NHK 京都FM『リクエストアワー』の思い出
中学生の頃、土曜日の正午に帰宅して、さっと昼食を済ますと、二階の自室(姉と共同だったが)に駆け上がり、FMラジオのスイッチを入れるのが最高の楽しみだった。
当時のタイムスケジュールは、
● FM大阪
午後1時~2時 歌謡ベストテン(日本のヒットチャート) 「コーセー、コーセー(化粧品会社)歌謡ベストテン♪ スチャラチャ~♪ がオープニングソング)
午後2時~3時 ポップス・ベストテン(アメリカのヒットチャート)
● NHK-FM京都まn
午後3時~6時 リクエストアワー
特に、NHK-FMの土曜の看板番組だった「リクエストアワー」は、すべての選曲(洋楽のみ)がリスナーからのリクエスト葉書によるもので、内容も第1部「ポップス・ロック(最新のヒット曲から懐かしの名曲まで幅広くカヴァー)」、第2部「アーティスト特集(ビートルズ、ビリー・ジョエル、ロッド・スチュワートなど)」、第3部「映画音楽とイージーリスニング」の三部構成となっており、三時間、通しで聴けば、あらゆるジャンル、あらゆる年代の洋楽に精通するほどの質の高さを誇っていた。≪いまだにこれを超える音楽番組に出会ったことがない≫
また番組進行役も、地方ラジオ局のアナウンサーでありながら、洋画と映画に関する造詣が深く、
「さて、次のリクエストは、ペンネーム『ホワイト・サバス』さんから頂きました――いつもお葉書くださいますね、ありがとうございます――(常連のリスナーもちゃんと記憶している)
マンハッタン・トランスファーの『フォー・ブラザーズ』です。
マンハッタン・トランスファーは男女2組からなるコーラス・グループで、1973年、リーダーのティム・ハウザーを迎えて、再結成しました。
特に有名なのが、アメリカのSFテレビドラマの主題歌として使われた『トワイライトゾーン』です。
マンハッタン・トランスファーの特徴は、ジャズを下地とした、男女四人の絶妙なコーラスであり、ジャンルを超えて幅広いファンを獲得しています。
今回お届けする『フォー・ブラザーズ』は、腕自慢のサックス奏者の為に作られたスタンダードの名曲であり、通常、何人かのサックスプレイヤーを交えて競演されますが、マンハッタン・トランスファーはサックスの超絶技巧を見事に歌い上げ、その地位を不動のものにしました。
この曲の聞き所は……」
現代の音楽番組のように、アイドルだか何だかよく分からないパーソナリティーが、キャッキャ、ウフフと雑談しながら、適当に音楽をかけるのではなく、一つ一つの曲について、アーティストの紹介や有名なエピソード、それに関連する映画や小説など、まさにカルチャーの殿堂ともいうべき話題が繰り広げられ、ファンを自称する者でさえ、「そんな裏話があったのか!」とラジオの前で目を丸くするほど。
また、その語り口調が、いかにも『NHK』という感じで、この方にかかると、レッド・ツェッペリンやKISSのハードロックさえ、何やら有り難い、後光が差すような名曲に感じられるのだった。
この方はまた、リクエストの常連のこともよく覚えておられて、「ホワイト・サバスさんは、ハードロックだけでなく、ジャズもお好きなんですね」と、ラジオの向こうから親しみを込めて語りかけて下さり、葉書を出した常連たちは、毎週土曜日になると、ラジオの前で「自分の葉書はいつ詠み上げられるのか」とドキドキしながら待っていたもの。
頭からスットンキョウな声を出してリスナーに媚びるわけでもなければ、音楽の知識をひけらかして、尊大にパーソナリティを務めるわけでもない。
「わたしも音楽ファンの一人です」というスタンスから、優しく、丁寧に対応して語りかけて下さることもあり、番組はもちろん、司会者に対する信望も絶大なものだった。
(残念ながら、お名前は覚えていません・・)
数ヶ月に一度は、スタジオに視聴者を集めて生中継する企画もあり、番組途中で『お茶とケーキ』が振る舞われるのも、粋な計らいだった。
もちろん、リスナーには、「カチャカチャ、ぱくぱく」という音しか聞こえてこない。
