著書『鈍牛にも角がある』『頂点をきわめた男の物語 オヤジとわたし』について
早坂茂三の本を読んでいると、一度でいいから、こんな骨太な男と膝をつき合わせて、とことん語り合ってみたかった、と思う。
今では絶滅品種、草食系とか何とか言われる時代に、こんな人物が再び現れることはないし、また彼の師であり、鬼才と呼ばれた田中角栄のような政治家も二度と現れない。
イマドキの首相パッシングを見ていると、批判する側もなんとみみっちいことか、と思う。
どうせなら「100億円献金疑惑」とか「闇に葬られた秘書官。知りすぎた人脈・金脈」とか、もっとスケールの大きいことで騒げばいいのに、「あの人が、アレ言った」とか「制服の襟が曲がってる」みたいな女子高生のノリで、悪いことをするにもつくづく面白くない。
腹の底から怒鳴る人もなくなった。
一億総「いいこ」時代の到来。
その嘘っぽさに気付きながらも、誰もが恐れて本当のことを言わない。そんな印象がある。
ゆえに、早坂さんの本など読んでいると、今は何処を探しても見当たらない「痛快」という言葉が胸をすくようだし、日本人は本当にパワーがあったな、とつくづく。
もちろん、今でもパワーのある人はいるけども、馬力と電力の違いとでも言うのか、力の源からして違う。
早坂茂三、田中角栄、そして高度成長期からバブル期にかけて、政治経済の両面から日本を牽引した男達──決して「良い人」ばかりではなかったけれど──の、怨念のごとき野心と信念の炎を思うと、揚げ足取りな言葉パッシングで謝罪ばかりしている今の政治家って、結局、何がしたいのかよく分からない、それなら、「何が何でもオレは首相になって、権力を一手に握ってみせる!」などという、池上遼一の劇画を地でゆくようなキャラクターの方がよほど理解しやすいような気さえしてくるのだ。彼が正義であるかどうかは別として。
そんな早坂氏の二冊の本。
第二次大戦、全共闘、高度成長期、そしてバブル、平成と、まさに激動の時代を駆け抜けた自伝『鈍牛にも角がある (集英社文庫)』と、人生最大の恩師であり、昭和政治の巨星とも言うべき田中角栄を回想する『オヤジとわたし 頂点をきわめた男の物語/田中角栄との23年 (集英社文庫)』は、まるで司馬遼太郎か吉川英二の歴史小説でも読んでいるようなドライブ感と迫力に満ちている。
博学な文学青年で、新聞記者でも鳴らした人だけに、その文章は古武士のようにかくしゃくとして、切れ味も鋭い。それでいてどこかユーモラスで、下品にならない程度のシモネタも絶妙、なおかつ随所に散りばめられた古典の引用などが並々ならぬ知性を感じさせ、退屈になりがちな政治の話もまったく飽きさせない。
もちろん、それは、早坂氏の文章のみならず、「読み物」になるだけの傑出した人物が昭和のあの頃に綺羅星のごとく現れたからであり、そういう怪物らに揉まれ、踏みつけられながらも、日本の政治の中枢で、その現実をつぶさに見ることができた氏の人生は、まったくもって羨ましいという他ない。
田中角栄回想録『オヤジとわたし』の冒頭に「男ありき。私は改めて確信しました。オレが田中角栄に賭けたのは、間違いじゃなかった──と。」とあるように、田中角栄の男っぷりがわかった早坂氏もまた本物の男であり、『男』の言葉ほど女の胸に響くものはないのである。
早坂茂三の自叙伝『鈍牛にも角がある』。
函館での腕白な少年時代、共産運動に傾倒した学生時代、六畳間の同棲ストーリーを経て角栄との出会い、そして日本の政治。
それこそ包み隠さず、タイトな文章で綴られた自伝でもあり、昭和史でもある。
氏の凄いところは、普通の人が取り繕う所も躊躇うことなく筆を走らせ、己というものをあるがままに、しかも客観性をもって描写できる点。本物の自信があるからこそ出来る技。
田中角栄回想録『オヤジとわたし』。
世間がロッキード事件で騒然としていた時、私は本当に子どもだったので、国会中継で繰り返される小佐野賢治の「記憶にございません」と「黒いピーナツ」ばかりが記憶に残っているのだけども、それでも白黒TVの向こうで繰り広げられる「大人の世界のゴタゴタ」は非常に印象的だったし、角さんのダミ声も子供心に胸に残った。
