映画『シンドラーのリスト』 あらすじと見どころ
あらすじ
ポーランドのクラクフがドイツ軍によって占領されると、ドイツ人実業家のオスカー・シンドラーは、ホーロー容器工場を設立し、一儲けを企む。
ユダヤ人を安価な労働力として雇い入れ、ドイツ人将校らにも取り入って、事業も順調に成長するが、クラクフ市内で繰り広げられるユダヤ人虐殺を目の当たりにするうち、シンドラーの心境に変化が訪れる。
工場で働くユダヤ人の命を救うため、シンドラーは従業員リストを作成し、ドイツ軍に連行されないよう計らうが、クラクフ・プワシュフ強制収容所の所長アーモン・ゲートは、容赦なくユダヤ人を捕らえ、シンドラーの工場も例外ではなかった。
果たしてシンドラーは全ての人を救うことができるのか……。
見どころ
本作は、ユダヤ人虐殺の現実を生々しく描き出し、世界に歴史的悲劇を再認識させた、記念碑的な作品だ。過去にも、ユダヤ人虐殺をモチーフとした映画は存在したが、本作は、戦争史料や元囚人らの証言、記録ビデオなどに残された史実をリアルに再現し、当時を知らない観客にも疑似体験させた点で、映画史に残る作品となっている。胸に迫るような演出は、『ジョーズ』や『ジュラシックパーク』で映画ファンを戦慄させたスピルバーグ監督ならでは。
虐殺の場面では、モノクロ映像を効果的に取り入れ、映画というよりは、歴史フィルムのようなテイストに仕上がっている。
『スターウォーズ ファントムメナス』や『96時間』など、アクション映画でお馴染みのリーアム・ニーソンもこれが出世作となり、英雄でもなければ、聖人君子でもない、人間シンドラーの内面を、ユーモアを交えながら好演。特に、女性秘書の面接の場面は有名。
アーモン・ゲート所長を演じたレイフ・ファインズの切れっぷりも凄まじく、メイドとして雇われたユダヤ人少女の恐怖がひしひしと伝わってくる。
第二次大戦の記憶も薄れつつあるので、若い世代にも一度は観て欲しい、歴史ドラマの傑作。
※ チップス食べながら寝そべって見る系の映画ではないので、気合いが必要です。
全編のムービークリップはこちら(オリジナル版・字幕なし)
http://j.mp/1BcYBIn
映画情報
シンドラーのリスト(1993年) - Schindler’s List
監督 : スティーブン・スピルバーグ
主演 : リーアム・ニーソン(オスカー・シンドラー)、ベン・キングスレー(ユダヤ人会計士イザック・シュターン)、レイフ・ファインズ(収容所の所長アーモン・ゲイト)
【動画で紹介】 戦争と暴力 ~クラクフで何が起きたのか
以下、印象に残った場面をピックアップ。
クラクフ・プワシュフ強制収容所の所長に就任したアーモン・ゲイトは、鹿狩りのように囚人を狙い撃ちする冷酷非情な男だ。
「設計上の問題から、このまま工事を続けては危険です」と進言したユダヤ人女性のエンジニアを、それだけの理由で射殺してしまう。
シンドラーの心の変化を表す、象徴的な場面。
全編モノクロの中で、赤いドレスを着た少女だけが強調して描かれる。
少女の悲劇を追うように、シンドラーの心も揺れ動く。
クリップには収録されてないが、次にシンドラーが目にする時は、少女は遺体を運ぶトラックに乗せられている。
労働力にならない子供を「処分」するために、ピクニックに連れて行くと称してトラックで運び出す場面。
真実を知らない子供達は楽しくはしゃぎまわり、事に気付いた母親らは狂ったように後を追いかける。
胸の引き裂かれるような史実である。
ユダヤ人一家が連行される場面。
最後の祈りを捧げると、家宝である宝石類を飲み込む。
本作には、サスペンスの要素もあって、オスカー・シンドラーは、一人でも多くのユダヤ人を救うために、ドイツ将校の前で道化も演じなければならない。
もし、彼がユダヤ人に同情的で、命を救う為にリストを作成していると知れたら、事業は取り潰し、シンドラー自身も厳罰に処させるからだ。
ここでは、猛暑の中、移送列車に閉じ込められ、脱水状態の囚人らに水を与えるため、シンドラーがわざと悪人を演じ、「もっと囚人を痛めつけてやれ」とホースで水をぶっかける。
