『哭きのサックス』 ガトー・バルビエリと映画音楽『ラストタンゴ・イン・パリ』 ~恐れずに「好き」と言おう

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ガトー・バルビエリについて

ガトー・バルビエリは、アルゼンチン出身のサックス奏者で、日本ではラテン・ジャズの第一人者として知られています。

スタン・ゲッツややデイヴィッド・サンボーンほどポピュラーではないので、相当にマニアックなファンしか名前を聞いたことがないかもしれませんが、往年のサブカル・ファンなら、映画『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のテーマ曲を作った人、と言えば、ピンとくるのではないでしょうか。

マーロン・ブランド主演、ベルナルド・ベルトルッチ監督の性愛ドラマ『ラスト・タンゴ・イン・パリ』は、うらぶれた中年男と美しい令嬢が空きアパートで衝動的に抱き合い、その後も、互いの名を明かすことなく肉体を貪るものの、最後は令嬢が華やかな前途を優先し、悲劇的な結末を迎える――というものです。

当時としてはスキャンダラスな内容に、宗教的タブーを描いた性描写もあり、一部の国で上映禁止にされたり、令嬢役の女優がトラウマに苦しんだり、今となっては「よくこんな作品が撮れたな」とただただ溜め息しか出ない伝説的な作品ですが、哀愁を絵に描いたようなメロディとガトー・バルビエリの哭きのサックスに、今も心を揺さぶられる人は多いのではないでしょうか。

お洒落で、口当たりのいい(?)音楽がもてはやされる現代、ガトーのように、ねっとりした演奏ができる人は、もう二度と現れないような気がします。

そして、こういう『大人の音楽』が書ける人も。

この記事は、ガトー・バルビエリの代表作である映画『ラストタンゴ・イン・パリ』のサウンドトラックと、聞き所を紹介しています。

映画に関しては、中年男の最後の夢と若い女の残酷さ 人生の最後を彩る映画『ラストタンゴ・イン・パリ』のレビューをご参照下さい。

サウンドトラック『ラストタンゴ・イン・パリ』について

ガトー・バルビエリが手掛けた映画音楽『ラストタンゴ・イン・パリ』は、Oroginal Motion Picture Soundtrack として、1973年にリリースされました。

同年のアカデミー賞では、最優秀インストゥルメンタル作曲賞を受賞しています。

アルバム時代の楽曲らしく、曲順はストーリーに従って組まれ、ジャズ風やアップテンポ風の別テイクも多数収録されています。

ただ、27分33秒に及ぶ『The Last Tango In Paris Suite』(ラストタンゴ・イン・パリ組曲)は、日本国内盤のサウンドトラックにしか収録されてないようで、海外で普及しているアルバムとは少し内容が異なっています。

Amazonでは Music Unlimitedで全曲聴き放題です。
オリジナル・サウンドトラック「ラストタンゴ・イン・パリ」(紙ジャケット仕様)
オリジナル・サウンドトラック「ラストタンゴ・イン・パリ」(紙ジャケット仕様)

音楽配信 Soptify
https://open.spotify.com/album/0WzAqVNNP4LNU5540k6kCR?si=120U1HU7TJ646FW-J7x2Bw

YouTubeにも全曲あがっています。興味のある方はぜひ。

Last Tango in Paris – Gato Barbieri (Full Album) The Remastered Edition

アルバム紹介(ライナーノーツより)

以下、村尾泰郎氏によるライナーノーツ。

哲学的でありながらも、メロドラマの猥雑さを持ったこの異食のロマンで、ベルトリッチが描いた詩的なヴィジョンをヴィットリオ。ストラーロの華麗なカメラワークと共に支えたのが、アルゼンチン出身のサックス奏者、ガトー・バルビエリの手によるサントラだった。

1934年に生まれ、12歳のころからジャズに目覚め楽器を演奏し始めたバルビエリは、若くして当時アルゼンチンで人気を誇っていたラロ・シフリン楽団に加入。後に「ダーティーハリー」や「燃えよドラゴン」など、数々のサントラを手掛けて有名になるシフリンの楽団から、ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。