でも、その音が、何とも美味しそうで、私も中学生でなければスタジオ参加したかったほど。
もう二度とこんな音楽番組は作られないし、この方のように、音楽、映画、小説と、ジャンルを超えて話題を提供できるアナウンサーも絶滅危惧種と思う。
もちろん、台本はあっただろうが、それにしても番組制作者の音楽愛と博識には舌を巻く。
「愛が知識を連れてくる」とは、こういう事を言うのだろう。
「何でも知っている」は、ただの電話帳である。
見ても、心には残らない。
私に洋楽の扉を開いてくれたのは、まぎれもなく、この『リクエスト・アワー』であったし、中学生の分際で、あらゆるジャンルの音楽に精通していたのも、この司会者さんのおかげである。
「コーセー 歌謡ベストテン」「ポップス・ベストテン」も含めて、ぶっ通しでFMラジオを聴きながら、ポエムを書いたり、小説の構成を考えたり、空想の世界に遊んだ『土曜の午後』は、私にとってまさに至福の時であり、この一時がなければ、ただの音楽好きで終わっていただろう。
現代は音楽に親しむツールはごまんとあるし、好きな曲も、レコードを買わなくても、サブスクリプションで好きなだけ視聴することができる。
あの「いつでも視聴できる」という利便が、逆に、FMラジオでふと耳にした「あの曲」への渇望や、アーティストへの神秘性損なって、大事に所有するものから、消費するものに、大きく様変わりしたように感じるのは私だけではないだろう。
今はアーティストのプロフィールもネットで簡単に調べられるし、わざわざNHKのアナウンサー様が解説して下さらなくても、Wikiのリンクを辿れば、周辺の情報も入手することができる。
だが、それで私たちは本当に満足か。
というより、ネットで見聞きしたエピソードの一つ一つを、心に深く刻んで、忘れないだろうか。
私の耳には今もあの司会者の方の優しい語り口調と、スタジオ視聴者の「カチャカチャ、もぐもぐ」という音が素敵な思い出として残っている。
音楽は一瞬で過ぎ去るが、心の体験は一生残る。
FM音楽番組とカセットテープとエアチェック
ところで、なぜFM放送を聞き始めたかといえば、当時の中学生や高校生にとって、音楽の窓口といえば、FMの音楽番組しかなかったからである。
TVの歌謡番組は、日本の人気アイドルや懐メロぐらいしかやらないし、外人アーティストのコンサートも、そうそうあるものでもない。……というより、中学生には、コンサートに行くだけのお金がない。
しかも、私が中学生の時分は、「貸しレコード店」もなく、聴きたい音楽があれば、友人にレコードを借りるしかなかった。
だが、そのレコードを所有している人も少数派で(持っていても、松田聖子とか、宇宙戦艦ヤマトのサントラとか、そういう世界)、「いろんなジャンルの音楽をタダで聴けるツール」といえば、FMラジオ、一択だったのだ。
だから、TVの歌謡番組だけでは物足りない音楽ファンは、FMラジオにかじりつき、どこに行くにもFM波を受信できる小型ラジオを持ち歩いた。カセットプレイヤー付きのポータブルラジオを携帯する人も多かった。(大学生のグループはたいがい一台持ち歩いていた。グループ内で持参する奴もたいてい決まっていた。いわば音楽係)
彼等はまた『FMステーション』や『FM Fan』といったFM雑誌を欠かさず購入し、番組表の隅から隅まで目を通して、お目当ての曲がかかる番組枠は赤ペンでチェックし、その時間帯は、トイレさえ我慢して、一分一秒、聞き逃すまいと、息を潜めてラジオの前で待ち構えたものだ。(番組開始前には、トイレも、食事も、宿題も、全て済ませておくのが正しいFMリスナーの在り方)
そして、お目当ての曲がかかると、機械よりも正確にカセットテープの「録音ボタン」を押し、タイミングがずれて、冒頭の「ジャンッ」という音が切れると、一生後悔する。
時には、アナウンサーの声やコマーシャルの尻の部分も一緒に録音してしまうことがあり、これもまた一生後悔する。
カセットテープを再生する度に、「んがっ……Hey, hey mama said the way you move……」みたいに聞こえるの、ホントに間抜けで、腰がよれそうになるぞ。
