ワーグナー 楽劇『ローエングリン』とペーター・ホフマン ~あらすじと昭和の名盤

目次 🏃

楽劇『ローエングリン』の概要

ワーグナー 苦節と栄光

楽劇『ローエングリン』は、ドイツの作曲家、リヒャルト・ワーグナーの代表作で、1845年8月より台本のスケッチを始め、1848年3月に完成しました。

ブラバント公国の姫君エルザは、将来、国の後継ぎとなる弟ゴットフリートの殺害を疑われ、テルラムント伯ゴットフリートと、その妻オルトルートに告訴されます。

仲裁に乗り出したハインリヒ王は、エルザの名誉のために戦う騎士はないか? と問いかけますが、名乗り出る者はありません。

そこに、白鳥の曳く小舟に乗って、見目麗しい騎士がやって来ます。

白鳥の騎士は、「自分の氏素性を決して尋ねてはならない」を条件に、エルザの為にテルラムント伯と剣を交え、見事に打ち倒して、エルザと結婚します。

ところが、命からがら逃げ出したテルラムント伯とオルトルートは白鳥の騎士に復讐を誓い、新婚のエルザに「あの男は魔法使いだ」と吹きこんで、疑念を搔き立てます。

不安になったエルザは、新婚の床で、とうとう白鳥の騎士に「名前を教えて下さい」と尋ね、結婚の誓いも破られます。

白鳥の騎士は、エルザとブラバントの人々に、「わたしは聖杯王パルシファルの息子、ローエングリンである」と名乗り、その場から去って行きます。

それと入れ違うように行方不明だった弟ゴットフリートが姿を表し、ブラバント公国も救われますが、愛する人を失ったエルザはその場に倒れる……という筋書きです。

*

光のさざ波のように美しいこの曲は、現代では高い評価を得ていますが、完成当時は上演してくれる劇場もなく、ワーグナーは悲嘆に暮れていました。前作『さまよえるオランダ人』と『タンホイザー』が、「長い」「暗い」「難解」と、あまりに評判が悪く、どの劇場も相手にしてくれなかったからです。

しかし、1850年、フランツ・リストとの出会いが、この曲の運命を大きく変えました。

旋律の美しさに感涙したリストは、『ローエングリン』の上演に尽力し、1850年8月28日、自らの指揮によって初演を成功させました。

以後、ワーグナーの名声も徐々に高まり、大作曲家への道を突き進んで行きます。

やがて、ワーグナーの音楽は、理想家で、文化芸術に造詣の深いバイエルン国王ルートヴィヒⅡ世の心も鷲掴みにします。

ワーグナーに魅せられたルートヴィヒⅡ世は、困窮するワーグナーを経済的に支援しただけでなく、バイロイト祝祭劇場の建設にも助力し、ノイシュヴァンシュタイン城をはじめ、数々の歴史的遺産を残しました。一方、ルートヴィヒⅡ世の壮大な夢はバイエルンの財政を悪化させ、ついには廃位を迫られ、シュタルンベルク湖で謎の死を遂げます。
(詳しくは、現実社会と魂の居場所 映画『ルートヴィヒ』(2012年)とバイロイト祝祭劇場の旅行記をご参照下さい)

また、第二次大戦下においても、国民感情の高揚に利用されたように、ワーグナーの音楽には人を狂わせる魅力があり、一般には『ワーグナー中毒』、それに取り憑かれた人のことを『ワグネリアン』と呼びます。

この記事は、1ドル80円時代、バブル期のオペラブームの最中、ワーグナーにはまった一世代前のワグネリアンによる回顧録です。

なお、専門家による詳しい解説は下記URLにて紹介しています。(概要、楽曲の解説、ローエングリン伝説と創作の背景など)
すでに廃盤になったルネ・コロ / カラヤン盤のライナーノーツに記載されていたものです。興味のある方はぜひ。

投稿が見つかりません。

物語

私が所有している、ペーター・ホフマン主演、ジェームズ・レヴァイン指揮 / メトロポリタン管弦楽団のDVD ライナーノーツに収録されているあらすじは、次の通りです。(当方で一部、編集しています)

なお、専門家による詳細な解説は、ルネ・コロ版『ローエングリン』ライナーノーツをご参照下さい。

弟ゴットフリートが行方不明になった経緯とオルトルートの奸計、ローエングリンの定めなど、舞台だけでは分からない前後関係が詳しく紹介されていますので、興味のある方はぜひご一読下さい。