60年代に入り、ヨーロッパに活動の拠点を移したバルビエリはフリージャズ・シーンに接近。カーラ・プレイ『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』やチャーリー・ヘイデン『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』といった名作に参加しながらも、自身の名義でアルバムをリリースしていく。そして同時に、彼はいくつかのサントラにも参加するが、そのうちのひとつがベルトルッチの長編2作目『革命前夜』(1984年)だった。スコアを手掛けたのはエンリオ・モリコーネ。バルビエリはそこでプレイヤーとして契約している。

そして、それから約10年後、それぞれアーティストとしてもっとも脂が乗っている時期に、ベルトルッチとバルビエリは再会を果たしたのだ。

ベルトルッチは前作『暗殺の森』(1970年)から映画と音楽の関係をより密なものとして捕らえたし、この作品のサントラにはジョルジュ・ドルリューを起用。初めて編集段階のラフを見せながらの曲作りを依頼したが、『ラストタンゴ・イン・パリ』の時も同様で、4時間もの長さのあるラフを3度も見たバルビエリは71年8月のひと月を費やしてスコアを書き上げた。

そして、そのスコアをもとにオリヴァー・ネルソンが編曲を加えたものが、一歳に映画で使用されることになる。

その後、サントラ盤を制作する際には、バルビエリがアルバム用にレコーディングし直した音源を収録。よりトータル製の高い内容になったが、映画で使用されたヴァージョンは、CD可される際にバルビエリの監修のもとで組曲 “Last Tango In Paris Suite” から幕を開ける。

バンドネオンの怪しい光沢を持った響き、そして、それを追いかけるように重厚なストリングスが切ない旋律をなぞっていく。お互いを激しく欲しながらも、理解し合えないポールとジャンヌの哀しさを伝えるようなこのナンバーは、その直後にやってくる悲しい結末を予告しているようだ。

反対に “Last Tango In Paris - Ballad” は、そんな2人が没頭した愛の空間=アパートの一室を満たした濃密なエロティシズムを匂わせる絶望的なまでに美しいナンバー。曲中のシャウトはバルビエリ自身のものだが、開放感に満ちたイントロからゆっくりと高まっていくグルーヴのなか、絶頂を告げるようにブロウするサックスが強烈だ。まるで何もないあの部屋がいつしか密林になり、野生の息吹で恋人たちを包み込むようなこの曲は、収録曲のなかでも屈指の出来といえるメロウさだ。

また、映画のタイトルに寄り添うように収録されているのが “Goodbye (Un Largo Adios)” “Girl In Black – Tango (Para MI Negra)” “Return – Tango (La Vuelta)” のリズムが後半で徐々にほどけていき、やがてバルビエリのサックスによって解体されてしまう曲想。それはまるで、社会の規律を離れ、愛という幻想のなかに逃避していく2人の白昼夢だ。もちろん、こうしたタンゴ・ナンバー以外にも、サックスが咽ぶように哀しい旋律を歌い上げる “Jeanne” や、安らぎに満ちた “Fake Ophelia” など、どれもが鮮やかな印象を持ったナンバーばかり。

バルビエリの魂を揺さぶるようなサックスの響きはもちろん素晴らしいが、オリヴァー・ネルソンの洗練されたストリングス・アレンジも見事。サックスがマーロン・ブランドの不安と怒りを、ストリングスがマリア・シュナイダーの美しさと心の揺れを表すように、絡まりあいながらメロディーが生まれていく。

激しく、時には毒々しいまでに扇情的で、親密さのなかにも深い悲しみを湛えていて――そんな表情豊かなサントラを、ベルトルッチは秘密のショットのような巧みさで、ドラマに溶かし込んでいった。

映像詩人ベルトルッチのヨーロッパ的感性と、バルビエリの进るようなラテンアメリカ的熱情、その濃密なコラボレーションから生まれた本作は、肉感的で想像力に溢れた名盤といって間違いないだろう。だからこそ、このサントラには、最後までお互い名前を知ることもなかった恋人たちの体温を、いまなお感じることができるのだ。