将校らはゲラゲラ笑い転げるが、車両から滴り落ちる水が囚人らを救う。
こちらは、唯一、笑いを誘う場面。
女性秘書を選ぶにあたり、シンドラーの態度の違いが面白い。
こちらはネタバレ動画になりますが、シンドラーに救われた人々の子孫は、これだけの数に上るということ。
「人ひとり」とはいえ、命の重みは大きい。
現在のクラクフ・カジミエーシュ地区(ユダヤ人街)は、お洒落な郷土料理の店や土産物屋が立ち並び、このような悲劇があったことを微塵も感じさせません。
ここは外国人観光客のツアーとしても人気で、歴史ガイドからは、第二次大戦中の生々しい出来事を聞くことができます。
イツァーク・パールマン演奏の主題曲とサウンドトラック盤
『シンドラーのリスト』のサウンドトラック盤は、イスラエル出身の世界的ヴァイオリニスト、イツァーク・パールマンをソリストに迎え、ジョン・ウィリアムスによって作曲されました。
テーマ曲は非常に有名なので、映画を見たことがない人も、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
まるで鎮魂歌のようなメロディが心を揺さぶります。
Spotifyでも全曲視聴することができます。
オフィシエンチム戦争博物館(アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所)について
ナチス・ドイツによる絶滅計画(ホロコースト)と、ユダヤ人虐殺の史実は、ポーランド・オフィシエンチムにある『オフィシエンチム戦争博物館』で厳重に保管されています。
日本で一般に知られている「アウシュビッツ」の呼称はドイツ語読みであり、オフィシエンチムがポーランド共和国での正式な地名となります。
史実に関しては、以下のリンクを参考にして下さい。
オフィシエンチム戦争博物館 公式サイト(日本語)
http://www.auschwitz.org/en/more/japanese/
日本国内の情報としては、ツアー会社かニュース記事が圧倒多数なので、あまり参考になりません。
まだWikiの方が理解しやすいと思います。
動画も、『 Auschwitz』もしくは『Birkenau』で検索すれば、たくさん出てきます。
オフィシャルな動画が見つからないので、一番、見やすいものをピックアップします。
映像としてはBBCが見やすいです。旅行ビデオ風ですが、概要を把握するには最適です。
扇情的なナレーションもなく、どの程度の規模であったか、把握できるのではないでしょうか。
こちらは体験者のインタビューを交えた10分ほどのドキュメンタリー。
自動翻訳で字幕も出るので、興味のある方はぜひ。
こちらはあまりエモーショナルにならず、8分50秒ほどで見どころをコンパクトにまとめています。
字幕付きなので、日本語の自動翻訳で視聴して下さい。
日本人ガイド 中谷剛氏の著書と案内
一つの資料としてお勧めしたいのが、戦争博物館で唯一の日本人ガイドである、中谷剛さんの著書です。
アウシュビッツ=オフィシエンチム戦争博物館のガイドといえば、中谷剛さんが有名です。
私も2004年にガイドをお願いしたことがありますが、残念ながらスケジュールの都合がつかず、実現しませんでした。
やはり一度はお話を伺いたい方です。
ガイドの内容をツイートして下さっている方があるので、ご紹介しますね。
※ Twitterの仕様上、ツイートが重複する箇所がありますが、よろしくご了承下さい。
①まず、ここに連れて来られたユダヤ人の4/5は収容すらされずに殺された。そもそも、輸送中には食事など与えられなかったので、お年寄りや子供、病気の人間など、体力のない人は到着した時点で亡くなっていることも多かった。人が人として扱われないという状況を想像してみてほしい。(写真は収容所) pic.twitter.com/yHYjsFQZaP
— Taiga (@ynwataiga) 2019年3月22日