第一幕

アントワープ郊外、シェルデ河畔
(オランダとベルギーにまたがって流れるスヘルデ川のこと)

伝令がドイツ国王ハインリヒの到着を告げる。王は東方遠征の兵士募集にブラバント公国を訪れたのだ。

居並ぶ貴族の中からテルラムント伯フリードリッヒが前に進み出て、公国の後継者問題を訴える。

「前大公の死後、エルザ姫とゴットフリート王子が遺されたが、あるとき姉弟が森へ出掛けた折、エルザだけが独りで戻った。エルザを詰問しても答えはない。エルザが弟を殺したのだ。私は自分と姫との結婚を望んでいたが断念し、ラートボート家のオルトルートと結婚した」と申し出る。そして、後継者の欠けるこの国を自分に与えるように王に訴える。

ハインリヒ王はその訴えから、エルザの裁きをここで行うことにした。召し出されたエルザは何も答えず、ただ、夢見ごこちに、騎士が自分を護るために来てくれる、と語り出す。(歌唱『エルザの夢』)

清楚で汚れないエルザを見た国王は、逆にテルラムントへ疑問を投げかける。

が、テルラムントはひるまず、軍功をも言いたてて退かないことから、決闘で判決することとし、エルザのために戦う勇士をつのる。しかし、誰も進み出ようとしない。

エルザは勇敢で美しく雄々しい騎士の出現を必死に祈る。夢枕に立った騎士の到来を。

そして、ラッパが三度鳴らされたとき、奇蹟が起こった。

白鳥が曳く小舟に乗って、輝くばかりの甲冑をまとった騎士が川の彼方から現れたのだ。

美丈夫の騎士は岸に上がり、白鳥に別れを告げる(歌唱「僕の忠実な白鳥よ、ご苦労だった」)

彼は王の御前にすすみ、私はこの姫を護るためにつかわされた者、姫が私を受けいれてくれるかたずねたいと王に断り、エルザに、自分を受けいれてくれるかと尋ねる。

エルザは、あなたにすべてを捧げますと答える。

騎士は、あなたの保護者として戦うが、私の名や素姓は絶対きいてはならないと釘を刺す。

そして、勝ったときには、あなたを花嫁にすると。

エルザは騎士に誓い、悦びに震える。

騎士はテルラムントと剣を交え、見事に討ち取ったが、とどめを刺すことはなく、一命を助ける。(「神の勝利により、お前の命は我が物だ。しかし、それをお前に与えよう。後悔に身を沈めるがよい」)

一方、オルトルートは、騎士とエルザに怒りを燃やし、あの騎士はいったい何者なのか、絶対に暴いてみせると復讐を誓う。

エルザの潔白が証明されると、ハインリヒ王と人々は歓呼し,騎士の勝利を祝う。

第二幕

エルザの城、夜

テルラムント伯は、今や追放の身である。夜明けまでに国外退出しなければならない。エルザを訴えるようそそのかしたのは妻オルトルートに怒りをぶつけるが、彼女は平然とし、復讐の手段はあると奸計をめぐらす。

オルトルートは、あの騎士は魔力で勝ったのだ、エルザが素姓を疑うよう仕向ければいい、それが果たせなかったら、あの若者を暗殺すればいいと企てる。

やがてバルコニーにエルザが現れ、「私の悲しみを湛えたこともあるそよ風よ!」と幸せな気持ちを歌うと、オルトルートはバルコニーの下から哀れっぽくエルザに声をかける。オルトルートの懇願に心を動かされたエルザは、二人をとりなそうと、城内に招き入れる。

エルザがその場を離れると、オルトルートは「ゲルマンの神々よ! 私の復讐を遂げさせて下さい!」と邪心を露わにして、復讐を誓う。テルラムントも、この俺さまの名誉を傷つけた者は、ひっきょう滅びると、復讐を誓って、姿を消す。

夜が明けると、伝令が王の勅令を伝える。テルラムントの追放、騎士とエルザの結婚である。

騎士はブラバント公ではなく、自身の意向で『ブラバントの保護者』に任じられる。(王冠と公主の地位を辞退する)

