映画『オーケストラ』 あらすじと見どころ
オーケストラ(2009年) - Le Concert
監督 : ラデュ・ミヘイレアニュ
主演 : アレクセイ・グシュコブ(元指揮者アンドレイ・フィリポフ)、メラニー・ロラン(人気バイオリニスト・アンヌ=マリー・ジャケ)、フランソワ・ベルレアン(パリ・シャトレ座支配人)
あらすじ
今から30年前、ボリショイ交響楽団の名指揮者だったアンドレイ・フィリポフは、ブレジネフ書記長の時代、ユダヤ系演奏家の排斥を拒絶した為、仲間の楽団員と共に解雇され、現在は劇場清掃員に身を落としていた。
そんなある日、パリ・シャトレ座から送られてきた一枚のFAXを偶然目にする。予定されていたサンフランシスコ交響楽団の出演が取りやめになったので、代わりになるオーケストラを手配して欲しいとの依頼だった。
アンドレイは、かつての楽団員を集めて、『ボリショイ交響楽団』になりすまし、シャトレ座で演奏することを思いつく。
チェロ愛好家であるロシアの大富豪をスポンサーに付け、アンドレイの仲間たちは、まんまとパリに乗り込むが、皆、出稼ぎに出て、まともにリハーサルも出来ない。
一方、主演目である『チャイコフスキー バイオリン協奏曲第一番』のソリストとして指名された、新進の女性バイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケは、アンドレイ達に振り回されて、苛立ちを募らせる。
元々、孤児であるアンヌ=マリーには、かつてのボリショイ交響楽団と深い関わりがあった。
いよいよ本番を迎え、アンドレイは衝撃的な事実を彼女に打ち明ける。
果たして、アンドレイとアンヌ=マリーはコンサートを成功させ、かつての栄光を取り戻すことができるのか――。
見どころ
本作を楽しむには、「ソ連時代(1950年~1960年代、ブレジネフ書記長の統治下)」、「フランス共産党(1943年よりマルクス・レーニン主義を掲げて隆盛)」「ロシアの大富豪(ガスプロムなど、エネルギー産業で億万長者になった一族)」「共産主義国の暮らし」「ロマ族」といった予備知識が不可欠だ。
でないと、随所に織り込まれたブラック・ユーもがが理解できず、面白さも半減するからだ。
たとえば、アンドレイの楽団のパトロンとなる、チェロ愛好家の大富豪は「ガス・プロム」のオーナーで、シャトレ座の支配人に「わたしを出演させなかったら、ガスを止めるぞ!」と脅しをかける。これなど、まさにロシアのエネルギー外交を彷彿とさせる台詞で、実際、欧州とロシアはガス供給で揉めている。
また、楽団員がリハーサルそっちのけで、キャビアを売り込んだり、日雇い労働者として荒稼ぎするのも、ソ連の平均給与や暮らしぶりを知らないと、なかなかピンとこないと思う。
何も知らなくても、彼らのハチャメチャぶりは楽しいが、知っていた方が、面白さも倍増する。
それでいて、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲が効果的に使われ、クラシック愛好家も大満足の出来映えだ。
台詞やセットなど、これほど細かな所まで作り込まれた作品も珍しく、もっとたくさんの映画賞を総取りしてもいいほどの完成度である。(セザール賞の音楽賞と音響賞のみ)
クラシック音楽映画の最高峰を『アマデウス』とするなら、本作はコミック仕立ての快作であり、そこまでクラシック音楽に思い入れのない人でも、肩肘張らずに楽しめる良質な一本である。
ロシア人のドタバタ旅道中
本作の醍醐味は、何といってもデフォルメされたロシア人の造形だろう。
インド人のカレー好き。フランス人の浮気者。アメリカ人の脳天気。イタリア人のラテン気質。
どんな民族にも共通のイメージが存在するが、本作では、「酒飲み」「偏屈」「貧乏性」といったロシア人気質がとことんデフォルメされ、洗練されたパリの町に土民のようになだれ込む。
たとえば、「ボリショイ交響楽団・ご一行様」のサインを手に空港に迎えに行けば、機内で酔っぱらった赤ら顔の楽団員が、空き瓶を片手に、ロシア民謡を大合唱しながらゲートから出てくる(あるある)。
ホテルに到着すれば、我先にフロントに押し掛け、ルームキーを奪い合う。(あるある)
