さようなら、オスカル ~『少女』から『女』へ
オスカルのように生きたい少女時代
私が初めて『ベルサイユのばら』を知ったのは、、小学校四年生の時だ。
テレビの劇場中継で、絵に描いたようなお姫様が大広間の階段を滑るように降りてきて、「マリー・アントワネットは、フランスの女王なので・す・か・ら」と扇を広げるシーンに圧倒されたのがきっかけだ。
↓ 何組の公演かは記憶に無いですが、この場面です。
歴代のマリー・アントワネットのビデオクリップはこちら。
https://youtu.be/Ryi2jV-8DNk
その夏、家族で母の田舎の実家に遊びに行った時、中学生の従姉の部屋に単行本全巻を見つけ、姉と貪るように読破。
(同じ書棚にあったのが、山本鈴美香の『エースをねらえ』。当時の少女漫画読者のバイブル)
その後、ぼーっとしながら道を歩いていたら、農道で車にはねられ、入院。
(地元の警官に、「なんで都会の子が、こんな田舎で交通事故にあうの。僕、警官やって長いけど、交通事故なんて初めてや」と苦笑された)
お見舞いに来た近所のおばさんに、「何か欲しい物はない?」と訊かれ、臆面もなく「ベルばら」と答えたのが、私の「ベルばら道」の始まりである。
(一応、病人ということもあり、全巻を手に入れるのは容易かった)
思えば、物心ついた時から、「オトコ女」と呼ばれ、いつも複数の男の子を引き連れては、男のように振る舞い、男のように遊び、「私は結婚なんてしない。一生、好きな仕事をして、自由に生きる」と広言してはばからなかった私にとって、軍を指揮し、男社会の中で、凜として生きるオスカルはまさに理想だった。
そして、オスカルが、女性にとって一つの天王山である結婚話を蹴り(第六巻)、父のジャルジェ将軍に、「感謝いたします。女でありながら、これほどにも広い世界を……人間として生きる道を……(与えて下さって)」と、自分の運命を受け入れた時から、それが私の志となり、座右の銘になった。
しかし、社会に揉まれ、一人で生活を立てていくことは、決して容易いことではない。
オスカルのように「世間を見たい」と欲を出した温室育ちの花の行方は、赤恥と後悔の連続であった。
それでも己の苦悩に意義を見出し、自身の人生を肯定的に受け止めてきたのは、「オスカルのように生きたい。私も、泣いて、愛して、この世で経験した全てのことに感謝して死にたい」という思いがあったからだ。
もし、この世にオスカルがいなかったら――池田理代子女史が存在しなかったら――意志をもって生きることの価値もそこまで分からなかったかもしれない。
ディズニー映画のヒロインが武器を手にして闘うようになった現代では当たり前でも、私の子供時代は、決してそうではなかったからだ。
オスカルよりマリー・アントワネットに共感する日
ところが、だ。
そうまで憧れたオスカルに、思いがけなく別れを告げる時がやって来た。
結婚して間もない頃。
台所の片隅で、何年かぶりにベルばらの単行本を読み返していた時のことだ。
あんなに大好きだったオスカルに全くときめかず、それまでほとんど興味のなかったマリー・アントワネットに己を重ね見て、滝のように涙を流すようになった。
それどころか、天翔るペガサスのようなオスカルの肩にぽんと手を置き、「無理すんなよ」と声をかける自分がいる。
これは一体、どうしたことだろう。
私は人間が変質してしまったのだろうか?
まったく予期せぬ心の変化に、しばし茫然としながら、もう一度、じっくり読み返してみたが、やはり心を惹かれるのはマリーの方で、オスカルではない。
あんなに好きだったのに、今では遠い夢のように感じる。
一体何が違ってしまったのだろう?
マリー・アントワネットは本当に『囚われの女性』なのか?
私にとって、マリー・アントワネットは、「囚われの女性」だった。
好きでもない男性に嫁ぎ、自由もなければ、自分らしく居られる場所もない。
いつも仕来りに縛られ、偽りの微笑みを浮かべ、女王として生きていかなければならない。
「こうはなりたくない」
それがマリーに対する、少女時代の印象だった。
マリーの生き様は、『運命に翻弄される受け身の女』そのものに見えた。
当時、「自分の生きたい人生を生きる」ということが絶対的正義だった私にとって、好きでもない男性と結婚したり、遊んで、恋して、はたと気付けば断頭台みたいな生き方は、どう見ても、「流された生き方」にしか思えなかったからだ。
しかし、年を重ね、精神的にも、身体的にも、女性という性を体験し、子どもをもって、家庭に入ってみれば、ペガサスのように自由に羽ばたいて生きるだけが「積極的な人生」ではないと分かった。
思うに任せぬ現実と正面から向き合い、身動きが取れないなら、取れないなりに、知恵を働かせる生き方も一つの革命であり、受動の中の積極性だと。
本物の『意志』とは、高らかに宣言されるものではなく、深く、静かに、突き進むものなのだ。
そうした新しい視点から、マリー・アントワネットを読み返してみると、決して「流されっぱなし」ではなく、性根の据わった、闘う女の姿が見えてきた。
それは、オスカルの華やかな闘いに比べて、地味で、物静かなものかもしれないが、それゆえに、ひとたび意思が固まれば、微動だにしない。
お姫さまゆえの愚かさもあったかもしれないが、最後は潔く運命を受け入れ、フランス女王として死んでいったマリーの生き様を思うと、ここにも一人の戦う女がいたことを痛感せずにいられないのである。
ペガサスの羽根より、大地の強さ
思えば、オスカルへの憧憬を胸に抱いて、ひたすら自分の道を邁進していた頃、私は『生きる』ということを頭では理解していたが、肌では知らなかった。
人生は実践ではなく、哲学の対象だった。
『女』と名の付くものであっても、どこか中性的で、本能に目をつぶりながら、訳も分からず突っ走っていたような気がする。
しかし、ある時期を境に、女性の本能に素直になり、「家庭」という一つの地盤にどんと根を下ろしてから、人生は実践になり、母性という生き方が加わった。
母になった今、求められるのは、ペガサスの羽根ではなく、大地の強さである。
そうなって初めて見えてくる、人の強さや美しさがあり、以前は見向きもしなかったマリーの生き方に共感できるようになったのも、世界を『少女』と『母親』の両面から見ることができるようになったからだろう。
そして、そんな変容も、人生の醍醐味であると。
そして、少女は大人になる
一生を、ペガサスのように自由に天翔て生きることは、鼻先がつんと上を向いた少女らの共通の願いと思う。
だが、いずれ、身体の奥深くから女性という『性』が頭をもたげ、天翔る願いとは対称的に、この大地に根ざず生き方を求めることもある。
その時、迷いや戸惑いを感じるかもしれないが、どんな生き方を選ぼうと、わたしは『わたし』。
それまでの自分が否定されるわけではない。
自分が選んだ場所で、精一杯、命の花を咲かせればいい。
一見、縛られたような人生にも、意志をもつ自由は与えられている。
オスカルはアンドレと結婚の約束をして、いよいよこれからという矢先に死んでしまった。
私にとって、オスカルは『永遠の少女』であり、私は「その先」を見てしまった女である。
少女時代の心の友は「ちょっぴり話の噛み合わない女友達」になり、マリー・アントワネットが身近な友になった。
ある意味、オスカルの憧憬にそっと別れを告げ、マリーの哀しみに涙するようになった時、少女は大人になり、豊穣たる女の人生に足を踏み入れるのかもしれない。
初回公開日 2010年5月6日