映画『キャリー』(1976年)について
1976年、若手ながら演技派で知られる女優シシー・スペイセクを主役に迎え、当時、まったくの無名だったジョン・トラボルタとナンシー・アレンを悪役に起用して、映画界にサイキック・ホラー旋風を巻き起こしたブライアン・デ・パルマ監督の意欲作。
一見、超能力少女の血まみれホラーのイメージがあるが、実質は、娘を支配する狂信的な母親と、自立を求めて揺れ動く娘の葛藤、高校生らしい初恋を描いた青春ドラマであり、誠実に生きようとした女子高生のキャリーが、母の支配や学校での苛めから、ついには超能力を炸裂させ、破滅へとひた走る姿は、恐怖よりも涙を誘うはずだ。
キャリーをダンスパーティーに誘う王子様役のウィリアム・カットも、少女漫画のアンソニーのように素敵で、ホラーの形を借りた、悲しくも、美しい学園ドラマである。
ちなみに、本作がデビュー作となった作家スティーブン・キングは、作品の出来が気に入らず、ゴミ箱に突っ込んでいたらしい。
それを奥さまが拾って、読み直したところ、素晴らしい作品だと気付き、夫を後押しして出版にこぎ着けたそうだ。(原作の巻末に記載)
そういう意味でも、世に出るべくして出た傑作と言える。
■ 商品情報
クラスメートにいじめられてばかりのキャリー。しかし、彼女には隠されたパワーがあった。
あるパーティで突然クイーンに選ばれ有頂天になった彼女だが、それがクラスメートの残酷な悪戯であったことを知る。
舞台に立つキャリーに真っ赤な血が降り注ぎ、彼女の悲鳴が、そして次の瞬間本当の惨劇が起こる。
キャリー(1976年) ブライアン・デ・パルマ監督
【コラム】狂信的な母親と支配される娘
高校生のキャリーは学校のシャワー室で初潮を迎える。しかし、無知なキャリーはパニックを起こしてシャワー室から飛び出し、女生徒たちに生理用品を投げつけられ、心身ともに深く傷つく。
シングルマザーである彼女の母親はカトリックの狂信者であり、特に『性』に関しては異常なほど厳しい。
「(生理について)どうして教えてくれなかったの?」と泣いて訴えるキャリーにも「お前は汚れている」と罵り、娘の身体を引きずってキッチンに隣接する懺悔室に閉じ込める。
そうしたストレスもあって、キャリーは徐々にサイコキネシス(念動力)に目覚め、手を使わずにドアを閉めたり、相手を睨むだけで自転車ごと転倒させたりできるようになる。
そんなキャリーの唯一の友達スーは、キャリーをいじめから救えなかった罪滅ぼしの気持ちから、高校生活を彩るプロム(ダンスパーティー)のパートナーとして自分のボーイフレンド、トミーを紹介する。トミーの思いがけないプロムの誘いに最初は戸惑っていたキャリーだが、スーの気遣いとトミーの優しさに心を開き、母親の反対を押し切ってプロムに参加することを決意する。
しかし、キャリーへのいじめで担任教諭から放課後の体操とプロム参加を禁じられたリーダー格のクリスは、男友達のビリーをそそのかし、キャリーに仕返しすることを計画。家畜場で豚の生き血を抜き、プロムのステージ天井に血入りのバケツを仕掛ける。
そうとは知らず、「プロムの女王」に選ばれ、幸せいっぱいでステージに上がるキャリー。その瞬間、クリスの仕掛けたバケツがひっくり返り、キャリーの頭上に真っ赤な豚の血が降り注ぐ。会場は爆笑の渦に包まれ、ついにキャリーのサイコキネシスが炸裂する……。
*
この物語の核になっているのは、狂信的な母親に支配される娘キャリーと、娘を自分の世界に閉じ込めようとする毒親マーガレットの、壮絶な親子関係だ。
娘が年頃になっても初潮のことすら教えず、「お前は汚らわしい」と罵る毒親マーガレット。彼女は夫に捨てられたこともあり、自らの女性性を憎むとともに、キャリーに対しても「女になること」を禁じている。