②最初に言葉があった。誰かが街角で発した何気ない差別発言が次第により熾烈なものに変化していき、「人間」という言葉は「害虫」に、「追い出せ」という言葉は「殺せ」という言葉に変化していった。最後、人々は何で殺されたのか、殺虫剤だ。(実際に使用された殺虫剤の空き缶) pic.twitter.com/W3259PcbX1
— Taiga (@ynwataiga) 2019年3月22日
③殺虫剤の毒性は強くない。よって、シャワー室と偽ってガス室に詰め込まれた人達は、長い時間をかけて、苦しみながら死んでいった。繰り返すが、始まりは「言葉」だ。今現在進行形で起きているヘイトスピーチの先には何があるか、考える材料になるはずだ。(実物の殺虫剤) pic.twitter.com/SNvjYSA6If
— Taiga (@ynwataiga) 2019年3月22日
⑤死体は伝染病を防ぐために焼かれ、灰になった骨は、荒野にばら撒かれた。犠牲者の数はあまりにも膨大で正確な数字は誰も知らない。だけど大切なのは、数で考えないこと。そこには1人1人の人生があり、死がある。(並べられた犠牲者の肖像) pic.twitter.com/5r1KUETdYs
— Taiga (@ynwataiga) 2019年3月22日
⑥トラウマを避けるために、ドイツ軍はあまり直接手を下さなかった。囚人同士を競わせ、他の囚人の監視役や、ガス室の管理役などの職についた囚人は個室をあてがわれ、より好待遇を受けた。極限状況における競走は、何を産んだのか。(個室と通常の部屋) pic.twitter.com/JeZSMXse2r
— Taiga (@ynwataiga) 2019年3月22日
⑦そもそも人種を定義することなど不可能だ。「らしさ」ほど疑わしいものはない。大切なのは思い込まないこと、ステレオタイプに人を、思考を当てはめないこと。日本でも同じことが言える。「純粋」な日本人など、空想上の概念でしかない。(ユダヤ人が処刑された壁、今は献花場になっている) pic.twitter.com/T7TobzpNav
— Taiga (@ynwataiga) 2019年3月22日
⑦大衆に迎合することは簡単だ。楽だ。ほとんどの場合安全だ。だが、歯止めの効かなくなった多数派が少数派を切り捨て猛進すると何が起きるのかは、歴史が示している。実際にこの地を訪れた少数派として、自分たちは声を上げていかなければいけない。(今回は20人くらいのグループだった) pic.twitter.com/x52Imz7BuI
— Taiga (@ynwataiga) 2019年3月22日
⑧今、少しでも日本に対して否定的なことを言うと、日本が嫌いなのかと怒られるようになって来ている。そうではない。愛してるからこそ、声を上げなきゃいけない。愛しているからこそ、厳しいことを言わなきゃいけない。甘やかすだけが、抱擁だけが、愛の形ではない。(写真は航空写真) pic.twitter.com/wsPxoz2IGP
— Taiga (@ynwataiga) 2019年3月22日
⑨学び続けることはしんどい。だが、止まったらおしまいだ。中には学ぶことを諦めてしまう人もいる。たくさんいる。でも、ここにいるってことは、まだ学び続けるエネルギーがあるということだ。それこそが希望。それこそが未来。(曇天の中始まったツアー、最後に少しだけ晴れた) pic.twitter.com/5FlwIbJljg
— Taiga (@ynwataiga) 2019年3月22日
⑩ここ5年間、毎年アウシュビッツを訪れる人の数は増加していて、毎年過去最高を更新している。若い世代が学ぼうとしている証だ。希望はある、自分たちはより良い社会を創っていける。そう信じたい。信じている。だからやっている。(同じグループには10歳の少年がいた) pic.twitter.com/huF66jkfp1
— Taiga (@ynwataiga) 2019年3月22日
以上。拙いまとめですが、読んでくれた人ありがとうございました。ちなみにアウシュビッツ公式が日本語で高須克弥さんに送ったリプには一切関わっていないそうです。ポーランド、本当にいいところだから高須さんもみんなも是非遊びに来た方がいいよ!
— Taiga (@ynwataiga) 2019年3月22日
中谷さんは本当に素晴らしい方です。
在ポ日本人の鑑のような方です。
今、社会思想的な活動している人に対して、すぐ右だ、左だと決め付けて、揶揄する風潮がありますが、皆が皆、○○党や○○主義にかぶれて社会活動に身を投じるわけではありません。
中谷さんのように、歴史に対する疑問、怒り、人類としての責任感から、こうした仕事に献身する人もあります。
ホロコーストを次世代に伝える―アウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして
目次は次の通り。
アウシュヴィッツ博物館へようこそ(過去を見つめる目)
ユダヤ民とロマ・シンティ(虐殺の対象となった人たちの今)
「いじめっこ」と」「いじめられっこ」(ポーランド人のジレンマ)
アウシュヴィッツを生き抜いた人々(苦悩と勇気)
過去と未来の架け橋(国際青少年交流の家)
現在進行形の教科書問題(歴史の認識)
国民記憶員(歴史の記録と清算)
アウシュヴィッツを守る人々(未来への期待)
第二部 写真で見るアウシュヴィッツ強制収容所
ポーランド国立アウシュヴィッツ・ミュージアム所蔵の、1939年から1945年にわたる歴史的写真61点で構成
第三部 アウシュヴィッツ・ミュージアム
アウシュヴィッツ=ビルケナウ国立博物館
ここが強制収容所だ(地獄の入り口)
絶滅計画の展示
収容所の生活
生体実験
死のブロックと処刑の庭
ロマ・シンティの悲劇
ソ連戦争捕虜
ポーランドはそのとき
神の試練か
ガス室と焼却炉
ビルケナウ(死の門、生死の選別から大量虐殺の現ばまで、女性収容所としてのビルケナウ、検疫隔離収容所、等々)
あとがき
ひとり旅のための簡単ガイド
中身はこんな感じ。
冒頭の紹介文が良いです。
ソ連の衛星国といわれていたポーランドに、フランクフルト経由で入国したのは1987年、僕は二十歳だった。「東側の人々」――そんなイメージを持って乗車した国際列車のコンパートメントで出会ったポーランド人は皆、人なつこくやさしい人だった。
(なんやー。普通の人ばかりやないか)
ちょっと拍子抜けした。日本のテレビや新聞で知った印象とはだいぶ違う。言葉もわからないのに皆、ひ弱な学生の僕を助けてやろうと懸命なのだ。ポーランド訪問の目的は、小学校六年生のときに聞いた、あのアウシュヴィッツへ行ってみることだった。「よそ者」という一言がずっと僕の脳裏に居座っていたからだ。クラクフからオフィシエンチム(アウシュビッツ)まで一時間あまり。フランクフルトからの国際列車で知り合ったポーランド人夫妻が手配してくれたタクシーで、麦畑の中の道をひた走った。
強制収容所の跡地で感じた死の気配は強烈だった。果てしなく広大な土地を歩いていると、背中に無数の魂がかぶっさってくるような錯覚さえ感じた。当時、そこで何が展示されていたのかもほとんど覚えていない。
大学卒業後、ある医療用ベッドメーカーに営業マンとして就職した。そのころ世界は急速に変化しつつあった。1989年にはベルリンの壁が崩壊した。ワルシャワでは体制の転換を協議する円卓会議が開かれていた。こうしたニュースを見ていると、自由を求めるポーランド人たちと片言の英語で情報交換した1987年の感動が蘇ってきた。
「なんで、ポーランドなんかに行くの?」
心配する両親の問いにはうまく答えられなかった。理由がなかったわけではない。言葉で表現できない。胸元を突き上げられるような欲求をどう説明してよいかわからなかった。現地の言葉や習慣もほとんど知らない「よそ者」でもそこで生きていけるのだという実感を味わいたかった――などと説明したら、今でもほとんどの人は(おまえ、アホちゃうか!)と思うに違いない。
≪中略≫
しかし、条件が整ったことと(永住許可を取得するまでの経緯)生活能力があるということはまた別である。出口のない暗闇の中といった感じでまったく進歩のない語学力――。
「十年もやればできるようになるよ」という慰めとも皮肉とも受け取れる地元の人の言葉に、いくどとなく落ち込んだ。
最初の三年間は周りが笑うときも意味がわからず、問われる内容にも答えられない仔犬のような生活を過ごした。小学校三年生の時の沈黙体験が、ここでは免疫として役立った。きちんとした生活をしてゆくためにもポーランド語を習得しなければならない。そのためのハードルとして国家資格の取得を目指した。日本では長らく車を運転していたが、あえてポーランド語で筆記試験を受けて、こちらの運転免許を取得することから始めた。通訳ガイド資格にも挑戦した。そうすれば講習会でポーランドの歴史が学べる。それに、通訳ガイドはなんといっても県知事免許の資格である。要するに動機は「言葉と生活」だった。
