『人生一路』 これが自分の生きる道
1999年は、私にとって非常に厳しい年でした。
病気だったし、失恋したし、仕事もなかった。
唯一、心の支えだった事まで頓挫して、生きていたのが不思議なくらい。
かといって、実家に帰る気にもなれず、年末、こたつの中でゴロゴロしながら見た番組が『美空ひばりスペシャル』です。
当時、私はすっかり自信をなくして、本当にもう「死んでやろうか」という気持ちでしたが、この歌に励まされました。
歌詞も、歌唱も、元気の出る名曲です。
一度決めたら 二度とは変えぬ
これが自分の 生きる道
泣くな迷うな 苦しみ抜いて
人は望みを はたすのさ雪の深さに 埋もれて耐えて
麦は芽を出す 春を待つ
生きる試練に 身をさらすとも
意地をつらぬく 人になれ胸に根性の 炎を抱いて
決めたこの道 まっしぐら
明日にかけよう 人生一路
花は苦労の 風に咲け作詞 : 石本美由紀(美空ひばりの本名)
作曲 : かとう哲也マイ歌ネットより
『川の流れのように』 この世は生きるに値する場所
今は特に「勝ち組にならなきゃ」「幸せにならなきゃ」と、上手くやることだけが人生の目的のように語られ、たった一度の挫折から立ち直れない人も多いですが、「生きる」ということは、ただひたすら生きることに価値があるわけで、結果を出すために生きているわけではないです。
「生きる」ってことを、もっと単純に楽しみましょうよ。
とはいえ、若いうちは、失敗というものが、とにかく怖いし、恥ずかしいものです。
生きることを楽しめるようになるまで、時間がかかります。
20年、30年ぐらいでは分からなくて、当たり前。
だからこそ、長く生きることに価値があるのです。
そういうことを教えるのが育児や教育であり、成功のノウハウを伝授する為に大人が存在するのではありません。
生きることの楽しさや、時間をかけて理解することの意義を、身をもって示して初めて、子供も若い時分の苦労を突破することができます。
私も人に褒められるような生き方はしてませんが、これだけは自信をもって言い切れます。
「この世は生きるに値する場所だ」と。
それを大家に断言してもらえない子供こそ、不幸ではないでしょうか。
そういうことを、しみじみ語りかけてくれるのが、ひばりさんの最後の名曲『川の流れのように』です。
現代的な歌詞と古風なメロディがマッチして、若い世代にも馴染みやすい曲です。
ひばりさんのみならず、あらゆる人々の生き様を代弁しています。
恥ずかしながら私は違います・・
自分は激流の中を生きてきた・・・だから皆はゆっくりとした川の中を生きてほしい・・・そんな風に感じます。
きっと今は美しい空に光り輝いてのでしょうね。
YouTubeのコメントより
『悲しい酒』 一幕の芝居のように
私は美空ひばりさんが好きで、先日もTVのスペシャル番組をビデオに録画して視聴してたのですが、何が好きって、歌ってる姿が好きなんですね。表情とか、雰囲気とか。
一曲一曲にドラマがあり、表情が違う。
古賀政男のメロディが心に刺さる『悲しい酒』も、一幕の芝居を見るようです。
なんで、そんな風に歌えるんですか……? と聞きたくなるくらい。
ひばりさんも、「全部知ってる人」なのね。
そして、それを表現できる。
だから、あんな風に歌える。
ひとり酒場で 飲む酒は
別れ涙の 味がする
飲んで棄てたい 面影が
飲めばグラスに また浮かぶ(台詞)
ああ別れたあとの心残りよ
未練なのね あの人の面影
淋しさを 忘れるために
飲んでいるのに 酒は今夜も
私を悲しくさせるの 酒よ
どうしてどうして あの人を
あきらめたらいいの
あきらめたらいいの酒よこころが あるならば
胸の悩みを 消してくれ
酔えば悲しく なる酒を
飲んで泣くのも 恋のため一人ぽっちが 好きだよと
言った心の 裏で泣く
好きで添えない 人の世を
泣いて怨んで 夜が更ける作詞:石本美由起
作曲:古賀政男
ひばりさんは、心から添いたいと思うような人がきっとあったと思う。
