寺山修司の『時速100キロの人生相談』~高校生の悩みに芸術的回答~

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寺山修司の『時速100キロの人生相談』

高校生の悩み相談室に寄せられた手紙を元に、寺山修司が本気で回答した学研『大学受験Vコース』の企画『ジ・アザー・ハイスクール』(「ことばのボクシングジム」)は、現代では考えられないほど凄まじく濃厚な人生相談である。

今時の高校生が、著名な作家からこのような回答をされたら、「傷ついた」とブーイングの嵐だろうし、また、相談する高校生も、大した質問はできず、せいぜい中二病をこじらせたような事しか聞けないだろうと思う。

それぐらい、濃厚、かつ鋭利なQ&Aが交わされ、とても高校生の読み物とは思えない。

そう感じるのは、寺山修司の才能ゆえか、それとも現代人が甘くなったからか、私は何とも言えないが、ただ一つ確かなのは、このような回答ができる「大人」は二度と現れないし、高校生が性や人生や社会について、これほど真摯に質問を投げかけることもないだろう、という事だ。

知恵と真実、そして若者に対する愛がいっぱい詰まった、珠玉の人生相談である。

エディターからの手紙

本書は、1973年の春から、学研の高校生向け雑誌の為に企画されたもので、何度か形を変えながら刊行され、私が所有する『時速100キロの人生相談』は、1994年4月12日に改めて発行されたものである。

巻頭には、『エディターからの手紙』と題して、エッセイスト・古賀仁氏の紹介文が掲載されているので、参考にされたい。

初めて寺山修司氏にお会いしたのは、今から三十年近くも前のことである。時間の流れのあまりの速さに、いまさらながら驚くほどはない。当時はまだ、六十年安保闘争(日米安全保障条約に反対する政治運動)の名残が社会のあちこちに根強く残り、経済的にも今のように豊かな時代ではなかったが、それだけにある意味では熱気が満ちていたような気がする。

大学を卒業して学研に入社したばかりの私も、その頃の、めまぐるしく変転する社会情勢に、さまざまな刺激を受けつつ、新米編集者として先輩の指導を受けながら歩き始めていた。

配属された雑誌の編集部では、今と違って高校三年生向けの一種の総合雑誌を毎月発行していた。その雑誌の名は『大学受験高3コース」。現在の「大学受験Vコース」の前身である。そのころ高3コースは、大学受験をめざす高校三年生を対象とし、学習記事や入試情報を主体としながら、ほかに読み物や心理・生活記事などの、いわゆる「一般記事」も掲載していた。

受験生の心の問題にも目を向け、少しでも快適な受験生活を、というのがこの雑誌のポリシー(編集方針)だった。そして、その一端として、読者の投稿欄を充実させるという先輩編集者たちの配慮が、そのころすでにスーパースター級だった寺山修司氏に「文芸欄」の達者として白羽の矢を立てさせたのだったと思われる。

詩人・歌人・俳人・劇作家・放送作家として多忙な毎日を送る寺山氏が、すぐにOKを出したとは思えないのだが、どんないきさつがあったのか、ともかく寺山氏はそれを承諾し、他誌にないユニークな文芸欄が実現したのだった。

その文芸欄の担当者として私が寺山修司氏にお会いしたのは、前任者からの引き継ぎという形であった。もう記憶もすっかり薄らいでしまったが、それが1964年の早春だったはずである。

初対面のトレイ余しは、かけだし編集者である私に、ほんの儀礼的ないちべつを与えてくれただけで、それは今から思えばシャイな彼の性格がそうさせたのかもしれないが、正直いってあまり良い印象ではなかったことを思い出す。むろん、寺山氏に初対面の私に対する悪意も他意もあったはずはなく、彼にとっては超多忙な毎日の中でのわずらわしい仕事のひとこまであったにすぎない。

しかし、その印象的な初対面は、私にその後の高3コースでの寺山氏の仕事ぶりに特別の注目をさせるきっかけとなった。

つまり、私はけっして寺山修司ファンではなく、むしろ意地悪で冷静な「担当者」として、この人物に接していくことにしたのだった。しかし、初めの数ヶ月を経て、「この男寺山修司は、やはりただものではないな」という実感があった。くやしいけれど、彼には凡人にはない特別な才能があることに、いやでも気づかざるをえなかったのである。

『文芸欄』の選者として、彼は当時の投稿者の中から、じつにさまざまな才能を発掘していった。この欄から世に出ていった若い詩人たちのことを、私は生涯忘れない。

その文芸欄が終了したあと、新たに1793年の春から、寺山氏が「ことばのボクシングジム」の強力なトレーナーとして登場したのが、本書に収録した「ジ・アザー・ハイスクール」である。

高校生たちが次々とぶつけてくる本音や、あるときは敵意に満ちた投稿もあったが、寺山氏はそれらをいちいち丹念に読み、それに力強いカウンターパンチを浴びせ始めた。

感受性豊かな投稿者たちの、ときには兄に甘えるような「相談」もあったし、ファンレターもあったりしたのだが、寺山トレーナーの「ことばのパンチ」は、あるときは遠慮会釈ない反撃であったり、あるときはやさしい「ことばのブーケ」であったりもした。

誌上で行われたこれらの真剣なやりとりには、今でも古びることのない迫真力と同時代性が満ち満ちていることに、私は驚きを禁じ得ない。ここには若さのエナジジーがあふれているのである。

時代を時速100キロで駆け抜け、短すぎる人生を寺山修司氏が終えてから、すでに十年が経過したが、本書はいわば時間の砂の中に埋もれていた「もうひとつの寺山ワールド」である。

半世紀以上もたった今でも、みずみずしさを失わず、鋭い感性ととぎすまされたことばのやりとりで展開する新鮮な「対論」の数々を、今、心ゆくまで味わっていただきたいと思うのである。

本書は『ジ・アザー・ハイスクール』の原文やコラムを、掲載当時のまま生かして構成し、『時速100キロの人生相談』と改題しました

平成六年三月 エディター 古賀仁(エッセイスト)

寺山修司から高校生へ

真実も地獄もいっぱいあるさ

『真実は一つ地獄は一つ』
ぼくは神がいると信じている。でも、ぼくの信ずる神は、普通の神と違うものだ。
人間がいかに法律をつくったとしても、本当の悪は一つしかないにちがいない・・

という高校生の質問に対して。

神はぼくらの幻想が作り出す存在で、何体あってもいいのではないか、と思う。「正しい」なんてことは相対的で、毎日変わる。それをきめる尺度は道徳にも法律にも無い。そんなものを探すのも遊びの一つかもしれないけど、そんなに楽しくないのではなかろうか。

ぼくは、真実が一杯あって、地獄も限りなくあるところに現代人の苦悩があるのだと思う。

何が正義で何が悪かがはっきりわかっていればカンタンだが、悪の中にも正の中にも真実は限りなくあり、その概念は入り乱れて、ぼくの正が君の悪だったりするところが面白いのではないか。

生が終われば死も終わる

『死なんかこわくない』
現代は死をおそれることがまるで正常な気持ちであるかのように、それが生を酸鼻していることであるかのようにいわれるが、わたしはイヤだ!
という女子高生に対して。

山口由美子さんは「生と死は比べられない」と書いている。
『死は生の次の世界』だというわけだ。

だが、「死は生の次の世界」ではない。
死は、生きている人間の中のイメージでしかないのである。

他人の死は「物体」であり「数」である。
だけど自分の死は決して手で触ることはできない。
生が終われば、いっしょに死も終わるのである。

淵上毛銭が書いている。

じつは大きな声では言えないが
過去の長さと未来の長さとは
同じなんだ

死んでごらん
よくわかるから

幸福はもっと、たけだけしいものだ

現代人が欲しいのは「幸福」そのものではなく、「幸福論」であり、だれもが幸福とはいったい何であろうかということを捜しているのです。ルナアルは、「幸福とは幸福を捜すことである」といっています。
「規則なり約束なりを守り、それをもとにして人の為に何か役立つ」というのはキレイゴトであり、管理され飼育される小市民的な発想のような気がする。

幸福とは、もっとたけだけしいものだ、と僕は思いたい。
幸福とは、何かを守ることではなく、新しい価値を創造することです。

当方にて補足すると、、

まず、ベースに心の指針となる『幸福論』があり、それを実現する過程が人生だと。
自分の考える「幸福」を掴む為、ある人は旅に出て、ある人は詩を書き始める。

でも、何をやっても、自分の思う通りにはならない。

泣く人もあれば、怒り狂う人もある。

次のチャンスを目指して、鬼のように努力する人もある。

そうした生きることへの情熱、何が何でもやり遂げるという信念。
踏まれても踏まれても立ち上がる執念と敗北のみっともなさ。

それら諸々を総称して、「猛々しい」と言うのだろう。

人間、適当なところで妥協して、「幸せだなぁ」と自分に言い聞かせることはできるが、本気で自分の望む「幸福」を目指すなら、誰とも違った茨の道になる。

それでも歩く勇気、夢を叶えるための工夫、果てしない試行錯誤。

それらが寺山氏の言う「たけだけしさ」であり、創造的だと思う。

地獄を肉眼でとらえなさい

『たったひとりのへやの中から』
この広い世界に、わたしはいつでもひとり。わたしは孤独です。

という高校生に対して。

知識人の特色は「孤立した個人の内部へ、かぎりなく退行してゆくことだ」、とドイツの詩人エンツェンス・ベルガーは書いています。
あなたの、この散文詩も、きれいな文書で書いているが、ぼくには「きれいごと」にしか感じられない。
出会いもなければ、出会いへの幻滅もない。
これでは、ただの独白です。

ぼくは、滅びたいと思うものは形を持つべきだと思います。
形のないものは、滅びることなどできないのだから。

世界は今、神の不在によって満たされています。
あなたは一度地獄を肉眼で見て、そのことについて書いてみてはどうですか。

書く前に走れ!

『ある日記より』
何のために どんなふうに 生きればよいというのだ
オレがいなくても、死んでも、人間は動き回る

という高校生に対して。

きみは、この日記を書く前に100メートルを全速力で走るべきだった。
僕は、「生きる」などということを10行ぐらいで書いて悩むような軽薄さを好まない。

小説の価値は作者の実生活と無関係

『恍惚の人は売名行為ではないのか』
有吉佐和子の名作『恍惚の人』は、老人問題という深刻な問題を利用した売名行為ではないか

という高校生に対して。

ぼくは、小説の中で提起した問題を、実生活でも反復することが「作家の良心」だとは思っていません。
小説は「悲惨な老人」を書き、「問題を投げかけることができて」も、その解決を、作者自身の責任において実践すべきことだとは思っていません。
もし「本を売るために」、一時的に老人問題に熱中したとしても、それは何もしない人よりは、社会的に有益だということになるのです。

だが、小説は所詮、小説です。
有吉佐和子さんが、その印税の億というお金を、ポンと老人救済に投げ出した「美談」も、小説とは別のこととして論じられるべきで、そのことで小説の価値が変わったりするものではないのです。
あなたは、できあがった社会の偽善性に腹を立てているわけですが、その腹の立て方は「感想」にとどまるものであって、何ら創造的でも破壊的でもない。
小説家は、世界を半分しか書くことができず、後の半分は読者が書くということは、あなた自身の読書にも向けられるのだということを考えてみてください。

老人のうた(高校生の投稿作品)

『老人のうた』

”光の中に顔をうずめ
老人がうつむいている

もう 何十年も前から
動かない石のようにすわっている

きみは想像したことがあるか
五十年後の世界を”

を書いた高校生に対して。

動かない石のようにすわっている」などとは、何と非現実的で、人生にたかをくくった表現だろう。
恐ろしいことは、肉体の年よりも、精神が老衰してしまうことです。
この詩を書くときのあなたは、まさに、「動かない石のようにすわっている」のです。

肉声を軽蔑するものは、軽蔑すべき肉声しか持つことができない

『あのすばらしい愛をもう一度!』
人間は時間に対して無力です。
でも、ぼくは、無力であるからこそ、自分の幼い能力におぼれることなく、純粋に戦っていくことができそうな気がします。
これからの時代は、ぼくたちの小さな手で作り上げていく時代なのです。

という高校生に対し。

なぜ、きみは「無力」で「幼い能力」というのだろうか?
「大きな心」とは何平方メートルぐらいなのだろうか?
きみには、だれかが作った概念がいっぱい詰まっていて、きみ自身の肉声がない。
肉声を軽蔑するものは、軽蔑すべき肉声しか持つことができない。

怒るなら、もっとでっかく怒ることです

『真の怒りを知るのが男のコだ!』
本当に怒れる人間というのは、怒るべき時を知っている人間だ。
それにひきかえ、すべてを微笑で許せるような人間は、実は偽善者だ。

という高校生に対して。

ぼくも数年前に同じことを考えて、「みんなを怒らせろ」という本を書いたことがあります。
管理社会に飼いならされてしまって、怒りも悲しみもおさえたノッペラボーの若者がふえてゆくのはさみしい限りです。

ところで、きみの手紙ですが、ガールフレンドがデートをすっぽかしたら、「ほほをなぐりつける」というのは、どんなものだろう。女の子は、相手を好きだったらデートをすっぽかしたりしないものです。

好きでもないのに、断りきれず約束させられた相手を「なぐりつけ」ても、相手の心が変わるわけじゃない。そんなことで怒ったって、小心さを証明することにしかならない。

怒るなら、もっとでっかく怒ることです。

むかし、畠山みどりが歌っていたよ。

あんた この世へ何しに来たの
女ばっかり追いかけず
なって頂戴 大物に

想像力で人生を変えなさい

『この文章、載せなかったら寺山、おまえの負けだぞ!』
おれの一番気に入っていることばを聞いてくれ。
「あした若くなる人間はいない」
なあ、寺山さんよ、おれはもう一回高校生活をやり直したいんだよ。普通の生徒と同じような生活がしたいんだ。
おれは偽名でしかだせない。そうなんだ。おれはそれほどきたない男になってしまったんだよ。知らないうちにね。

という高校生に対し。

きみは被害妄想ではありませんか。

ぼくの高校時代の友人には、自殺や病気で、ある日突然、教室から姿を消してしまった者が数人いました。それと比べたら、自分のせいで一年落第したことなど、大げさにいうほどのことでもないし、まして同情する気など全く起こらないのです。

「人生は一度しかない」と、昔の道徳家たちは教えましたが、考えてみれば、人生にはやり直しのきくことが無数にあるものです。高校生活をやり直したければ、もう一度、どこかの高校に入学すればいい。女を抱きたければ、街へ出て次々と女を口説けばいい。失敗したって、そんなことは少しも恥ずかしいことではないのです。

きみは「ただ年を取る」ことと、「人生」とを勘違いしている。
人生は、自分の想像力一つでどうにでも組み立てることができるものだと、ぼくは思っています。

わずか一行の思想でも責任は本人が負うべき

『寺山さん、紙上匿名は個人の自由じゃないの』
寺山さん、あなたはなぜ、匿名希望の人の名前を発表してしまうのですか? 
希望してはいけないのですか。
人は皆、あなたのように強くはないんですよ。
小さなことでくよくよする人、どんなことでも笑い飛ばしてしまう人、様々いるんです。
匿名を希望するなら、それもいいんじゃないでしょうか。

という高校生に対し、

わずか一行の詩にも、書き手の思想はあるのです。
だとしたら、その思想についての責任を「匿名のだれか」ではなく「本名の実在者」が負う、というのは当然ではないでしょうか。
この一文は、ぼくが阪田公子さんにあてた返事であり、「私たち子供」といった観念的な集団にあてたものではないのです。
だからこそ本名で、本気のことをいってきてほしいのです。

知識による支配を否定する

『あなたは知識と人間の関係をどう考えるか?』

内村剛介は「『書を捨てよ、町へ出よう』とかいうフレーズがあったりするが、このフレーズの表現自体は、すでに表現者を裏切って彼の裏側を見せつけている」といっているが、全く同感。知識が力でありうる人間もあれば、知識の無用な人間もある。
寺山氏は、知識と人間のかかわりあいをどうみるのか。

という高校生に対して。

ぼくの「書を捨てよ、町へ出よう」という言葉は、「書を読むな」ではなく、「書を捨てよ」であることに留意しておく必要があります。
これは、「知識」の超克であって、「なま」であることを知識に先行させようというものではないことです。そして、こうしたフレーズ自体が、書物として書かれているという事実も前提として考えなければなりません。
ぼくは、知識を軽蔑しているのではなく、知識による支配を否定しようとしているのです。

書を捨てよ、というのは、レトリックであって、「本を読むな」と言ってるわけではない。

頭にいっぱい詰め込んだ理屈を一度空っぽにして、まずは行動してみよう。

誰かの唱える『○○論』に振り回されるのではなく、自分の頭で考えよう、

理屈ではなく実践、肌で人生を感じて生きろ、ぐらいの意味。

だれもかれもが臆病すぎる

『天井桟敷に入れて下さい』

という高校生に対し。

今すぐ荷物をまとめて、天井桟敷まで来てみたらどうでしょう。

それにしても、きみに限らず、だれもかれもが臆病すぎる。カシアス・クレイは、フレイザーと戦う前に、「あなたはどれくらい強いですか」などと手紙を書くだろうか。

とにかくやりたいことがあれば、一度ためしてみることです。

目的を作り出してゆくのが日々の営み

『五体満足な人の苦しみはそらぞらしい』
贅沢すぎるほどの受験の悩みや愛の苦しさ、そんなものは、病気に苦しむ人の前では空々しいだけ。
私も、人がまさに無駄と思うような人生を生きたい、虫けらのごとく生きて、それを幸福に思えるような人間になりたいのです。

という高校生に対して。

歴史には目的がない。もちろん、人生も目的なんかありません。
それを作り出してゆくのが、日々の営みだといえるでしょう。
価値観は、経験のあとで付け加えられるものです。生きたいように生きるのがいいのであって、それをことさらに「虫けらのごとく」などと卑下するのも無用のことだと思います。
ぼく個人についていえば、ぼくはいつも病気に取りつかれています。
それは、「人類が最後にかかる希望という名の病気」です。

固定化した考えを捨て去るべきです

『くだらないなあ女ってやつは』……という高校生に対し、

「女」がくだらないのではなく、あなたの「女」に対する固定化した考えがくだらないのです。

人間は進歩するのではなく、変化するもの

『再び、匿名者に投稿の権利はないのか?』
人間、長い目で見れば、人間的に成長するのであり、思想は絶えず変遷する。過去に誤った思想、未熟なピンボケな思想があって、それを乗り越え、思想の変遷を遂げたからこそ、人間の発展があるはずだ。なのに、過去に投稿した文章(思想)についてとんでもない時分になって、現在ではその思想を否定している筆者が、「あの思想は誤りでした。責任を取ります」といわねばならないのか。

という高校生に対して。

人間は進歩するのではなく、変化するのです。
「発展」とか「進歩」とかいうのは、幻想にすぎない。

もし、ぼくにシッポがついていたとすれば、シッポの文化、シッポの表現があったに違いない。シッポがなくなったから、進歩したなどというのは、先走りの近代主義者の独断だ、と僕は思っている。

きみは「過去の未熟な時期の思想の責任はとれない」というが、その「未熟な思想」によって世界戦争が引き起こされ、数百万人が死んだとしても、「いま、成長を遂げてその思想を否定している」などと開き直っていられると思いますか?
思想は、表現されたときから、一つの生物である。
そして生物は、名づけられ、そのレゾン・デートルを持つのは当然のことなのであり、甘ったれは許されない。
五歳の子供にでも、ものをいう権利と、その社会性はあるのです。

家出と旅は別のものだよ

『あなたはなぜ家出をすすめるのか』
オレの観念には「家出」ということばは非常に険悪な行為としか写りません。家族の者たちの不安な気持ちを考えたら、家出を美化しているとしか考えられない。

という高校生に対して。

家出とは、文字通り「家」を出ることであり、旅と混同されるようなものではありません。悪い意味での家出とか、よいい身での家出とかいった区別もありません。そのことは「家」という幻想の形骸を撃つ行為です。
何よりも、実践です。
「一般的概念しかもってないオレ」などと甘えてはいけない。
一般的概念を越える時に、初めてあなたが、あなた自身になれるのです。

三年前のものなど、三歳下のやつにまかせておけ

『あれは三年前……』
三年前の入試で悩んでいたころの、つれづれなるノートをのぞいてみた。
そして今も、何のとりえもない私は、ただこうしてひとりで……

という高校生に対し、

生きるだけなら、誰にでもできます。
雑草はハエでも、生きているのです。
問題は、そのための方法なのです。

自分の心象が暗い時には、世の中も暗く見えて、センチメンタルになりがちですが、そうしたときには、体操でもやって、身体を鍛えて気分を変えてください。

君の詩は、人生に甘えすぎだし、感傷的すぎて、いい「方法」だとはいえません。
しかも三年前の「入試で悩んでいたころ」の詩を、今でも大切にしているなんて、感心できません。

「悩んでいたころ」のことなど、きっぱり忘れてしまうべきです。
いい女友達でも捜して、人生を楽しく、別の詩を書いてください。
詩は毎日書くくらいのエネルギーが必要です。

「三年前のものなど、三才下のやつにまかせておけ」と、僕は言いたい。

方法ぐらいは自分で持つことだ

『請う、女略奪法』
あんた高三コースでもバカ丸出しみたいなことを書くのか。しかたないよな、商売だもん、でも少しはましなことを書けよな。話は変わって、「一度しかない青春をこのまま過ごしていいのだろうか」と気づいて、あわてて恋人探しを始めたが、もう手遅れ・・女略奪法を教えてくれ。

という高校生に対し。

なれなれしい口をきくが、どうも「平凡パンチ」あたりの読みすぎではないだろうか。
「女の略奪法」を男から教わろうというような了見では、とても女の子にもてるはずがないように思われる。
誰だって、敵に塩を送るようなことはしたくないのである。
上手い方法があれば、それを使って、ぼくは僕自身のために女の子を略奪することを考えるに決まっている。
もし、君がホントに女の子にもてたいと思ったら、他人の仕事の感想をいったり、人を当てにしたりすることをやめて、自分の方法を見つけることだ。

カミユがいってるよ、
「思想を持たない者は、せいぜい方法ぐらいは自分で持つことだ」と。

投稿を軽蔑するものは、軽蔑すべき投稿しかすることができない。そして女の子を軽蔑する者は、軽蔑すべき女の子しか手に入れることができない。

もう一度きみは冷たい水で顔でも洗って出直してきなさい!

家出 : ぼくは励ましているのです

『家出を勧めないで!』
あなたは、それに対する両親、兄弟、姉妹の悲しみを考えたことがあるのですか。未来のある若者を食い物にするようなことはんさらないでください。

という高校生に対し。

少年少女たちが都会に憧れて家出してゆくとき、それに対する「両親、兄弟、姉妹の悲しみを考えたことがありますか!」とあなたは言っています。

だが、一人の少年(少女でも同じだが)が、自分の人生設計を立て、家を出て一人で自活しようと思い立つことが、どうして『悲しみ』なのでしょうか。

それが門出であるならば、むしろ励まして、「ガンバレよ」と声の一つもかけてやるのが、ほんとの愛情ではないでしょうか。

感傷的に、いつまでも「両親、兄弟、姉妹」が一緒に暮らしていることだけが幸福だと考えているとしたら、それは全く無力だとしか思われません。

ぼくたちはカタツムリではないのであり、いつも「家」を背負って歩くわけにはいかないのです。

新しい出会いを求めてゆく中にこそ、ほんとの思想生成の機会が見出せるのです。

家出を勧めることが「若者を食い物にする」ことだとほんとに思っているとしたら、あなたは「食われないように」家の中に隠れていればいいでしょう。

ほんとのオオカミは街頭にいるのではなく、怠惰と現状維持の心の中にこそ隠れているのです。

人間にとって生き甲斐は「出会い」です。

『友情より時分の勉強が大切』
ぼくは、薄っぺらで外見ばかり気にして中身のないような人間より、青白い顔をしていてもなにかに取り憑かれたように勉学に励んでいる人たちのほうがよっぽど好きなんですよ。

という高校生に対して。

新しい言葉、新しい事物、新しい人間との「出会い」が、自分の存在を確かめてくれるのです。
それなのに、初めから人間を薄っぺらなものと決め付けて、孤立した内部へ退行し、閉じこもろうとするのは、病気としかいいようがありません。
一度、医者にみてもらってください。

友情を軽蔑するものは、軽蔑すべき友情しかもつことができない

寺山修司が今の世にないこと

2012年1月28日:追記

この人が生きていたら・・この人さえ生きていたら──と、いつも思う。

今、私が知りたいことに明答してくれる世界で唯一の人で、「文学の力」を実証してくれる数少ない作家の一人だから。

だが、いまの時勢は、もう寺山さんには合わないような気もする。

書を捨てよ、町へ出よう」も「家出のすすめ」も、今の若い人には届きにくいだろうし、ブログ論壇だの、炎上だの、この人の世界観とは正反対の側にあるような気がするから。

そう考えると、47歳の若さで逝去されたのも、神様の思いやりではないかと思ったりもする。

ブログやSNSで言いがかりつけてる人のことなど見たくないもの。

こういう本が再版もされず、中古のマーケットだけでクルクル回ってるのが悲しい。

もっとも表に出てきたところで、どれくらいの人が理解できるかは分からないけども。

ミステリアスな連載の終わり

編集者いわく、

連載は、この業でぷつりと終っている。どんな事情があったのか、今ではそれも不明である。突然の終了。おそらく、寺山修司の仕事が多忙の度を深め、これ以上続けることが不可能になったのであろう。
二十年を越える昔のことである。(1973年)
当時の担当者も所在がわからない。実にミステリアスな終わり方であるが、これもまた、ある意味ではとても寺山修司的であるような気もする。
「高3コース」誌上で連載された、このユニークな「人生相談」は教官自身によって人生相談であることを否定され続け、しかし、結果としてはきわめてエネルギッシュな討論と「相談」の場になっていたことがわかる。ともあれ、このシリーズは、ここで永遠に終る。

書籍の紹介

「幸福とはもっとたけだけしいものだ」
寺山修司の幸福論は、こちらで紹介しています。
『幸せ』が人生の目的ではなく 寺山修司の『幸福論』 / 佐藤忠男の解説「自分の不幸も表現しよう」

寺山修司 時速100キロの人生相談

「人生はやり直しもできるヨ」。挑発的な高校生にも余裕の回答。

寺山修司 時速100キロの人生相談

「君はまだ何一つ試みてもいない」。まずは君自身の実存を見出そう。

寺山修司 時速100キロの人生相談

本書は、高校生の人生相談以外にも、寺山修司の日記や写真が収録されています。

寺山修司 時速100キロの人生相談

巻末には、この企画に人生相談を寄せた高校生に対する呼びかけが掲載されています。
あなたの現在を教えて下さい、と。
しかし、発行された年代を考えると、少なくとも、60代後半。
中には亡くなった人もあるだろう。
その後、どんな人生を生きたのか、私も知りたいと思う。

寺山修司 時速100キロの人生相談

寺山修司のおすすめ本

文学・音楽・歌謡曲など、寺山の心を打った名言や名台詞をピックアップ。
説教くさい、堅苦しいものでなく、人の心の淋しさや人生の奥深さを謳った言葉が集められている。
手軽に読める一冊。

ポケットに名言を (角川文庫) Kindle版
ポケットに名言を (角川文庫) Kindle版

「あなたにとって幸福とは何ですか?」という問いかけに、大勢の人々が「昼寝」や「テレビをみること」、「美味しいものを食べること」と答えているのを見たならば、あなたはそれをどう感じるだろう。
“私たちの時代に失なわれてしまっているのは「幸福」ではなくて、「幸福論」である”と記す著者が、古今東西の「幸福論」に鋭いメスを入れ、イマジネーションを駆使して考察した新たなる「幸福論」。

幸福論 (角川文庫)
幸福論 (角川文庫)

「おまえは走っている汽車のなかで生まれたから、出生地があいまいなのだ」。一所不住の思想に取り憑かれた著者は、やがて母のこの冗談めいた一言に執着するようになる。酒飲みの警察官の父と私生児の母との間に生まれて以来、家を出、新宿の酒場を学校として過ごした青春時代を表現力豊かに描く。虚実ないまぜのユニークな自叙伝。

誰か故郷を想はざる (角川文庫)
誰か故郷を想はざる (角川文庫)

初稿:2000年秋

誰かにこっそり教えたい 👂
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