私がポーランドに移住して間もない頃、最もエキサイティングだった出来事は、車でポーランド - スロヴァキア間の国境を越えた事です。(当時、EU加盟前でした)
高速道路の料金所みたいな国境管理局でパスポートにスタンプを捺印してもらい、ゲートをくぐれば、もうそこはスロヴァキア。
言語も、標識も、通貨も、法律も、何もかも異なる世界が広がっています。
目に映る風景はほとんど変わらないのに、ちょっと国境を越えただけで「外国」になってしまうのは、島国育ちの私には新鮮な体験でした。
わけても印象的だったのが、スロヴァキアとの国境沿いを流れるDunajec川(ドゥナイェツ)のリバークルーズです。
ポーランドの湖から流れ出るこの川は、約18キロメートルに渡ってスロヴァキアと国境を接した後、大きく蛇行して再びポーランド領に戻ります。
川沿いの遊歩道も両国にまたがり、国境部には両国の国旗が掲げられた丸太小屋のような出入国審査所があって、EU加盟前は、たとえ散歩といえども、パスポートの提示が義務づけられていました。
また幅10メートルほどの川を挟んで、こっちがポーランド領、あっちがスロヴァキア領になっている場所も多く、深夜、川の浅瀬を渡って、ポーランドからスロヴァキアの居酒屋にこっそりビールを飲みに行く人もあったそう。
スロヴァキア通貨の方が若干弱いので、ポーランド人にはお得なんですね。
また、船頭さんの話では、どこからか監視しているそうですが、いまだかつてこれで逮捕された人はいないそうです。(EU加盟以前の話。現在は行き来自由です)
こんなエピソードも、見方をかえれば、地続きヨーロッパではいかに隣国の脅威にさらされてきたかという証でもあります。
たとえば、ある日突然、川向こうから何万という軍隊が攻め込んで来たら、無防備な国境沿いの町はひとたまりもないでしょう。
池田理代子先生の「天の涯まで ~ポーランド秘史~」では、18世紀末、国土分割をめぐってロシアと対立してきたポーランドが、首都ワルシャワを流れるWisła河(ヴィスワ)の対岸から2万ものロシア軍に侵攻され、市民の大量虐殺の後、国王スタニスワフ・アウグストは退位。ロシア、オーストリア、プロイセンによって国土は完全に分割され、ポーランド王国そのものが消滅してしまう過程が詳細に描かれています。
歴代のヨーロッパ諸国の王が、政略結婚をはじめ、あの手この手で政治的駆け引きを繰り広げてきたのも、油断すれば簡単に国境を突破されるからでしょう。
「ベルばら」では、革命によって身の危険を感じた国王一家が、フェルゼンの手引きによってマリーの故郷であるオーストリアに逃亡を試みます。
「にせの旅券と馬車の用意をして、国王一家をパリからおつれいたします。シャロンにつけばそこから国境まではブイエ将軍の管轄ですから、将軍がご一家をお守りするでしょう」
フェルゼンの不眠不休の働きにより、逃亡計画は着々と進められ、1791年6月20日、国王一家はテュイルリー宮からの脱出に成功します。
しかし、「手綱をとったフェルゼンが馴れないパリの町に2時間以上も迷ったこと」「村人の不審をかった軍隊が勝手に引き揚げてしまったこと」などから、国王一家は孤立無援となり、国境付近のヴァレンヌという小さな町で拘束されます。
ヴァレンヌからオーストリア国境までわずか50キロメートル。
車で飛ばせば、一時間もかかりません。
あと一歩のところで、変装を見破られ、逃亡を断念せざるを得なかった国王一家の無念、とりわけフェルゼンの悲嘆は計り知れません。
ヴァレンヌ逃亡事件をきっかけに、それまで国王に同情的だった人々も、国王不要論を支持するようになり、ルイ16世とマリー・アントワネットの処刑を決定づける要因となりました。
もし、彼らが逃亡に成功していたら、フランス革命の顛末も大きく違っていたでしょうし、最初から逃亡など企てず、国民に歩み寄っていれば、生き延びる術もあったかもしれません。
あと50キロメートルの道程、なぜ歴史は彼らに国境を越えさせなかったのか。
それを思うと,ルイ16世も、マリー・アントワネットも、死をもって国家の礎となることを運命づけられていたような気がしてなりません。
国境――それは、古来より争いの元である一方、希望の扉でもありました。
人類初の宇宙飛行を成し遂げた旧ソ連のガガーリン少佐は、「地球は青かった」という名言と共に、「そこに国境は見えなかった」という言葉を残していますが、実際、大地に引かれたわけではない国と国の境をめぐって、大勢が血を流し、希望と絶望の狭間で翻弄されてきました。
無念をかみしめてきた人々のことを思うと、歴史の悲哀を感じずにいられないのです。
ちなみに「50キロ」という数値は、Google Mapが登場する以前、私が直線距離で測った数値です。
コミックの紹介
革命も王室には好意的でしたが、ヴァレンヌ逃亡事件により、一気に王政廃止に傾きます。