文 : 村尾泰郎

筆者の補記として、「今回の原稿執筆にあたり、Ryokodisc盤『ラストタンゴ・イン・パリ』におけるジョン・ベンダー氏の解説を参考にさせて頂きました」

紙ジャケットの写真もアーティスティックで綺麗です。

個人的には、右ページのマーロン・ブランドの表情が好きですね。

映画のポールは、もっとやらしい、うらぶれた中年男ですが、こっちのジャケット写真は松竹映画みたいで、惹きつけられます。

ラストタンゴ・イン・パリ サウンドトラック

サウンドトラックの魅力

映画を知らなくても、音楽だけで十分に魅力的ですが、あらすじにも書いたように、中年男が若い女にのめり込み、本気で結婚を望むが、若い女には地位も金もある婚約者があり、うらぶれた中年男と死ぬまで添い遂げる気など微塵もない。一方的に別れを告げられた中年男は、狂ったように若い女を追いかけるが、若い女は振り向きもせず、残酷な一撃を与える――と思えば、タンゴの哀愁が胸に響くと思います。

題名の『ラストタンゴ』とは、別れを前にして中年男と若い女が戯れに踊るタンゴの意味で、本物の恋人同士のように明るく、楽しそう。

誰の人生にも、そんな『ラストタンゴ』があり、我々は皆、永遠に続く幸せを夢見て、つかの間を躍るダンサーのようなもの。

たとえ、その後、悲しい現実が待ち受けていたとしても、ポールとジャンヌのように、生のある一瞬を楽しもう……というベルトルッチの美学が感じられなくもないです。

筆者は、元々、「アルト・マッドネス(狂気のアルト)」と呼ばれたサックス奏者、リッチー・コールの演奏する『ラストタンゴ・イン・パリ』のファンで、その延長で、ガトー・バルビエリのテーマ曲も聴くようになりました。

それ以前から、ベルトルッチの映画は知っていましたが、積極的に見たいとは思わず、10年以上経ってから、やっと鑑賞した次第です。

まあ、内容的に、若い娘時代に観る映画ではないです

私はマーロン・ブランドが好きなので、有り難く拝見しましたが、こういう映画は、自分自身も中年に差しかかった頃に、心をフラットにして観るのが一番いい。

死と老いの残酷さを痛感する世代にしか決して分からない悲哀なので。

その点、ガトー・バルビエリは、哀しさを描きつつも、

リッチー・コールの『ラストタンゴ・イン・パリ』

リッチー・コールの『ラストタンゴ・イン・パリ』はこちら。

この曲も様々なアレンジが存在するが、これほど疾走感のある楽曲に仕上げたのはリッチーだけだ。

ジャズファンの間では、「リッチー・コールの天才的な技巧が逆にうざい」という意見もあるようだが、これに関しては紛うことなき名演である。(最後がくどいけど)

私はすごく好きで、何度も聴いてました。

Last Tango In Paris · Richie Cole

おすすめの楽曲を紹介<h2>

愛のラストタンゴ

こちらがカフェのダンスコンテストで二人が最後に踊るタンゴ『Ultimo Tango a Parigi (Titles)』

お互いに名前も知らないカップルが、最後に子供みたいじゃれあう情熱のタンゴ。
いわゆる悪ふざけですが、この後、二人が迎える結末を思うと、ガトー・バルビエリのテーマ曲と相成って、何ともいえない哀愁を感じるんですね。

今はポリコレがうるさいこともあり、女子供が喜ぶような、軽いタッチの作品しか出なくなりました。

内容的に破廉恥なのは確かですが、テーマとしては素晴らしいし、大人向けの、もっと濃密で、きわどい作品が作られてもいいと思います。その為の動画配信サービスだろうに。(ジャンヌを演じたマリア・シュナイダー(19歳)

テーマ曲 第二バージョン

ねっとりといやらしい、ガトー・バルビエリの声入り『Last Tango in Paris - 2nd Version』

途中でサックスが「プイッ」と言うのが、なんともエロいですな。

Jazz風 ~逃げるジャンヌと追うポール

ジャンヌは輝かしい未来のためにポールに別れを切りだし、ポールは未練たらたらでジャンヌを追いかける。

パリの町中を全速力で駆ける若い女と、それを追う中年男のみっともないマラソン劇が、Jazz風にアレンジされたアップテンポなBGMにのって繰り広げられる。

いつしかポールは本気でジャンヌを求め、人生最後の夢を見たが、夢の方は全速力で中年男から逃げていく、なんとも哀しい現実である。

若い女の立場から見れば、「逃げて、ジャンヌ~」と力の入る場面だが 

なぜ彼女はあなたを選んだのか? OP曲

直訳すれば、『Why Did She Choose You ?』 なぜ彼女はあなたを選んだのか?