アウシュヴィッツ強制収容所の跡地は1947年以来国立博物館となっている。学生時代の体験から七年近く経った1994年にやっと再訪した。以前に感じた死の気配は消えていた。目的が違っていたからかもしれない。
僕とアウシュヴィッツは不思議な再会を果たした。その後公式ガイドの資格を取得して今日まで、僕がアウシュヴィッツから得たことは限りない。本書ではそれを、みなさんい紹介してゆきたいと思う。
こちらは2012年にリニューアルされた、増補版です。
私は旧版を持っていますが、どちらも読み応えがあります。
なぜアウシュビッツは『人類最大の罪』と言われるのか
アウシュビッツが人類最大の罪といわれる所以は、「数百万人が殺されたから」とういだけではありません。
真の恐ろしさは、行為そのものより、「同じ人間によってなされたことであり、誰もが明日からでも虐殺者になりうる、という点にあります。
たとえば、絶滅計画に関わり、裁判の模様が全世界に中継されて、哲学者ハンナ・アーレントに『悪の凡庸さ』と言わしめた、アドルフ・アイヒマンは、普通の小役人でした。
マッドマックスのような極悪人でもなければ、スターウォーズのパルパティーン皇帝みたいに冷酷な支配者でもない、戦争がなければ、書類に判子をつくだけで一生を終えたような、一般市民です。
ところが、戦争のような異常な状況になると、誰も文句も言えず、「命令されたからやった」と、機械的に加担するようになります。
家に帰れば、良き父親、良き夫である人も、軍服を着て、命令されれば、虐殺する側になるのです。
それは軍人に限った話ではなく、市民も同じです。
目の前で、多くのユダヤ人が連行され、殺害されていたのに、誰も止めることは出来ませんでした。
時には、群衆が怒りや不満を爆発させ、同じ市民を手にかけることもあります。
私たちは皆、そうした危うさを抱えており、例外は存在しません。
命令する側になるか、される側になるかの違いであって、我々は、いつまた同じ過ちを繰り返すかしれません。
これはナチス・ドイツや、オフィシエンチムの一地区に限った話ではなく、全人類に共通する誤りなのです。
アイヒマンの裁判を傍聴した哲学者アーレントは極悪人のイメージとは異なる、小役人のような人柄と証言に衝撃を受ける。大衆の思考停止によって歴史的悲劇が繰り返されることを『悪の凡庸さ』と説き、考えることの大切さを訴える。
なぜ戦犯は裁かれねばならないのか ~映画『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』
アルゼンチンに潜伏するアドルフ・アイヒマンの逮捕に執念を燃やすドイツのフリッツ・バウアー検事。なぜ戦犯を裁かねばならないのか、バウアーの理念を解説。
アウシュビッツ収容所の写真
囚人棟の洗面所。ここで顔を洗い、情報交換も行われたとのこと。
映画にもしばしば登場する囚人棟のトイレです。ここに子どもが隠れた場面は有名ですね。
衰弱した囚人が穴から落下することも少なくなかったそう。
囚人たちに割り当てられたベッド。夏はともかく、冬は到底、過ごせるものではありません。
多くの囚人が射殺された死の壁。多くは、ろくな裁判も受けられず、問答無用で処刑されました。
女性はみな髪を切られ、その髪は工業製品などに使われました。
囚人が携帯していたカップなども没収され、軍需品などに転用されたり、加工されました。
ここに送られた囚人の多くは、また別の場所に移送されるか、強制労働させられるだけだと希望を持っていたそうです。
最後は、輸送列車を降りた所で区分けされ、ガス室送りになりましたが。
ポーランド国立オシフィエンチム博物館 公式サイト
http://auschwitz.org/en/
ドキュメンタリー映像。フランス語ですが、囚人棟、ガス室、焼却所など、収容所全体を4分弱の映像にまとめています。
ポーランド国立オシフィエンチム博物館で唯一の日本人ガイド、中谷剛さんによるガイドの模様。
関連記事
アウシュヴィッツの記録に興味をもったら、ぜひこちらの記事にも目を通して下さい。
ポーランドの政治犯として収容され、長年、国立戦争博物館の館長を務められた、カジミエシュ・スモーレン氏の寄稿です。
カジミェシ・スモーレンの序文より ~アウシュヴィッツ強制収容所について
初稿 2010年7月28日