ただし、騎士は翌日には国王と戦に向かわなければならない。

群衆の中を婚礼の行列が近づいてくる。

悦びにあふれて教会へ向かう花嫁エルザの行列をオルトルートが遮る。

オルトルートは豹変して、エルザを罵り、素姓も明かさぬ男は、きっと魔法使いだと声高に悪口を言う。

騒ぎの中、国王と騎士が現れると、エルザはオルトルートの仕打ちを訴える。

白鳥の騎士はオルトルートを避けるが、続いて、テルラムントが現れ、その騎士は決闘で術を用いたのだと言いだす。公正な試合では氏素性を明らかにするもの、だが、この騎士は不正をはたらいたのだ。

騎士は、テルラムントらを追い払い、エルザを力づけるが、エルザの心の中には疑念がくすぶっていた。

第三幕

第一場 新婚の寝室

エルザと騎士の結婚を祝う人々の歌(『結婚の合唱』有名な結婚行進曲)に導かれ、新婚の夫婦が寝室に入ってくる。

喜びを捧げる人々が去り、エルザと騎士、二人だけになると、白鳥の騎士はエルザを抱擁し、幸福を歌う。

しかし、疑念に取り憑かれたエルザは、とうとう誘惑に負け、「誰にも口外しませんから、妻の私だけには教えて欲しい」と騎士に懇願する。

騎士は、自分の生命は気高いものなのだから、心配することはない、疑いをもたずにいてほしいと、エルザを宥めるが、エルザはますます気持ちを高ぶらせ、禁じられていた名前と素姓を問いただしてしまう。

その時、テルラムントが部下を引きつれて、騎士を殺そうと寝室に乱入する。

再び剣を交え、今度こそテルラムントを討ち取ると、騎士はエルザに向き直り、わたしの名前は国王の御前で明かすと、静かに告げる。

第二場 再びシュテルデ河畔

朝の陽差しの下、川のほとりには、ハインリヒ王と部下の兵たち、ブラバントの人々が集まっている。遠征出陣の刻が近づいているのだ。

そこにテルラムントの亡骸が運ばれてくる。人々はざわめき、次いで、エルザと騎士が姿を見せる。

騎士は、夜中にテルラムントが襲いかかったため、討ち取ったこと、またエルザが誓いを破って、氏素性を訪ねたことを告げ、今、ここで自分の身を証そうと静かに語り始める。(『グラールの物語』)

ここから遠く離れた、遙かな国に、モンサルヴァートという城がある。その城には聖杯を護る騎士が居る。自分はその城主パルジファルの子、ローエングリンであると。

人々は深い感銘を受け、エルザも、ローエングリンに、どうかこの地に留まって下さいと懇願するが、今身分を明かしたからには、再び、聖杯を護るため、モンサルヴァート城へ帰らなければならないと告げる。

そこへ、騎士が姿を現したときと同じ白鳥が、小舟を曳いて川を下ってくる。この白鳥こそ、行方不明の王子ゴットフリートであった。

オルトルートの魔法は破られ、その場に倒れる。

ローエングリンは、この少年こそ新たなブラバント公であると告げ、姿を消す。

一人残されたエルザは、悲しみのあまり、その場に倒れこむ。

見どころ ~銀のブーツと白いマント

『ローエングリン』は、「長い」「難解」で有名なワーグナーの楽劇の中でも、比較的わかりやすく、オーケストラも川のさざめきのように美しいことから、人気の高い演目の一つです。

エルザ、ローエングリンの造形もさることながら、負け犬みたいなテルラムント、夫を尻に敷いて、言いたい放題のオルトルートなど、脇のキャラクターも面白く、オルトルートの復讐の誓いは、本作の見どころの一つです。(後述、ホフマン盤を参照)

またローエングリンの神聖な誓いも、立場は理解できますが、過ちを犯した新妻を置いて、あっさり故郷に帰る結末も腑に落ちません。

おいおい、お前の愛はその程度かよ、とツッコミを入れたくなるようなエンディングは、世界中のワーグナーファンを戸惑わせ、ドイツが国家の威信をかけて制作した映画『ルートヴィヒ』でも、劇中のワーグナーに、「もし、エルザが騎士に素姓を尋ねなかったら、二人は幸せに結ばれていた?」という王の問いに、「もちろん」と答えさせています。

それでも、川向こうから徐々に白鳥が現れる演出は、ハリウッド映画みたいにドラマティックだし、「来るぞ~、来るぞ~」と音量を増すオーケストラと合唱も、歌舞伎のようにケレンが利いています。

まるで連続ドラマのようにクライマックスに持って行く手法は、さすがワーグナーと唸らずにいられません。

ワーグナー全作品の中でどれが好き? と問われたら、総合点では『ワルキューレ』、劇としては『ローエングリン』という人も少なくないのではないでしょうか。

通に言わせれば、『神々の黄昏』こそ最高傑作だそうですが。

『ニーベルングの指環』は、登場人物と相関図が頭に入ってないと、ストーリーを追うのが難しいですが、ローエングリンは、美しい姫と意地悪な貴族が争っている所に、突如、白鳥の曳く小舟に乗った騎士が現れ、ドタバタのうちに去って行くという、非常に分かりやすい展開であり、このシンプルさが、かえって歌手たちに多大なプレッシャーをかけていると言えなくもありません。

お姫さまのエルザはともかく、ローエングリンは『銀のブーツに白いマント』というグリム童話的な出で立ちが期待される為、現代のオペラ歌手にとって、ローエングリンを演じることは、中年ビール腹のサラリーマンが『ロミオとジュリエット』のロミオを自称するくらい難しいからです。(その点が、野良みたいなジークフリートとの違い)

そのせいか、近年は、奇妙キテレツな演出が多く、ワーグナーのト書きに忠実な、銀のブーツに白いマントをまとったローエングリンは登場しません。

劇団によっては、病人だったり、サラリーマン(?)だったり、「何でもあり」という印象です。

だとしても、音楽は本当に素晴らしいので、最初は、80年~90年代に主流だった古典的な演出を見て、基本の世界観が理解できたら、現代演出も見てみる、というのが一番わかりやすいと思います。(いきなり現代演出はキツイ)

よくよく考えたら、ずいぶん身勝手なヤツだな、と感じることしきりですが、聖杯王パルジファルの息子らしいですよ。

その点、嫁に振りまわされるテルラムントの方が、素朴で正直という気がするのは、私だけでしょうか(^_^;

昭和の名盤とヘルデン・テノール「三羽カラス」

今の若い人には想像もつかないかもしれませんが、1ドル80円の時代、日本にも空前のオペラブームが訪れ、いわゆる『ワグネリアン』と呼ばれる熱狂的なファンが大勢いました。

有名どころでは、漫画家の松本零士を筆頭に、影響を受けたクリエイターは数知れず。

絶頂期には、ベルリン・ドイツ・オペラ(ゲッツ・フリードリヒの演出)の引っ越し公演も実現し、『ニーベルングの指環』『トリスタンとイゾルデ』など、大作が次々に上演され、サラリーマン向けの週刊誌にも特集記事が掲載されるほどの盛況ぶりでした。

そんなワーグナー・ブームに拍車をかけたのが、ルネ・コロ、ペーター・ホフマン、ジークフリート・イェルザレムのヘルデン・テノール『三羽ガラス』でしょう。

イタリア系では、プラシド・ドミンゴ、ルチアーノ・パヴァロッティ、ホセ・カレーラスの三大テノールが空前の人気だったのに対し、ヘルデン・テノールはさほど注目もされず、熱心なワグネリアンのみが知るような存在でしたが、歌唱はもちろん、ビジュアル的にも若々しく、かつ舞台映えのする容姿は、ワグネリアンのみならず、女性ファンのハートを鷲掴みにし、分けても、ペーター・ホフマンの演じる『ローエングリン』はこの曲のイメージを決定づけたといっても過言ではないでしょう。

また、昭和の三羽ガラスは、古典的な舞台を務めた最後のヘルデン・テノールでもあり(21世紀は新解釈の時代)、もう二度と、ペーター・ホフマンやジークフリート・いぇるざれむのように「マント」と「ブーツ」の似合う歌手は出てこないと思います。

21世紀の聴衆は、奇妙キテレツな現代演出が好きなのかもしれませんが、私はやはりワーグナーが思い描いた古典的な舞台が好きだし、病人やサラリーマン姿のローエングリンやジークフリートは見たくありません。

三羽ガラスが舞台を去った今も、私の英雄は銀のブーツに白いマントで、永遠の愛を歌い続けているのです。

ルネ・コロに関しては、下記URLでも紹介しています。『ローエングリン』の録音をめぐる騒動も興味深いです。
ルネ・コロの『ローエングリン』 ~カラヤンと対立の経緯(ザルツブルグ音楽祭 1976年)

