長年、子育てコラム『オイディプス王と精神的な親殺しについて』を公開していたところ、「親死ね」「親殺す」というキーワードで訪問者が殺到し、Googleアナリティクスの検索結果が恐ろしいことになったことがありました。
そのエピソードを元に書いた記事がこちらです。
2012年まで、Googleアナリティクスは、ユーザーが使用した検索語を公開していたので、下図のようなデータを取ることができました。
※ 現在は、https化に伴い、全て暗号化されている為、一般のサイトオーナーがデータを取得することはできません。
ちなみに、これはほんの一部です。
子供は夜な夜な、こんなことをスマホで検索していたんですね。
生まれてからただの一度も「親うざい」」「親むかつく」と思ったことがない子どもの方が稀だし、誰でも多かれ少なかれ、「目の前から消えてくれ」と思うものではないでしょうか。
ただ、それが「死ね」「殺す」に発展するか否かは、個々の親子関係によるし、「うざい」「ムカつく」「死ね」「殺す」の表現を言い換えようでも書いているように、子どもの語彙力に起因するところが大きいです。
自分の思考や感情を表現するのに十分な語彙力がないと、二歳の子供みたいに「ママなんか嫌い」「バカ」としか言えなくなるからです。
見方を変えれば、子どもが堂々と反論してくるのは、十分に育って、論理的な思考が可能になったこと、年相応の語彙力が身についた証しであり、本来は喜ばしいことです。
知力も信頼関係もなければ、反論すらできず、突然、襲いかかるか、内に閉じこもって、口も利かなくなるか、どちらかです。
対話があるうちは救いようもあり、子どもが逆らうかといって、決して信頼関係が失われたわけではありません。
「どうぞ、叩くだけ、叩きなさい」と、子どもの精神的サンドバッグになる覚悟と愛情があれば、たいていのことは乗り切れますし、子どもも叩くだけ叩いたら、少しは納得して、自分なりに気持ちの整理を始めるものです。
繰り返しになりますが、子どもが親の愛を理解するには時間がかかります。
本当に末期的とは、どちらかが肉体的にも精神的にも死ぬことを意味するのではないでしょうか。