凶悪犯でも治療する意義
2019年7月、日本を代表するアニメ制作会社『京都アニメーション』の第一スタジオに容疑者Aが侵入し、室内に大量のガソリンをまいて放火、36名が死亡し、33人が重軽傷を負う事件がありました。
Aもまた瀕死の重傷を負い、病院に運び込まれましたが、現行の法制度においては、死刑は免れないと言われています。
多数の犠牲者を出した凶悪犯にもかかわらず、なぜ、最高の医療技術を駆使して、命を救ったのでしょうか。
理由は、二つあります。
一つは、人道的理由。
赤十字の精神と同じで、いかなり理由があろうと――たとえ敵軍の兵士であろうと、テロリストであろうと――医療の現場において、患者は差別されないからです。
たとえ、悪人と分かっていても、目の前に病気で苦しんでいる人がいれば、手を差しのべずにいられないのが人間の本能です。
史上最悪のモンスター患者でも、救急車で運ばれてきたら、全力で救命します。
何故と問われたら、「プロとはそういうもの」としか答えようがありません。
二つ目は、医療人というのは、そういうものだから。
症例が難しければ、難しいほど、全力で治したくなるのが、医療人の性(さが)。
大きな声では言えませんが、学術的興味もあります。
当ケースの治療に成功すれば、他の火傷患者にも技術を生かすことができます。
ある意味、それが容疑者を治療する最大の意義かもしれません。
初期の治療には「人工真皮」と呼ばれる人工皮膚を使用。その後、自分の皮膚組織の一部から培養して皮膚を作り出す「培養表皮」を使って移植する手術を繰り返した。培養に時間がかかるため、その間に人工真皮だけで治療するのは難しく、感染症などへの高度な対策が必要になる。
提供皮膚を使わない条件下で広範囲のやけどを治療するケースはほとんどなく、結果的に初の事例につながった。来年にも学会で発表される見通し。京アニ放火容疑者、全身90%やけど救命困難だった
『ブラックジャック』と死刑囚 ~助けたものを殺すのか?
こういう事件があると、世間はすぐ「死刑にしろ」と口々に叫びますが、要は「死ね」ということですから、もう少し慎重に考えましょう。
放火して人を殺めるのも、殺人犯を死刑にするのも、死を強要する点では同じ。
遺族が口にするならともかく、第三者が軽々しく口にするものではありません。
手塚治虫の漫画『ブラックジャック』に、死刑囚にまつわるエピソードが二つあります。
一つ目は、少年を裁判にかける為に命を救い、結局は死刑にしてしまう『二度死んだ少年』。
二つ目は、義賊に応急処置を施すものの、次に再会した時には獄中で、死刑も確定していたが、約束通り、完璧に手術して、最後には銃殺刑に処されてしまう『約束』です。
特に印象的なのは、『二度死んだ少年』の裁判で、死刑が宣告されると、傍聴席にいたブラックジャックが「この少年はいったん死んだんだ。その死んだ少年をわざわざ生き返らせて助けたんだぞ」と叫ぶ場面でしょう。
京アニ事件の犯人も、全力で治療したにもかかわらず、もし、死刑を宣告されたら、同じような気持ちになるでしょう。
一度助けた者を、再び絞首台に送って、何の意味があるのか、恐怖を思い知らせるのが目的としても、それと贖罪は少し異なるような気もします。
また、『約束』では、「助けられなかった患者の手術代は要らない」と、得も言われぬ思いで処刑場を立ち去るエピソードが描かれていますが、もし、容疑者に死刑判決が下れば、全力で治療にあたった医療スタッフの虚しさも生涯消えることはないような気がします。
「死刑にしろ」と声高々に叫ぶ人には、理解しがたいかもしれませんが、これこそが日本の高度医療を支える精神であり、人間の善性というものです。
1000万円かかったといわれる高額医療費を、誰が負担するのかは知りませんが、たとえ税金から支払われることになっても、決して無駄にはならないと思います。
なぜなら、今度の症例は、必ず将来に役立つからです。
司法は、司法。
人道は、人道。
犯人憎しで、安易に死刑を唱えることが、必ずしも救済になるとは限りません。
むしろ、容疑者にとっては、罪を背負って生きることこそ、死に値するのではないでしょうか。
裁きが確定すれば、そこから先は、人間の領域を越えています。
だからこそ、安易に「死刑にしろ」などと言ってはいけないのです。
手塚治虫『ブラックジャック』 ~『約束』より
V氏は殺人を防止するもっと効果的な方法をずっと考えていると言いました。「どうするかというと、テレビのゴールデン・タイムにやつらを電気椅子にかけるんだ。そうしなきゃならん。電気椅子で死ぬところをやつらに見せる。そうだな、夜の八時くらいに。それで殺人を犯そうと考えているやつが考え直すんじゃないか」
私は死刑を行うことは、他の人と同じように州だって人を殺せることを見せるだけかもしれないと言いました。そこから人々が学ぶことは、誰かとの間にひどい問題を抱えたときは相手を殺すしかないということだけだと。
『デッドマン・ウォーキング』 ヘレン・プレジャン
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