ペーター・ホフマンの『ローエングリン』

ローエングリンといえば、ペーター・ホフマン。

ペーター・ホフマンといえば、ローエングリンと言うぐらい、80年代、ローエングリンのイメージを決定づけた色男。

録音としては、バイロイト祝祭劇場のライブ盤(CDとVHS)と、メトロポリタン歌劇場で収録されたDVD盤の二種類があり、どちらも甲乙つけがたい出来映えです。

それぞれの特色について解説します。

ジェームズ・レヴァイン指揮 / メトロポリタン歌劇場

ジェームズ・レヴァイン指揮のDVDは、1986年1月10日、米国・ニューヨーク市のメトロポリタン歌劇場で収録されました。

エルザ役は、ドラマティック・ソプラノとして幅広く活躍したエヴァ・マルトン(特にトゥーランドットが有名)。

レヴァイン指揮の演奏も豪華で、輝かしく、現代でも十分に通用する音色です。

アウグスト・エヴァーディングの演出もワーグナーの世界観を忠実に再現し、やはりゲルマン伝説はこうでなくちゃ、という仕上がり。

オルトルートを演じたレオニ・リザネクも圧倒的な存在感で、観客の熱狂がこちらまで伝わってきます。

現代演出は納得いかない人に、ぜひ味わっていただきたい逸品です。

【配役】

王の伝令 : アンソニー・ラッフェル
ハインリヒ王 : ジョン・マカーディ
テルラムント : レイフ・ロール
エルザ : エヴァ・マルトン
オルトルート : レオニー・リザネク
ローエングリン : ペーター・ホフマン

DVD 『ローエングリン』 ペーター・ホフマン & エヴァ・マルトン
DVD 『ローエングリン』 ペーター・ホフマン & エヴァ・マルトン

YouTubeで視聴する

動画は、一幕の終盤、エルザの祈りからローエングリンの登場、フリードリッヒの決闘まで。

このローエングリンに一目惚れした人は少なくないと思う。

「銀色のブーツに白いマント」が似合うヘルデン・テノールは、後にも先にも、ペーター・ホフマンだけでしょう。

思うに、現代演出が主流になったのは、伝統的なコスチュームを着こなせる歌い手がなくなったからでは? (それほど単純でもないだろうが・・)

全幕は、こちらにアップされています。
https://youtu.be/6gV5Kkg-SpM

こちらは、魔女オルトルートを演じたレオニー・リザネク。

私もローエングリンはいろいろ視聴しましたが、いまだ、レオニーを上回るオルトルートは見たことがありません。

全身から呪詛がほとばしるような熱演です。

【コラム】 ヴィジュアルな素晴らしさ ~メトのローエングリン

以下、メト盤に収録されているライナーノートより、引用です。

このDVDによるワーグナーの『ローエングリン』全三幕の映像は、1986年1月10日夜に行われたニューヨーク・メトロポリタン歌劇王における上演のライヴ録画である。

アウグスト・エヴァーディングの演出、ミン・チョウ・リーの舞台デザイン、ピーター・J・ホールのコスチューム、それにメトの音楽監督ジェームズ・レヴァイン指揮でステージにかけられたこの『ローエングリン』は、じつは1976年11月4日を初日として、メトとしても自身満々の新演出上演がはじまった定評あるプロダクションであった。

上演の経緯とスタッフ紹介

1976年の『ローエングリン』新演出は、メト・デビューのルネ・コロ(テノール)がローエングリン、ピラール・ローレンガー(ソプラノ)のエルザ、ミグノン・ダン(メゾ・ソプラノ)のオルトルート、ドナルド・マッキンタイア(バリトン)のテルラムント他といった配役により≪近代における最もオーソドックスで、リアリティを基本とするヒューマンライクなタッチ、音楽とテキストの持つドラマ性を大切にした、すぐれた『ローエングリン』と好評の上演である。

1984~1985年のシーズンに復活上演され、ローエングリン(プラシド・ドミンゴ / ペーター・ホフマン)、エルザ(アンナ・トモワ=シントウ / エヴァ・マルトン)という2組の主役ペアで一層の大成功を収めたのだが、配役の上で特に注目されたのが、ドミンゴ / トモワ=シントウ組の上演日のオルトルートを、なんと次の組のエルザを担当するエヴァ・マルトンが歌っている事だった。