こうして、FMラジオから好きな曲を拾い集め、テープに曲が貯まったら、今度は別のテープにダビングして、「お気に入り」のテープを編集する。
お気に入りのテープは、お洒落なカセットレーベルでデコレーションして、カセットラックに重要な順から並べて、「あー、貯まった、貯まった」と、まるで音楽成金のよう。
また、年に何度かは、全てのカセットテープを取り出して、順番を並べ替えたり、カセットレーベルを新しいものに取り替えたりするのが楽しかったんだよね。
※ ちなみに、当時のFM雑誌の豪華付録は、「わたせせいぞうのカセットレーベル」とか、人気イラストレーターによるお洒落なレーベルだった。
こうした行為を、当時は『エアチェック』と呼び、熱心な音楽ファンには欠かせない儀式だった。
三度の飯よりエアチェック、期末試験の合間もエアチェック、まさに音楽とFMが生活の全てだったのである。
ちなみに、当時のエアチェックの達人は、良質なFM電波を受信する為の専用アンテナを屋根や物干しに取り付けていたし、お目当ての音楽番組の放送中は、「ノイズが発生するから」という理由で家庭用電機(テレビや電子レンジなど)の使用も控え、完璧なエアチェックに備えた。
毎日のように流れる人気曲と異なり、リスナーの熱心なリクエストにより、ようやく放送が実現するようなレアな楽曲は、「生涯に、ただ一度きり」みたいなノリであったから、カセットテープに録音するのも命がけだったのだ。(ほとんど殺気立っている)
だが、そんなエアチェックも、ついに終わりの時を迎えた。
高校三年生の時、ついに「貸しレコード屋」なるものが登場したからだ。
あの時も、ずいぶん著作権問題で揺れたが、自分の好きな曲がポケットマネーでいくらでも録音できるようになったのは実に有り難いことだった。
やがて「貸しレコード屋」は「CD・DVDレンタルショップ」に置き換わり、そのレンタルショップも今はサブスクリプションやYouTubeに取って代わられている。
現代の音楽ファンは、好きな楽曲のファイルをダウンロードすることさえなく、それこそエアにのって流れてくる音楽を小指ほどのプレイヤーで聴いている(iPod)。
便利といえば便利だが、反面、淋しく感じることもある。
なぜなら、「いつでも、どこでも聴ける環境」は、「今しか聴けない」というドラマを奪ってしまったからだ。(下手すれば、生涯、二度と耳にすることもなかった)
曲一つを聴く為に、FM雑誌が販売される二週間前から周到に準備を進め、番組開始前には、トイレも食事も済ませて、息を潜めるようにしてラジオの前で待ち構えたあの緊張感は、どこへ消えてしまったのだろう。
そして、エアチェックに成功し、好きな曲を無事にカセットテープに録音(捕捉)することができた時の狂喜乱舞は――?
利便は音楽熱を高めるどころか、かえって音楽の価値を薄め、「どこにでも転がっているもの」に貶めたとも言えないか。
サブスクリプション全盛期の今、音楽業界が何所に向かうかは分からない。
ただ一つ確かなのは、音楽ファンが息を潜めてFMラジオの前で待っていた、あの緊張と興奮は、二度と戻ってこない、ということだ。
謎のリクエスト『ボートンゾリバ』とStyxs
私がFM京都の『リクエストアワー』にかじり付くようになったのは、ラジオの音楽番組でふと耳にした洋楽の『ボートンゾリバをもう一度、聴きたい』という、強い願いからだ。
タイトルはもちろん、どこの誰が唄っているかも分からない。
手がかりといえば、サビの部分で繰り返される、『ボートンゾリバ』という単語だけ。
曲の雰囲気から、最新のヒット曲ということだけは分かったが、『ボートンゾリバ』が何を意味するのか、さっぱり見当も付かない。
そこで期待をかけたのが、FM京都の『リクエストアワー』だ。
これだけフィールドの広い音楽番組であれば、いつか必ずあの曲に再会できるはず――と、毎週、土曜日の午後、祈るような気持ちで耳を傾けたが、どういう訳か、『ボートンゾリバ』はかからず。
有名そうなのに、どうして……?
