We are.. 『二人』という単位
皆さまは、『愛』についてどのようなイメージ、もしく は考えをお持ちでしょうか。
重すぎる、甘ったるい、今更恥ずかしい、そんなものあるわけが ない、一生無縁のような気がする、この世のいったいどこに愛な んてあるわけ? ……と思います?
そんなこと考えてどうするの、考えたら愛が手に入るとでもいう の、誰が愛してくれるの、愛がなければ幸せにはなれないの? と言う人もあるでしょうね。
おそらく、多くの人が、愛の価値や美しさを知りながらも、手に 入らないとあきらめて、ネガティブなイメージを持っておられる のではないでしょうか。
私もほんの数年前まではそうでした。 私なんか誰にも愛されない、愛される価値もない、愛なんか要ら ない、そんな風に突っぱねて生きてきました。
だけど、頑張っても、頑張ってもなにか空しい、生きている実感 がない、つらくてつらくてたまらない・・・そんな虚ろな心がついに 力尽きて倒れた時、私は本当に奇跡みたいに一人の男性の温かい 心づかいに救われ、自分が心底欲していたものは何なのか、やっ と理解することができたのでした。
結果的に、その恋が実ることはなく、私は大失恋に泣いて泣いて、 もう二度と立ち上がれないぐらい打ちひしがれたものですが、周 囲の人の支えもあり、なんとか立ち上がって歩き出した時、私に とって二度目の大きな出会いが訪れたのです。
もちろん、それが即、幸せを運んできたわけではありません。
ディズニーのアニメは、白馬に乗った王子様がお姫様を迎えに来 て、「They lived happily for ever — 二人は末永く幸せに暮 らしました」で終わりですが、現実世界の恋愛は、二人が夢のお城に到着したところから始まります。
そして、天下のディズ ニーも、その後二人がどうやって幸せに暮らしたか、そのノウハ ウまでは教えてくれないんですね。
かくして、『We are…』二人で生きることへの挑戦と葛藤が始ま りました。二人の恋が甘く美しく情熱的だったのは、知り合って 間もないほんの数ヶ月の話で、徐々にお互いの事が分かってくる と、馴れ、甘え、手抜き、我が侭、疑心、支配、失望、怒りetc、 人間としての生々しい感情が頭をもたげてきます。 愛についてやっと肯定的なイメージが芽生え、「今度、自分の恋 人を持ったら、心から愛そう」と固く誓っていたにもかかわらず、 どんどん愛から遠ざかっていく自分に愕然としたんですね。
そんな危機的な状況の中で、私は『We are…』を書き始めました。 もう一度、愛について考え直す為に、そして彼との絆を見直す為 に。
本文中には、厳しい言い回しや読むのが辛い箇所もあるかもしれ ません。私も、かなりの箇所を、自分への戒めとして書きました。 読み進めるうちに、「愛って、もっとスウィートなものでしょ。 なんでこんなに難しく考える必要があるの?!」と思われる方もあ るかもしれません。
その通り、愛はすごくスゥイートで、美しいものです。 だけど、それを維持するのは、決して易しいことではありません。
どんなに相手を深く愛していても、あなたが「人間」である限り、 いつか人間としての限界を感じる日が来るでしょう。
この世で、完璧に愛を実践できるのは神様だけです。 親が子を思う時でさえ、完璧に愛するのは困難です。
だからこそ、人は「愛する努力」をしなければならないのだと思 います。
いつか本物の幸福、本物の平安を手に入れる為に。
『二人で生きる』ということ
一人から『We are…』になった時、最も大切なのは、二人が幸せになる道を探し当てることではないでしょうか。
「私だけが幸せになればいい」というのは間違いですし、「あなたさえ幸せでいてくれたらそれでいい」というのも、ある意味、責任の放棄であり、自分を粗末にする考え方です。
あなたも、相手も、幸せになってこそ、『We are..』
二人で生きていくには、一人とまた違ったスキルが必要です。
二人で一緒に居るのが当たり前になってしまうと、以前は新鮮に感じた気遣いも「やって当然」になりますし、以前はほとんど気にならなかったことも、だんだん気に障るようになってきます。
そんな時は、「なぜこの人と一緒に居るのかな」と自分に改めて問いかけてみてはいかがでしょう。
やっぱり二人がいいのか。それとも一人に戻るべきなのか。
その時々で、感じ方も違ってくると思います。
私が今も印象に残っているのは、『ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた 』の著者、ジョン・グレイ氏の言葉、「愛は庭と一緒。放っておいたら、草ボウボウになる。常に手入れをしないといけない」です。
人って、誰かの愛を得たら、ついついそれに甘えて、相手に気遣うことも、サプライズすることも、止めてしまいますよね。
でも、二人の関係を手入れせずに放っておけば、どんどん雑草が生えて、綺麗な庭も荒んでしまう、という話です。
そう考えれば、『愛のある関係』って、決して安住の地ではないし、むしろ一人より手の掛かる状況かもしれません。『二人』の方が幸せに見えるのは、独り者の無い物ねだりに過ぎないからでしょう。
もっとも、人間の信頼関係作りに全力を尽くしたところで、お金が儲かるわけでもなければ、昇進するわけでもない、無駄に終わることもあれば、逆に誤解されることもあり、実に面倒な気遣いの繰り返しです。
一人の方が気楽でいいと、他人との関わりを避ける人が増えるのも、頷ける話です。
それでも「一人に戻りたいか」と問われたら、答えは否で、馬鹿みたいに思えても、他人と関わって生きていく方が生きている実感を得やすいのではないでしょうか。
この世にはいろんな成功の形が有りますが、愛における成功は、この世のどんな成功にも勝ると、私は思っています。
『二人で生きる』という選択肢
結婚10年目の視点で言えば、恋人時代の交際なんて、本当に上澄みみたいなものです。
でも、それは今だから言えること。
交際中は、やはり結婚が一つのゴールですし、結婚すれば何もかも上手くいくような錯覚に陥るのも当然と思います。
既婚者に言わせれば、結婚も「終わりの始まり」に過ぎないのですが。
何にせよ、『二人』という単位は、精神的にも経済的にも大変ですし、生半可な覚悟では続きません。
かといって、「一人に戻りたいか」と問われたら、それもまた味気なく、誰とも心をすりあわせずに、自由気ままに生きることが最善とも思いません。
そう考えると、二人で生きることの意義は「幸せになること」よりも、「人間的に成長すること」にあるように感じますし、いろいろ問題が多いからといって、その結婚が失敗という訳でもありません。何故なら、この社会に生きる限り、問題とまったく無縁の人生などあり得ないからです。
『結婚』というのは、愛や属性の話ではなく、「二人で生きる」という選択肢です。
その先の未来は、乗り越えるか、関係を終えるかで、終わる結婚にも、「学び」という意味はあります。
パートナーシップをテーマにしたコラムを掲載。「パートナーシップは、上手く行くことが全てではなく、関係が悪化した時こそ、互いの愛情や信頼が問われるものです」