マリー・アントワネットは愚鈍な王妃だったのか?
最近、コッポラ監督の「マリー・アントワネット」が封切られたり、帝国劇場で涼風真夜さんのミュージカルが上演されたりして、ちょっとしたマリー・アントワネット・ブームになっている。
他にも有名な女王はたくさんいるのに、どうしてマリー・アントワネットだけがこうも女性の心をとらえて離さないのか。
それは栄耀栄華を極め、恋に、お洒落に、全力で生きた結果が破滅だった――という悲劇的人生も大きいが、その悲劇が決して彼女の愚かさに起因するものではないからだと思う。
いろんな伝記を読めば分かるが、マリー・アントワネットは決して極悪人ではないし、犬公方と揶揄されるほど愚鈍でもない。
むしろ聡明で、やさしい魅力にあふれ、天下太平の世であれば、「羽振りのいい、お人好しの夫人」で終っていただろう。
ところが、彼女は最悪の時期に、最悪のタイミングでフランス王妃となり、民主化という巨大な潮流に呑み込まれた。
国境まで50キロ 国王一家の命運を分けたヴァレンヌ逃亡の無念にも書いているように、彼らは問題の本質を見誤り、歴史が彼らを抹殺したのだ。
それだけに、いっそうマリーの美貌や優しさが哀れに感じられ、ただただいたわしいばかりである。
マリーも、ルイ16世も、意図して国民を傷つける気などさらされなく、彼らが良かれと思ってやったこと――「こうだろう」と思っていたことが、現実とは大きくかけ離れ、謝罪や反省ごときで埋められないほど、問題が拡大していたからだ。
そして、その事を、決して愚鈍とは思わないで欲しい。
実際にベルサイユ宮殿に行けば分かるが、広大などというものではない、町一つ、呑み込むほどの敷地に庭園があり、王宮があり、どこからが市街で、どこまでが宮殿なのか、見分けもつかないほどの壮麗さである。
インターネットもTVもない時代、こんな宮殿にじっとこもって、おべっかつかいの廷臣に囲まれ、「国民は幸せか?」「はい、陛下のおかげで、国民はみな喜んでおりまする」などという会話が日常的に取り交わされれば、物事を見誤るのも当然だ。
王制といえども、統治の失敗は連帯責任。
ゆえに、マリー・アントワネット一人が悪政の象徴みたいに攻撃されたことが、いっそう哀れに感じるのである。
マリー・アントワネットの哀しみが心に流れてきた日
私が初めてベルサイユ宮殿を訪れたのは、2002年の初夏だ。
当時はGoogle Mapもなかったので、漠然とした観光パンフレットを頼りに目的地に向かったのだが、行けども、行けども、宮殿みたいなものは見当たらず。
あれほど巨大なんだから、電車を降りれば、すぐに分かるだろう……と舐めてかかっていたのが間違いだった。
何度も、何度も、人に尋ねて、やっと辿り着いたのが、かの有名な正門。
正門というからには、さぞかし立派で大きいのだろうと思いきや、結構、こじんまりとして、意外に感じたものである。
しかし、考えてみれば、どこが正門か、一目で分かるような作りでは、あっという間に敵に侵入され、滅ぼされてしまう。
行けども、行けども、どこまでが市街で、どこからが宮殿なのか、下々には分からないから、「王宮」というのだ。
そうして、案内所でチケットを買い、晴れて、王妃の間や鏡の間に辿り着くことができたのだが、観光ルートを一巡するうち、ここで夢のように暮らし、捕らえられ、最後は無残に首をはねられたマリーの心中を思うと、とても耐えられず、とうとう階段の踊り場で人目もはばからず泣き崩れたものだ。
楽しいことが大好きで、善良な家庭人だった一人の平凡な女性が、死をもって償うには、あまりに荷が大きすぎるように感じたからだ。
美しい内装。
豪華なシャンデリア。
それらを見ていると、「私が一体、どんな悪い事をしたというの?」というマリーの嘆きが聞こえてきそうで、その生涯を知る者には、鏡の煌めきが残酷なほどだ。
日程の都合から、マリーが最後の日々を過ごしたコンシェルジュリーを訪れることはできなかったが、訪れていたら、目が真っ赤に腫れ上がるほど泣いただろうと容易に想像がつく。
民衆に憎まれ、死に値するほどの大罪を犯したとしても、世界にたった一人でも、あなたの為に泣く人間がいてもいいでしょう――
と、きっと日本中のベルばらファンが思っているはず。
*
今も、あなたを見つめ、理解したいと願う女の子が、日本にはたくさんいます。
だから、天国で、いつまでも大輪のバラのように咲き続けて下さい。
38歳 マリー・アントワネットと同じ年齢になる
この世には、その立場にならないと分からないことがたくさんある。
私も、十代の頃は、マリー・アントワネット=浅はか、というイメージがあったが、自分も結婚し、子供を産んで、マリーと同じだけ生きたら、彼女の哀しみも理解できるようになった。
ルイ16世が言っている。
「安全な場所から人を非難するのはたやすいことだ。誰も私と同じ立場に立たされた者はなかった」
マリー・アントワネットのことも、後からとやかく言うのは簡単だ。
誰も彼女と同じ立場に立った人間はなかった。
彼女を非難する者が、同じ責務を背負ったとして、果たして、正しく判断することができるだろうか。
国王一家は、ぎりぎりまで我慢して、ヴァレンヌ逃亡で失敗したが、他の者なら、それ以前にしびれを切らして、内戦状態に陥ったかもしれない。
マリー・アントワネットも、そうなるまで漠然と過ごしていたわけではなく、様々な伝記を読めば、彼女なりに誤解や圧力と必死に戦っていた様子がよく分かる。
夫の16世にも真心から仕え、最後まで子供たちの良き母親であろうとしたことも。
女性にとって、年を取ることは、決して楽しいことではないが、一方で、「いろんな人の気持ちが分かる」というメリットもある。
若く美しい時代は自惚れて、病人や弱者のことなど考えもしなかったが、自分が年老いて、足腰が弱くなり、初めて階段の上り下りにも苦労する人の気持ちが分かるように。
マリー・アントワネットの心情も同じ。
自分が同じ38歳の子持ちになって、やっと見えてきたものがたくさんある。
そう考えると、年を取るのは決して悪くないし、むしろ、人生の途上で、「いつか分かる」というのは、かけがえのない体験ではないだろうか。
人を裁くことは十歳の子供にもできるが、物事を正しく理解するには何十年とかかる。
人が一生かけて身に付けるべき能力とは、想像力と共感ではないだろうか。
フランス王室に嫁いでから、マリア・テレジアとの間に交わされた手紙を読むと、マリー・アントワネットが世間のイメージとは大きくかけ離れているのがよく分かる。マリア・テレジアの母としての気づかい、君主としての教えなど、今も胸に迫るものがあります。
初稿: 2006年12月19日