すっかり諦めかけた時、ラジオの向こうに希望が見えた。
『リクエストアワー』の司会者は、サブカルチャー全般に精通しているだけに、曲のタイトルやアーティストの名前が分からなくても、「サビの部分が○○なんです」とか「映画のラストシーンで流れていました」という断片的な情報だけで、「これは多分、ヘンリー・マンシーニの主題歌ですね」と見事に言い当てるからだ。
だから、私もリクエストの葉書を何枚も書いた。
「歌っているバンドの名前は分かりませんが、曲の途中で『ボートンゾリバ』って言うんです。大好きなんです。よろしくお願いしますっ!」
それから、数週間後。
FM京都の天才は、見事にバンド名とタイトルを答えて下さった。
「これは、Styx(スティクス)の、『ボート・オン・ザ・リバー』ですね。
そう……
中学生の私の耳に「ボートンゾリバ」と聞こえたフレーズは、boat on the river だったのだ。
かくして、私は謎のボートンゾリバの正体を知り、『ボート・オン・ザ・リバー』を再び聴くことが叶った。
ボートンゾリバ = boat on the river
誰がこんな謎かけみたいなリクエストに親切に応えてくれるだろう。
だから、私も、永久に忘れられないのだ。
リスナーと一緒に考え、リスナーと共に作る。
FM京都の『リクエストアワー』は、まさに善意の見本のような音楽番組だったのである。
大人が大人でいられた時代の深夜ラジオ番組『クロスオーバーイレブン』
そんな『リクエストアワー』も遂に番組終了を迎え、心にぽっかり穴の空いた私は、NHK FMの『クロスオーバーイレブン』に救いを求めた。
毎夜、午後11時。
フュージョン系のオープニング曲に併せて、パーソナリティの津嘉山正種さんが優しく語りかける。
今日もまた 一日が終わろうとしています
昼の明かりも闇に消え
夜の息遣いだけが聞こえてくるようです
それぞれの想いをのせて過ぎていく
このひととき
今日一日のエピローグ
クロスオーバー・イレブン
もうすぐ時計の針は
12時を回ろうとしています
今日と明日が出会うとき
クロスオーバー・イレブン
あの頃は、大人が大人でいられた、最後の輝かしい時という気がする。
今は、サブカルチャーも、本流も、女コドモに併せたものが大半で、妙齢の男女が、しんみりと人生の寂寥や哀愁について語り合う空間はどこに消えたのだろうと懐かしく思う。
私は特にもやし君のエピソードが好きだった。
ガキ大将でもなく、優等生でもなく、どちらかといえば、ドジで不器用なタイプなのだが、めげない強さというか、いつも飄々として、不思議な存在感だった。
もやし君は、どこの、誰なのか?
あるいは、誰の中にも棲んでいる、懐かしい少年時代の影なのかもしれない。
私もこんなスクリプトが書けたら……と憧れていた頃があったけど、まあ、無理でした(´。`)
もやし君のスクリプトを手掛けられていたのは、高木達さん。(リンク先は削除されています)
なんとファンサイトもありました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~co11/index.html
こちらが、ボートンゾリバ = ボート・オン・ザ・リバー(スティクス)。
当時の洋楽ヒット曲はバラエティ豊かでしたね。この曲も、ロシアのバラライカみたいで、とても印象に残っています。
でも、本当に、『ボートンゾリバ』って聞こえるでしょ??
スティクスは『ザ・ベスト・オブ・タイム』が一番好きでした。
時計の『SEIKO』のCMに使われていたような記憶があります。キャッチコピーが「時間を止めて・・」だったような。
カセットテープといえば、maxell マクセル。
私もお気に入りはクロムテープで編集してました。
有名アーティストを迎えて、素晴らしいCMをたくさん作ってたけど、一番好評だったのは、やはり山下達郎の Ride on Time ではないでしょうか。