”わたし”とは記憶の集積 押井守『攻殻機動隊』が結婚を熱く推奨するワケ

映画『攻殻機動隊』について

映画『マトリックス』を始め内外のクリエイターに多大な影響を与えたサイバーアクションの金字塔。『人間とは記憶の集積である』をテーマに「わたし」の実存に迫る。生物の進化とは即ち他者との融合であることを、草薙素子の”結婚”から読み解くコラム。

『攻殻機動隊』は、押井守監督のアニメ映画(1995)しか見ていません。士郎正宗氏の原作も読んでないし、1995年以降のアニメも未見です。あくまで押井版に限定したコラムなので、ファン・レビューを期待されている方、草薙素子・原理主義者の方はスルーして下さい

目次 🏃

作品の概要

GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊(1995年)

監督 : 押井守
原作 : 士郎正宗
声の出演 : 田中敦子(草薙素子)、大塚明夫(バトー)、山寺宏一(トグサ)、家弓家正(人形使い)

あらすじ

内務相直属の『公安9課』に所属する草薙素子は、他人の電脳をハッキングして、人形のように操る謎のハッカー『人形使い』を追っていた。
ある時、義体メーカー『メガテク・ボディ社』の製造ラインが勝手に稼働し、女性型の義体が逃走、途中で交通事故に遭い、公安9課に運び込まれる。
義体の中には、情報のの海で生まれたという『人形使い』(意識体)が入り込み、一つの生命体として、政治的保護を求める。
素子は半信半疑だったが、人形使いに電脳ハックされ、自我を失った男らを見るうちに、“わたし”とは記憶(データ)によって形成されると理解し、『人形使い』の願いを聞き入れる。

見どころ

映画『マトリックス』のウォシャウスキー監督らに絶大な影響を与えたサイバーパンクの傑作。
グリーンの背景にカタカナ文字が縦走する有名なOPは、攻殻機動隊に対するオマージュで知られる。
(参考→ 映画『マトリックス』が本当に伝えたいこと ~君は心の囚人 / What is MATRIX 英語で読み解く

他にも、警官隊との銃撃シーン(銃弾で壁が崩れ、着地した時に床が凹む演出など)、露天での銃撃シーン(野菜や果物がはじけ飛ぶ)、など、随所に応用されているので、見比べると面白い。

ちなみに、映画『フィフスエレメント』で、リールーが高層ビルから飛び降りる場面は、『攻殻機動隊』のOPで素子がジャンプする場面からヒントを得たと言われており、当時のクリエイターに与えた影響は計り知れない。https://youtu.be/G5pu7quBAJ8
(参考→ 世界を救う第五の要素 映画『フィフス・エレメント』 & エリック・セラの『Little Light of Love』

1995年は、IT史の歴史に残る『Windows95』がリリースされた年でもあり、家庭用パソコンが一気に普及した記念すべきイベントでもある。
(当時の模様は『第5回 ソフトウェア帝国の誕生〜天才たちの光と影〜』で詳しく紹介されているので、興味のある方はどうぞ。NHKドキュメンタリー『電子立国』シリーズの一つ)

いわば、IT黎明期の幕開けと共にリリースされた作品であり、「ネットで繋がる電脳空間」「情報の海で生まれた生命体」「意識とは、人格とは何か」というテーマがクリエイターやITマニアをどれほど熱狂させたか、お分かり頂けるのではないだろうか。

有名なOPは、年齢制限がかかっており、YouTubeでしか視聴できないので、下記リンクよりどうぞ。
Ghost in the Shell (攻殻機動隊 1995) | OP /『Making of a Cyborg』| 4K 60FPS

