中年男の最後の夢と若い女の残酷さ 人生の最後を彩る映画『ラストタンゴ・イン・パリ』

中年男ポールと若く美しいジャンヌは衝動的に関係をもち、互いに誰か知らないまま逢瀬を重ねるが、婚約したジャンヌはポールを捨てて、悲劇へひた走る。破滅を前に踊るラストタンゴが美しいベルトリッチ監督の異色作を動画とSpotifyで紹介。コラム『誰の人生も一度限りの躍り』など、ガトー・バルビエリの主題曲をモチーフとしたコラムも掲載しています。

追悼 『ラストエンペラー』巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督が死去 77歳 (シネマトゥデイ)

素敵なタンゴをありがとう。
たまにルキノ・ヴィスコンティ監督と勘違いしてました。
『バター』は今でも強烈ですが、それを差し引いても、ラストタンゴは心に染み入る美しさです。

永遠のメロディに  Requiescat in Pace

2018年11月26日

目次 🏃

映画『ラストタンゴ・イン・パリ』について

あらすじと見どころ

ラストタンゴ・イン・パリ(1972年) - Ultimo tango a Parigi - Last Tango in Paris

監督 : ベルナルド・ベルトルッチ
主演 : マーロン・ブランド(ポール)、マリア・シュナイダー(ジャンヌ)

ラストタンゴ・イン・パリ オリジナル無修正版 [Blu-ray]
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あらすじ

妻に自殺された中年男ポールは、偶然、その場に居合わせたジャンヌと衝動的に関係をもち、互いの名を明かすことなく、逢瀬を重ねるようになる。
資産家の娘で、TVディレクターの恋人もいるジャンヌは、ポールとの情事を楽しんでいたが、いよいよ結婚が決まると、ポールを疎むようになる。
ダンスホールで最後のタンゴを踊ったジャンヌは、ポールから逃げだそうとするが、ポールは彼女の後を執拗に追いかけ、追い詰められたジャンヌは、とうとうポールを撃ち殺してしまう。

見どころ

非常に有名な作品ではあるが、決して気持のいい物語ではないし、人によっては「何が面白いのか」と首を捻りたくなるだろう。
また、過激な性描写でも知られるが、『過激』というほどでもなく、どちらかというと、宗教的タブー(異常な性行為)を描いた点で話題になった、という程度のものである。

しかしながら、ガトー・バルビエリの手がけた音楽は美しいし、うらぶれた中年男を、ほとんど地で演じたようなマーロン・ブランドの演技も素晴らしい。(ゴッドファーザーのドン・コルレオーネを知っていれば、なおさら衝撃的)

確かに、映画としての古さは否めないし、ポリコレの嵐に馴れた現代の視聴者には「お下品」に映るかも知れないが、本作の肝は情事ではなく、男の老いと孤独にある。
映画ファンなら一度は見て欲しい異色作である。

↓ 本作の予告編は年齢制限が設けられているので、有志のトリビュート動画をご覧下さい。川井郁子の演奏のミュージック・クリップです。

中年男の孤独と若い女の残酷さ

老いとは、残酷なものだ。

「年齢を重ねた魅力」など言うが、現実には、肌はたるみ、お腹は突き出し、身体の節々が痛み、物覚えは悪くなり……楽しいことなど何一つない。

知恵がついて生きやすくなった頃には、身体は思うように動かず、新たな夢をもつにも、残された時間は少ない。

かといって、最初からやり直すことも叶わず、目の前に突きつけられた人生の結果を粛々と受け止めるのみである。

ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『ラストタンゴ・イン・パリ』も、中年男の孤独と若い女の残酷さを余すことなく描いた異色作だ。

突然、妻に自殺されたポールは、何の取り柄もない中年男で、名誉もなければ、財産もない。しがないホテル経営者である。

一方、二十歳のジャンヌは生き生きと美しく、TVディレクターの恋人もいる。

二人はたまたまアパートの一室で鉢合わせ、衝動的に関係をもってしまう。

その後も逢瀬を重ねるが、ポールはジャンヌに「君の名前など知りたくない。君も俺も名前を持たない。ここでは名無しだ。」と求め、ジャンヌは「クレイジーだ」と違和感をもつ。

「君のことは何も知りたくない。
どこに住み どこから来るかも
何一つ知りたくない
外の世界はわすれて この部屋で会うんだ」

「でもなぜ?」

「理由はこうだ。
ここでは名前は必要ない
知ってることは全て忘れるんだ
知人のことや職業 どこに住んでいるかも
何もかも忘れて会う」

それはそれで、ジャンヌには刺激があって楽しい。

若い恋人にはない、慣れた手管もあり、「何も知らないって、素敵」と、しばらくは快楽に耽る。

しかし、ジャンヌも次第に不安を覚えるようになり、ポールの背広のポケットを探って、何者か探ろうとする。

「どうして、私のことを何も知りたくないの?」と疑問を呈するジャンヌに、ポールは「やめてくれ。利口ぶるな。何も言うな、黙れ。辛くても我慢しろ」と傲然と言い放つ。

最初はジャンヌも年上のポールを好意的に見ていたが、ジャンヌの婚約を機に、ポールがジャンヌを追う側になると、立場も入れ替わる。

気持の整理もつき、ようやくジャンヌへの愛に目覚めたポールは彼女に結婚を迫るが、すでに若い恋人との結婚を決めたジャンヌにとって、ポールはしつこい中年男でしかない。

そして、あれほど秘密にこだわっていたポールが、ジャンヌに本名を尋ねた瞬間、ジャンヌは容赦なくピストルの引き金を引く。

ジャンヌに名前を尋ねるポール

本作は、決して名作ではないし、感動や浄化を求めて視聴すると痛い目に遭う。

かといって、卑猥だけが売り物の駄作でもなく、そのトーンはどこまでも哀れだ。

ベルトリッチ監督は、中年男と若い娘のうたかたのようなダンスシーンを撮りたくて、この作品を作ったのではないかと思うほどだ。

*

誰もがそれぞれに人生を夢見、そして裏切られていく。

それはどこまでも滑稽で、救いようのない物語だが、どうせ誰の人生も一度限りのダンスのようなもの。

そう思えば、人の生き方に幸も不幸もなかろう。

ならば、踊ろう。

そして、愛そう。

そんな哀しい調べの作品である。

2018年11月26日 ベルトリッチ監督の訃報に寄せて

【2010年のレビュー】 誰の人生も一度限りの躍り

本作は何度もレビューを追記しています。以下は2010年に書いた最初のレビューです。

妻に自殺された男

1972年に公開され、過激な性描写から世界中でセンセーションを巻き起こした、ベルナルド・ベルトリッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』と言えば、一般に「男と女の肉体愛を描いた作品」で知られるが、この映画の本質は、マーロン・ブランド演じる中年男の老いと悲哀、救いようのない孤独であり、”過激な性描写”はあくまで破戒のシンボルに過ぎない。

同年公開された映画『ゴッドファーザー』では、愛と威厳に満ちたファミリーのドン、ヴィトー・コルレオーネをこれ以上ないほど立派に演じたマーロン・ブランドが、本作では、気持ち悪いほど暗く、しつこく、厭世観に満ちた中年男になりきっている。

とりわけ、死に化粧をほどこした妻の亡骸の側で、恨みとも嘆きともつかない思いを独白する場面は、映画史に残る名場面といっても過言ではない。

全ての中年男がそうであるように、ポールも、長年、何の問題もなく過ごし、自分でも「なかなか上手くやっている」と自負していた。

ところが、妻は突然自殺し、遺書さえ残さない。

何が悪かったのか、問いかけても、誰も答えず、自分でも分からない。

そして、訳も分からぬまま、自分も年老い、やがて氏を迎える。

これほどの不幸と絶望がまたとあるだろうか。

自分では何もかも分かっているつもりが、一番身近な人間とさえ分かり合えず、死に追いやってしまったのだから。

そうして、心にぽかんと穴が空いた時、たまたま目の前に現れた若い女と情事をもってしまう。

だから、映画全体が説得力を持つのである。

※ 字幕付きなので、自動翻訳でお楽しみ下さい。

『名前』という現実 : 素性を知らないから愛し合える

パリの一角にある、薄汚れたアパートの一室で、偶然居合わせた「男」と「女」。

初めは普通に接していたが、突然かかってきた一本の電話が、その場の均衡を崩す。

二人はまるで磁石が引かれ合うように抱き合い、立ったまま激しく交わるが、事が済むと、二人は互いの素性を聞くこともなく別れ、男は自殺した妻の実母が待つ我が家へ、女は心優しい恋人の元へ帰って行く。

だが、情事の余韻に誘われるように、二人は再びアパートを訪れ、それから名も知らず、素性も分からない、奇妙な逢瀬が始まる。

若い女は違和感を覚え、自己紹介しようとするが、男は「名前は言うな、聞きたくない。ここでは外のことは一切忘れて、ただの男と女として交わるんだ」と拒み、つらい現実から逃れるように若い女との情事に耽る。

情事が終わって、憑き物が落ちたようにすっきりとアパートから出てくる男。
ラストタンゴ・イン・パリ

大変な事をしてしまったと恐れおののく女。この対比が素晴らしい。
造花の付いた黒い帽子、白いロングファーのコート、ミニのワンピースという着こなしも素敵。
ラストタンゴ・イン・パリ

若い女には未来があるが、中年男には死と絶望しかない

名も知らない相手とのスリリングな情事に、若い女も最初は心を躍らせるが、どれほど身体を重ねても、「何ものにもなれない」ことに不満をつのらせ、中年男は現実生活との狭間で絶望に苦しむようになる。

そんな時、恋人からのプロポーズ。

一度は、仮縫いの花嫁衣装を着けたまま、「やっぱり別れられない」と男に取りすがるが、現実を知り、最初は魅力的に見えた男が、ただの中年ルーザーと気付くと、若い女は「もう終わりにしましょう」と冷たく突き放す。

こうなってはじめて真実の愛に気付いた中年男は、必死に彼女の後を追いかけ、真心を打ち明けるが、彼女の態度は変わらなかった。

本作の最大の見どころは、孤独と絶望に打ちひしがれ、「この世に生きてても、いい事など何もない」と捨て鉢だった男が、最後の最後に真実の愛に目覚め、人生に希望をもった瞬間、若い女の手で残酷に絶たれてしまう点である。

「もうイヤよ、終わったのよ」と冷たく突き放す彼女に、今まで本気で口にしたこともない、聖なる言葉『I Love You』を告げるポールの顔は、まるで天の光に浄化されたように清らかだ。

普通のラブストーリーなら、感動のうちに抱き合い、永遠の幸福に至るが、ベルトリッチは容赦なく人生の現実を突きつける。

幼少時から家族愛に飢え、家畜の糞にまみれるような貧しい生い立ちの中年男と違って、女の方は、立派なお屋敷で、将校の父親と貴婦人の母親に大事に育てられ、将来有望な優しいフィアンセもある。

若い女にとって、妻に自殺された中年男――それも性的に枯れる一方の、しょぼい男が提案する田舎暮らしなど、何の魅力も感じない。

だが、ポールは理解しなかった。

肉体で征服したような気分になっていたからだ。

ある意味、おめでたい中年男のポールは、ほんの一瞬でも真実の愛に目覚め、人生に美しい夢を見るが、小娘の放った一撃によって、ようやく人生の真実を思い知る。

愛が報われることもなければ、夢が叶うこともなく、多くの人間は、みじめに老いて、死んでいくだけだと。

一方、女は自分の若さと輝かしい未来の為に、最後まで言い逃れる。

「しつこく私を追い回して、レイプしようとした。名前も知らない男よ」

周囲も欺き、汚れなき花嫁として、堂々とバージンロードを歩く。

昨日までの出来事や、悪い夢。

中年男が死のうが、わめこうが、自分の未来に引き換えれば、何でもないことだと。

そんな風に、すっぱり割り切ってしまえるのが、女の残酷さであり、潔さでもある。

中年男が、年甲斐もなく若い女に懸想すれば、後には破滅しか残らないのである。

30歳 ベルトリッチ監督の力量と『ラストタンゴ』の意味するところ

役者も凄いが、もっとも恐るべきは、この重厚なテーマを、若干30歳のベルトリッチ監督が見事に描ききったことだ。

神の救いさえ突き放すような、ベルトリッチ監督の鋭い眼差しは、キリスト教において固く禁じられている、ある種の「性行為」を通じて、人間の生々しい一面を観客の眼前に突きつける。

その象徴が、『バター』だ。(後述を参照)

まだ戒律と良識が重んじられた70年代に、よくもこんな下品で、破廉恥で、宗教的感情を逆撫でするような演出を取り入れたものだ。

今、こんな作品を制作したら、世界中のフェミニストを中心に、袋叩きにあうだろう。(そもそもスポンサーも付かない)

それくらい品性下劣で、野心的である。

だからこそ、肉欲の果てに真実の愛を見出したポールの告白が、いっそう神々しく映るのだろう。

破滅する前、若い娘と無邪気にタンゴを踊る姿と同様に。

ラストタンゴ・イン・パリ ~人生最後の躍り

人生最後の躍り

『ラストタンