映画『ルートヴィヒ』について
ルートヴィヒ (2012年) - Ludwig II.
監督 : マリー・ノエル
主演 : ザビン・タンブレア(ルートヴィヒ2世)、エドガー・ゼルグ(ワーグナー)、トム・シリング(弟オットー)、ハンナー・ヘルツシュブルング(皇妃エリザベート)
類まれな美貌と謎の生涯ゆえに伝説となった悲劇の王。
芸術を愛し、ワーグナーに心酔し、争いと権力を嫌忌した若き王の孤独と苦悩、そして真実の姿とは――
●ヨーロッパの歴史上、もっとも有名な王の真実の姿。
ドイツ映画界がその威信をかけ、20億円の製作費を費やして作りあげた超大作!
●あのヴィスコンティの名作『ルードウィヒ/神々の黄昏』でも語りつくせなかった、
伝説の王の波乱の生涯を、生々しく格調高く演出!
●ヨーロッパ映画界が誇るスタッフとキャストが揃い、風格と華麗さを兼ね揃えたエンタテインメント大作!
主演のザビン・タンブレアは、本作でバイエルン映画賞の新人男優賞とニューフェイス・アワードの新人賞をダブル受賞。
ドイツ映画賞の主演男優賞にもノミネートされるなど、ドイツ映画界で今最も注目を集める若手俳優!
●ノイシュヴァンシュタイン城を始め、数々の観光スポットに一大ロケーションを敢行!
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絢爛豪華な現代版・王朝絵巻
芸術とは、突き詰めれば、エゴです。
なにやら高貴で、偉大なものという印象がありますが、本質的には「オレ様」の世界です。
「我」への執着が人一倍強いから、「作品」というものを世に残せるのであって、家族が泣いたぐらいで、「じゃあ、止めます」と引き下がれるような人間に創作など出来ません。
妻子が嘆こうが、恋人が身投げしようが、己の世界を完成することに異常なまでの執着心を燃やすことができるから、芸術家になれるのです。
そんなエゴの塊みたいなリヒャルト・ワーグナーに魅せられ、国庫を傾けてまで、自分の夢を追い続けたのが、ドイツの美しい青年王ルートヴィヒ2世。
そんなエゴイストの代表格みたいなリヒャルト・ワーグナーに魅せられ、国庫を傾けてまで、オペラの世界にのめり込んだのがドイツの美しい青年王ルートヴィヒ2世。
音楽が世界を救うと心から信じ、ワーグナーの歌劇を上演する祝祭劇場ばかりか、オペラの世界を具現するノイシュヴァンシュタイン城まで建設しました。
平和な時代であれば、芸術の庇護者として、後々まで讃えられたでしょうに、たまたま動乱の時代に生まれ落ちたが為に、その気高い精神と美しい感性は、戦火と権力闘争の中で、ぼろぼろに傷つき、最後には心を病んで、湖で謎の死を遂げました。
古今東西、引きこもりの偉人は少なくないですが、自分の夢を具現化する為に、城や劇場まで建ててしまった圧倒的スケールにおいて、ルートヴィヒ2世に勝る人物はないでしょう。
そんな究極のオタク&引きこもりを、ドイツ映画界が威信にかけて制作し、20億円もの制作費を投じたのが、2012年公開の『ルートヴィヒ』です。
作品としては、伝説の美形俳優、ヘルムート・バーガーが演じた『ルートヴィヒ — 神々の黄昏(ルキノ・ヴィスコンティ監督)』が圧倒的に有名ですが、2012年版も、ヘルムート版に勝るとも劣らずの出来映え。
壊れそうに繊細な青年王ルートヴィヒ2世を、少女漫画から抜け出たようなサビン・タンブレアが好演。
西洋美術や欧州史に造詣の深い方も大満足の秀作です。
ルートヴィヒ2世の生涯
ワーグナーに魅せられて
オペラでワーグナーの楽劇『ローエングリン』を初めて鑑賞し、心を奪われる若きルートヴィヒ。
分かります、分かります。
ローエングリンは光で織り上げたように美しいですものね。
私も何だかんだで一番『ローエングリン』が好きです。特にペーター・ホフマン(笑)
芸術こそが国を豊かにし、平和に導くと信じる純粋無垢なルートヴィヒ。
それで間違いないのです、世界が軍備も野心も持たないのであれば。
現実は金と銃で動いている。
ルートヴィヒの理想は、リアリストの父親に無残に踏みつけにされます。
ローエングリンのスコアを目の前でビリビリと……。まるで少女漫画のような一コマです。
そんな厳格で口うるさい父王マクシミリアン二世が死去。
ルートヴィヒはなんと19歳の若さでバイエルン国王に即位します。(大学一回生ですよね)
こちらは戴冠式の前の練習。何度も決められた文句を口にしようとするけれど、ルートヴィヒの心はやはり美と平和に彩られた理想があります。
こんな重圧に耐えられるのか。
若い国王の苦悩をザビン・タンブレアが熱演します。
重すぎる王冠と音楽への憧れ
しかし、現実の統治は待ってはくれません。
国政について意見を求められると、「音楽の奇跡」だの、ローエングリンを持ち出すルートヴィヒ。
老獪な政治家にしてみたら「はぁ??」
こんな脳内・お花畑の国王に我が国の統治を任せていいのか?
すでに暗澹たるものが漂います。
「ワーグナーは猛毒です」・・まさにその通り。私も人生を毒されました。
そんな臣下の不安と不満をよそに、ルートヴィヒはかねてからの夢である「リヒャルト・ワーグナー」の招聘を指示します。
命を受けて、重役をおおせつかったのが、見目麗しい高級士官リヒャルト・ホルコヒ。ドレスデン蜂起に失敗し、重犯罪者として追われていたワーグナーを探し出します。この時のワーグナーは死ぬことも考えていました(後述参考)。ワーグナーにとっては、まさに奇跡だったのです。
どこのヘルデン・テノールかとみまごう男前。よくこんなの探し出してきたな、失神するわ。うちにも来てくれんかな・・さすがドイツは奥深い。
ワーグナーにとって、ルートヴィヒはまさに金蔓。純粋に仰ぎ見る初な青年王を手玉に取るのは赤子の手をひねるより簡単だったでしょう。
それにつけても、ワーグナーを自室に招くなど。。。世界最高の贅沢ではありませんか。ああ、羨ましい・・。
政治的に追い詰められ、死をも覚悟したワーグナーにとって、まさにこの出会いは奇跡。芸術にとっても。
そして念願の『トリスタンとイゾルデ』の上演に漕ぎ着ける(画像はリハーサル場面)。
ルートヴィヒの援助なくして、あの名作は日の目を見なかったんですよね。
そう考えると、ワーグナー・・・というよりは『トリスタンとイゾルデ』が「神に選ばれた作品」という気がします。
ドイツが威信にかけて制作しただけのことはある。とにかく全てがゴージャス。「本物」が惜しみなく登場します。建築が好きな方も楽しめますよ。
『愛の死』を聴いて、王さま、うっとり。分ります、分ります。
国難と夢の狭間
ルートヴィヒの夢はさらに膨らみ、芸術での統治に憧れる。
現実には宰相ビスマルク率いるプロイセンが今にも攻め込もうとしているのに、「オーケストラで敵に対抗する音楽を奏でよう。ワーグナーを聴けば、敵は武器を捨ててこちらに駆け寄るだろう」などと本気で言い出す始末。
国務そっちのけでワーグナーに浸るルートヴィヒに対し、廷臣らの目は厳しい(当たり前だ)。
おまけにワーグナーまでもが国政に口出しするようになり、若くて繊細なルートヴィヒの心はますます倦み、傷ついていきます。
周囲の不安をよそに、今度はバイロイト歌劇場の建設計画!
すぐそこにプロイセン軍が迫っているのに、莫大な国費を注ぎ込んで、ワーグナー御用達の歌劇場を作ろうと訴えます。
好意的な実弟オットーまでもがルートヴィヒの荒唐無稽な計画に呆れ返る。
父王の代から仕えてきた臣下も不満を通り越して呆れ顔。私が大臣でも半ギレだわ。。
ついには「ワーグナーと別れてください」と言われる始末。まるで男女の色恋のよう・・
「芸術で平和をもたらす」という理想がまったく受け入れられず、『戦争』という最も過酷で醜い現実の選択を迫られ、心身ともに疲弊するルートヴィヒ。
音楽や詩歌を愛するルートヴィヒにとって、大勢が武器をもって殺し合うなど、耐えられるものではありません。
高貴で善良な人間に軍を派遣し、発砲を命じるなど出来るはずがないのです。そんなことを嬉々としてやるのは、国民や兵士を道具ぐらいにしか思ってない悪徳政治家だけ。
本当に美しい魂をもったルートヴィヒにとって、戦争はただただ醜い現実でしかない。
けれども時代の流れ。廷臣らに押されて、ルートヴィヒは渋々、軍隊に命令を出します。
だけども、戦場で多くの兵士が傷つき、命が奪われる現実に、ルートヴィヒの繊細な神経は耐えられません。
自身の手で人を殺めているように自らを責め、錯乱します。
しかし、普通に考えれば、これが人間として当たり前の感覚なのです。
平然としていられる方がおかしい。
膨大な亡骸を前にして、茫然と立ち尽くすルートヴィヒ。
ルートヴィヒの心を慰めたのは同性間の情愛
そんなルートヴィヒにとって心の支えとなったのがリヒャルト。
ここからキャーキャー・モード。
キタ━━━(゚∀゚).━━━!!!
うわお♪♪♪
キスしたぐらいで神に赦しを乞わなくても・・(´。`)
若く美しい男たちが愛し合うのは自然じゃないですか。。
敗戦と苦難の日々
そして、バイエルンはプロイセンに敗北し、王の権利も厳しく制限されます。
さらにルートヴィヒな軟弱な態度は臣下を苛立たせ、溝を深めていきます。
ベルサイユ宮殿とノイヴァンシュタイン
そんなルートヴィヒはフランスのベルサイユ宮殿を訪れ、ここに夢の発露を見ます。
ルートヴィヒは政治から離れて、いっそう夢の世界にのめりこみ、ノイバンシュタイン城で歌わせる歌手を自分自身でオーディションする始末。
ルートヴィヒの憧れは次第にエスカレートし、ついにはオペラの演出や配役にまで口出しするようになります。
まあ、気持ちは分かるけド(^^;)
「それに、あの作品(ローエングリン)は私のものだ」
ワーグナー相手に、なんちゅう恐ろしいことを。。。
こんなことを言われて喜ぶのは、権威に媚びを売る三流芸人だけ。当然のごとく、ワーグナーは激怒し、ルートヴィヒと袂を分かちます。
あれほど敬愛していたワーグナーが去り・・
唯一心を通わせていたオーストリア公妃エリザベートとも、妹との一方的な婚約解消をめぐって絶交してしまいます。
ますます孤独となり、内にこもるようになるルートヴィヒが遺した有名な言葉。「わたしは永遠の謎でありたい」
さらには愛する弟のオットーが戦争による心の傷や、バイエルン公国の行く末を憂い、精神に異常をきたすようになります。
でも、異常というよりは、愛国の想いと、頼りない兄への怒り、やるせなさなのですよね・・(映画で見る限りは)
夢の世界に閉じこもる
もはや、この世のどこにも居場所を見いだせなくなったルートヴィヒは、ワーグナーのオペラの世界を具現化するノイシュヴァンシュタイン城に魂の救済を求め、自分の世界に閉じこもってしまいます。
ベルサイユ宮殿を彷彿とするような美しい王宮で、ルートヴィヒは昼に眠り、夜に起き出し、人と顔を合わすことを避け、厭世の暮らしを送ります。
自分専用の劇場で、お抱え歌手にローエングリンを歌わせるルートヴィヒ。究極の贅沢。
船遊びも浮世離れしています。
リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城など、ルートヴィヒの贅を尽くした心の城で夜ごと繰り広げられる浮き世の宴。。