詳しくは、マリー・アントワネット(上) Kindle版、マリー・アントワネット フランス革命と対決した王妃 (中公新書) Kindle版 安達正勝・著をご覧下さい。
第9巻『いたましき王妃のさいご』では、フランス革命の嵐の中で、いっそう強く結ばれるフェルゼンとマリー・アントワネット、王室一家の悲劇を描いています。
オリジナルの表紙はこちらです。デジタル版の扉絵は、連載初期のイラストです。
危険においても美しくあれ ~マリー・アントワネットの美学
国王一家がヴァレンヌ逃亡に踏み切った背景は安達正勝氏の『マリー・アントワネット フランス革命と対決した王妃 (中公新書) 』に詳しく紹介されています。
マリー・アントワネットはメルシ・アルジャントへの手紙で「(この出来事によって)私たちはこれまで以上に計画どおりにしなければならないと思いました。私たちの境遇は恐ろしいものです。この境遇を来月逃れることが絶対的に必要です」と言っている。
「危険の中にあっても、危険を回避することよりもむしろ美しくあることを考える」――マリー・アントワネットはそういう女性だとラ・ファイエットは語っているのだが、この言葉は彼女の本質を突いている。マリー・アントワネットは敗北を認めない女性だが、敗れるときは美しく敗れようとする。「身を滅ぼすにしても、それは栄光をともなうものではなければなりません」――これが「美しく敗れる」ということである。
前にも述べたように、マリー・アントワネットは政治的教育・訓練をいっさい受けたことがない。政治状況を冷静に分析して方針を出す、ということができなかった。彼女の方針は、革命に対する憎悪と恐怖、「王権は神聖にして侵すべからず」という固定観念から導き出されるのであった。王家のためを思って彼女が打ち出す方針が、多くの場合、王家にとってマイナスをもたらす結果に終わるのはこのためである。その最たるものが、この「ヴァレンヌ逃亡事件」なのである。
しかし、こう言い切れるのは、われわれ後世の人間は計画が失敗に終わったということを知っているからである。計画推進中の当事者たちは結果がわからない状態の中で動いている、というより、成功するだろうという期待感の中で動いている。期待感というよりも、確信に近かったかもしれない。そしてもし計画が成功した場合は、マリー・アントワネットは王家を救った最大の功労者になったはずだ。革命の勢いを止めることはできなくても、少なくとも王家の人々は処刑されずにすんだはずである。そして、二十数年後のこととはいえ、ナポレオンの時代をへてブルボン家が王座に復帰するのだから、そのときには、健在であればルイ16世が国王に返り咲いたはずである。
本書を読む限り、逃亡を決行したタイミング、装備(王家の風格にこだわり、立派な大型馬車にあれもこれも積み込んで、重くなったのは有名な話)、最後まで捨てきれなかった王族意識、様々な悪条件が重なって、成功に至らなかった背景がまざまざと目に浮かびます。
結局、この逃亡事件をきっかけに、「王制を廃止せよ」という声がフランス全土から怒濤のように沸き起こり、死へとひた走ります。
何を読み間違えたのか、あるいは王は絶対という無意識の自惚れか、他人には到底窺い知れません。
民主化に至る時代の流れに淘汰されたとしか言い様がないです。
安達氏の本は、文学仕立てで、非常に読みやすく、共感する内容も多いので、機会があれば、ぜひ手に取ってみて下さい。
マリー・アントワネット フランス革命と対決した王妃 (中公新書)
【フォトギャラリー】 ポーランドとスロヴァキアの国境
こちらはポーランドとスロヴァキアにまたぐ Dunajec川(ドゥナイェツ)の国立公園の模様です。
ポーランドもEU加盟前(シェンゲン協定に加入する以前)は、国立公園の遊歩道でも出入国管理が行われ、観光客も地元民もパスポートの提示が義務づけられていました。たとえ散歩でも、パスポート無しで通過できなかったのです。
こちらは観光の目玉、リバークルーズです。 Dunajec川(ドゥナイェツ)は国境をまたいで蛇行する為、ポーランド・スロヴァキア間を何度も行ったり来たりします。
川向こうはスロヴァキア。昔は、監視の目をくぐりぬけ、浅瀬をわたって、川向こうの居酒屋にビールを飲みに出掛けていたそうです。
国境間を結ぶブリッジ。現在では、自由に行き来することができます。
橋を渡れば、そこはスロヴァキア。店員が話す言葉も、法律も、通貨も、すべて異なります。
ほんの数十メートルを歩いただけで外国なんですね。
現地には『外国』とか『国際』という意識も皆無です。言葉や法律の異なる村に遊びに行く感じ。
Google Mapでみる、ポーランド=スロヴァキア間の主要な国境。
EU加盟以前は、ここに検問待ちの長蛇の列が出来ていました。
今は徒歩でも車でもするりと通り抜けることができます。= EU各国がテロリストの侵入を恐れる所以です。
シェンゲン協定は観光客やビジネスマンには有り難いけど、国防においては非常なリスクとなっています。