続く1985~86年のシーズンはドミンゴは出演せず、ホフマンが全公演のローエングリンを歌い、リザネクとロールによる敵役コンビにマルトンのエルザという重厚なキャスティングとなった。

アウグスト・エヴァーティンク演出の『ローエングリン』は、1984年のハンブルク国立歌劇場の来日公演で取り上げられている。

光度を落した暗めの舞台で、主役たちにスポットライトを当てて象徴的なイメージを作っていた来日ハンブルク・オペラのそれと比較すると、メトの『ローエングリン』は、すべてにオーソドックスでリアルな動きの舞台が作り出されていて興味深い。

それについて、まず、メトの舞台をデザインした美術家ミン・チョウ・リーの仕事から述べるべきであろう。

ミン・チョウ・リーは、1930年10月3日に上海で生まれ、1948年、共産中国の誕生で家族と共に香港に移った。叔父が香港で映画スタジオを経営していたからだった。

リーは香港大学の入学試験に失敗してロサンゼルスに渡り、オクシデジタル・カレッジで美術全般と油絵、グラフィック・デザイン、水彩などを学んだ。

その後、ニューヨークに移って、演劇奸計の仕事からシティ・オペラの舞台を引き受けるようになり、1974年にエヴァーディング演出の『ボリス・ゴドゥノフ』でメトに登場、裸の丸太と板、そして石(その質感が本当の石材による構築物を思わせた)の城壁などの簡潔なセットが効果を上げた。

エヴァーディンクのコンビでは、1985~86年のシーズンの『ホヴァーンシチナ』で、一層ダイナミックなタッチを見せている。そして、彼の舞台づくりの典型のひとつが、この『ローエングリン』であると言えよう。

キンキラキンの現代演出が当たり前になっている世代には、ミン・チョウ・リーの舞台美術は、地味で、前時代に思うかもしれないが、実はメインキャラクターが浮き立つ仕様で、特に感動的なのが、第一幕、白鳥の騎士の登場シーン。通常、小舟に乗って、川向こうからやって来る場面は動きが難しいのだが、リーの美術では、舞台中央から徐々に現れる仕掛けになっており、これが実に巧みなのである。
どの演出も、ここが最大の見せ場で、いずこも工夫を凝らしているが、リーの舞台は動きが格別で、何度でも見入ってしまう。

演技の見どころ

主演の主役たちでは、このオペラの中で、ただ一人、神に近い存在であるローエングリン、彼の登場全員の、あまりに人間的なリアルの動きを対象として、孤独の白鳥の騎士の悲しみを、ヴィジュアルな意味からも、この映像のペーター・ホフマンほどそれにふさわしく感じさせるテノールは他にいない。ドミンゴやコロでは、少し甘くなるところをホフマンは、どこかに孤独の哀しさをただよわせて歌い演じているからだ。第三幕のローエングリンの名乗りは、まさに絶唱と言うほかない出来映えだ。

エヴァ・マルトンのエルザに、繊細な可憐さ、無垢な清潔感がもうひとつと言う人も居るだろう。第一幕のエルザの夢、第二幕のそよ風によせて。この二曲では、やや完璧さを欠くと思う人も、新婚の場での禁門の誓いを破るくだりまでの歌の迫力に、マルトンの実力を直感するにちがいない。その後、放心して、うつろな表情に涙が少しずつあふれて来るあたりの演技力。ただ、喪心の姿で動かないのに、全身にエルザの、すべてを失った絶望感をにじませるマルトンに、うまくなったなあ、と惹かれずにはいられなかった。

圧巻はレオニー・リザネクのオルトルートの絶唱である。第一幕では、ほとんど歌わないのに、存在感じゅうぶんなリザネクであるが、第二幕で、すっかり落ち込んでいるテルラムントを、言葉の論理で自分の復讐計画にひきいれてしまう説得力。素晴らしい聴きどころである。さらにエルザに言葉たくみにとり入って、成功したと信じてヴォーダンやフライアの名を叫ぶクライマックス。『オテロ』第二幕のやー後の信条にも比較されるオルトルートの復讐の祈りとその絶叫の恐怖感は、リザネクにして、はじめて……と思う圧倒的迫力だ。リザネクは、1982年11月のサンフランシスコ歌劇場でのウォルフガング・ワーグナー演出による『ローエングリン』で、オルトルートをはじめて歌ったのである。