小道具、美術も素晴らしい。
こんなクオリティの高い映画がさらりと作れてしまうのがヨーロッパ映画の凄いところ。
国王といえど湯水のように国費が湧いて出てくるわけではない。当然のこと、かかる経費は莫大。ルートヴィヒに願いに添っていては、今に国庫は空っぽになってしまう。
日記や建設計画の資料からルートヴィヒは国賊扱いとなり、精神科医らの診断により「偏執病」「統治能力ゼロ」とみなされます。
ルートヴィヒは夢の城から連れ出され、古いベルク城に一室に監禁されます。
ある日、ルートヴィヒは精神科医のフォン・グッデンと湖畔に出かけます。
映画では、制止する精神科医を払いのけ、自ら湖に入水したように描かれていますが、真相は未だ謎のまま。
ルートヴィヒは「ノイシュヴァンシュタイン城を破壊せよ」と言い残しましたが、そんな事が出来る人間がこの世にあるでしょうか。。
夢の形骸だけが時を超え、今にルートヴィヒの心の世界を伝えます。
実体を捨てて魂だけとなったルートヴィヒに果物を捧げる臣下。
Götterfunken(ゲッテルフンケン)=神々の火花で幕を閉じるところがドイツ風ロマンでしょうか。
傍目には狂ったように見える、切ない一生ですが、本当に最後の瞬間まで、この世では絶対に叶うことのない美しい夢を見ていたのかもしれません。
【コラム】 現実社会と魂の居場所
思うに、ルートヴィヒ2世は、いたってまともな人物だったのではないでしょうか。
ただ、他者より繊細で、純粋真っ直ぐだっただけで、ルートヴィヒが次男なら――あるいは、現代のオタクなら――「クラシック音楽に理解のある王さま」と親しまれ、狂王と呼ばれるような人生は送らなかったと思います。
むしろ、良質なパトロンとして、ワーグナーをはじめ、美術、文学、建築、舞踊など、様々な芸術を庇護し、構成に多大な文化遺産を残したのではないでしょうか。
しかし、ルートヴィヒの芸術愛は、四方を敵軍に囲まれ、国政が全ての現実社会ではまったく通用しませんでした。
すぐ近くに敵軍が迫っているのに、軍備もそっちのけで、「ワーグナーを聴かせれば、敵が逃げる」だの、「歌劇場を作ろう」だの、真顔で提案するような国王を戴けば、私でも唖然とします。
当時の閣僚にしてみたら、ルートヴィヒそのものが国難だったでしょう。
しかし、平常時であれば、ルートヴィヒの理想は、真っ当至極です。
美しい音楽で人々が憎しみを忘れ、互いに手を取り合うことができれば、これほど幸せなことはありません。
間違っているのは、武力で敵を滅ぼし、累々たる屍上に正義の王国を築くことで、神の目から見れば、ルートヴィヒの方が絶対的に正しいに決まっています。
しかし、現実社会においては、そんな事を真顔で言う人は、「脳内お花畑」と嘲笑され、話し合いの輪にも入れてもらえません。
そんな歪みに気付きもしないほど、人間の感性も、価値観も、ひん曲がっているのが現実なのです。
その結果、足元に広がるのは、累々たる屍です。
肉体的には生きていても、心はすでに死んでいる者も少なくありません。
詰られ、無視され、精神的には死んでいる人がどれほど存在することでしょう。
それでも、現実社会においては、「現実的であること」が正義なのでしょうか。
ルートヴィヒは脳内お花畑の狂人なのでしょうか。
ルートヴィヒに現実社会との接点はありません。
「美しい音楽で平和を実現しよう」などと考える人間は、現実社会から排斥され、生き場所さえ奪われるのが定めです。
しかし、現実が全てなら、人はどこで神なるものを見出すのでしょう。
現実にそぐわないというだけで、真に正しいものや美しいものが排斥されたら、ぎすぎすしたものだけが生き残り、嘘が正義としてまかり通る世の中になります。
たとえ、それが一銭の価値のないものでも、人間には決して忘れてはならないものがあり、それを死ぬまで持ち続けたのがルートヴィヒです。
もし、彼が薄っぺらい音楽愛好家で、見栄と支配欲からワーグナーを飼い殺しにするタイプなら、国政が傾いた時点で、もっと攻撃的になったでしょう。
でも、そうしなかった――というより、出来なかった。
そういう魂に生まれついたからです。
確かに、ルートヴィヒは自身の夢を具現化する為に、バイエルン国民の血税を湯水のように使い、一国を破産寸前まで追い込みました。
その一面だけを見れば、無責任で、身勝手な国王かもしれません。
しかし、音楽が世界を救うと信じ、その理想を国民と分かち合いたい願いもあったでしょう。
ルートヴィヒが禍ではなく、現実社会そのものが間違っているのではないでしょうか。
ルートヴィヒは次第に自分の世界に引きこもり、二度と現実社会に戻ってきませんでした。
そして、誰にも理解されることなく、湖で非業の死を遂げました。
いつの時代も、心優しく、純粋な魂に、現実社会の居場所はありません。
そうした息苦しさや生きづらさこそ、現実社会の歪みであり、禍なのに、現実重視の人たちは、その歪みに気付きもせず、あたかも自分たちが現実社会の神であるかのように振る舞います。
その結果、世界はどうなったでしょう。
立ち止まり、問いかけても、誰も答えてはくれません。
何故なら、答えを知っている人は、とうに現実社会から排斥されて、夢の世界に旅立ってしまったからです。
ルートヴィヒは死んでからも「狂王」と呼ばれ、歴史においても、決して褒められた人物ではありません。
しかし、ノイシュヴァンシュタイン城を見ていると、それでも美と愛の世界を追い求める、真摯な想いを感じずにいられません。
ルートヴィヒが本当に理解されたかったのは、芸術オタクである自分自身ではなく、彼が愛する世界の美しさではないでしょうか。
バイロイト祝祭劇場の旅行記
ルートヴィヒに比べれば、ワーグナーは世紀の俗人というより、自己愛の塊みたいな人ですね。
自分の作品を思う通りに上演する雨に、劇場まで建設する人は、なかなかありません。
しかし、一度でもバイロイトに行けば、単なる自己顕示欲ではなかったことが分かります。
野心と美意識に裏打ちされた強靱な精神力を感じます。
死後、一世紀以上経ってからも、世界中の熱狂的なファンに、10万、20万、いや、100万単位でお金を使わせるのですから、バイロイト市にとっては神様みたいなものです。
オペラ一つで生き長らえる町も、そうないのではないでしょうか。(ザルツブルグくらい?)
バイロイト辺境伯歌劇場
バイロイトにはもう一つ、絢爛豪華な内装で知られる『バイロイト辺境伯歌劇場』があり、そちらは舞台というよりは宮殿。
現代は上質な照明を使うので、余計できらめいて見えますが、当時の技術レベルを鑑みても、圧倒するような作りです。
オフィシャルサイトはこちら。一般ツアーも盛況で、特に予約は必要ありません。
入場は時間制で、チケット購入時に必ず時刻を確認のこと。
https://www.schloesser.bayern.de/deutsch/schloss/objekte/bay_oper.htm
バイロイト祝祭劇場 ~外観
対して、バイロイト祝祭劇場は、ギリシャの野外劇場のように質素です。
バイロイト祝街劇場のオフィシャルサイトは下記URLを参照のこと。英語版もあり。
上演期間以外でも、観光客向けのツアーがあります。
特に予約は必要ありませんが、日本から行く場合は、事前にContactから問い合わせすることをおすすめします(英語対応)。
一般人向けのツアーはドイツ語のみの為、事前学習が必要です。
https://www.bayreuther-festspiele.de/en/
↑ ちなみに、このサイトのカラースキームは、オフィシャルサイトと同じです。黒色だけちょっと変えてる。
劇場正面。
これが天下の歌劇場? とは思えないほど、質素で、町の外れにぽつーんと建っています。
ワーグナーの時代には、丘の上の一軒家みたいな雰囲気だったと思います。
今は街路の周辺も開発されて、閑静な住宅街になっていますが。
