マリー・アントワネットの『デッドマン・ウォーキング』 ~死の大天使サン=ジュストの演説とルイ16世の裁判について

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マリー・アントワネットの最後 ~マリア・テレジアの娘として死す

ベルサイユのばら 第9巻 『いたましき王妃のさいご』  マリー・アントワネットの最後に関するエピソードです。

ポーランドでは1997年に死刑制度が廃止されています。

しかし、今年の9月になって、10月10日を「死刑に反対する欧州デー」にしようというEU議長国の提案に対し、拒否権を発動したことで問題になりました。
(2007年執筆時の出来事)

もちろん、この拒否は、死刑制度の復活が目的ではなく、安楽死や中絶といった、声明の尊厳に関わる重要な問題について考える『生命擁護の日』とするべきだ――というのが、ポーランド大統領の主張で、こうした話題を強調することで、意見を違える国内政党を牽制する目的もあったようです。

いずれにせよ、欧州全体が死刑廃止で一致しているのは今後も変わらないでしょう。

死刑に関しては、日本でも様々な議論がなされていますが、このテーマについて真っ向から取り組んだのが、スーザン・サランドン主演の映画『デッドマン・ウォーキング』(1995年)です。

若いカップルを森で射殺して、遺棄しながら、「オレは無実だ。悪いのは社会だ」と過激な主張を繰り返し、まるで反省の色がない死刑囚マシューと、彼から助力を求める手紙を受け取った修道女ヘレンの切実なやり取りは、世界に深い感銘を与え、アカデミー主演女優賞をはじめ、様々な映画賞を総なめにしました。

「デッドマン・ウォーキング」とは、死刑囚が独房から処刑室に連行される際、看守が周囲に宣する言葉で、「死刑囚が行くぞ!」という意味です。

個人が殺人を犯すのと、国家が合法的に人を殺めるのと、どこがどう違うのか。

映画では、マシューを支えるヘレンの苦悩と、マシューの心の変化を通して、死刑制度の是非を問いかけました。

「ベルばら」では、ルイ16世の裁判で、「祖国が栄えるために、ルイは死ななければならない」というセリフがあります。

これは池田理代子先生の創作ではなく、死の大天使と恐れられた革命家サン・ジュストの言葉として歴史に刻まれるものですが、私はこの台詞だけはどうにも受け入れられなくて、今でもこの箇所は飛ばして読んでいるほどです。

いかなる理由があれ、この世に死ななければならない人など、存在しないと思うからです。

フランス革命では、ルイ16世と共に、王妃マリー・アントワネットも処刑され、当時は、それらが見世物にされていました。

しかし、「マリア・テレジアの名を恥ずかしめぬ立派な女王として死を待ちます」とうい言葉通り、マリーは、恨みもせず、泣きわめきもせず、自分の足で断頭台に上がりました。そんなマリーを、天国のマリア・テレジアも、「よく頑張ったわね」と優しく抱きしめたことでしょう。

21世紀の現代。

EU諸国では、もう何年も死刑は執行されていません。

死刑制度の是非は、現代人に託された、大きな課題の一つではないでしょうか。

*

大人になって、いろいろ学ぶと、本当にマリー・アントワネットは処刑されなければならなかったのか、疑問は残ります。
オーストリア女 ~異国の女として生き、異国の女として死す~にも書いていますが、国の情勢が傾けば、敵意は外国人に向かうのかもしれません。

池田理代子 ベルサイユのばら マリー・アントワネットの処刑

池田理代子 ベルサイユのばら マリー・アントワネットの処刑

こちらは映画の処刑場に向かう場面です。斬首の瞬間は子供の玩具遊びに置き換えられています(良心的)
ここまでする必要があったのか……今では人道的に考えられないですよね。

こちらも参考にどうぞ

マリー・アントワネットの負けの美学 ~オーストリア女に生まれ、オーストリア女として死す 
フランス王家に嫁いでも、死ぬまで「オーストリア女」とみなされ、革命においては憎悪の対象となったマリー・アントワネットの無念と、安達正勝氏の著書より最後の様子を紹介。美しく負けることにこだわったマリーの生き様が感じられます。

