スティーブ・マックイーンの死と葬送の祈り
私が初めてレッド・ツェッペリンの伝説的ヒット曲「天国への階段」を聞いたのは、13歳の時。
その頃、私は、スティーブ・マックイーンの大ファンで、代表作の「タワーリング・インフェルノ」「ブリット」「荒野の七人」「シンシナティ・キッド」など、彼の出演作はほとんど視聴していた(TVロードショーが盛んな時代だったので)。
「お父ちゃんと呼ぶなら高倉健、恋人にするならスティーブ・マックイーン」と憧れていたほど。
そんな最中、目にした『スティーブ・マックイーン 肺ガンで死去』の新聞記事。(正しくは中皮腫という悪性腫瘍)
それから程なく、女性週刊誌にも詳細を伝える記事が掲載され、私はその2ページをハサミで切り取ると、自室にこもり、延々と泣き続けた。
(筆者・注 我が家は自営業で、待合室に、お客さん向けに女性週刊誌がたくさん置かれていたのです)
もう、この先、一生、お嫁に行けないような喪失感だった。
その時である。
FMラジオからレッド・ツェッペリンの『天国への階段』が流れてきたのは。
その頃、私は『FMラジオ少女だった私 ~エアチェックとカセットテープとクロスオーバー・イレブン』にも書いているように、FMラジオの音楽番組に心酔しており、自室に居る時は、たいていFMラジオを聴いていた。
世界の扉もFMラジオなら、悲しみに暮れる私に寄り添ってくれるのもFMラジオだったのである。
そして、その日も、私の祈りを聞き届けてくれたのだろうか(……さあ、どんどん文芸っぽくなってきましたよ……)
スティーブの死を嘆く私の傍らで、静かに流れ始めたのは、レッド・ツェッペリンの『天国への階段』だった。
ぽつぽつと歩み始めるようなジミー・ペイジのギターソロに始まり、ロバート・プラントのヴォーカルにのって、徐々に高みへと上り詰めてゆく。
その時、私は、『天国への階段』というタイトルはおろか、レッド・ツェッペリンというバンド名すら知らなかったが、その曲が『天国』をイメージした作品だということだけははっきりと分かった。
なぜって、その曲の向こうに、天国への階段を、一段、一段、昇ってゆくスティーブ・マックイーンの姿が浮かんだからだ。
それからしばらくして、「あの曲は、一体、何だろう? あの神がかった美しさは、誰の手によるものなのだろう?」と思い巡らせていたら、その後、私の大好きな音楽番組『FMリクエストアワー』でこの曲が紹介され、レッド・ツェッペリンの『天国への階段』と知った次第。
『天国への階段』の意味
ロック史上に残る最高傑作と名高い『天国への階段』。
その歌詞はかなり抽象的で、「階級差別」「戦争反対」「聖書や神話の世界」「麻薬賛美」などいろんな説があり、どれが本当なのか、作詞したロバート・プラントでさえ明言していない。
だが、この曲は、メロディ自体が全てを物語っており、いまさら言葉で情景やメッセージを説明する必要もない。
歌詞にも明確な意味はなく、「メロディに合わせて韻を楽しむ詩」というのが私の解釈だ。
いや、むしろ、日本語に置き換えて解釈する方が無粋ではなかろうか。
プラントの神がかったヴォーカルも、あえて「英語」で歌っているだけで、ケルトの古い言葉でも、天王星人語でも、韻さえ合えば、何でもハマるような気がする。
ロック版 『亡き王女のためのパヴァーヌ』
私のイメージは、ロック版「亡き王女のためのパヴァーヌ」という感じ。
若くして死んだ乙女が、水色の空へ登ってゆく。一段、一段、透き通った天国への階段を踏みしめ、時々、地上の風景を懐かしみながら。
そこに本当に「神の国」があるかどうかは分からないけれど、そこに行けば、もう二度と、泣くことも、苦しむこともない。無限に優しい愛の手に包まれて、空気のように軽やかに呼吸することが叶う。
だけど、この淋しさは何だろう。
私は本当に天国を望んでいるの?