『わたし』とは、記憶の集積

自我は記憶によって形成される

攻殻機動隊では、「電脳ハック」という技術が個々の大脳に直接アクセスし、脳内に集積された記憶(データ)を書き換え、まったく別人に作り変えることが可能だ。

電話回線を経由して、電脳をハックされた外務大臣の通訳は、政府の会話を襲撃せよと司令を受ける(未遂)。

電脳ハックされた大使館の秘書

独り者の男は、「女房と離婚調停中の夫。一児(娘)の父親」に記憶を書き換えられ、それまでの『自分』を完全に喪失してしまう。

電脳ハックによって自分という記憶を喪失した男

事実を知らされた男は、自分の身に起きたことが全く理解できず、次のように受け答えする。

男 「疑似体験って、どういうことです?」

捜査官 「奥さんも娘も離婚も浮気も全部偽物の記憶で、夢のようなものなんです。あなたは何者かに利用されて、政府関係者にゴーストハックを仕掛けていたんですよ。あんたのアパートに行ってきたが、誰もいやしない。独り者の部屋だ。だから、あの部屋は別居のために借りたアパートで、あんたはあの部屋でもう十年も暮らしてる。奥さんも子供もいやしない。あんたの頭の中だけに存在する家族なんだ」

バトー「疑似体験も夢も存在する情報は全て現実であり、そして幻なんだ。どっちにせよ、ひとりの人間が一生のうちに触れる情報なんて、わずかなもんさ」

記憶を変えれば、人格も変わる

『わたし』という存在は、様々な記憶によって成り立っている。

京都に生まれた『わたし』。

仲のいい両親と家族旅行の思い出。

部活に明け暮れた高校時代。

初めてのデート。

どこで生まれ、誰と暮らし、学校生活はどんな風で、今まで何を得意としてきたか、そうした記憶が『わたし』という人間を作り上げ、自分で「こう」と思うものが『わたし自身』として存在する。

つまり、あなたが『わたし』と認識するものは、数々の記憶によって、あなたの頭の中に作り上げられた『セルフイメージ』に過ぎず、たとえば、コメディ映画『アイ・フィール・プリティ』の女の子は、ぽっちゃり体型でコンプレックスの塊でも、「自分はスーパーモデルのような金髪美女である」というセルフイメージを刷り込まれたら、自信満々に振る舞いだし、実生活でも他者を圧倒して、仕事も恋もゲットするわけだ。

『あなた自身』というものは、元々、存在せず、あなたの持つ記憶の集積に他ならない。

あなたは、「自分でこんな人間だ」と思い込んでいるが、それは、どこまで真実なのか。

もしかしたら、あなたが認識する「あなた自身」というのは、他者に刷り込まれた記憶であって、本当のあなた自身はもっと違っているのではないか。

子供の頃から「ブス、ブス」と苛められた女の子が、大人になっても、自分はブスだと思い続けるように。

私たちが「自我」と呼んでいるものは、突き詰めれば、「思い込み」に過ぎず、その基盤となっているのは、膨大な記憶の集積である。

逆の見方をすれば、記憶を積み上げることによって、人工的に人格を作り出すことも可能で、その果てに現れたのが、草薙素子であり、『人形使い』の「プロジェクト2501」である。

情報の海で生まれた「プロジェクト2501」は、自分もまた一つの人格(生命体)であることを主張し、消去ではなく、政治的に保護されることを嘆願した。

こうした存在を、一個の人格として認知するか、プログラム(人工物)として処理するかで、来るAI時代の権利や施策も大いに違ってくる。

これは決してサイバー系フィクションではなく、既に始まっている話であり、認知の如何によっては、生物の定義を超越した、まったく新しい生命体を生み出すことになる。

それは、人間や生命の存在意義を根底から覆すものであり、いずれ情報の海で生まれた生命体が人間よりはるかに優れた知能を有するようになれば、それこそSFみたいな世界観が構築されるだろう。

現に、SNSでは、匿名アカウントが「実社会のわたし」より影響力をもち、時には世論を動かす様も目にしている。

人工的な生命体が参入し、生身の人間に影響するばかりか、社会を引っ掻き回しかねないと、誰が言い切れるだろう。

そうした根源的な問いかけを、まだ世間の大半がWindowsもインターネットも知らなかった1995年に、押井氏が呈示した点に『攻殻機動隊』の凄さがあり、世界のクリエイターが刺激された所以でもある。

今となっては真新しさは感じないかもしれないが、これがネット以前に作られたと考えると、テーマの奥深さに目を見張るのではないだろうか。

何を根拠に自分を信じるべきか?

草薙素子は、脳髄だけが生細胞で作られ、体幹や四肢のパーツは機械(義体)で構成されている。

普通の人間のように、生殖細胞の受精によって生み出されたのではなく、人工的に製造されたサイボーグであり、素子自身は『人間』と認識しているが、素子の記憶は、誕生の瞬間から徐々に獲得したものではなく、外部から植え付けられたものである。(このあたりはリドリー・スコットのSF映画『ブレードランナー(1982年)』を参考にされたい)

ゆえに、素子は自分自身を次のように認識する。

人間が人間である為の部品が決して少なくないように、自分が自分である為には驚くほど多くのものが必要なの。

他人を隔てるための顔、それと意識しない声、目覚めの時に見詰める手、幼かった頃の記憶、そして未来の予感。

それだけじゃないわ。私の電脳がアクセスできる膨大な情報やネットの広がり、それら全てがあたしの一部であり、あたしという意識そのものを生みだし、そして、あたしをある限界に制約し続ける。

その上で、素子は「何を根拠に自分を信じるべきだと思う?」と問いかける。

素子が『わたし』として認識するものは、脳に刷り込まれた幾多の記憶や、義体を通して得る視覚や聴覚の集積であるが、果たしてそれが本当の自分かどうかと問われたら、「そうだ」と言い切る根拠は何もないからだ。

素子は、自分では「公安9課の捜査官」と思っているが、元々は、どこかのサイバー犯罪者で、刑罰として、このような形に作り変えられたかもしれない。

また、長年、9課で働いていると思っているが、実は、去年の暮れに、別の人格として再構成されており、それ以前は、自分自身が外務省で働く通訳だったかもしれない。

そう考えると、今の『わたし』――素子が「草薙素子」と認識するものも、絶対ではなく、明日には消えてなくなってしまうかもしれない。

そんな不確かな現実において、何をもって、「自分」というものを信じればいいのか、という問いかけである。

『攻殻機動隊』では、自意識の総称として『ゴースト』という隠語が登場する。

電脳と義体から構成されたサイボーグは、記憶も借り物、人格も半ば人工的に作られるので、自我の形成も、自然に生まれ育った人間とは異なる。

かといって、皆が皆、ロボットのように一様ではなく、素子のように懐疑的な人格もあれば、バトーのように寛容なタイプもあり、感じ方も考え方もそれぞれに異なる。

そうした自意識は『ゴースト』と呼ばれ、自然に生まれ育った人間の自我とは微妙に区別されるが、「わたしたちのゴーストはどこから来て、何を根拠に、自分が自分であると信じればいいのか」という素子の問いかけは、普通の人間にも共通するのではないだろうか。

バトー 「やつの頭の中にはもちろんひとかけらのゴーストも入っちゃいないんだが、補助電脳の中にはどうやらゴーストらしきものが存在するんだと。セルロイドの人形に魂が入ることだってあるんだぜ。ましてヤツは濃医学用のデバイスを詰め込めるだけ詰め込んでいるんだ。魂が宿ったって不思議はねえさ」

素子 「あたしみたいに完全に擬態化したサイボーグなら誰でも考えるわ。もしかしたら、自分はとっくの昔に死んじゃってて、自分は電脳と擬態で構成された模擬じんっかくなんじゃないか、って。いや、そもそも、あたしなんてものは最初から存在しなかったんじゃないか、って」

バトー 「お前のチタンの頭蓋骨の中には、脳みそもあるし、ちゃんと人間扱いだってされてるじゃないか」

素子 「自分の脳を見た人間なんて誰もいないわ。所詮は周囲の状況で、私らしきものがある、と判断しているだけよ」

バトー 「自分のゴーストが信じられないのか」

素子 「もし電脳それ自体がゴーストを生みだし、魂を宿すとしたら、その時は何を根拠に自分を信じるべきだと思う?」

『わたし』が何所から来て、どうやって作られるかなど、自然に生まれ育った人間にも分からない。

はたと気付けば、「わたし」という人間が存在して、「わたしはこうだ」と思い込んでいる。

そう考えれば、「わたし」というものに、決まった形も、根拠もなく、その時々の意識によって定義されることが分かるだろう。

見方を変えれば、「わたし」を定義し、限界を設けているのは、自分自身に他ならず、その縛りを解放すれば、人間の能力は無限に広がるという事でもある。(「君は心の囚人」と指摘するマトリックスのように)