しかしキャリーは健やかな心の持ち主で、母親に何を吹き込まれようと完全に毒されることはない。むしろ、母から独立し、一人の女性として幸せな人生を歩むことを願っている。
だが、キャリーは常に抑圧されている上、学校では壮絶ないじめにあっていることから、心の吐き出し口がない。そんな彼女がサイコキネシスを身につけるのも無理はない。本来の自分を歪められ、毒親に支配されたら、抑圧された感情は超常能力にもなるだろう。
そのうえ学校の陰湿ないじめ集団。あの情け知らずの級友達に呪いの力で復讐することができたら……と誰だって願わずにいない。
キャリーは決して黒い魔力の持ち主ではなく、心のエネルギーを解き放つ術を身につけた、ごくごく普通の女の子なのだ。
そんなキャリーが自分の意志で一歩踏み出すきっかけになったのが、トミーからのプロムの誘いだ。
母マーガレットは、「誰が本気でお前なんか誘うものか。お前は騙されているんだ。きっと恥をかいて、泣いて帰ってくるのがオチだよ!」と激しく詰るが、キャリーはトミーの優しさを信じ、女の子らしい夢に胸を膨らませる。娘にきつく言い聞かせ、行動をコントロールしようとする母親と、「私はもう大人よ!」と口答えするキャリーの会話は、まさに思春期の親子のそれだ。
そしてプロムの当日。それまでろくに髪もセットせず、ださい服を着て、いつも嘲笑の的だったキャリーが、お手製のドレスに身を包み、髪を軽くカールして、トミーの迎えを待つ。その姿のなんて可憐なこと。おまけにトミーは少女漫画の王子様みたいに素敵だし、それまで女の子らしい幸せなど何一つ体験させてもらえなかったキャリーにとって、すべてが夢のように幸せだったにちがいない。
そうしてキャリーが美しく輝けば輝くほど、あとの惨劇がいっそう心に迫る。
キャリーはステージの上で豚の血を浴び、大勢に笑い物にされた。その中には信頼していた担任教諭も含まれていた。
唯一、彼女を庇おうとしたトミーは、天井から落ちてきたバケツに頭を強打してその場に倒れ、クリスの企みを教諭に伝えようとした友人のスーは、逆にプロムを邪魔しに来たと勘違いされ、体育館の外につまみ出されていた。これが結果的にスーの身を救うことになる。
キャリーの激しい怒りと悲しみはサイコキネシスとなって爆発、華やかなプロムの会場は阿鼻叫喚の火炎地獄と化す。
身も心もボロボロに傷つき、血だらけのまま家に帰り着いたキャリーを意外に優しく出迎えたのが母マーガレットだ。すすり泣く娘を優しく抱きしめ、「もう大丈夫」と癒し、励ます。だがそれは歪な愛の序奏に過ぎなかった。マーガレットは娘の命を絶つことによって親子の絆を完全にし、娘を永久に支配しようとする。そんな母の狂気に対して、キャリーは反射的にサイコキネシスを使い、逆に母を殺害してしまう。そして最後は自らのパワーで家もろとも崩壊させ、母親の亡骸と共に息絶えるのである。
サイコキネシスの場面だけ見れば「ホラー」だが、本質的には、毒親に振り回される哀れな女の子の物語だ。
キャリーはただ普通の女の子として幸せになりたいだけなのに、毒親のマーガレットにことごとく妨害される。
思うに、夫に捨てられたマーガレットは、孤独で、みじめで、どうしようもないのだ。娘が自分より幸せになるなんて、絶対に許せない。自分が呪いに囚われるように、娘の同じ呪いで縛っておきたい。だから「お前のため、お前のため」という愛の毒で娘の心をギリギリに締め付け、葛藤の奈落に叩き込む。「お前のため」と言われて真っ向から逆らう子供が何処にいるだろう? 毒親は、自分が「保護
」という観点において絶対的な主君であるのをいいことに、「お前のため」という悪魔の切り札で子供から抵抗や疑いの芽を摘み取っているに過ぎない。