でも、大スターの地位がそれを許さなくて、涙をのんで、想いを断ち切ったのではないかな、と。
「どうして どうして あの人を あきらめたらいいの」という箇所は、心が引き裂かれるような悲しみに満ちている。
これはもう、演技ではなく、本心でしょう。
そうとしか思えないような名演です。
もし私が作曲家で、ひばりさんに自分の書いた詞を歌ってもらえたら、感動のあまり卒倒しそう。
『川の流れのように』を作詞した秋元康が「オレ、いつ死んでもいい」と言った気持ちが分かります。
他にもいろんな生き方ができただろうに、どうして、この人、死ぬまでマイクを離さなかったんだろう……といつも思っていました。
そうしたら、今日、TVでこう仰った。
「自分の選んだ道だから」
人間、何のために生きているかと問われたら、自分を完成する為に生きているのでしょう。
それが究極の目的であり、人間にとって本当の仕事ではないかしら。
私にはそれが分からなかった。
目に見える結果ばかり追いかけていたから。
その点、自分の夢や信念に忠実に生きてこられた、ひばりさんが羨ましいと思うし、人間として最高に幸せにも感じる。
私には迷いがあるから、まだまだ……。
ともあれ、ひばりさんを知っている人も、全く知らない人も、機会があれば見て下さい。
『川の流れのように 」は、何回、聞いても泣けます。
人は一生かけて自分を磨き上げる
以下の文章は、2000年の年明けに書いたものです。
辛かった1999年がようやく過ぎた初春の想い。
*
そして今年も暮れてゆく
何かあったと思うけど、
今はもう、よく思い出せない。
それだけ過去が遠ざかるのが早い。
一瞬、目の前が暗くなって
夜より深い闇を体験することもあるけど
目覚めた後は、いつでも前より眩しい光の中にいる。
だけど不思議と答えが分かるのは
あの闇の最中なのだ
あの日も 私は夜中に目を覚まし
何処からか呼びかける声を聞いた
「自分を完成させる為に生きているのよ」
きっと人は一生かけて
自分の足りない所を補いつつ
自分を磨き上げていくのだろう
それこそが人生の意義だと分かったら
余計なことで心を悩ませている自分がアホらしくなった
そして世界にはその一点に集中して
生きている人がたくさんいる
自分を完成させる為に 懸命に生きている人が
追い求めているのは利益でも形でもない
自己実現だ
そしてそれこそが本当の「仕事」なのだ
だから人生への気概や情熱が生まれる
そう思って世界を見れば
全てが新たに生まれ変わる
頭で理解していた世界が
夕べ、私の心になった
どうしても入れなかった世界が
私のものになったの
その後、私、どうしたと思う?
一気に35パーツ クリアしたのよ
2年間 分からなかった課題が一夜にして解けたの
自分でも信じられなかった
でもこういう小さな奇跡がちょこちょこ起こるから
止められないし
人生もまた楽しいのよね
一粒の薬より ちょっとした優しさで
多くのものが救われる
そうして時には 私自身が それを求めることもある
ありきたりの御礼なんて言わない
それに勝る宝が他に有るから
そうして私はもう一度
スタートラインに立ち
新しい平原を見つめる
新しい気持ちで
新しい眼差しで
もうその他のことは どうでもエエわ
今はただ自分を磨くだけ
明日のことは 明日が決めるし
またFortunaの気が向けば
自ずと時機は訪れるでしょう
・・だけど本当にありがとう・・
*
この「ありがとう」の対象は、ひばりさんであり、当時の私を唯一、信じ抜いてくれた人への言葉です。
一生分の「ありがとう」。
近藤真彦の逸話 ~歌の上手いおばさん
余談ですが・・
近藤真彦がデビューして間もない頃、スタジオで美空ひばりさんのリハーサルを聞いて、「あのオバサン、歌うめ~」と感嘆したら、プロデューサーが真っ青な顔で飛んで来て、「君、あの方を誰だと思っているんだ。歌謡界の女王、美空ひばりさんだよ!」と厳しく叱責したそうです。
これにはさすがのマッチも落ち込み、深く反省したそうですが、リハーサル後、ひばりさんがマッチの所に来て言うには、