そして、今にして、当時あったことを知りたいと思う。
福田赳夫とは何者だったのか、アーウーの大平はどこからやって来たのか、中曽根、海部、あの人たちは今の日本を予見していたのか、etc。
こうして振り返ってみると、確かに日本は経済的には成功したけれど、結局、カネ、カネ、カネで明け暮れ、20年後、30年後に真価が問われる教育のことや、文化、芸術の育成、国としての目標とか、信念とか、いわゆる「目に見えない大切なもの」はなおざりにされてきたような、そんな気がしてならない。
その結果が「コレ」だもの。
もっと20年後、30年後のこと、本当の意味で精神的に成熟した豊かさのこと、考えて欲しかったような。
いろいろ思ってしまう。
──だとしても、それぞれが、それぞれの信念に基づき、男としてこの国を動かそうとした時代があった──それを実感することは、決して悪い気分じゃない。
早坂流に言えば、「世間から糞尿を浴びようと」、己を貫くということは、正義を実現するのと同じぐらい価値のあることなのではないか。
大衆にイチャモンつけられたぐらいで前言撤回するくらいなら、小悪党でも、一つの決断を下せる方がいい。
国民は「食えれば」納得する。
落としどころは、実に単純なのだから。
田中角栄の魅力とは
この人にしてこの言あり。
早坂茂三氏は、23年も角栄に忠実に仕えた。その忠実さと功績に比して、何と報われることの鮮なきか。そのうえ、心なくも、角栄の周辺から追われ窮して浪々を託つ身である。しかも、うらむこともなく、後悔もしていない。何故か。角栄こそ、人間がわかる男であったからである。≪中略≫
奇蹟の中でもきわめつけは、角栄がどんなに苦境に立っても、田中はから脱走兵を出さなかったことである。角栄は、逮捕され、起訴され、有罪判決をうけ、ついに病に倒れた。この四つのうち一つだけでも、派閥は雲散霧消するに決まっている。田中派にかぎって、危機あるごとに、強大になっていった。
奇蹟の秘密は何か。
政治音痴の日本人のなかで、角栄だけが政治を理解していたからである。人間洞察の深さにおいて桁違いであったからである。
なぜ、日中国交正常化をそんなに急ぐのかを問われて、角栄は答えた。
「毛沢東とか周恩来という、いまの中国をつくった創業者は、共産主義であれ何であれ、えらい苦労をしてきた連中だ。多くの死線を越えてきた。それだけに、すべてないものづくしの中で、あのでかい国をやりくりしていくためには、いま何が必要かということがわかっている」「だからあの連中が元気なうちに、この勝負を決めなければならないんだ」
人間洞察の深さ、政治の理解、これ入神。
緊急の仕事がひかえている人は、本書を紐解かないでください。読み始めたら止められず、最後までつきあわされて貴重な時間を失うと困るから。
「オヤジとわたし」小室直樹による「はじめに」より
これも味のある文章です。(ところどころ省略してます)
私があの人のところへ弟子入りしたのは、新聞記者をしていた32歳のときでした。
≪中略≫
大蔵大臣室に呼ばれまして、そのときに、オヤジさんが私に言った。
「俺は、十年後、天下を取る」いきなりです。「お互いに一生は一回だ。天下取り、これだけの大仕事がほかにあるかい」と言うので、「ありません」と答えました。
「ならば一緒にやろうじゃないか。片棒を担げ。お前が学生時代、共産党だったことは知っている。公安調査庁から書類を取り寄せて目を通した。よくもまあ、阿呆なことばかりやってた。あの頃の若い連中は腹も減っていたし、血の気が多いのは、あらかたあっちへ走った。それは構わない。そのぐらい元気があったほうがいい。ただ、馬鹿と鋏は使いようだ。俺はお前を使いこなすことができるよ。どうだい、一緒にやらないか」と、にんまり笑いました。
≪中略≫自民党が金権と腐敗の温床である現実はわかっている。だけど、社会党は天下を取る気がまったくない。日中──日本と中国が仲良くしなきゃならない。これは私の若いときからの夢でした。田中ならばできる。彼の決断力と実行力、情熱と闘争心はほかに例が無い。自民党でドロまみれになるけれど、日中問題を解決できるなら男子の本懐だ。そう結論を出して、私は翌日、弟子入りしました。