娘の方は、母が好きだから、母の言葉を信じたい。母を裏切って、悲しい思いをさせたくない。でも、何かおかしい。このままだと母の奴隷になってしまう……。そう気付きながらも、「母に逆らう」というだけで自然な感情の発露さえ抑えてしまう。疑いが頭をもたげても、「母は私を愛してくれているのだから」と自らに言い聞かせ、母の呪いに取り込まれてゆく。そうなれば、自分の心も人生も、あって無いようなものである。
キャリーは母親と一緒に滅びた。制御不能となったサイコキネシスに家ごと押しつぶされて、息絶えた。
見方によっては、ラスト、母の亡骸を引きずって懺悔室に籠もるキャリーの行動に納得ゆかない人もあるかもしれない。あれだけひどい仕打ちをした母親になぜ最後まで情をかけるのか、そんな親は崩壊を始めた家の中に置き去りにして、自分だけは逃げればいいのに、と。
でもそれが「母と娘」なのだ。たとえ他人には理解しがたい絆であっても、根底には愛がある。
キャリーは最後まで母の呪縛に縛られて……というよりは、娘としての愛を貫いた、天使のような女の子だ。エピローグではスーの夢の中で怨念となって復活するけど、私は、キャリーは美しく天国に召されたと信じておりますよ。愛に浄化された母マーガレットと一緒に。
「キャリー」の予告編
阿鼻叫喚のプロムナードの場面。
ここまで残酷なことをされたら、超能力少女でなくてもキレます……。
【画像】キャリーの夢と優しさ
毒親よ、さようなら 映画『塔の上のラプンツェル』にも書いているが、『キャリー』もまた、娘を支配する母親と、それに抵抗しながらも、母への愛ゆえに滅びていく少女の悲劇である。
母のマーガレットは、男(夫)に捨てられた反動から、娘の「女性」を封じ込み、肉体的にも精神的にも無垢なまま、自分の思う通りに操ろうとする。
キャリーが心優しい女の子だけに、余計で悲しみも深い。
マーガレットも、ラプンツェルの母親と同じ、「あなたの為」と言って、娘を自分の支配下に留め置こうとする。
だが、こんな毒親でも、娘は「ごめんね」と頭を下げ、愛情を込めたキスをする。
たとえ毒親でも、娘にとって、母は母。
心の底から憎めるわけがない。
本作では、「サタデーナイト・フィーバー」でブレイクする以前の若きジョン・トラボルタが、優柔不断なプレイボーイを演じているのがポイント。
また映画「ロボコップ」で颯爽とした女性警察官を演じたナンシー・アレンが、ここでは陰湿ないじめグループのリーダーを演じているところがポイント。
無知なまま初潮を迎え、深く傷ついたキャリーに追い打ちをかけるビッチぶり。
ポール・ヴァーホーヴェン監督の映画『ロボコップ』では、主人公マーフィーの相棒として、キリっと格好いい婦人警官を演じていたのだが。
ハリウッドを代表する伊達男に成長したジョン・トラボルタも、本作では、頭も下半身もゆるゆるのバカ男を好演。
ここでトラボルタを起用した監督の先見の明もすごい。
一方、キャリーを優しくエスコートするトミー(ウィリアム・カット)は、金色の巻き毛が素敵な、スウィートな王子様。
スーというガールフレンドがいたが、キャリーをいじめた罪滅ぼしに、スーがプロムパーティーのエスコートを頼むと、トミーは気が進まないながらも、キャリーを紳士として誘い、お姫さまのように優しくする。
キャリーもお姫様みたいに可愛い。
ちなみにウィリアム・カットは「スターウォーズ」のルーク・スカイウォーカー役を希望し、オーディションも受けたそう。
トミーの誘いを受け、プロムに出席する決心をしたキャリーにお洒落のアドバイスをする担任教諭。
せっかくキャリーも希望をもったのに、救いにはならなかった。
キャリーに幸せな笑顔を贈りたい♪