池上遼一の『砂時計』
作品の概要
池上遼一の短編に『砂時計』という作品がある。
ページ数にして、60ページほど。
『男組』や『サンクチュアリ』のように、世に広く知られた作品ではないが、読後の酩酊感が半端ない秀作である。
砂時計 Kindle版(池上遼一)
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物語
主人公は、売れっ子ホストの『ケンジ』。
いつも裕福な女たちに買われているケンジは、気分転換に「一時間=10万円」という人気のデリヘル嬢をホテルの一室に呼び寄せる。
やって来た女の子は、妖精みたいに可愛いユイちゃん。
自分も身売りしているケンジは、たくさんの客を取っていることを匂わせる彼女の言動から、つい苛立ち、乱暴にしてしまう。
ユイは直ちにボディガードの男を呼び寄せ、一瞬、緊迫するが、ケンジがもう5万追加で支払うことを申し出たこと、ボディガードの男が歌舞伎町でもひときわ目立つケンジに憧れていたことから(同性愛者と思われる)、男は「いつも買われている人間がたまには買う側にまわって、相手をオモチャにしたい気持ちは分かるけど……やさしく扱ってあげてよ」と理解を示し、いったんその場を立ち去る。
その後、ケンジとユイは結ばれ、心を通わせる。
一方、二人のデート現場を憎悪の眼差しで見つめる一人の女がいた。
「不良債権処理で暴力団と組み、ボロ儲けしている」と噂のやり手の実業家(独身)だ。
自称『ママ』という女は、ケンジに多額の金をつぎ込み、ケンジのナンバーワンに貢献している。
ゆえにケンジもママには逆らえず、電話一本で呼び出されてはホテルで奉仕している。
それもプロの仕事と割り切り、適当に相手しているケンジだったが、ある夜、歌舞伎町でユイの写真を手に探し回る中年サラリーマンに出会い、運命の歯車が狂い出す。
見た目とは裏腹に、ヤクザに売られて苦しんでいるユイの心情を知ったケンジは、この世界ではタブーとされる行為に打って出る。
金で買う買う女
この作品の要は、なんと言っても、リンカーン・コンチネンタルに乗る、気持ちの悪いオバハンだ。
よほどの金持ちらしく、ケンジにも「今度はなにが欲しい? 新しい車? なんでも買ってあげる」と、お股にスリスリ。
絵柄から、年齢は40代か、頬はたるみ、下腹もぶよぶよで、お世辞にも美しいとは言いがたい。
しかも脱ぎ捨てられたパンツのデカくて、臭そうなこと。(池上先生の描写に脱帽。こういうコマを描かせたら日本一)
よくこんな女と寝る気になるなーと思うけど、そこはさすがに人気ナンバーワン・ホスト。
「ねえ、ケンジ、ママだけを愛していると言って……お願い」とねだられたら、口先だけでも「愛してるよ……」と返事する、素晴らしいプロ精神。
それをまた真に受けて、明日に希望を持つオバハンは、哀れというより、もはや滑稽で、金で愛を買う女の寂しさを感じさせる。
↓こんな目で見つめられても「愛しているよ」と言えますか(^_^)
つかの間の恋と永遠刻刻
つかの間、心を通わせたケンジとユイだが、その恋は砂時計のように儚く終わることになる。
この作品の秀逸な点は、結末を匂わせる形で終わっているところだ。
それを仄めかす場面が、ユイの父親を襲う悲劇である。
あの場面を読んだ読者は、ケンジとユイにも同じ悲劇が訪れることを予感する。
ゆえに、砂時計のような儚さがいっそう深く心に刻まれるのだ。
『砂時計』というモチーフに描かれるホストの悲哀と女の醜悪さ。
あっという間に読み終わる小品ではあるが、読者もまた、砂時計のような儚さを味わえるのではないだろうか。
【創作コラム】 ドラマトゥルギーとしての砂時計
本作には『砂時計』の他に、『キス』という小物が登場する。
「娼婦もホストも、身売りはしてもキスはさせない」という謂れの通り、ユイも最初の出会いではキスを許さないし、ケンジもママにぶちゅーとやられると激怒する。
キスにはそれだけ特別な意味があるからだろう。
それだけに、物語の終盤、「キス」のエピソードが美しく感じる。
ケンジもユイも、売り買いとは関係なしに、心を通わせたことが窺えるからだ。
それがまた終わりの合図でもある。
中盤、ママに無理矢理、唇を奪われ、思わず突き飛ばしてしまうケンジの態度からも、これが最初の引き金と分かる。
恐らく、ママの殺意も、その瞬間に決まったのだろう。
あとは砂時計が落ちるが如く、一直線である。
世の中には、陰湿な女、ヒステリックな女、被害妄想の女、等々、厄介な女が多々存在するが、わけても一番面倒なのは、金をもった女だろう。
平素、社会で抑圧されているだけあって、金をもつと、男よりも支配的になる。
男は金をもつと権力を欲するが、女の場合、愛を求めるからだ。
しかも、これはビジネスと頭で分かっていても、本気で愛し愛されているような気分になるから始末が悪い。
むしろ女の方がホスト狂いになるのも、男のように遊びで割り切ることができないからだろう。
ゆえに、ケンジも、ホストの世界に足を踏み込んだ時から、その結末は決まっていたようなものだ。
決して悪人ではないけれど、「金で愛を買う女」に目を付けられた時点で、ケンジの人生も砂時計のように終わることを運命づけられていたのである。
そんな砂時計みたいな人生の中で、つかの間出会った、砂糖菓子みたいな恋。
その憧れを『キス』という行為に込めた、素晴らしいドラマ作りだ。
漫画家でなくても、このセンスは見習うべきである。
↓ ケンちゃん、格好いい。この頃の池上先生の絵が一番好きです。
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