ゲティ家の身代金(2017年)
作品の概要
ゲティ家の身代金(2017年) ーAll the Money in the World (金がすべて)
監督 : リドリー・スコット
主演 : クリストファー・ブラマー(ポール・ゲティ)、ミシェル・ウィリアムズ(アビゲイル・ゲティ)、マーク・ウォールバーグ(フレッチャー刑事)
あらすじ
イタリアの下町で、青年ポール・ゲティが誘拐される。彼は世界一の金持ちであり、石油王と名高いジャン・ポール・ゲティの孫だった。
犯人は1700万ドルもの高額な身代金を要求するが、ゲティ翁は「ポールのために身代金を支払えば、他の孫にも危険が及ぶ」と拒否。ポールの母、アビゲイルは、犯人グループのみならず、頑固で、怪物みたいな祖父とも戦うことになる。
一方、ゲティ翁の素っ気ない態度に業を煮やした犯人グループは、ポールの耳を切り落とし、新聞社に送りつけるという凶行に出た。
さすがにゲティ翁も知らん顔はできず、身代金の支払いに応じるが、それも値切って、値切って、節税まで考慮した上での金額。
老人の態度に、アビゲイルも、捜査に当たるフレッチャー刑事も呆気にとられるが、犯人が交渉に乗り気なうちに、ポールを保護しなければならない。
莫大な身代金を携えて、アビゲイルとフレッチャーは、犯人の指定する場所へと赴く。
果たしてポールは無事に生還できるのか……。
見どころ
本作は、最新作『ハウス・オブ・グッチ』で伝記映画作家としての本領を発揮したリドリー・スコットの習作といった印象である。
異星人の侵入と生殖を描く『エイリアン』(1979年)、レプリカントとの死闘を詩的に演出した『ブレードランナー』のインパクトががあまりに強い為、「本職はSFアクション」というイメージだが、『ゲティ家の身代金』では、大富豪ポール・ゲティの歪な内面にフォーカスし、怪物じみた人物像を如実に描き出した。
ゲティを演じたのが、『サウンド・オブ・ミュージック』で素敵なトラップ大佐を演じたクリストファー・プラマーと最後まで気づかなかったほどだ。(ガンダルフと思ってた)
リドリー・スコット監督にとっては、エイリアンも、人間の内面も、大差はないのかもしれない。
正直、物語の要となるアビゲイル(誘拐された3世の母親)が、キーキー、キャーキャーとヒステリックで、あまり感情移入できない嫌いはあるが(ついで言うと、刑事役のマーク・ウォールバーグも大事件に向き合う貫禄がなく、『パトリオット・デイ』や『バーニング・オーシャン』みたいなアクション系の方が引き立つと思う)、とにかく、クリストファー・プラマーの存在感が素晴らしいので、それだけでも一見の価値がある。
終盤のサスペンスも、さすがリドリー・スコットとうならせるようなカメラワークで、誘拐事件の概要を知らなければ、最後までサスペンス・ドラマのようにハラハラドキドキ、楽しめるのではないだろうか。本作に関しては、『ポール・ゲティ三世誘拐事件』について前調べしないことをオススメする。
金持ちとは病気です
身代金の支払いを拒否したジャン・ポール翁の態度について、『冷酷』と感じる人も多いかもしれないが、経営者としては正しい判断と思う。
何故なら、ポールの為に身代金を支払えば、次は他の孫が狙われる。
金になると分かれば、皆が標的になるからだ。
これは「テロリストとは交渉しない」に似ていると思う。
もし人質救出の為に何十億と支払えば、次は別の観光客や市民が標的になるだろう。
それで収まるどころか、ますます凶行はエスカレートし、被害も拡大する。
冷たいようだが、「交渉はしない」。
それ以外に、被害の拡大を防ぐ手立てはないからだ。
そう考えると、ゲティ翁が一代で巨額の財産を築き上げたのも頷ける話である。
人に請われる度に、はい10万、はい20万と、気前よく金をやっていては、山のような財産も一夜で尽きる。
