がぼくの学校だった」と。 文部省の作ったものを認可したものだけが学校なのではなく、ときには映画館が学校だったり、デパートが学校だったりすることもある。この5ページはぼくの考える〈もう一つの学校》として、諸君の意見とぼくの意見の対決によって作っていきたい。 た... -
芸術には使命も目的もありはしない ~人間は進化せず、変化するだけ
【高校生の質問】 ピカソはぼくに何も与えなかった 高校生の質問 ピカソが死んだ。9歳の高齢だったそうだ。天才は概してその芸術活動において寡作であるという世の通説に反して、非常な多作で、特に晩年の盛んな活動は年齢を感じさせないくらい驚くべきものがあったそう. ピカソの絵の中には何億円という高値がついたものがあるという。世界... -
現代に生きるためには、無垢な心がどのような報復をうけねばならないか 映画『シベールの日曜日』
ガラス玉を星のかけらと思い込める感受性は、その星のかけらの鋭い刃先でみずからの心を傷つける。現代の生きづらさの正体と人間の感受性に関する文芸コラム。 -
「生きる」ということを10行くらいで書いて悩むような軽薄さを好まない
生きることに悩む高校生への回答 高校生のお便り ○月○日 何のために どんなふうに 生きればよいというのだ オレがいなくても オレが死んでも人間は動きまわる 時間はどんどん過ぎ去って 再び帰ることはない あのときは幼かったが 一所懸命生きていた 食うために生きろというのか 生きるとはどういうことか いたずらに老い、死んでいくのか (... -
寺山修司の名言とモルゲッソヨ
平昌五輪で大人気の『モルゲッソヨ』のアスキーアートがあまりに素晴らしいので、寺山修司の名句と掛け合わせてみました。 モルゲッソヨは立ち会いを許された覗き魔である。 寺山修司の仮面画報より 正しくは、「観客は立ち会いを許された覗き魔である」。 どんな鳥だって モルゲッソヨより高く飛ぶことは できないだろう 『ロング・グッドバ... -
寺山修司の『ポケットに名言を』 言葉を友人に持ちたいと思うことがある
「言葉を友人に持ちたいと思うことがある。それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気がついたときにである」寺山修司の好きな言葉のコレクション。コラム『言葉を友人に持ちたいと思うことがある / 言葉をジャックナイフのようにひらめかせる / シャツでも着るように軽く着こなしては、脱ぎ捨ててゆく / 旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気がつく時』 -
寺山修司の『あしたはどっちだ』 明日とは一番無縁な人の明日論
『あしたのジョー』の主題歌「あしたは どっちだ」は寺山修司の作詞。寺山修司ほど「あした」という言葉が似合わない人もない。寺山修司の場合、「今、この瞬間」、「今日」こそが人生そのものだから。 -
『幸せ』が人生の目的ではなく 寺山修司の『幸福論』 / 佐藤忠男の解説「自分の不幸も表現しよう」
一般的な幸福論と異なり、自分が幸せと信じるものを根底から覆し、世界の見方を教えてくれる斬新な一冊。『自分の不幸も表現せよ』という評論家・佐藤忠男氏の解説と併せて、見どころを紹介。コラム『幸せになれない自分も大切にしよう』と併せて。 -
どんな偉大な作家も半分しか書くことはできない ~寺山修司の論談より
心の中、あるいは頭の片隅に、何かアイデアを抱えていても、「恥ずかしいから」「まだ中途だから」「素人だから」「時間がないから」、等々、様々な理由で、表明しない人は少なくないと思います。 しかし、誰にも言わず、形にもしなかったら、それは最初から存在しないのと同じこと。 いくら頭の中に素晴らしいストーリーを思い描いていても... -
寺山修司の『時速100キロの人生相談』~高校生の悩みに芸術的回答~
寺山修司が高校三年生の悩みに芸術的に回答。斜め下から真理を突き刺すような分析と比喩が素晴らしい。『幸福はもっと、たけだけしいものだ / 地獄を肉眼でとらえなさい / 怒るなら、もっとでっかく怒ることです / 想像力で人生を変えなさい /目的を作り出してゆくのが日々の営み / 人間は進歩するのではなく、変化するもの』など。 -
