『ドラゴン・タトゥーの女』 あらすじと見どころ
ミレニアム三部作『ドラゴン・タトゥーの女』
ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(2005年)
ミレニアム2 火と戯れる女
ミレニアム3 眠れる王と狂卓の騎士
原作 : スティーグ・ラーソン
本作は、『ミレニアム三部作』と呼ばれる三部構成になっており、一般に、『ドラゴン・タトゥーの女』と言えば、ハリウッドでも映画化された『ミレニアム1 ドラゴンタトゥーの女』を指す。
あらすじは、小説・映画とも大筋は同じだが、ハリウッド版では、若干、設定が変更されている。(キーパーソンとなる少女ハリエットの現状など)
スウェーデンの実業家ヴェンネルストレムの不正事件を追う、雑誌『ミレニアム』の発行責任者、ミカエル・プルムクヴィストは、名誉毀損の有罪判決を受けて、逆に窮地に陥る。
一方、ミカエルの卓越した取材能力に着目した大富豪のヘンリック・ヴァンゲルは、長年、行方不明となっている孫娘ハリエットの失踪事件の解明を依頼し、ミカエルは、ヴェンネルストレムの不正を暴く証拠と引き換えに、ヴァンゲル氏の依頼を受けるが、一族は非協力的で、調査は困難を極める。
そんな中、スウェーデンの大手セキュリティ会社に所属する女性調査員、リスベット・サランデルの存在を知り、ミカエルは協力を求める。
リスベットは、複雑な生い立ちと、いくつかの精神的問題から、弁護士の後見人を付けられ、社会生活にも適応できないタイプだが、図抜けた知能とハッキング能力を有し、ミカエルに協力するようになる。
ミカエルは、風変わりなリスベットに戸惑いながらも、心惹かれるようになり、二人の間には奇妙な友情が芽生えるが、普通の家庭人であり、エリカという女性編集者の愛人もいるミカエルにとって、リスベットは「特別な友人」以上のものにはなり得なかった。(第一部はここまで)
ハリエット失踪事件も意外な形で解決し、リスベットの心境にも変化が訪れるが、暗い過去をもつリスベットにとって、単なる序章に過ぎなかった。
やがてリスベット自身が公安関係者に狙われるようになり、ミカエルもジャーナリストとして巨大な社会悪に立ち向かう。
ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(上・下合本版) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
なお、メディアのキャッチコピーでは、「ダヴィンチ・コードを超えた」「21世紀最高のミステリー」と呼び声が高いが、小説は、トリックよりも、リスベット・サランデルというキャラクターをメインとした人間ドラマであり、「謎解き」に期待すると、案外、肩透かしにあう。
「謎解き」だけなら、「ダヴィンチ・コード」の方がはるかに面白く、ハリエット失踪事件は、あくまでミカエルとリスベットが出会うきっかけにすぎないからだ。
実際、描写の大半は、リスベットの内面や私生活にフォーカスされ、それを文芸として楽しめる人には面白いが、ダヴィンチ・コードのような、パズルピース的展開を好む人には、冗長に感じるかもしれない。
ともあれ、リスベット・サランデルの造形は、ユニーク、かつ魅力的なので、キャラクター小説として楽しんで欲しい。
スウェーデン版 ミレニアム三部作
ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女(2009年) - Män som hatar kvinnor (『女性を憎む男』の意味。小説の副題でもある)
監督 : ニールス・アルデン・オプレヴ
主演 : ノオミ・ラパス(リスベット・サランデル)、ミカエル・ニクヴィスト(ミカエル・プルムクヴィスト)
スウェーデンでは、いち早くTVドラマ化され、原作に忠実に製作された。
本作は、リスベットを演じたノオミ・ラパスの出世作でもあり、ハリウッド版のルーニー・マーラーよりも、知的で、アダルトな雰囲気を醸し出している。
また、ミカエルを演じたニクヴィスト氏も(2017年に逝去)、ハリウッド版のダニエル・クレイグと異なり、ちょっと間抜けな感じのミカエルを好演。全体的なイモっぽさが、かえってミカエルの魅力を引き立て、ドラマを身近なものにしている(ダニエル・クレイグの場合、007のイメージがあるので、素直に鑑賞することができない)