サイドから見たところ。
周知の通り、バイロイト歌劇場には、土産物売り場もなければ、ホワイエもありません。(現代になって、離れにレストランが作られた)
正面入り口から入ると、小学校みたいな回廊があり、いきなりホールです。
ゆえに、上演期間中は、休憩時間になると、ぞろぞろお客さんが出てきて、劇場周辺でお喋りしたり、庭園を散策したり。
もうね、「劇場は歌劇を見に来るところ。シャンパン片手にお喋りを愉しむ社交場ではない」というワーグナーの主義主張が、現代においても、ビンビンに伝わってきます。
劇場に向かう街路。
ここも木々に囲まれた、静かな街路で、土産物屋やカフェなどはありません。(多分、市の文化財保護で、そういう規約になってるのだと思います)
ワーグナー信者が、神道を通って、ワーグナー神殿にお参りに行くイメージです。
バイロイト祝祭劇場 ~内部
内部も、実に質素です。
昭和の木造小学校の雰囲気です。
何もかもが建設当時のまま残されており、現代の煌びやかなコンサートホールに比べたら、ここは自意識の塊みたいです。
写真は、「ニーベルングの指環』の初演を記念するモニュメント。
ワーグナーも好き勝手しているように見えますが、彼が生きている間、リング四部作が上演されたのは一回きり。
あれだけ時間をかけて作曲したにもかかわらず、生の舞台は、人生の最後の最後に、ただ一度、目にしただけなんて、現代では考えられないことですね。
理由は物語が壮大すぎて、舞台化するのは絶対不可能とされてきたからです。
ゆえに、「リングを上演する為の劇場を建てたい」という彼の執念も、分からなくもないです。
バイロイト祝祭劇場がなかったら、無用の長物として葬られ、後世の人間は舞台を観ることも、音楽を聴くことも、叶わなかったからです。
ワーグナーの夢を叶えたルートヴィヒは、まさに芸術の守護天使です。
バイロイト辺境伯劇場に比べたら、本当に質素で、「お前らは黙って見とれ」みたいなワーグナーの強い意思を感じますね。
一生に一度、この席に座るために、飛行機を乗り継ぎ、一泊10万円の高級ホテルに連泊し、チケット争奪戦に全人生を賭けるファンが、現代でもたくさんいるんですよぉ。
お値段は、100ユーロ。現在のレートなら、4万円近いです。
クッションが無いので、足腰の弱い人は、クッション持参するそうです。
『奈落』と呼ばれるオーケストラピット。
舞台下に完全に隠れており、床も柱も全て木製です。
祝祭の期間、バイロイトも真夏ですから、オーケストラ団員は、シャツ一枚で、汗だくになって演奏するそう。
この狭い空間に、150名近いスタッフが集まるでそうです。まさに奈落。
その分、音響は素晴らしい。
女性の案内係が普通に話しても、ホールの隅々まで響き渡るくらいです。
普通の話し声でこれなら、実際のオケはどれほど凄いことか。
想像するだけで、圧倒されますよ。
ヴァーンフリート荘とワーグナー博物館
後年の住まい、ヴァーンフリート荘に隣接するワーグナー博物館(リヒャルト・ワーグナー記念館)。
いつでも入場できますが、地下にも拡張されて、見た目より、かなり展示場が広いので、午前中か午後、たっぷり時間をかけて回ることをおすすめします。
チケットは、「博物館のみ」「ヴァーンフリート荘とペア券」など複数あるので、公式サイトで確認のこと。
内部は非常に美しく、写真撮影もOK。
近くにカフェやレストランもあり、外国人でも訪問しやすい雰囲気です。
https://www.richard-wagner-museum.ch/experience/ausstellungen-en-us/
ワーグナーが晩年を過ごしたヴァーンフリート荘に隣接するワーグナー博物館。
地下も増設され、ワーグナーの楽譜や所持品はもちろん、舞台衣装や小物も展示されています。
ペーター・ホフマンが着用したローエングリンの衣装
割と小柄な方だったんですね。
舞台では大きく見えますが。