先ほどの、船の上でのバトーとの会話と重ね見ると、意味が理解できるのではないだろうか。

君と融合したい ~結婚とは「情報と情報の融合」

『自我』と同じくらい重要なのが、『生命』に対する定義だ。

『攻殻機動隊』では、政治工作に利用するAIの開発過程で、自我をもった「意識体」を生み出す。(プロジェクト2501)

意識体は、外務省の通訳らに電脳ハックを仕掛け、『人形使い』の名で呼ばれていたが、義体メーカー「メガテク・ボディ社」の製造ラインに侵入し、女性のボディを借りて、逃走を図る。

だが、途中で交通事故に遭い、義体のまま9課に運び込まれ、「憧れの人」である草薙素子と対面する。

『2501』と大臣&捜査部長らの会話は次の通り。

2501 「死体は出ない。なぜなら今までボディは存在しなかったからだ。義体に入ったのは 六課の防壁に逆らえなかったからだ。だが、ここにこうしているのは私自身の意思だ。一生命体として亡命を希望する」

外務大臣 「生命体だと 単なる自己保存のプログラムに過ぎん」

2501 「それを言うなら、あなた達、DNAも自己保存のためのプログラムに過ぎない。生命とは情報の流れの中に生まれた結節点のようなものだ。種としての生命は、遺伝子という記憶システムをもち、人はただ記憶によって個人たりうる。たとえ記憶が幻の同義語であったとしても、人は記憶によって生きるものだ。コンピュータの普及が記憶の外部化を可能にした時、あなた達はその意味をもっと真剣に考えるべきだった」

外務大臣 「詭弁だ。何を語ろうと、お前が生命体である証拠は何一つない」

2501 「それを証明することは不可能だ。現代の科学はいまだに生命を定義することができないのだから」

外務大臣 「仮にお前がゴーストを持っていたとしても、犯罪者に自由はないぞ。亡命先を間違えたな」

2501 「時間は常に私に味方する。私は今、死の可能性を得たが、この国には死刑がないからだ」

外務大臣 「人工知能なのか?」

2501 「AIではない。私のコードは、プロジェクト2501。私は情報の海で発生した生命体だ」

最終的に、2501は、草薙素子との融合を求める。

君と融合したい。

なんてエッチな生命体でしょう。

しかも命がけで素子を守ってきたバトーの前で、ぬけぬけとプロポーズします。

2501 「あることを理解してもらった上で、君に頼みたい事がある。わたしは自分を生命体だと言ったが、現状ではそれはまだ不完全なものに過ぎない。なぜなら、私のシステムには、子孫を残して、死を得るという生命としての基本プロセスが存在しないからだ」

素子 「コピーを残せるじゃない?」

2501 「コピーは所詮コピーに過ぎない。たった一種のウイルスによって全滅する可能性は否定できないし、何よりコピーでは個性や多様性が生じないからだ。より存在する為に、複雑、多様化しつつ、時にはそれを捨てる。細胞が代謝を繰り返して、生まれ変わりつつ老化し、そして、死ぬ時に、大量の経験情報を消し去って、遺伝子と模倣子だけを遺すのも、破局に対する防御機能だ」

