私も子供の頃からTVロードショーの大ファンで、日曜、月曜、木曜、金曜、土曜、ほぼ毎日、TVに釘付けになったものです。
それがフランスの誇るエロティック・ドラマ『エマニュエル夫人』であろうと(10歳で鑑賞)、「決して一人では観ないで下さい」が売り文句の『サスペリア』であろうと、ロードショーが始まれば、二時間はコタツ猫状態。
TVの前で身動き一つせず、エンディングのCMテロップが流れるまで、映画に見入ったものです。
*
そんなTVロードショーの醍醐味は、なんといっても映画解説。
日曜=淀川長治氏、月曜=荻原雅弘さん、金曜=高島忠夫さん。
どの方の解説も、博識な上に、心がこもって、教養の窓口でした。
私が同年代の子供に比べて、やたらハリウッドの事情に詳しかったのも、これら上質な映画解説者のおかげです。
映画はつまらなくても、コメントを聞くだけで価値がありましたから。
*
わけても印象に残っているのは、淀川長治さんのエピソードです。
朝日TVの日曜洋画劇場といえど、毎回、「ローマの休日」や「スターウォーズ」のような大作ばかり放映できるわけではありません。
予算の都合で、数回に一回は、「アナコンダ」「コンゴ」「恐怖 巨大イカの逆襲」みたいな、低予算、超マイナーな作品が、何度も、何度も、繰り返し放送されます。(ちなみにアナコンダは、ジェニファー・ロペス、ジョン・ボイドなど、けっこう大物が出演してるんですよね)
が、そんなヘタレな作品でも、淀川さんは、毎回、心をこめて解説されるわけですよ。
どこを、どう切り取っても、面白くも何ともない、金髪のねーちゃんがキャーキャー騒ぐだけのクソ映画でも……です。
その様を見る度に、「うわー、こんな作品でも、一所懸命にヨイショしなければならないなんて、淀川さんも気の毒だなーっ」と思っていたら、似たような印象を抱く人は他にもあった模様。
ある時、ファンの方から、「どうやったら、あんな駄作でも熱心に解説できるんですか?」という手紙を受け取ったそう。
それについて、淀川さんは、こんな風に答えておられました。
「どんな作品でも、必ず一つは褒めるところがある。その良い所を見つけ出すのが、評論家の仕事」
それを見た時、ああ、この方は、心の底から映画を愛しておられるのだな、と実感しました。
そうでなければ、「アナコンダ」や「巨大イカの逆襲」みたいな作品を相手に、
「すごいですねー。怖いですねー。船の横から、巨大なイカが、ガバーッっと出てきますねぇ。実は、この監督さん、この後に、○○という作品も撮っています。見せ方が上手いですねー。はい、それでは一緒に観て参りましょう。怖いですよー」
なんて、視聴者に「ほんまかいな」と期待を抱かせるような解説はできないからです。
※ ちなみに、アナコンダは、そこまで駄作というわけではなく、クリーチャーの安っぽさで損している作品です(^-^)
しかも、解説は一度限りではありません。
予算の穴を埋めるように、何度も、何度も、繰り返し放送されるので、その度に、異なるコメントを考えなければなりません。
解説の対象が、「ローマの休日」や「スターウォーズ」のような大作なら、誰でも、いくらでも、褒め言葉を思い付きます。
しかし、世の中のどこに、「アナコンダ」や「巨大イカの逆襲」を、繰り返し、繰り返し、しかも異なる言葉で評論できる専門家がいるでしょう。
映画への愛があるから、言葉もいくらでも出てくるし、観る人の心も動かせるのです。
たとえ、視聴者が視聴後に「騙された……」と感じたとしても。
*
評論といえば、『レミーのおいしいレストラン』で、厳格な料理評論家のアントン・イーゴが、ねずみのレミーがこしらえたラタトゥーユに感動し、新聞に素晴らしい批評を載せる場面が印象的でした。
評論はどうあるべきか、真摯に語る名台詞だと思います。
*
もちろん、作品は何でもヨイショすればいい、という訳ではありません。
「巨大イカの逆襲」のように、救いようもないほど退屈で、一体何が目的でこんな映画を作ったのか、首を捻りたくなるような作品にまで、お愛想で五つ星レビューを付けていては、別の意味で映画文化が衰退してしまいます。
至らぬ点は至らぬと、はっきり指摘するのも、愛のうちです。
その際、批評するにも、それなりの礼儀作法が必要だし、雑巾みたいに叩いたところで、作り手の能力が向上する訳でもありません。
愛のない批評は、ただの蔑みであり、マウンティングです。
冷笑するような批評は、イーゴ曰く、「書き手にとっても、読み手にとっても痛快」かもしれませんが、そんな批評もまた大衆に消費されるだけ、何をも育てはしないのです。
*
ネットが普及して、誰も彼もが好きなように放言できる「一億総評論家時代」になりましたが、果たして、映画文化も、出版文化も、舞台芸術も、ネット以前に増して活性化し、レベルも上がったでしょうか。
むしろ、ファンでもない人の、見当違いな言いがかりを恐れて、どこもかしこも萎縮しているのが現状ではないでしょうか。
作り手に希望も逃げ道も与えない批評は、いずれ文化の衰退を招き、せっかくの才能の萌芽も潰してしまいます。
こんな時代に、私たちが身に付けるべき事は、作品に関するウンチクではなく、文化や作り手に対する敬愛の念ではないかと私は思います。
ちなみに、「巨大イカの逆襲」の見どころって……(。・ω・。)
ここで詰まってしまうところが、私と淀川さんの歴然たる差です。
初稿 2015年9月25日