「真彦ちゃん、私、とても嬉しかったの。だって、上手いと褒められたのは初めてだったから」
ひばりさんほどのレベルになると、歌が上手くて当たり前。
かえって、誰も褒めてくれないそうです。
見方を変えれば、「上手い」と褒められるうちは、大したことないのだと思います。
私の大好きなエピソードの一つです。
幸せの数え方 ~今日の己に、明日は克つ
1999年の日記
私は美空ひばりさんの歌う姿が好きで、追悼番組があるとよく見惚れていた。
わけても圧巻なのが、大手術の後、奇跡的に復帰し、東京ドームに五万人の観衆を集めて三十曲以上を堂々歌い上げた通称「不死鳥コンサート」だ。
豪華な衣装に身を包み、全身これ火の玉のごとく歌う姿は女王の名にふさわしく、神々しいばかりである。
番組司会者の話によると、痛み止めの注射を打ちながら舞台を続けられたということだが、そんな事は微塵も感じさせないほど凛として逞しく、「美しい」という言葉はまさにこの人の為にあると思わずにいられないほどだ。
私ぐらいの世代は、「女王・美空ひばり」「昭和の代名詞」と言われてもピンと来なくて、以前は何がそんなに偉いのか、関心もなかったのだが、西暦二千年の新年スペシャル番組で「不死鳥コンサート」の一部映像を見た時、目が覚めるような思いがした。
大病を患い、誰もが「ひばりは終わった」と見切りかけていた中、燃え尽きた火から蘇るがごとく東京ドームの舞台に立ったひばりさん。
その頃、私自身、仕事や私生活でゴタゴタと揉め、落ち込んでいたせいもあり、ひばりさんの力強い歌声は、よれて、活力を失っていた私にぴしりと渇を入れてくれたのだった。
胸に根性の炎を抱いて いくぞこの道まっしぐら
泣くな迷うな人生一路
自身で作詞された『人生一路』を高らかに歌うひばりさんに、私は何度も問いかけたものだ。
「なぜ、あなたは、そんなに強いのですか?」
その日の特集で、ひばりさんの生涯が必ずしも満ち足りたものではなかった事を知っただけに、私には彼女の強さが眩しいと同時に痛々しく感じられてならなかった。
彼女が張り切れば張り切るほど、その裏側の闇が色濃く見えて、私には息が詰まりそうに辛く感じられたからだ。
強くなどならなくていい――。
私は、ある出来事を境に、そう思うようになっていた。
強くなろう、強くならなきゃ、と頑張れば頑張るほど、心はピンピンに張りつめたギターの弦みたいに苦しくなって、強くなるどころかボロボロにささくれてしまう。
自分では強いつもりでも、本当は少しも強くないのを、自分にも他人にも悟られるのが怖くて、精一杯、突っ張ってみるけれど、結局は、自分で自分の重みを支えきれなくなって、ガタンと崩れてしまう。
そんな無理を繰り返すぐらいなら、弱い人間のままでいよう。
もう二度と強くなろうとか、しっかりしようとか思わず、情けない人間のままでいればいい――。
「不死鳥コンサート」を見るまでは、そんな投げやりな気持ちにずっと浸っていたのである。
それだけに、踏まれても、踏まれても、真っ直ぐに顔を上げて、立ち向かってくるひばりさん――「女王ここに在り」と言わんばかりの神々しさで、自分の好きな歌を歌い続けるひばりさんの姿を見た時は、悔しいと同時に、何か反発したいような気持ちでいっぱいだった。
「こんな強さはウソだ」と大声で言いたかった。
が、ひばりさんの歌声は、あまりに明るく、溌剌として、私の意地悪な反発など入り込む余地もなかった。
むしろ、何をするでもなく、ドタっとコタツに寝転がり、「ちくしょう、あいつもこいつも、気に入らねえなぁ」なんて心で呟いている私を、
「アンタ、そんな所で、なにをグズグズ寝転がってるの。自分で選んで歩いてきた道でしょ。嘆いてたって、何も始まらないよ。さあ、立って、今日からでも歩き出しなさい」
と叱咤しておられるかのようだった。
この人の辿ってきた痛み苦しみに比べれば、私の挫折なんて子供の喧嘩みたいなもんだなあ――。
見ているうちに、涙が出てきた。
悔しいやら、情けないやらで、叫びたいほどだった。