ジェームズ・レヴァインの指揮によるメトロポリタン歌劇場管弦楽団の充実ぶりもめざましい。ことに弦が透明感を増したのと金管の壮絶な迫力は印象的である。

記 : 小林利之

上記の解説は、私もまったく同感です。
エヴァ・マルトンのエルザについては、強靱なイメージから賛否両論あったようですが、問い掛けの場面はさすがの迫力で、プッチーニの『トゥーランドット』の接吻の場面もこんな感じでした。本気で涙が流せるのは、流石ですね。
またリザネクのオルトルートは圧巻だし、テルラムントのへたれ具合も劇のイメージにマッチして、スルメのように味わい深いです。
ペーター・ホフマンはビジュアル的にも、これ以上ないほどの敵役だし、ワーグナーもホフマンなら大満足だったのではないでしょうか。

※ ちなみに、メト盤はDVDのみで、音源はリリースされていません。

ヴォルデマル・ネルソン指揮 / バイロイト祝祭劇場

1982年、バイロイト祝祭劇場で収録されたDVD盤です。

音源としては、こちらの方がメト盤より古く、ホフマンも少し若いので、日本国内では、「体調悪くて、歌唱もいまいち」と酷評されていました。確かに、メト盤の方が、より落ち着きがあって、完成度は高いと感じます。

エルザを演じたカラン・アームストロングは、ビジュアル的にはメト盤のエヴァ・マルトンより役のイメージに近いですが、声質がキンキンとして、歌だけ聴けば、やはりマルトンの方が上手かと。これまた、風邪気味で、体調が悪かった、、というコメントを目にしたことがあります。

【配役】

ローエングリン : ペーター・ホフマン
ハインリヒ王 : ジークフリート・フォーゲル
エルザ : カラン・アームストロング
オルトルート : エリザベス・コネル
テルラムント : レイフ・ロアル
軍令使 : ベルント・ヴァイクル

ネルソン指揮 ワーグナー「ローエングリン」全曲 [DVD]
ネルソン指揮 ワーグナー「ローエングリン」全曲 [DVD]

ちなみに、音源のCDは、欧米でリリースされており、Spotifyで全曲視聴することができます。

YouTubeで視聴する

新婚の床で、素姓を訪ねる場面。

第一幕、ローエングリン登場の場面はこちら。埋め込みできないので、YouTubeで視聴して下さい。コスチュームがキンキラキンです。
https://youtu.be/maLyr_u-KZE

全曲はこちらにアップされています。(Peter Hofmann Lohengrin Bayreuth 1982で検索したら、いろいろ出てきます)
https://youtu.be/hFgyI8CXI1c

こちらがバイロイトのワーグナー博物館に展示している、ペーター・ホフマンが着用したローエングリンの衣装です。案外、小柄なんですよね。

バイロイト ワーグナー博物館 ペーター・ホフマンが着用したローエングリンの衣装

ペーター・ホフマンのおすすめ

楽劇『ヴァルキューレ』のジークムント

ペーター・ホフマンといえば、『ニーベルングの指環』の第一夜『ヴァルキューレ』のジークムントも絶品です!!

特に、ジークリンデとの愛の場面は、ふるいつきたくなるほどのいい男で、本場バイロイトで、ライブで鑑賞できた人が本当に羨ましいです。

最も有名なのが、ディスク化された、ピエール・ブーレーズ指揮 /

「神剣ノートゥンクは、こうやって抜くのよ」という、お手本のようなパフォーマンスですね ♥

全編はこちらにあります。
https://youtu.be/IJpwSYiWrH8

【配役】

ジークムント……ペーター・ホフマン(テノール)
フンディング……マッティ・サルミネン(バス)
ヴォータン……ドナルド・マッキンタイア(バリトン)
ジークリンデ……ジャニーヌ・アルトマイア(ソプラノ)
ブリュンヒルデ……グィネス・ジョーンズ(ソプラノ)
ゲルヒルデ……カルメン・レッペル(ソプラノ)
オルトリンデ……カレン・ミドルトン(ソプラノ) 他