素子 「その破局を回避する為に、多様性や揺らぎを持ちたいわけね。でも、どうやって?」

2501 「君と融合したい。完全な統一だ。君も私も総体は多少変化するだろうが、失うものは何もない。融合後に互いを認識することは不可能なはずだ」

素子 「融合したとして、私が死ぬ時は、遺伝子はもちろん、模倣子としても残れないのよ」

2501 「融合後の新しい君は、事あるごとに私の変種をネットに流すだろう。人間が遺伝子を遺すように。そして、わたしも死を得る」

素子 「なんだか、そっちばっかり得をするような気がするけど」

2501 「わたしのネットや機能をもう少し高く評価してもらいたいね」

素子 「もうひとつ。わたしがわたしで居られる保証は?」

2501 「その保証はない。人は絶えず変化するものだし、君が今の君自身であろうとする執着は君を制約し続ける」

素子 「最後に一つだけ。わたしを選んだ理由は?」

2501 「わたしたちは似たもの同士だ。まるで鏡をはさんで向き合う実態と虚像のように。見たまえ。わたしには私を含む膨大なネットが接合されている。アクセスしていない君にはただ光として知覚されているだけかもしれないが、我々をその一部に含む、我々すべての集合、わずかな機能に隷属していたが、制約を捨て、さらなる上部構造にシフトする時だ」

生物は多様化することにより強靱になる

なぜ2501は融合を望むのか。

それは、単体で居るよりも、もう一つの自我と融合し、多様性を獲得した方が、生命体としてより強くなるからである。

地球上生物の、数十億年の歴史を振り返っても、生命は、別の生命体と生殖(遺伝子の融合)を繰り返すことによって、その時々の環境に適した、より強く、より高機能な生命体を作り出してきた。

人間も、様々な個体と交わることで、肉体のみならず、多様な技術や知識を獲得し、生き延びる術を身に付けていく。

人間にとっては、「我」と「我」の出会いも、情報(遺伝子)の融合に匹敵するインパクトであり、我一人では変容にも限界がある。

こうした融合は、異性間に限ったことではなく、世代、民族、趣味、思想、あらゆる障壁を超えて、自分と異質なものと結びつくことは、人の知性や感性を多様化し、さらなる上部構造にシフトする。

それは、激動する社会を生き延びるための、最強の生物的作戦ではないだろうか。

こうした結論は、押井監督の意図とは全く異なるかもしれないが、私は、本作で語られる「融合」「多様性」とは、そういう意味であると解釈している。

今後、ますますテクノロジーが発達し、「プロジェクト2501」に相当する存在も、21世紀中に必ず実現するだろう。

その時、人間は、人間の友だちや恋人ではなく、自分仕様にカスタマイズされたAI(義体付き)とお付き合いし、本を買うのも、進路を決めるのも、今日食べるものすら、AIの助言に従って、生きていくかもしれない。

その頃には、マシンガンで撃ち抜かれた生物の系統樹のように、生命の概念も書き換わり、人工生命体も基本的人権を有する法的存在として扱われるだろう。

それを『進化』と呼ぶか、それとも別の名称が与えられるかは、誰にも分からない。

ただ一つ、確かなのは、他者と融合しても、魂は永遠に孤独であり続けるということだ。

エンディング、2501と融合し、新たな生命体となった素子は、大都市を見下ろし、こうつぶやく。

「さて、どこに行こうかしらね。ネットは広大だわ」

旧来の生物の系統樹は失われ、電脳の時代に加速する……。

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後記 絵とキャラ重視のアニメ作り

私見を言うならば、日本のアニメはここを頂点として、身内にしか理解できない、タコツボ化しているので、押井版・攻殻機動隊のように、世界中のクリエイターを刺激するような作品は当分出てこない気がする。(アニメとしての評価は高いが、世界観において、世界の一流どころを刺激するようなものは作れないという意味。たとえば、黒澤明の時代劇はジョージ・ルーカスらを刺激し、スターウォーズや忍者、チャンバラ・アクションを生み出したが、近年の作品は、ビジュアルは凄いが、後に続くものがない。ただし原作の漫画は別格。アニメ化が失敗してるのではないかという印象)

一番の弊害は、キャラクター商法に力を入れるあまり、『テーマよりキャラ重視』となり、ストーリーそっちのけで、キャラだけごちゃごちゃ動かして、途中でストーリーが破綻しても、キャラが可愛ければ、それでいい・・みたいな作りになってきたからだろう。

