ベラとエドワードの恋が教えてくれること
「愛しているから、君を抱くことはできない」
先週末、日本でも大人気の映画『エクリプス/トワイライト・サーガ』を観ました。
実は、トワイライト・サーガを観るのは初めてで、今回もお付き合いの鑑賞だったのですが、「性教育」という観点で非常に興味深かったです。
映画は、主人公の恋人たちが美しい花畑で語り合うシーンから始まります。
ヒロインのベラは、永遠の命をもつヴァンパイアのエドワードと恋に落ち、自分の運命を決めかねていました。彼と一緒に生きたければ、自身もヴァンパイアになる他ないからです。
このまま人間として生きていくことを選び、エドワードとは別れるのか。
それとも、エドワードと生きるために、ヴァンパイアに変身するのか。
ヴァンパイアになってしまえば、二度と人間に戻ることはできません。
十代のベラにとって、非常に難しい問題です。
途中、二人の思いが高じて、肉体的に結ばれようとする場面があります。
しかし、エドワードは、ベラの思いを遮り、行為を中断します。
ベラがエドワードと肉体的に結ばれることは、ヴァンパイアの汚れた血を体内に取りこみ、意図せず変身してしまう怖れがあるからです。
愛しているけれど、迷いの段階で、ベラをヴァンパイアにしてしまうこと。
また、彼女が望んだとしても、ヴァンパイアになることが、本当に彼女にとって幸福なのか。
迷う気持ちはエドワードも同じです。
「好き」という気持ちだけで性行為に及ぶことは簡単だけど、その後、「二人に起きるかもしれない出来事」を思うと、気持ちだけで君を抱くことはできないというエドワードの態度に本物の愛と誠実を感じました。
この作品を観るアメリカのティーンエイジャーにとっても、エドワードの思慮は、大人の説教より心に響くのではないでしょうか。
気持ちのいい性行為=『愛』ではない
日本でも、中高生の我が子の性体験におののく保護者の声が多数寄せられますが、これだけ性に関する情報が氾濫する中、「なぜいけないのか」「そもそも性とは何なのか」を教え諭すのは容易ではないでしょう。
日本に根強く存在する、「好きなもの同志が性行為をするのは当たり前。誰に迷惑かけるわけじゃなし、何が悪いの?」という開き直りに加え、「性体験は多いほど、早いほど、魅力がある証し」みたいな風潮も手伝って、性に関する真摯な声も掻き消されているような気がします。
世間で取り沙汰されるのは、たいてい「性の快楽」の方で、「愛の話」ではありません。
『気持ちのいい性行為ができれば愛される、幸せになれる』みたいな幻想に振りまわされて、本当の愛とは何か、見失っている人も少なくないような気がします。
もし、女性の方で、快楽を与えれば、男性が自分から離れず、いつまでも愛してくれると思いこんでいるとしたら、それこそ不幸の元で、本当の愛はエドワードのように、「心の底から、相手を幸せにできる」と確信するまで、辛抱強く待てることだと思います。
映画『エクリプス/トワイライト・サーガ』において、ベラとエドワードは、彼等なりに一つの葛藤を乗り越え、新しい愛の形を見出そうとします。
そんな二人に対して、「じれったい」「愛がない」とやきもきする人もないでしょう。
むしろ、ベラに対するエドワードの深い思いやりに、胸を打たれる女性が大半ではないでしょうか。
性を通して、愛を説く
ティーンの性に関しては、性病や避妊の話題がメインになりがちですが、本当に学ばなければならないのは、相手に対する思いやり。
その為に不可欠なのが、第二次性徴や妊娠の機序といった生理学です。
知識を増やすことが目的ではありません。
中高生で、それを理解するのは難しくても、なぜエドワードは途中で止めたのか、ベラは何を迷っているのか、その思いやりと不安が感じられたら、上等だと思います。
もしかしたら、この映画を観て、わが身を振り返り、ちょっぴり冷静になった女の子や男の子も少なくないかもしれませんね。
作品紹介
アメリカでベストセラーとなったティーン向けファンタジー小説『トワイライト・サーガ』は、全5作が制作され、日本でも大変な人気を博しました。ヒロインのベラを演じたクリステン・スチュワートの出世作であり、その後も、アクション&ファンタジーのメインキャラを熱演、近年では、故ダイアナ妃の伝記映画で主演を務めるなど、大活躍しています。
私は年齢的に、この手のラブ・ファンタジーは無理なので、あまり興味もないですが、ティーンの頃に見ていたら、夢中になっていたかもしれません。
キャラ設定が高校生の割には、濃厚な恋愛模様を描いていて、かなりおませな話なのですが、レーティングの厳しい米国でも受け入れられたのは、上記のような性教育的な配慮があったからかもしれません。(米国は、奔放なように見えて、すごく厳しいです)
2010年7月10日の投稿を加筆補正しています