生まれた時代が悪いのか、それとも俺が悪いのか ~ガラクタでも輝けた1960年代
「生まれた時代が悪いのか、それとも俺が悪いのか。何もしないで生きてゆくなら、それはたやすいことだけど」。若者が権力に逆らった時代でもある1960年代の追想と、スポーツ界の敗者について綴るコラム。ガラクタでも光り輝ける時代の寛容さと現代の厳しさ。 -
文学と自己啓発の違い ~詩を役立てる心とは 寺山修司『人生処方詩集』
『人生処方詩集』の冒頭で、寺山修司は詩が役に立たないものとして無視されてきた歴史を指摘する。対照的に「役立つ詩」「食える詩」が自己啓発だ。人間の本質を無視した理想一点張りの人生論はかえって人を不幸にする。文学は人間のありのままを描く芸術である。文学と自己啓発の違いについて考察するコラム。 -
親を捨てよ、町へ出よう ~子供の自立と精神的親殺し
子供が自立するには心理的な通過儀礼としての『精神的な親殺し』が必要であると説いた河合隼雄の著書と『書を捨てよ、町を出よう』『家出のすすめ』といった著書を通して若者の自立を訴えた寺山修司のコラムから。自立と親子関係の考察。 -
【質問】鳥になれたら最初にどこに飛んで行きたいですか?
もし鳥になれたら最初にどこへ飛んで行きたいですか? 『質問』 田中未知さんより それは『過去の自分』です。 『あの頃の私』が頑張ってくれたから、今がある。 過去の私には感謝しても、しきれないくらい。 挫けなかった私。 決して諦めなかった私。 思えば、どんな危機に陥っても、不思議と「絶望しきる」ということはありませんでした。... -
真実も地獄も一杯あるさ ~穿った意見も基礎があってこそ
真実は一つ 地獄は一つ 高校生の質問 ぼくは神がいると信じている。でも、ぼくの信ずる神は、普通の神と違うものだ。ぼくはもともとあらゆる宗教の根源に一個の神がいると思っている。キリスト教だって仏教だって、その神の一部分を伝えるものにすぎないと思うのだ。そして、その神はぼくらひとりひとりをちゃんと見守ってくださるに違いな... -
一生に一度だけ、誰でも詩人になる ~寺山修司の名言より
人は一生のうちで一度だけ、誰でも詩人になるものである。だが、やがて「歌のわかれ」をして詩を捨てる。そして、詩を捨て損なったものだけがとりのこされて詩人のままで年老いてゆくのである。 私もまた、詩を捨て損なったにがい心をいだきながら、群衆の中におし流されていきつつある。 だが、もし船出にまにあっていたら、私は冒険家にな... -
『家出のすすめ』は自立のすすめ
『家出のすすめ』は自立のすすめ 他人の母親を盗みなさい。 これがわたしの最初の提言です。 《家出のすすめ》 角川文庫 これがかの有名な『家出のすすめ』の最初の一文だ。 良識ある人が見れば、「母親を盗むとは何事か!」とさぞかしお怒りになるかもしれないが、よくよく読んでみれば、「親子関係は宿命的に作られたもので、絶対ではない... -
みんなを怒らせろ ~真の怒りには技巧もフォルムもふみこえた何かがある ~寺山修司の『人生処方詩集』より
みんなを怒らせろ ~寺山修司の『人生処方詩集』より 『みんなを怒らせろ』(to offend every one !)という本を出版してから、もう半年ちかくなる。 だが、私のマニフェクとなどはたいした効果がないらしく、やはり目につくのは「おとなしい日本人」ばかりである。エレベーターの中でまちがって他人の靴を踏んづけてしまっても、相手にさき... -
カタツムリの引っ越し ~若者の自由と自立について ~寺山修司の『家出のすすめ』より
わたしは少年の頃カタツムリを半分好きでした。 半分というのは、カタツムリが自分の肉体の一部分を「家」としているという気安さと、「家」そのものが制度ではなくて、きわめて具体的な殻である、という点です。 そして、あとの半分(つまり好きになれない部分)というのは、カタツムリが自分の力で「家」を変えることができない、という点...
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