耽美傑作集 『肌の記憶』について
池上遼一の耽美傑作集『肌の記憶』は、男と女が繰り広げる、愛と官能のエロティシズムを力強いタッチで描きあげた魅惑の短編集である。
収録作品は、次の7つ。
いずれも1990年代、ビッグコミックに読み切りで掲載された。
1. 水中花 ・・ 若い女性との不倫の顛末を描く
2. ピアス ・・ 診察した美しい人妻の正体は魔性の女だった
3. 魔都 ・・ 上海に夫婦で赴任した雅子の元に一人の少年が召使いとして送り込まれるが、少年の正体は……
4. 夕雨子のころ ・・ 売れない漫画家村田の美しい恋人・夕雨子に目を付けたSM雑誌編集長が依頼した仕事とは……
5. 泉の淵 ・・ 深手を負った武者を一人の女が介抱するが……
6. 鬼火 ・・ 戦火の折、古寺に居合わせた修行僧と身寄りのない娘は互いに温めあうが……
7. 肌の記憶 ・・ 老人から妻の捜索依頼を受けた興信所の東は不思議な出来事を体験する
当時、看護師だった筆者は、夜勤の友にビッグコミックを愛読していたが、その一冊に掲載されていた『魔都』に度肝を抜かれ、単行本化を機会に購入した次第。
現在、Kidle版で入手可能なので、興味のある方はぜひ。
池上遼一 耽美コミック傑作選 肌の記憶 (ビッグコミックススペシャル) Kindle版
水中花 ~若い女との不倫を描く
真面目な銀行課長の主人公は、若い女子行員の彩花と肉体関係をもつようになる。
妻にはない激しさに惹きつけられ、彩花との情事に溺れるが、ある晩、彼女に求められるがままに首を絞め、ついには死に至らしめてしまう……。
妻帯者の秘めた情欲や保守的な狡さ、たちがたい誘惑など、中年男性の心理を生々しく描いた傑作。
ピアス ~男を狂わせる魔性の女
産婦人科医の園井の元に、恐ろしく顔立ちの整った上流婦人の夕子が診察に訪れる。しかも、婦人の秘所には、鍵付きのピアスが光っていた。
後日、夕子の夫で、大学時代の先輩である田中に再会するが、園井は夕子の魅力に抗えず、肉体関係をもってしまう。
だが、その最後は意外なものだった。
夫をして「魔界の生き物」と言わしめる、夕子の妖艶な魅力が全編に漂う。
煩悩に取り憑かれた後輩を呪って、田中があの世からつぶやく、「ふふふ……苦しみたまえ、園井くん」の最後の一コマが、いかにも池上遼一らしい。
魔都 ~少年との官能の果て
国家の一命を背負い、開発中の上海に赴任した菊野夫妻は、上海の影の支配者である劉大人の盛大なもてなしを受けるが、上品な妻の雅子はそこで繰り広げられる卑猥なショーに眉をひそめる。
そんな雅子に劉大人が送って寄越したのは、病死した息子に瓜二つの少年だった。
最初は少年に奉仕させることに躊躇していたが、夫不在の淋しさから、雅子は少年を求めるようになる。
ところが、雅子は少年の正体に気付き……
最初から最後まで『魔都』のタイトルにふさわしい、陰鬱な雰囲気の漂う異色作。
母子相姦を想起させる衝撃的、かつ官能的な描写に圧倒される。
池上氏の作品には、しばしば中国や本国のキャラクターが登場するが、劉大人も典型的な中華キャラで、不気味な存在感がひきたつ。
また上流階級・雅子の上品な顔の向こうに見え隠れする秘めた欲望がなまめかしい。
夕雨子のとき ~覚悟を決めた女の強さ
売れない漫画家の村田は、麻雀の賭けの肩代わりに、恋人の夕雨子をSM雑誌編集長でカメラマンでもある黒崎に差し出す。
黒崎は、伊藤晴雨の世界に取り憑かれ、幻の屏風絵「雪責めの折檻」を再現しようとしていた。
黒崎に犯され、身も心も傷ついた夕雨子は村田に「一緒に死のう」と言うが、村田は「ごめん」と謝るだけだ。
村田の優柔不断に痺れを切らした夕雨子は、ついに村田の元を去り、大女優への道を歩み始める――。
開き直った女の強さと秘めた情熱を哀しいタッチで描いた秀作。
おぼこい田舎娘が、一本の煙草をきっかけに未練を断ち切り、一人の女に生まれ変わって、のし上がって様が素晴らしい。
泉の淵 ~死と幻影
瀕死の重傷を負った落ち武者と、泉に棲むという大蛇の化身が繰り広げる、詩的でエロティックなラブロマンス。
鬼火 ~修行僧の煩悩
ある吹雪の夜、戦で滅ぼされた村の外れの一軒家に、修行僧が一夜の宿を求めて転がり込む。
だが、そこにはすでに泥だらけの美しい娘が息を潜めていた。
「私をお抱きくださいませ。このままでは二人とも凍えて死んでしまいまする」と哀願する娘に同情した修行僧は、慈しみの気持から娘を抱擁するが、翌日、身なりをととのえ、菩薩のように美しく変身した娘の姿を目にすると、僧は肉欲にかられるようになる。
だが、その後、娘は若い武士と恋に落ち……
煩悩にとりつかれた修行僧の破滅。
鬼火のような欲望を描いた印象的な短編。
肌の記憶 ~妻がなければ、わたしはだめになってしまう