≪中略≫「腹の中に銃弾百発もぶち込まれる覚悟がなければ、政治のトップなんていう仕事はできない」──こう笑って、あの人は一気にやりました。
昭和43年、東大医学部ストから始まった学園紛争は、その後、全国的な大学紛争に発展し、大混乱になりました。大学の先生たちには失礼だけど、臭い物に蓋で、一本気な若者たちと正面から向かい合い、大学の管理システム改善の議論をする当事者能力がなかった。
≪中略≫ところが、法案は、参議院に送られたのはいいけれど、ガチャンと留め金をかけられて動かない。
≪中略≫会期末が目と鼻の先に迫り、時間ぎれで大学運営臨時措置法案が廃案になりそうでした。角栄さんが衆議院の自民党幹事長質で、「あのくそじじい、ぶっ飛ばしてやる」と大声を出し、いきなり立ち上がって、参議院議長室に走り出した。
「おい、じいさん、お前さんは子どもも孫も全部できあがって、世の中に出てるからいいけど、自分の食うものをへずって、子どもを学校に出して、カネを送っている親たちは、この先みんな大学はどうなるのか、真っ青になってるぞ。講義を聞いて、進級し、卒業したい子どもたちも今の騒ぎで大学に行けなくて困っているぞ。今すぐ本会議を開くベルを鳴らせ」
≪中略≫そしたら、田中がまた怒り出しましてね。
「それは総理もお前さんも同じ極楽トンボだからだ。いいから、とにかくベルを鳴らせ。時間がないんだ。四の五のぬかすと、じじい、この窓から下に叩き落とすぞ」
この年、衆議院総選挙がありました。自民党は三百議席を得て大勝しました。勝った理由は「沖縄だ」というのが大方の論評だったけど、私は腹の中で、「それは違うんじゃないか。本当は大学運営臨時阻止法が成立して、大学が静かになった。本来の勉強するキャンパスに戻って、日本じゅうの親たちがほっとした。子どもの通う大学を静かにしてくれて、佐藤さん、本当にありがとう。こうした有権者の思いが政権の信任につながった」今でもそう思っています。
角栄さんは戦後日本が生んだ「議会政治の申し子」でした。人民の海から生まれたような政治家だった。衆議院、議会というところは、議員さんたちが集まって、選挙民、つまり国民から「あれをやってくれ」「これをやってほしい」と言われたことを自分たちが責任もって議論して、法律にまとめあげ、実施するのが本来の役目です。だから立法府と呼ばれる。
ところが今、国会に提出されている法案の九割九分は霞ヶ関の秀才たちが用意しています。
私の親方は違った。政治家として七十三の議員立法を手がけました。焼け跡の日本を再建、復興させ、田舎の人たちの暮らしもよくしなければならない。これにまっしぐらに進んだ。この時代にガソリン税を創設して、今の道路網の財源にしました。
今の政治家の皆さんは、役人におんぶに抱っこが目立ち、鼻先であしらわれて、本当は馬鹿にされている。目線が現行法体系を越えられず、あと追い投資に終始する役人に使われるのではなく、角栄さんの実績に学び、議員立法に目を向けて欲しい
、としみじみ思っています。それと、田中と言えば、やっぱりロッキード事件。
事件が始まったあと、東京・目白台の田中邸は、カメラの脚立が林立し、報道陣二、三百人に取り囲まれた。スポークスマンの私は精一杯、彼らの質問に答えたつもりでしすが、連中は私の話など上の空で、思い入れと偏見、独断にあふれた記事を洪水のように流した。私も頭にきて、いつも怒鳴りつけていた。
そしたら、オヤジさんが私に言いましたよ。
「怒鳴るな。連中も俺のところに来たくて来るんじゃない。カメラマンは俺の写真、面白い顔をしたのをばんと撮らなきゃ、社へ帰ってデスクに怒られるぞ。新聞記者だって、お前から無愛想に扱われ、つんけんどんけんやられて、俺が目白の奥で何をしゃべっているか、それも聞くことができないで記事に書けなけりゃあ、社に戻ってぶっ飛ばされるぞ。彼らも商売なんだ。少しは愛想よくしてやれ」