また、少女ハリエットも、いかにも北欧美女という感じだし、美術や小道具なども、本場スウェーデンの雰囲気が堪能できるので、ハリウッド版よりもリアリティが感じられる。
リスベットを陵辱する後見人の弁護士も、スウェーデン版の方が、めちゃ気持ち悪い。
日本でも三部作がDVD化されていたが、現在は入手困難の模様。
たまに動画配信で公開されているので、視聴する機会があれば、ぜひ。
TVドラマとは思えないクオリティの高さ。
当時、Netflixが普及していれば、ダントツで世界一の視聴数になっただろう。
脇役もそれぞれに味があり、とにかく後見人の弁護士がマジ気持ち悪いのです。(この人、このドラマの後、普通に生きて行かれたのかな・・・)
ハリウッド版 ドラゴン・タトゥーの女
ドラゴン・タトゥーの女(2011年) - The Girl with the Dragon Tattoo
監督 : デヴィッド・フィンチャー
主演 : ルーニー・マーラ(リスベット・サランデル)、ダニエル・クレイグ(ミカエル・ブルムクヴィスト)
ハリウッド版は、鬼才デヴィッド・フィンチャーが監督し、サスペンス要素の強いものになっている。
スウェーデン版がミカエルを前面に押し出した作りになっているのに対し、ハリウッド版はルーニー・マーラーがメインで、彼女のファンなら大満足だと思う。ダニエル・クレイグも、ここでは、おっとりした「探偵さん」を好演しており、吹替えも上手い。
フィンチャーにしては、おとなしい印象がなきにしもあらずだが、全体にモノトーンぽい映像がスウェーデンの雰囲気にマッチし、これ単独でも楽しめるサスペンス・ドラマに仕上がっている。
なお、スウェーデン版とハリウッド版の違いを見比べたい方は、有志による検証動画が多数上がっているので、こちらのURLを参考にどうぞ。
The Girl with the Dragon Tattoo (2009/2011) side-by-side comparison
https://youtu.be/et6Zr9ZoR9Y
リスベットの恋とスウェーデンの性犯罪
この作品を読む前に知っておきたいのが、スウェーデンにおける異常な性犯罪の高さだ。
『女性の3人に1人が性犯罪の被害者』と言われるように、実情は調査値をはるかに超えると思われる。
この作品が書かれたのも、『助けることができなかった少女、リスベット』への痛恨の思いがあり、ミカエル・ブルムクヴィストという「ちょっぴりドジな探偵さん」を通して、ようやく贖罪ができたといったところ。
本作はハッキングのスリルを盛り込んだ、IT時代らしいミステリーに違いないが、根底にあるのは、女性を苦しめる性犯罪への怒りであり、リベンジでる。
映画では詳しく描かれていないが、女主人公リスベットは、少女時代に重大な犯罪を起こし、社会的に保護観察が必要な前科者であると同時に、心に深い傷を負った少女だ。高等数学の本もすらすらと読みこなす、特異な能力を備えているが、他人とコミュニケーションを図るのが極端に苦手で、複雑なパーソナリティを持つことから、一般的な社会活動に従事することができない。
一方、やり手のジャーナリスト、ミカエル・ブルムクヴィストは、大物実業家ヴェンネルストレムの不正を暴こうとして、逆に、罠に嵌まり、でっち上げの汚名を着せられる。ジャーナリストにとって、「嘘の報道」は社会的死に他ならず、ヴェンネルストレムの追及はおろか、ジャーナリストとして生きていくことさえ危うくなってしまう。
そんな彼の元に、大富豪ヘリック・ヴァンゲルの使いの者が訪ねて来る。
ヘリック・ヴァンゲル氏は、40年前に行方不明になった16歳の少女、ハリエットの調査を依頼し、その見返りに、ヴェンネルストレムの不正を明かす決定的な証拠を差し出すことを約束する。
ミカエルは、金銭的理由もあり、渋々ながら調査を引き受けるが、ヴァンゲル一族は、知れば知るほど不可解、かつ、不愉快な一族で、そうそうに暗礁に乗り上げる。
そんな彼の気を引いたのが、ヴァンゲル氏がミカエルに接触を図る前、ミカエルの身上調査を引き受けた少女リスベットだ。
ミカエルは、卓越したハッキング能力をもつリスベットに協力を依頼し、リスベットも気が進まぬながらも、ミカエルと行動を共にするようになる。
本作の見どころは、もちろん、謎解きのプロセスにあるが、他人に心を閉ざしたリスベットが、次第にミカエルの大らかな人柄に惹かれ、身も心も許すようになる点だ。
『ドラゴン・タトゥーの女』は、異色のサスペンスであると同時に、リスベット・サランデルというユニークなキャラクターと、ちょっぴりドジな探偵さん=ミカエル・ブルムクヴィストの儚い恋を味わう作品でもある。