ペーター・ホフマンと楽劇『ローエングリン』の概要は、下記でも紹介しています。
楽劇『ローエングリン』と真の英雄 ~誰かを愛したら、誓いを破ろうと、それを許して添い遂げるのが本物ではないか
こちらは、フランスの映画監督ジャン=ピエール・ジュネの甘美な演出で話題となった『トリスタンとイゾルデ』で、ルネ・コロが着ていた衣装。
参考→ 愛と死の世界 ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』のあらすじと名盤紹介
ヴァーンフリート荘に残るワーグナーの蔵書。
勉強家だったことが窺い知れます。
ヴァーンフリート荘の正面に、今もひっそりと眠る、ワーグナーのお墓。
墓碑銘などはなく、見る人が見れば分かります。
いつも薔薇の花が手向けられています。
ちなみに、ヴァーンフリート荘の近くには、リストの住まい(現在は博物館)もあります。
レストラン Eule (超有名店)
こちらはワーグナーの行きつけのレストラン『Eule』での記念撮影。
オフィシャルサイトはこちら Restaurant Eule
非常に有名なお店で、予約必須のようです。
私は路地裏に迷い込んで、たまたま立ち寄った店がEuleでした。
開店直後にもかかわらず、すでに予約でいっぱい。
入り口近くの二人がけテーブルだけが空いていて、そこに席を作ってもらいました。
ワーグナーは、この場所の小さなテーブルに腰掛けて、いつもソーセージとかザウアークラウトなどを食していたそう。
現在は、歴代マエストロの指定席になっています。
私はビギナーズラックで、座らせてもらうことができました。
ワーグナーのお気に入りのメニュー。
現在もメインメニューにあります。
こちらは非公式のヒトラーの写真。
ホントに実在して、バイロイトに来ていたのだなと、つくづく。
我々日本人には、映画の中の人物みたいな感覚がありますが、実在したんですよね。
ちなみに、ワーグナー博物館では、ナチズムとの関連の研究も進んでいて、それに関する資料も多数展示されています。
ペーター・ホフマン様も御食事にいらっしゃってた♪
会いたかったわ・・
ワーグナーの大型本
バブル末期。
三大テノールがまだまだ健全で、ベルリン・ドイツ・オペラの「ニーベルングの指輪」の引っ越し公演とか景気よくやってた頃に発刊されたオールカラーのワーグナー本です。
もう二度とこのような大型本は発行されないし、原稿を書く人さえないでしょう。
私の家宝です。
ワーグナー 大型本 – 1992/11/1 三宅 幸夫 (著), 山崎 太郎 (著)
今なら、このあたりが参考になると思います。
【コラム】 強くなければ、作品を完成させることは出来ない
天才アマデウスを死に追いやったサリエリに言わせれば、「神はなぜこんなエゴイストを自らの代理人に選んだのか」といったところ。
ここまで押せる人間だから、『ニーベルングの指環』みたいな大作が完成した。
(参考 なぜ神は自らの代理人にかくも下劣な若造を選んだのか 映画『アマデウス』)
ワーグナーが、心優しい家庭人なら、『さまよえるオランダ人』の一作で終っていただろう。
残念ながら、神に選ばれるのは、善い人ではなく、強い人。
強くなければ、作品を完成させることは出来ない。
才能は二の次。
強烈な自我と執念が、それを可能にする。
- 愛と死の世界・ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』に酔う / ルネ・コロ&カルロス・クライバーの名演
- 白鳥の騎士 ローエングリン ~誰かを愛したら、誓いを破ろうと、それを許して添い遂げるのが本物ではないか
クライバー版の他、バーンスタイン版、バイロイトの名演などを動画とSpotifyで紹介。中世騎士物語『トリスタンとイズー』の名言と併せて。
絢爛豪華な前奏が美しい歌劇『ローエングリン』の世界と創作の背景を紹介しています。ペーター・ホフマンの動画と併せて。