『学術』といえば、頭のいい人の世界と捉えられがちですが、知識はどこまでもいっても知識ではなく、行動、誠実、社会性が伴わなければ、ただの記号でしかありません。
経営に関する知識をどれほど蓄えようと、売り上げに繋がらないのと同じ。
用語やルールは、経営を行う為の基礎であって、用語、そのものが利益を意味するわけではないんですね。
学術もそれと同じで、いくら物事を知っていても、何を、どう活かすか、明確なビジョンがなければ、役に立ちません。
宇宙に詳しい人はたくさんいますが、皆が皆、ロケット開発に成功したり、彗星を発見したり、クレーターと恐竜絶滅の関連について証明できないのと同じです。
まず、考える。疑問に思う。気付く。工夫する。
これらの知的行動が発見から発見に連なり、ついには新事実の証明に至るのであって、化学式や計算式が、何かを作り出すわけではないんですね。
知識は素晴らしいものですが、それを過信するあまり、自説にこだわり、社会貢献どころか、過った情報を広めて、人々を混乱に陥れる学者や専門家も少なくありません。
本来、科学とは、検証に次ぐ検証の上に成り立つものですが、【検証=自説を疑う=誤りを認める】というプロセスを忌避して、自身の立場やプライドに固執するあまり、がんじがらめになってしまうのでしょう。
知識は、それを得ること自体が目的になれば、単なる電話帳でしかありません。
聞けば、何でも正しい事を答えてくれるけれど、それが何を意味して、どんなことが出来るのか? と尋ねると、そこから先の答えがありません。
電話帳は、どこまでいっても電話帳でしかなく、似たような電話帳なら、この世にごまんと存在します。
でも、人と社会が求めるのは、『その電話帳をどう活かせばいいか』という知見であって、電話番号そのものではありません。
本当に役に立つ識者は、住民の電話番号が網羅された電話帳を用いて、災害時の救済ネットワークを構築したり、孤独死をなくす取り組みをしますが、電話帳以上の知見をもたない人は、電話番号以外の答えを持たないのです。