映画のオープニングで効果的に使われるテーマ曲です。
Last Tango in Paris – Opening Sequence.mov (YouTubeで視る)

男やもめのポールはともかく、若くて、前途洋々なジャンヌがポールを相手にしたのは世界の七不思議でもあります。

しかし、若い女性にも「マリッジブルー」と呼ばれる空白期間が訪れ、「本当にこの人でいいの?」と自問自答することがあります。それまでラブラブだった彼氏と突然距離を置くようになり、純朴な男性なら、「もしかして彼女の気が変わったのではないか」と動揺するかもしれません。

ジャンヌも、丁度、そんな時期だったのでしょう。

あまりにも上手く行き過ぎの自分の人生を思い、ふと心のエアポケットに陥った時、イケメンエリートの婚約者とは似ても似つかぬ、うらぶれたオヤジに何となく身をまかせてしまう気持ちも分からないでもないです。

それでも、女性の方が現実に目覚めるのは早く、まさにポールにとってはWhy(謎)になってしまいました。

ポールは自殺した奥さんにも Why を投げかけます。

突然、妻が自殺した理由がさっぱり分からないのです。

ポールにとっては、出会う女のすべてが Why なのかもしれません。

メインテーマ

一般に、映画『ラストタンゴ・イン・パリ』のメインテーマといわれるのが、こちらの「Finals」になります。

サウンドトラックと異なり、シングル仕様にアレンジされているので、一般にも聞きやすく、映画をイメージしやすい代表曲に仕上がっています。

他のヒット曲

ガトー・バルビエリのアルバムは、全てSpotifyで視聴できます。

アーティストリンク
https://open.spotify.com/artist/7dXBi98p0mN5JCpBnU0XEm?si=kxOdzxy7S0yecA539OPZhA

以下、割と知られた代表曲をピックアップ。

Europa (Earth’s Cry, Heaven’s Smile) ~ラテン系演歌

『ヨーロッパ ~大地は泣き、天は微笑む』という大胆なネーミングで知られる世界的ヒット曲。。

ガトー・バルビエリの名前は知らなくても、このフレーズは耳にしたことのある人が圧倒多数と思う。

まるで場末のスナックのようなメロディに、ガトーのサックスが哭きに哭き、一度聞いたら忘れられない。

森進一が「雨の津軽では~」とか歌ってそうなラテン系演歌である。

もしかして、ガトーは自宅にUSENを引いてるんじゃないのーっ !!

Fiesta ~今夜はオレと燃えないか?

ガトーおじさんの「ヘ~ィ」を堪能したければ、トロピカル調の『Fiesta』をおすすめする。

コブシの効いたサックスに、脳天気なメロディが軽妙に響き、ガトーおじさんにしてはあっさりした聞き心地である。

イヤホンで聴くと、ガトーおじさんの「「ヘ~ィ」がいやらしく耳に囁き、「今夜はオレと燃えないか」と誘うが如くである。

Don’t Cry Rochelle ~おじさんが慰めてあげるよ

どこの Rochelle(ロシェリさん)かは知らないが、「おじさんが慰めてあげるよ」みたいな、ポップなラブソング。

それでいて、どこか哀愁の響きがあり、宇宙的な広がりを感じさせる(ホンマか!!) アレンジがよい。

アルバム全体の再生回数は少ないが、ガトーおじさんの優しい眼差が感じられて、ハートを鷲掴みにされること請け合い。

昔、ボズ・スキャッグスを筆頭とするAORブームの時、こういう曲調のフュージョン・サウンドが流行りましたよね。

懐かしい気持ちになる、珠玉の(?)ラブソングです。

【コラム】 好きなものは恐れずに「好き」と言おう

大声で「好き」と言えないガトー・バルビエリ

往年のジャズファンが口を揃えて言うように、とにかく、濃い、熱い、くどい。

お好みソースのようにねっとりと熱く、都はるみのようにコブシが利いて、これのどこがジャズであり、ラテン系なのかと、ジャズファンでなくても首をかしげたくなるでしょう。

こんな風に言ってはなんですが、曲も、演奏も、とことんオヤジっぽく、喩えるなら、大阪ミナミの千日前キャバレーという感じ。

千日前キャバレーが悪いわけではないけれど、キタの新地のジャズクラブで、一杯2000円のギムレットを傾けながら、ビル・エヴァンスやジョン・コルトレーンに耳を傾けるような、粋で、洗練されたジャズファンには、到底受け付けられないのは百も承知です。

それでも、あえて言おう。

私はガトー・バルビエリが好きだー!