一方は心に深い傷を負い、一方は、社会的に葬られた主人公の二人が、互いの傷を癒やし、ハリエットと、その界隈で起きた残忍な性犯罪の真相を明かすことで、被害者に変わって復讐を遂げ、名誉を回復する物語なのだ。
見終わった後、どこか切なさを感じるのは、本作が根本的には恋愛ドラマであるからだろう。
恋愛――といっていいのか分からないが、少なくともリスベットにとって、ミカエルとの関わりは『恋心』に他ならない。
だからこそ、リスベットにしつこく絡む変態弁護士の異様さがいっそう浮き彫りになり、次第に熱を帯びてくるリスベットの行動にも大いに共感するのである。
ちなみに、第一作に該当する『ハリエット失踪編』では描かれてないが、三部作の、最後の最後に、リスベットがブルムクヴィストに「ありがとう」を言う場面がある。(スウェーデン版のTVドラマには、きちんと描かれている)
「ありがとう」を言うぐらい、誰でも言うだろうが、リスベットが口にすると感慨もひとしおだ。
それがどれほどリスベットの人間的成長を裏付けるものか、三部作を通して読めば、必ず納得する。
本作に、性犯罪に対する非難を声高々に叫ぶ人物は登場しないが、リスベットとブルムクヴィストのほのぼのしたやり取りを見ていると、男性が女性を慈しみ、また女性が男性に甘える感情が、いかに自然で、美しいかを実感する。
そして、それは厳しい批判や断罪よりも、はるかに心に響くはずである。
記:2017/12/30
スウェーデン版とハリウッド版の違い(2010年のレビュー)
二人のリスベット & ミカエル・ブルムクヴィスト
恐らく、多くの人が知りたいのは、スウェーデン版とハリウッド版の違いだろう。
現在、スウェーデン版は、DVDを購入する以外、視聴が難しい状況なので、ハリウッド版しか見たことのない人には興味津々だと思う。
私の感想を申せば、ハリウッド版のルーニー・マーラが、パンクに装いながらも、どこか純粋無垢で、キュートな印象を与えるのに対し、本場スウェーデンの人気女優、ノオミ・ラパスが演じるリスベットは、ワイルドで、意志的な『大人の女』だ。
原作を読む限り、リスベットのイメージは、ルーニーに近いが、ノオミ・ラパスのリスベットも非常に魅力的で、ルーニーを少女漫画に喩えるなら、ノオミはビッグコミック・女囚さそりという雰囲気である。
また、大物実業家ヴェンネルストレムの不正を暴こうとして、逆に嵌められる気鋭のジャーナリスト、ミカエル・ブルムクヴィスト役も、ダニエル・クレイグがスタイリッシュに演じているのに対し、スウェーデン版のミカエル・ニクヴィストは、ちょっと黄昏れた雰囲気で、いっそう味わいがある。
「事の成り行きで、事件に巻き込まれちゃったけど、失踪した女の子がだんだん可哀相になってきた。よぅし、おじさんが全力で事件の謎を解き、無念を晴らしてあげるよ」みたいな感じで、中年の子持ちらしい温かみがある。
リスベットに対する態度も同じ。
ダニエル・クレイグが中年の愛人風なのに対し、スウェーデン版は、「なんか知らんけど、年下の女の子に好かれちゃったよ。おじさん、どーしよー」みたいな感じで、好感が持てるし、ジャガイモみたいな顔なのに、どんどん素敵に見えてくるから、あら不思議。ついでに、長年の恋人、女編集長のエリカとも、ズッコン、バッコンで、何というか、全裸中年男性を地で行く役作りである。
Photo:Michael Nyqvist, ‘Girl With the Dragon Tattoo’ Star, Dies at 56
作品全体についても、スウェーデン版の方が陰鬱感があり、失踪した少女はリエットも、北欧の良家の子女らしい気品があって、行方を探し求める大富豪ヘリック・ヴァンゲル氏の心情に大いに共感する。
また、リスベットに破廉恥な行いをする悪徳弁護士も、スウェーデン版の方がよりいやらしく、日本語吹替え版の「どんなセックスが好きなのかな??」の一言は、一度聞いたら忘れられないほどだ。
↓ 俳優さんが悪いのではなく、声の演技が気持ち悪いのである(゚_゚)
リスベット・サランデルの魅力
本作の魅力は、なんと言っても、『リスベット・サランデル』のひと言に尽きる。
全身ピアスに刈り上げヘア。
少女のような体躯に、パンクな装い。
「現実にこんな女がおったら、500メートルぐらい引く」というようなビジュアルにもかかわらず、内面は感じやすく、いつしかそれが気にならなくなる。