バイロイト祝祭管弦楽団
指揮:ピエール・ブーレーズ
演出:パトリス・シェロー
制作:1980年6月、7月 バイロイト祝祭大劇場〈ライヴ〉

ワーグナー: 楽劇《ヴァルキューレ》 (初回生産限定)(2枚組)(特典:なし)[DVD]
ワーグナー: 楽劇《ヴァルキューレ》 (初回生産限定)(2枚組)(特典:なし)[DVD]

ブーレーズ盤の14枚組CDはこちらになります。MP3、Amazon Music Ulimitedでも入手可能です。

本作は、ヴォーダンを演じたドナルド・マッキンタイアが良いです。

ブリュンヒルデは、本作のギネス・ジョーンズより、ジェームズ・レヴァイン盤のヒルデガルド・ベーレンスが絶品ですよ。こちらはジークフリートが三羽ガラスの一人、ジークフリート・イェルザレムで、永遠のスタンダードです。

Wagner: Der Ring des Nibelungen
Wagner: Der Ring des Nibelungen / Pierre Boulez

全曲、Spotifyでも視聴できます。

楽劇『トリスタンとイゾルデ』 / バーンスタイン指揮

レナード・バーンスタイン指揮、バイエルン放送交響楽団の演奏会形式の録音も、名盤とされていますが、溶けるように遅いので、人によっては、退屈に感じるかもしれません。私は、ルネ・コロ主演のカルロス・クライバー盤をおすすめします。詳しくは『愛と死の世界 ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』の魅力と昭和の名盤』をご参照下さい。

ヒルデガルド・ベーレンスがイゾルデを歌っている、貴重なバージョンです。

全曲、Spotifyで視聴できます。

DVD化もされています。好きな人には好きな、名盤ですね。

楽劇「トリスタンとイゾルデ」(演奏会) レナード・バーンスタイン指揮
楽劇「トリスタンとイゾルデ」(演奏会) レナード・バーンスタイン指揮

現代演出の予告編を見る

以下は、現代演出の予告編です。

20世紀後半、ゲッツ・フリードリヒやパトリス・シェローが一世を風靡していた頃、ワーグナーの世界観を踏襲する古典的な演出も、当時は「斬新」と呼ばれ、観客の目を釘付けにしました。

その後も、舞台美術や照明などの発展により、現代演出はますます過激になり、もはや何でもありのような様相を呈しています。

私が一番ビックリしたのは、『ワルキューレ』で、トネリコの木に突き刺さった神剣ノートゥンクを、英雄のジークムントではなく、恋人で、妹のジークリンデが抜き取るというもの。

これはさすがにワーグナーもNGを出すのではないかと思いました。

他にも、『神々の黄昏』で、ブリュンヒルデとジークフリートがサラリーマン家庭のような新婚生活を営み、ラストは、ブリュンヒルデが赤ちゃんを抱いて幕を閉じる……というのもあり、今やワーグナーの楽劇というよりは、演出家が己の器量を誇示する機会になっている――という気がしないでもありません。

そのうちジェンダーなんちゃらで、神性をなくしたブリュンヒルデが男物の衣装を身につけたり、ヴォーダンが女神のような恰好をする日も近いかもしれません。

現代演出はどこまで進化するのか……。

私としては、もう一度、原点回帰して欲しいところです。

*

こちらは、2016年5月、ドレスデン国立歌劇場による楽劇『ローエングリン』の予告編。
奇妙キテレツな現代演出と異なり、古典に近い演出になっています。

アンナ・ネトレブコ (エルザ) 
ピョートル・ベチャワ(ローエングリン)
クリスティアン・ティメルマン指揮

こちらは本家・バイロイト祝祭劇場の予告編。
現代演出ですが、まだ許容範囲かな。
でも、チケット代+旅費+滞在費 込みで、数十万出しても行こう! という気にはならないですね。
作業員風コスチュームも全然美しくない。歌唱はいいんでしょうけど。

こちらは、フランドル王立オペラ・バレエ団の予告編。
現代のサラリーマン風演出で、21世紀になってからは、とにかく、こういうのが多いのです・・
私はじっくり見たことがないので、何ともコメントのしようがないですが。

こちらは、オランダ国立オペラの予告編。
無駄を配した、幻想的な演出で、こういうのは80年~90年代にもありましたね。

他にも、「Opera Lohengurin Trailer」で検索すれば、いろいろ見つかるので、秋の夜長にお楽しみ下さい。

誰かにこっそり教えたい 👂
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