可哀相だが、金はやれない。
その冷酷さがあればこそ、金持ちは富と名誉を守ることができるのだ。
(実際、作中にも、金銭的援助を求める女性からの手紙に丁重に断る場面がある)
ところで、『金』とは何か。
それは目に見えるパワーであり、才能である。
「アカデミー賞」や「社長」といった肩書きと同じ、本来、視覚化されない能力やセンスといったものを分かりやすく数値化してくれる。
「金が全てではない」と言っても、現実には、年収300万円の人より、1000万円稼ぐ人の方が優秀に見えるし、資産100億ともなれば、ちょっとやそっとの努力で達成できない金額だということも分かる。才能は言うに及ばず、運、性格、時流、あらゆる要素が絡み合って、100億という額面を紡ぎ出す。
その本質が分かるから、人は『金』に惹かれ、『金』を追い求めるのだろう。
「高級車が欲しいから」というのは、庶民の儚い願いであり、彼らが欲しているのは、パワーの数値化としての『金額』だ。
その魅力に取り憑かれるのも、彼らが強欲だからではなく、野心的だからである。
何が買えるとか、何が欲しいとか、問題ではない。
さながらゲームスコアのように、貯まれば貯まるほど勝ち。
そういう世界観だ。
だから、アビゲイルのように、母の心情で訴えても、彼らの信条はびくともしないし、たとえ孫一人、命を落とすことになっても、正直、どうってことはない。
それより、せっかく貯めたポイントが目減りする方が心配。
それが本音だろう。
以前、富裕者向けの財テク・ブログで、「金持ちとは病気です。彼らは通帳の数字が増えるのが嬉しくて、嬉しくて、たまらないのです」という一文を目にしたことがあるが、まさに、All the Money in the World (金がすべて)。
庶民には、何の救いにならないかもしれないが、社会の頂点で威張っている人たちは、みな病気なのだと思えば、腹も立つまい。
金持ちになるということは、お金が好きで好きでたまらない病気になる、ということ。
金儲けに奔走するということは、「病気になりますか? それとも人間やめますか?」という世界観なのだ。
ところで、本作では、『ブレードランナー』や『エイリアン』で、革新的な映像を生み出してきたリドリー・スコットが意外な才能を見せてくれた。
それは『伝記映画』というジャンルである。
最近では、『ハウス・オブ・グッチ』が注目され、自作も、ホアキン・フェニックス主演のナポレオンの伝記映画の企画が進んでいるようだが、SF映画の鬼才は、人生の晩年を迎え、伝記映画に新たな活路を見出したらしい。
本作でも、『光』を効果的に使った演出は素晴らしかったし、極限下の人間の内面と恐怖を描き出すことにかけては、右に出る者はないと思う。
本作のポールも、まるでエイリアンから逃げ惑うクルーを彷彿とさせたし。
しばらく、ぱっとしなかったが、ここに来て、エッジを磨き直し、ビシビシと切れのいい伝記映画の制作に乗り出したのは嬉しい。
今後ますます目が離せない監督の一人である。
ちなみに、奇怪なゲティ翁を演じたクリストファー・プラマーは、あの名画『サウンド・オブ・ミュージック』で素敵なトラップ大佐を演じた方と、後日ネットで調べるまで気づかなかったし(ガンダルフかと思ってた(^_^; 人生の最後の最後に、あのような怪演を見せることができて、本当に幸せな役者さんとつくづく思う。
それにしても、『耳切り』の場面は、吐き気がするほど凄かった。
私も拷問場面には馴れているつもりだが、本作の『耳切り』は、圧倒的なリアル感とカメラワークで、他を凌ぐ迫力だった。
さすが、『エイリアン』で腹割きを演出して、世界中を震撼させただけのことはある。
見終わった後も、ゲロが出そうなほど『耳切り』が強烈だった、リドリー・スコットらしい伝記映画である。