そうして、天井を向いて寝転がっているうちに番組が終わって、コマーシャルの後に、ひばりさんの座右の銘が紹介された。
『今日の己に、明日は克つ』
その言葉をかみしめながら、意地を張るでもなければ、知ったかぶりでもない、人間の本当の強さについて思い巡らせずにいられなかった。
ところで、ひばりさんの生涯を語る時、必ずといっていいほど言われるのが、「ひばりさんは、歌手としては偉大だったが、私生活では孤独な人だった」。
幼い時からステージママのお母さんとタッグを組んで、来る日も来る日も大衆の前で歌い、子供らしい甘えや楽しみとはまったく無縁の生活を過ごしてこられたひばりさん。
年頃になって、当時の若手スター、小林旭さんと結婚されたものの、一年半で離婚。
それ以外にも、実弟の非行や暴力団との黒い噂など、心痛は絶えず、晩年になって、甥の和也氏(『マネーの虎』にも出演している、現ひばりプロダクション社長)を養子にされたものの、最後は母とも実弟とも死に別れ、私生活では非常に淋しい想いをされたのはあまりにも有名な話である。
が、ひばりさんが不幸な女性だったかといえば決してそうではない。
優れた歌い手であると同時に、磨き抜かれた魂の持ち主だったことは言うまでもなく、人間としても、歌手としても、その生涯を立派に全うされたことは周知のとおりである。
その人の人生が幸せだったか否かは、当人にしか分からない。
いや、当人でさえ、どちらとも言い切れないのが本当ではないか。
誰の人生も光と陰から出来ていて、どちらか一方ということはまずあり得ない。
影があるから、光が際立つわけで、光ばかりの人生など、もはやこの世に生きる意味もない。
それは天国であって、地上の人生ではないからだ。
ひばりさんの生涯も、家庭崩壊や離婚など、エピソードだけ聞けば、なんと気の毒なと思う。
しかし、最高の歌手になるには、最悪の不幸を必要とすることも、心の何所かで知っておられたから、どれほど辛い事があっても、舞台に上がればその姿は晴れ晴れとして、『人生一路』のように突き抜けた歌唱が可能だったのだろう。
ひばりさんは、幸福にも不幸にも恵まれた、意義深い人生を送られたと思うし、人生の醍醐味は、光の多さではなく、光と影のコントラストの美しさで決まると思う。
言い換えれば、いい人生を生きるのに、絶対的に幸せである必要はどこにもないのだ。
そもそも幸福とは何か。
それは何ものにも左右されない心の状態を言う。
なくしても、損しても、凪いだ海のように穏やかで、心を煩わされることがない。
いわば、絶対的な平安だ。
そんな平安を手に入れようと思ったら、人はまず不幸を知らなければならないし、そこから抜け出す努力も必要になる。
痛みや悲しみと全く無縁の幸せなど存在しない。
この世に生まれて幸せを望むなとは言わないが、幸せを目指して、あたう限りの努力をするのが人生ではないだろうか。
こうした、幸せの本質を見誤れば、人生はたちまち狂い出すし、ありもしない青い鳥を追い回すうちに、全てが虚しく過ぎ去ってしまう。
肝心なのは、何を幸せとするかで、どうやったら手に入るかという方法論ではない。
そして、幸せを定義する際、決して忘れてはならないのは、幸せとは痛み苦しみが存在しない状態を指すのではなく、「にもかかわらず」、全てに良しと言える心の在り方を指すということだ。
痛みや苦しみの中にあって、なお幸せを数えることが出来たなら、その人はもはや幸福と不幸の境目で迷うこともないし、当てのない幸せを追いかけて、人生を無駄にすることもなくなる。
小さな幸せを積み上げて、誰よりも遠い所まで歩いて行くことができるだろう。
迷いのない心は清水のように澄み渡り、どんな障害物にぶつかろうと、さらさらと小川のように流れて行けるからである。
幸せの数え方を知れば、自分が幸福か不幸かということも気にならなくなる。
言い換えれば、幸せを追いかけるうちは、どんな幸せに巡り会おうと、それを幸せと認識することさえ出来ないのではないだろうか。
初稿 1999年秋 追記 2005年1月11日