私が小学四年生の時、「いじめ」について話し合った学級会で、担任教諭が次のように仰いました。
「どれほど友達に腹が立っても、『死ね』『殺す』という言葉は絶対に使ってはいけない。あなたにどんな嫌なことをした人間でも『死んでいい』ということは絶対にない」
しかし、昨今は、「死ね」「殺す」という言葉のハードルがだんだん下がり、子供が読む漫画にも平気で使われています。これだけハードルが下がれば、言葉に対する抵抗もなくなり、やがては行為そのものが軽んじられるのではないでしょうか。
私の持論に「人間は言葉を使うが、やがて言葉が人間を作るようになる」があります。たとえば、ブログやSNSで攻撃的な発言を繰り返していると、たとえ匿名でも、現実の自分に影響を及ぼすようになります。他人に向けた敵意や嘲りの気持ちも同様です。匿名の仮面の下で巧みに言葉を操っているようでも、いずれ自分自身が、自分の発した言葉に支配され、がんじがらめになっていくんですね。
同じように、頭の中で「うざい」「ムカつく」「死ね」「殺す」を繰り返していると、思考もだんだん単純化して、感情も傾いていきます。
いわば人間が言葉に作られるわけです。
偏った思考が日常化してしまうと、そこから抜け出すのは容易ではありません。
だから、早いうちに言語能力を鍛え、心の中のモヤモヤや怒りを明快な言葉で表現できるよう、訓練しなければならないんですね。
人間は朝から晩まで言葉え考え事をします。
今日は何を食べよう、何時のバスに乗ろう、仕事帰りは何をして、友達に会ったら何を話すか、それこそ何百万、何千万という言葉が脳裏に浮かんでは消え、自分という人間を形作っていきます。
もし、あなたが一歳児のように「イヤ」と「欲しい」という言葉しか知らなかったら、どうやって自分の考えや願望を表現しますか?
職場で意見を求められた時、「イヤといったら、イヤ!」では通用しないですよね。
「○○さんは、そう仰るけども、ここ数年の売り上げを見ていると、やはり商品としてのインパクトが弱いのではないかと思うのです。たとえば、こちらのデータにありますように、A社のヒット商品はTVCMよりSNSの口コミを重視して……」
みたいに理路整然と自分の考えを説明するはずです。
その際、語彙は豊かなほど説得力がありますし、的確な言葉を用いれば好感度も増します。「スゴイ」と「イケてる」だけでは、到底、自分のアイデアを大勢に伝えることはできません。
子供の思考も同じです。
たとえば、門限を破ったことで親に叱られた時、自分の気持ちや考えを著す言葉が「うざい、ムカつく」しかなかったら、何も伝わりません。
「いつも門限を守っているのに、一度くらい遅れたからといって、頭ごなしに叱る必要はないだろう。今は友達との交友が一番大事で、抜けたくても抜けられない会合もある。次から気を付けるから、これぐらいは多めに見て欲しい」
のように言えば、
「そんなに友だち付き合いが大事なら、もう少し近場で遊べばどう? あの辺りは夜は物騒だし、何かあったら心配するから、厳しくするのよ」
みたいに会話も進み、今後の方針も冷静に話し合えるはずです。
「うざい、ムカつく、死ね、殺す」しかボキャブラリーがなければ、身体の大きな一歳児と同じです。ぎゃーぎゃー泣くだけで、何がどうなったら満足するのか、相手には一切分かりません。また子供自身も、不満や苛立ちを言語化して、相手とコミュニケーションを図るプロセスを経験しないので、思考が深まることもなければ、他人と理解し合う喜びや達成感を得ることもありません。床に転がって泣き続ける一歳児と同じ、「うざい、ムカつく、死ね、殺す」の四語の中に閉じこもってしまいます。
本来、それを補う為に国語を勉強し、本を読んだり、日記や感想文を書く中で、言語化能力を高めるわけですが、昨今は、本も読まない、起承転結のある文章も書かない、タイムラインに流れてくる短文をぼーっと眺めるだけで、思考や感情を言語化する機会も減っているのが実情です。だからこそ、大人が積極的に話しかけて、子供の気持ちや考えを言語化する手助けが必要なんですね。
イヤイヤ期の子供の場合、大人が言葉で共感したり、物事の順序を示すことで、落ち着くことがあります。
「リンゴより、バナナが食べたいのね」
「先に手を洗って、それから食べようね」
「今はA君の順番だから、もう十分ほど待とうね」
たとえ親の言っていることが完璧に理解できなくても、子供はその場の状況と知っている単語を結びつけ、おおよその意味を感じ取るようになります。大人が積極的に話しかける中で語彙も増えるし、自分の不満や要望を言語化する能力も身に付くわけですね。
十代もそれと同じく、「うざい、ムカつく、死ね、殺す」の言い換えの練習をすればいいと思います。
たとえば、「同級生のA子、ムカつく、殺す」と言えば、何がどうムカつくのか、言葉で説明させるのです。嫌みを言われたなら、なぜその言葉に傷ついたのか、いつからA子と仲違いしているのか、A子はどんな子なのか、どうすれば解決できるのか、思いつく限りを言語化させます。その上で、「A子が存在する限り、心が毎日傷つくから、目の前から居なくなって欲しいわけね」と共感すれば、子供も気の持ち方が変わります。「じゃあ、どうやって距離を置けばいいのか、一緒に考えてみましょう」と促せば、問題が距離の取り方にあることにも気付くでしょう。
そうやって言語化を繰り返すうちに、子供もだんだん気持ちが落ち着いてくるし、言葉にして伝え、理解される手応えも実感します。ほんのちょっとの言い換えで、過激な気持ちも着地点を見出すわけですね。
どんな人も、自分が使う言葉以上のものにはなりません。
音楽や絵画など、言葉以外の表現方法をもっているなら別ですが、言葉にしなくても自分を分かってもらえる人など、ごく一部です。
言語化は生涯必要とされるスキルであり、その入り口となるのは親との日常会話です。
隣近所と交流の多い子供や、おにいちゃん、おねえちゃんに揉まれて育っている下の子の方が言葉を覚えるのが早いのは、日常的に、年齢以上の言葉のシャワーを浴びているからです。
いきなり難しい本を読ませたり、ナントカ法に頼らなくても、意識して言葉を引き出すだけで、だんだん言語化することに慣れていきますし、ネットではなく、プライベートな日記帳に自由に思いを綴るのも効果があります。
「うざい、ムカつく、死ね、殺す」の四語で言い切ってしまうのではなく、様々な単語を駆使して、自分の気持ちや考えを伝える楽しさを知れば、自ずとコミュニケーションのきっかけも広がっていくのではないでしょうか。
言葉はまさに人と人との架け橋です。
周りの大人が言語化の手助けをすることで、「うざい、ムカつく、死ね、殺す」に凝り固まっている子供の気持ちも、だんだんほぐれていくのではないでしょうか。