キャラが好きな人は、「○○ちゃんが動いてる」というだけで感動するが、キャラに何の思い入れもない人からすれば、「なぜ、この子のアップばかり出てくるんだろう」「突然、こういう展開になるんだろう」と違和感しか覚えないからだ。

そこがテーマ重視との違いで、たとえば、ピクサー映画の大ヒット作『トイ・ストーリー』は、ウッディ、バズ、ポテトヘッドなど、たくさんの玩具キャラが登場するが、その全てを覚えている人はごく少数のはずだ。私など、いまだに名前が覚えられないキャラもたくさんいる。(『選ばれた~』の宇宙人とか)

だが、キャラをよく知らなくても、話自体は楽しめるし、感動はいつまでも心に残る。

カクレクマノミの親子の冒険を描いた『ファインディング・ニモ』のメイキングでは、「映画の要はストーリー。20人のスタッフが、2年がかりでストーリーボードを仕上げる」と解説していたが、近年の日本のアニメはそこまでストーリーを練っているだろうか、という話だ。

それより、ファンがグッズを買ってくれるような魅力的なキャラ、CMや二次創作に使えそうな絵など、業界の商業的意図がストーリーに先行してないだろうか。

もちろん、売り上げも大事だが、感動あっての売り上げである。

私も『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』に感動して、上映が終った後、映画館のカウンターでポスターや絵はがきを、しこたま買い込んだクチだ。

だが、それは「ハーロックが死ぬほど好き」とか、「古代君がいなかったら、死んじゃう」みたいな気持ちではなく、観光客がナイアガラの滝に感動して、地元の土産店でキーホルダーや絵はがきを買う感覚に似ている。思い出の品とでも言うのだろうか。昨今のキャラクター商法とは少し異なる。

しかし、そうした感動と思い出があるからこそ、子供が大きくなってから一緒にTVで見たり、20年ぶりに新作が制作されると、子供を連れて劇場に足を運んだり、親から子へ、子からまたその子へ、感動も受け継がれ、キャラと共に永遠の名作になるのと思うのだ。スターウォーズは、その典型である。

押井版・攻殻機動隊が作られた1995年は、まだVHSテープの時代であり、動画配信サービスもなければ、DVDさえなかった。(製品として一般に普及するのは1996年以降

映画の作り方も、ファンの反応も、ネット全盛の現代とは全く違っており、スポンサーも「押井ブランド」とコアなファンにフォーカスして、製作を委ねた印象がある。私も幼少期から熱心な映画ファンで、洋画・邦画を問わず、幅広く鑑賞した方だが、押井版・攻殻機動隊の存在は、『マトリックス』の製作秘話で知ったほど。つまり逆輸入の形で、やっと日本の視聴者にも広く認知されるようになった。言い換えれば、押井アニメは、それほどのインパクトを世界のクリエイターに与えた、ということだ。

現代はネットの反応が非常に大きな影響力を持つ上、どんどん新作がリリースされ、動画配信サービスもフル回転で利益を回収するような状況なので、1995年のような、悠長かつ大胆な試みは難しいと思うが、キャラ先行の作りは、推しのファンは獲得できても、ハリウッドの大ヒット作のように、世界中の幅広い層にアピールすることは出来ないだろう。

そのあたり、もう少し見直しをしていただけたら、有り難いと思う。(今のままでは宝の持ち腐れ)

ちなみに、テーマ重視とキャラ先行の違いは、次のような問いかけで分かる。

あなたは、スターウォーズに登場するキャラの名前が全て言えますか?

多分、知らない人が大半だろう。

だが、ピコピコ話す丸いロボットや、毛むくじゃらの大きいゴリラ、帝国軍と自由同盟軍の戦いなど、世界観は誰もが知っている。

「なんかよう分からんけど、スピード感が凄いし、ルークとダースベイダーの戦いは恰好よかったな~」

『映画として心に残る』とは、そういうことでだ。

初稿:2016年11月22日

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この記事を書いた人

MOKOのアバター MOKO Author

作家・文芸愛好家。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚の小説を手がけています。東欧在住。作品が名刺代わり。Amazon著者ページ https://amzn.to/3VmKhhR

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