たとえ、そこが、地上の人々が夢見る楽園であったとしても、私は涙を流す人生にこそ、いとおしさを感じるし、たとえ今、真っ白に救われたとて、私は少しも嬉しくはない。
もしかしたら、神様の方こそ、地上に恋しているのではなくて?
それでも、私は行かねばならないのかしら。
この階段を上って、人の言う「天国」へと。
ふと見下ろせば、大好きなパパとママが居る。
あの町の果てには、私が本当に出会うべき人が居たかもしれない。
それでも、私は行かねばならないのかしら。
この地上を離れて。
今、私は、一段、一段、登ってる。人の言う「天国」へと。
永遠に時をとめ、何も知らない少女のままで居る為に。
*
って、感じかな。あくまで私のイメージですが。
名盤『レッド・ツェッペリン Ⅳ』の魅力
スーザン・サランドンとトミー・リー・ジョーンズ主演のサスペンス映画『依頼人~ザ・クライアント』の中に、こんな場面があります。
マフィアに脅迫された弁護士の自殺現場に遭遇したために、命を狙われることになった少年マーク・スウェイ。
彼はズボンのポケットに所持していた「1ドル」で女弁護士レジー・ラブに助けを求めます。
しかしマークはなかなか心を開かず、力になろうとするレジーにさえ反抗的な態度を取ります。
そんなマークのTシャツに描かれたイラスト(アルバム『Ⅳ』のジャケット写真)を見て、レジーが「レッド・ツェッペリンが好きなの? 私もよ」と言うと、「あんたら大人は、よく知りもしないくせに、ツエッペリンの話をすればオレみたいなティーンの気が引けると思ってる。本当にツェッペリンのファンだというなら、彼らのアルバムについて言ってみろよ」
「彼らの初期のアルバムは全部で4枚。そのいずれもタイトルはついてない。でも『Ⅳ(フォー)』と言えば、ファンには分かるの」
……というぐらい、歴史的名盤として名高い、アルバム『Ⅳ』。
ハードロックあり、フォークあり、で、何度聴いても飽きることがないです。
私もこれだけは買いました。
B面はケルティックな雰囲気で、様相ががらりと変わりますが。
でも、やはりA面のラインナップが最強ですよね。
「Black Dog」要はナニのことです。
ボーナム君のドラムが最高にイカす。「ローンリ、ローンリ、ローンリ」の部分のチャン・ツカ、チャン・ツカというリズムの取り方がよろし。
小栗勘太郎さんのコラムより
ダイヤモンド・オンラインに連載中の音楽愛好家・小栗勘太郎さんのコラムから。
【レッド・ツェッペリンIV (ブラック・ドッグ~天国への階段)】 4人のロック野郎が創り上げた音楽の楽園”>【レッド・ツェッペリンIV
(ブラック・ドッグ~天国への階段)】
4人のロック野郎が創り上げた音楽の楽園レッド・ツェッペリンには、王道を歩むロックの本質が溢れています。
当時の音楽業界の常識は、まずシングル盤を売って、その勢いでアルバムを売るというものでした。だから、TVの音楽番組への出演は極めて重要な活動でした。かのビートルズやローリング・ストーンズもそうでした。しかし、ツェッペリンはTVに出て1~2曲だけ演奏するような活動を断固拒否しました。自分達の音楽は、自分達が演奏したいように演奏するのだ、とライブ活動を重視し、シングル盤は出さず、アルバムで勝負したのです。
要するに、世の中の常識は一顧だにせず、自分達の感性を信じて、わが道を歩んだのです。音楽評論家たちへのサービスなど一切しません。批評家のコメントなど関係なしです。だから、保守的な音楽ジャーナリズムからは批判され続けました。
好きなことをやり続ける。
その潔い覚悟が生むものが、真に新しい音楽であり、元気のツボを刺激するオーラなのです。
日本語直訳ロック 王様
日本語直訳ロック「王様」。私の居住国でもラジオで紹介された。
王様のおかげで、ディープ・パープルやローリング・ストーンが何を歌っているか、理解した人も多いと思う。
ある意味、すごいお方。
王様自身もギターがお上手。