シャトレ座のマネージャーには小遣いをせびり、リハーサルそっちのけで黒キャビアの行商にいそしむ。(あるある)
かといって、ロシア人を完全に馬鹿にするのではなく、圧政によって、家族とも引き裂かれ、貧しい暮らしを余儀なくされた人々の悲哀や逞しさもきっちり描かれており、ロシア・ファンも納得の出来映えだ。
しかも演奏会の場面は、さすが露仏共作と嘆息するほどの出来映えで、クラシック音楽に対するなみなみならぬ知見を感じさせる。
amazonレビューの中には、「一度のリハーサルもせず、何十年ぶりの合奏で、あんな完璧な演奏ができるわけない」という声もあるが、業界通に言わせれば、「プロって、そういうもの」だそう。
人や物事を茶化しながらも、締めるところはしっかり締めて、文化にも敬意を払っているのが、本作の最大の魅力と言えるだろう。
アンドレイとアンヌ=マリーの関係
ドラマの主軸である、アンドレイとアンヌ=マリーの関係については、途中まで「先が読めちゃう」ような話運びだ。
恐らく、八割くらいの人は、「生き別れになった父と娘」を想像するのではないだろうか。
ところが、二人の間には、もっと奥深い事情が隠されていて、それがチャイコフスキーのバイオリン協奏曲にのって、徐々に明かされる演出だ。
あまたの映画なら、お涙頂戴+怒濤のエンディングで、華やかに幕を閉じるわけだが、本作にはまだまだ続きがあり、長年虐げられた楽団員たちが偉そうなボリショイ劇場の支配人らに仕返しをする、痛快なオチが用意されている。
それも心に涼風が吹くような爽やかさで、とにかく上手い、そして面白い。
ちなみに原題は、『Le Concert』。
コンサートと協奏曲のコンチェルトを掛け合わせたタイトルだ。
いわば、ブレジネフ政権時代のユダヤ人排斥でバラバラにされた楽団、家族、そして音楽家の夢が、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲に乗って一つに紡がれ、再び美しいコンチェルトを奏でる物語である。
映画の見どころを動画で紹介
本作がロシア社会の裏表をデフォルメして描いているのは先に述べた通りだが、一番笑えるのは、次のシーン。
空港へのシャトルバスを予約し、前金も渡したのに、定刻を過ぎても、一向にバスはやってこない。
結局、数キロ離れた空港まで、ぞろぞろ歩いて行く羽目に。
「これぞロシア」みたいな一場面だ。
空港のロビーで、ロマの仲間が次々にパスポートを偽造。こんな簡単に偽造できるのか?!
止めに入ろうとした警備員を、ロマの大男二人が「未来を占って欲しいか」と阻止する場面も笑える。
見るからに貧相なオヤジがバイオリンの難曲、ツィゴイネル・ワイゼンを楽々と弾きこなす。
いったい、このボンビー集団は何者……
ちなみに演奏しているゲオルゲ・アンゲル氏は、ロマ音楽グループ『タラフ・ドゥ・ハイドゥークス』のメンバーである。
【コラム】 過ぎ去った時代へのノスタルジー
どんな時代、どんな国にも、過ぎ去った時代へのノスタルジーがある。
日本でも、昭和の暮らしがテーマパークや映画になるように。
たとえ、それが歴史的に悲劇とされる時代であっても、人々が一所懸命に生きた事実は忘れないし、過ぎてしまえば、何もかもが思い出になる。
現在の方がはるかに進んで、生きやすいとしても、心はいつもそこに帰って行くように。
私の居住国も、あれほどソビエト連邦に痛めつけられたにもかかわらず、いざ民主化して、プチ・アメリカのような様相を呈してくると、「昔はよかった」みたいな話になってくる。
政治経済は別として、皆が貧しく、苦しかった時代の方が、身を寄せ合い、心を合わせて生きようとする精神土壌があったからだろう。
アンドレイと仲間の楽団員も、クラシック音楽以上に、当時の緊張感や情熱を懐かしんでいるような印象がある。
他国から見れば、「あんな貧乏で、不自由な国に暮らして可哀相」と思うかもしれないが、無ければ無いで割り切り、当人たちはそれなりに人生を楽しんでいるところもある。
人が本当に「生きた」と実感できるのは、自由で安定した時代より、共に苦難を乗り越えようとした時代なのかもしれない。
※ 感動のファイナルシーンはこちら。ネタバレしてもいい方だけ視聴して下さい。
初稿 2012年12月13日