興信所の東の元に、一人の老人がやって来る。
老人は妻の写真を差し出し、「どうしても妻を見つけてもらわないと、わたし、だめになってしまうでしょう」と涙を流して哀願する。
東はしぶしぶ調査を始めるが、意外な結末が待ち受けていた。
勝目梓の解説『完結と象徴性』
巻末に収録されている、勝目梓氏の解説です。
ひとくちに耽美と言い、幻想と呼びますけれども、その世界に読む者を引き込むのは、書き手としては至難の業なのです。特にセックスをテーマにしてそこに挑むとなると、なおさらのことです。私自身も、性の言い知れない魔力に取り憑かれて破滅したり、心に深い傷を負ったりする人間の姿に心を惹かれて、それをテーマにした小説をいくつか発表しています。それだけに池上さんの仕事の難しさが、身に染みてわかります。
≪中略≫
ここに集められた作品のどれを取っても、語られている事柄には、人間の存在にかかわる底深いテーマと、大きな物語性が含まれています。けれども、作者はそれを情念のフレームの中に引き据えて、見事なほど簡潔に、象徴的に描き出しているのです。読む者の胸を打つ力が強いのは、そうしたシンプルで象徴的な表現方法によるのだと思います。そして私は、それこそが劇画の魅力的な特性なのだということを、遅ればせながらあらためて納得したのです。
一般に『劇画的』という言い回しは、ストーリーの飛躍や、いたずらに刺激を強調するところなどを突いて貶める場合に使われることが多いようです。しかしそれが、物語の語り口の意図的な単純化や象徴的な表現までを十把一絡げにして言われているとしたら、これは大きな見当違いと言わなければなりません。、
粗雑や薄っぺらは技術の拙劣さ、志の低さの現れでしょうが、簡潔で象徴的な表現手法は、それを意図しない限り実現させることはできません。そして、この二つは、あらゆる表現にとって大きな美質となるものです。
その美質を手に入れるためには、表現者は技術を磨くのは当然のことですが、同時に抑制を保つために禁欲的にならざるをえないのです。
おしなべて人は、何かを言おうとするときは欲張りになりがちです。表現行為で禁欲的になろうとすれば、どうしても何かを断念したり、捨て去ったりしなければなりません。断念したもの、捨てたものはしかし、消え失せることはなく、形を変えて当人の心の中になお残ります。行ってみれば、欠陥によって生じる抑圧のようなものでしょうか。抑圧は当然、エネルギーを生みます。
簡素で象徴的な劇画の表現が大きなパワーを発揮するからくりは、実はそうした作者自身の心の中の、欠損と抑圧にあるのではないか、と私は考えているのです。
【コラム】 禁欲と抑制の隙間からあふれ出すエロス
勝目氏の言う通り、どんな表現者も、大なり小なり「欲張り」なところはある。
映画でも、マンガでも、自分が言いたいことを詰め過ぎて、くどくどした印象を与えてしまうのだ。
エロティックな描写も同様。
ボインも、絡みも、いちいち描かなくていいのに、「どうせ、お前らは、コレが好きなんだろう」と言わんばかりに、誌面いっぱいに見せつけられたら、かえって興ざめする。
読者は、エロティックな雰囲気を味わいたいのであって、絡みが見たいわけではないからだ(それが目的なら、最初からAVを見る)。
池上氏の短編にも男女の絡みは登場するが(時に過激なほど)、AVみたいに開き直ったエロではなく、襖の孔から覗き見るようないやらしさがある。
それを醸し出しているのは、「だめよ、だめよ」の禁断の叫びだろう。
金髪ビキニのポスターより、和装の女性の襟足に色香を感じるように、最初からあけっぴろげなものに、人が心惹かれることはない。
不思議に思うかもしれないが、本物のエロスは、いつだって禁断や抑圧と背中合わせなのだ。
ヘビのような情欲を、絹の袋帯でぎゅっと締め上げ、表面は貞淑な上流夫人を装ったりする。
禁欲と抑制の隙間からあふれ出すような情欲こそ、池上エロスの骨頂だ。
そして、私たちは誰もが大なり小なり、そうした情欲を秘めている。
池上画伯は、私たちが見たいものではなく、見たくないものを描き出す絵師である。
日本文学の名作を官能的、かつダイナミックに描く池上氏の傑作選。特に芥川龍之介の『地獄変』は圧巻。
つかの間の恋と永遠の刻 池上遼一の短編『砂時計』
人気ホストとデリヘル嬢の恋を『砂時計』というモチーフに託して描く、儚くも美しい物語。
バブル期の日本の強みと若者への願いを描く 劇画『サンクチュアリ』 池上遼一 / 史村翔
武論尊でお馴染みの史村氏と組んで描く社会派バイオレンスの傑作。社会の表と裏からサンクチュアリに挑み、日本の大改革に挑む北条と浅見の挑戦は権力を突き崩すのか。最後まで目が離せない骨太のストーリーは必見。