角栄さんが死んで、戦後日本は終わった。
登り列車の英雄の時代に幕が下りた。
行儀は悪いけど、ここ一番というとき、頼りになる隣のオジさんがいなくなりました。全軍の先頭に立って、さあ、前進しよう、それでみんながワクワクして、一緒に動き出す、そういう時代は、田中が去って終わったと思います。悪党と言えば悪党、それがいなくなりました。
これからは真面目で善意だけど、気が小さくて度胸なし、小理屈は達者でも、決断、実行、情熱の乏しい人たちが溢れかえるだろう。角さんのような人が再び出てくるのは難しい世の中になった、そう思います。
そういう早坂さんも、2004年にお亡くなりになりました。
やりきれない、せつないものばかりが、後に残されて行く・・という感じです。
早坂茂三の著書
函館で生まれ育ち、多感な少年期に敗戦を迎える。その後早稲田大学に進み、共産党員になるが、心身ともボロボロになって離党。新聞記者時代に田中角栄氏と出会って…。現代日本の政治情勢にも触れながら、自らの波乱に富んだ半生を赤裸々に語る好著。失敗を恐れるな! 意志あるところに道あり! 若者への熱いメッセージがかくし味。
早坂さんらしい、骨太ながらも自嘲系ユーモアあふれる自叙伝。よくここまで自分を分析して、恥ずかしい過去もさらりと書いてしまえるなぁと嘆息。昭和史としても読み応えがあります。
鈍牛にも角がある ハードカバー 戦争と革命の二十世紀が終わりに近づき、日本の内外ともに政治、経済社会の森羅万象のことごとく世紀末の靄が立ち込めてきた。人生は寸前暗黒。三年先五年後の展望を描き切るのは容易ではない。一ドル百円時代になって、健気な企業戦士の中高年管理職は今、受難の季節にある。不況が長引いて、社会に旅立つ青年男女にも浮世の風は冷たい。 ならばよし!お互いは体を鍛え、見栄も外聞もふっ飛ばし、足元を固め、軽やかなフットワークを身につけて、生きて行こうではないか! 何があっても天が落ちてくることはない。薹が立っても花は咲く。お互いは唇に歌を持ち、更なる前進を続けていきたいと、私は念じている。(本文より) |
裸一貫から政界のトップにまで登りつめた田中角栄。その政治の舞台からプライベートまで、苦楽をともにしてきた元秘書が、23年間の思い出を通して天才政治家の生の姿を活写する。
娘も有名だけど、やはり角さんの迫力には心惹かれる。人間洞察力に長け、圧倒的なカリスマ性で自民党を率いた男の生い立ちと哲学が、早坂さんの力強い文章で綴られています。師と仰ぎながらも、媚びず、溺れず、冷静客観に見つめる姿勢がいいですね。
田中角栄 頂点をきわめた男の物語 オヤジとわたし (PHP文庫) 新聞社の政治部記者時代に田中角栄と出会い、以後23年間、敏腕秘書として勇名を馳せた著者が、政治の舞台からプライベートまで、天才政治家の生の姿を活き活きと描く。貧より身を起こし、不屈不撓(ふくつふとう)、小学校卒の角栄が、54歳の若さで日本の最高指導者に登りつめた秘密のカギは何であったのか? 秀才官僚はなぜ角栄に心服したのか? 憲政史上最大最強の人脈はどのようにつくられたのか? 刊行当時ベストセラーとなった著者渾身のデビュー作、 |
政界での豊富な体験と、深い人間観察で日本社会を鋭く凝視し続ける著者が、“生きていくための知恵”を説き明かす。混迷の時代にあって、進むべき方角を見失わず、悔いなく人生をおくるための必読書。
早坂さんらしい処世術が綴られた、私のお気に入りの本。
詳しくは「早坂茂三の言葉 ~田中角栄と共に闘ったオヤジの遺言~」でどうぞ。
捨てる神に拾う神―もっと無器用に生きてみないか 人間、社会、政治、教育、様々なテーマで書き綴るオヤジの遺言。修羅の世界を生き抜いた、早坂氏らしい骨太の言葉がよい。現代にも通じる処世術が満載です。 |
早坂氏の著書『捨てる神に拾う神 もっと不器用に生きてみないか』から現代にも通じる人生訓を紹介。
秩序が乱れると組織は機能しない ~野村克也 VS 早坂茂三の対談より
野村克也監督と早坂茂三氏の辛口対談より、人と社会の在り方を説くコラム。