たとえ熟練のジャズファンが「あれは邪道だ」と口を揃えてケチを付けても、好きなものは「好き」と恐れずに言う。

それがジャズと言えども、全身全霊を懸けて演奏するミュージシャンに対する、最低限の礼儀と思うのです。

を聴いても一耳瞭然だけど、ガトーの演奏は、とにかく熱い。

アルバム『Caliente !』を聴いても、「ああ、サックスが哭いてる、哭いてる……」と思っちゃう。

そう。

ガトーのサックスは、鳴るのではなく、「哭く」のです。

それも嘆きの「なき」ではなく、オレの熱い魂を聞かせるぜ! みたいな熱い哭き。

こちらのエッセーにも書いてあります。(現在はリンク切れ)

ガトー・バルビエリのことなど / 瀬崎 祐 

ガトー・バルビエリが好きだということは、実は、どうやら 大変に恥ずかしいことらしいのだ。
彼のジャズは二流であり、実は 自分もガトーのファンであるということは、恥ずかしくて他人には言えない、と書いているジャズ評論家もいたぐらいだ。

この気持ち、すごく分かる。

「ジョン・コルトレーンが好き」「チャーリー・パーカーが好き」と言えば、いかにも「通」という感じだが、「ガトー・バルビエリが好き」と言うと、周りが500メートルくらい、ザザーっと引きそうだもの。

ガトーが哭けば哭くほど、ファンは大声で「好き」と言えず、陰で泣くしかないのです。

一流のジャズとは何か? 一流でなければ、好きになってはいけないのか

ところで、「一流のジャズ」とは何なのか。

評論家の認めたジャズが一流で、そうでないアーティストは二流ということか。

そんな訳ないですよね。

でなければ、『ラストタンゴ・イン・パリ』みたいに心に染みるメロディは書けません。

これはガトー・バルビエリに限らず、クラシック音楽でも、ダンスでも、何でもそうです。

○○のファンと言えば、嘲られる。

お前には見る目がないと批判され、挙げ句に集団からハブられる。

そうした風潮がファンの心を萎縮させ、権威やファンレビューに依存する要因になっているのでしょう。

また、業界も、そうした人心を利用して、中身スカスカの作品に一流の肩書きを与え、何が良いのか、自分で判断できないライトなファン層を取りこんで、あこぎな商売をしているように感じます。

しかし、本当に好きなものに正直に「好き」と言えない社会って、生きづらくないですか?

ファン魂って、その程度のものなのでしょうか。

確かに、ジャズ通を自負する人に、「ガトー・バルビエリ? 悪趣味~」とか言われたら、熱いファン魂を持つ人でも怖じ気づくでしょう。

自分がおかしいのか、それとも周りが間違いなのか、自信をなくすかもしれません。

しかし、自分が「面白い」と感じたなら、それが最適解なのです。

自分だけ人と違うものを推しているからといって、自分を恥じる必要はまったくないんですね。

第一、皆が「いいね」と言うから、自分も皆の後ろを黙って付いていく人生に、どんな生き甲斐があるというのでしょう。

それって、自分の人生を生きているのではなく、他人に人生の良し悪しを決めてもらっているのと同じではないでしょうか。

好きなものは、「好き」と大声で言おう

たとえ名うての評論家が「ガトーは二流だ」と切り捨てようと、私はガトー・バルビエリが好きだし、『ラストタンゴ・イン・パリ』も紛うことなき名曲と思っています。

「好き」と思う気持ちは、人間にとって、自尊心に次ぐ大事なもの。いえ、自尊心そのものといっても過言ではありません。

ガトー・バルビエリが死ぬまで『哭きのサックス』を貫いたように、私も好きな気持ちを一生持ち続けるでしょう。

なぜなら、芸術とは、己以外の何ものにもなれないことだからです。

だから、好きなものは、「好き」と大声で言いましょう。

それが愛であり、自尊心です。

誰かにこっそり教えたい 👂
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