英語でも、woman ではなく、girl と表記されているように、リスベットは少女がそのまま大人になった印象だ。
心は少女、身体はオンナ、というアンバランスが魅力の一因だろう。
そして、この「少女」の部分を全面的に押し出しているのが、ハリウッド版のルーニー・マーラで、それとは対称的に、スウェーデン版のノオミ・ラパスは、傷だらけになりながらも、逞しく生きる女性のワイルドさを感じさせる。
どちらも比べようがないほど魅力的で、両女優の代表作にふさわしい出来映えだ。
それはまた、原作の造形がいかに素晴らしいかの証しでもある。
また、ハリウッド版には、スウェーデン版では描かれなかった、『クリスマスの贈り物』のエピソードが差し込まれ、リスベットの不器用な恋をいっそう際立たせる。
ノオミ・ラパスに、あのエピソードを演じさせるには、あまりにアダルトで、色恋無用の意志的なイメージにそぐわないからだろう。
ちなみに、原作の終わり方は、ハリウッド版と同じである。
デヴィッド・フィンチャーが可愛い系のルーニー・マーラを起用したのも、『クリスマスの贈り物』のエピソードを演じさせたかったからかもしれない。
キャラクターこそ物語の要
正直、『ドラゴン・タトゥーの女』は、そこまで入り組んだサスペンスではない。
横溝正史の金田一耕助シリーズのように、凝った仕掛けがあるわけでもなければ、シャーロック・ホームズのように知恵を絞る作品でもないからだ。
ハリエット失踪事件は、案外、あっさり解決して、『推理』というほどのものでもない。
聖書になぞらえた殺人はユニークだが、似たようなトリックは古今の何所にでもあるし、謎解きというよりは、企業調査の延長という感じ。
全編、見終わってみれば、ハリエット失踪事件は上澄みに過ぎず、結局、描きたかったのは、「リスベット・サランデルの恋」という印象を抱くだろう。
にもかかわらず、何度でも観てしまうのは、リスベットの魅力が際立つのと、冴えない中年男ミカエルとのやり取りが絶妙だからだろう。
普通、サスペンス映画は、オチを知ってしまうと、二度も三度も観たいと思わないのだが(例『シックス・センス』)、ドラゴン・タトゥーは、細部まで知り尽くしても、BGM代わりに観てしまう。
また本作は、ハリウッド版、スウェーデン版ともに日本語吹替えが素晴らしく、声を聞いているだけで癒やされる(?)効果も大きい。
ある意味、無難に始まって、無難に終る、大河のような流れが、かえって耳に心地いいのあもしれない。
原作者のスティーグ・ラーソンも、「女ハッカーを主人公にしたミステリ-が書きたい」というよりは、「リスベットという少女を描きたい」という動機から始まった作品」と言及しており、たとえ謎解きが単純とか、プロットが平坦とか酷評されても、そんなことは気にならないのだろう。
何故なら、彼の目的は、リスベット・サランデルという少女を世に送り出すことで、二度も映画化されるほど、見事にやりきったからだ。
映画では、そこまで深く斬り込んでいないが、小説の方は、リスベットの生い立ちや、ハッカーになるまでの経緯が細かに綴られ、作者のなみなみならぬ思い入れが伝わってくる。(個人的には、リスベットの雇い主で、調査会社の上役でもあるドラガン・アルマンスキーと、リスベットの最初の出会い、そして採用に至るまでの経緯が特に印象に残った)
原題に、「女を憎む男」とあるように、作品全体に、女性蔑視やサディズムに対する問いかけがあり、リスベットはその業を一身に背負った神の子羊でもある。
そんな彼女に、父のように、時には、恋人のように寄り添うミカエルこそ、作者が理想とする男性のモデルなのかもしれない。
レッド・ツェッペリンの『Immigrate Song』
デヴィッド・フィンチャー版のOPは、レッド・ツェッペリンのヒット作『Immigrate Song』のアレンジだ。
七つの大罪をモチーフとした猟奇殺人を描いた『セブン』もそうだが、本作のOPも洗練されており、キーボードと炎の不死鳥が効果的に使われている。
ゴシックホラーにサイバーをかけたイメージで、黒がこれほど際立つ映像も珍しい。
レッド・ツェッペリンのライブ映像はこちら。
70年代のバンドとは思えないほどクールで、スタイリッシュ。
ロバート・プラントも神がかってます。
参考 ロック史に残る叙情詩 『天国への階段』 レッド・ツェッペリン
初稿 2012年1月31日
ウォールのPhoto https://www.youtube.com/watch?v=et6Zr9ZoR9Y