コミックの案内

第9巻『いたましき王妃のさいご』では、ヴァレンヌ逃亡事件、マリー・アントワネットとフェルゼンの絆、王室一家の最後を克明に描いています。

ベルサイユのばら(9) Kindle版
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オリジナル表紙はこちら。デジタル版の扉絵は、連載初期のイラストです。

ベルサイユのばら 9 (マーガレットコミックス)
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サン・ジュストの言葉

歴史に刻まれたサン=ジュストの言葉は、実際、どのようなものだったのでしょうか。

安達正勝氏の著書『物語 フランス革命 バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで (中公新書) Kindle版 』から抜粋。

ルイ16世は二枚舌を使って国民を裏切ったとして、裁判にかけられることになった。国王の裁判は、裁判所ではなく、告解(国民公会)で行われた。
ジロンド派はまず裁判の先送りをはかったが、ジャコバン派のサン=ジュストが11月13日に行った演説によって国王裁判の行方が決定づけられた。サンジュストは25歳。最年少議員で、国会の演壇に立つのはこの日が初めてだった。

「いかなる幻想、いかなる慣習を身にまとっていようとも、王政はそれ自体が永遠の犯罪であり、この犯罪に対しては、人間は、立ち上がって武装する権利を持っている。王政は、一国民全体の無知蒙昧によっても正当化され得ない不法行為の一つである。そういう国民は、王政容認という実例を示したがゆえに、自然に背いた罪人なのである。すべての人間は、いかなる国においてであれ、国王の支配を根絶すべき秘密の使命を自然から受けている。
人は罪なくして国王たり得ない。これは、明々白々なことである。国王というものは、すべて反逆者であり、簒奪者である」

非常に激しい口調でもって、王政を糾弾しています。

ベルばらでもあったように、判決は次のような流れで行われました。

国王は有罪か?
国会の決定は国民の裁可を受けるべきか?
どんな刑を科すべきか?

まず全員一致でルイは有罪と宣告され、どんな刑を科すべきかについての投票は、死刑=387票、追放・幽閉=334票でした。
一見、53票差で死刑に決まったように見えますが、死刑賛成票の中には執行猶予付き賛成が26票あり、これは事実上、死刑反対と同じなので、実際の内訳は、賛成が387-26=361票、反対が334+26=360票で、わずか一票差で死刑に決まったことになります。

ルイ16世の最後の言葉は、

フランス人よ、あなた方の国王は、今まさにあなた方のために死のうとしている。私の血が、あなた方の幸福を確固としたものにしますように。私は罪なくして死ぬ。

処刑の日の朝には、付き添いの神父に「あの世には公正過つことなき審判者がいて、この世で人間たちが拒んだ正しい裁きをしてくれるはずだ」と語っていたそうです。

実際、21世紀になって、ルイ16世の善政を見直す動きも出ていることから、願いは半ば叶ったのではないでしょうか。

物語 フランス革命 バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで (中公新書) Kindle版
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映画「デッドマン・ウォーキング」について

「バットマン」や「シザーハンズ」でお馴染みの個性派監督ティム・ロビンスによる実話に基づいた渾身の一作。メイクアップ無しでシスター・ヘレンを演じたスーザン・サランドンはアカデミー主演女優賞を獲得し、一時期ハリウッドのお騒がせ男としてスキャンダルの絶えなかったショーン・ペン(マドンナの元夫)が、最後は神の愛に目覚めて人間としての良心を取り戻す死刑囚を熱演しています。

原作は、死刑廃止論者で、死刑囚の精神アドバイザーとして活躍するシスター、ヘレン・プレジャン女史の著書「デッドマン・ウォーキング(中神由紀子:訳 徳間文庫)」です。

参考 マリー・アントワネットの『デッドマン・ウォーキング』 ~マリア・テレジアの娘として死す

この投稿は、優月まりの名義で『ベルばらKidsぷらざ』(cocolog.nifty.com)に連載していた原稿をベースに作成しています。『東欧ベルばら漫談』の一覧はこちら

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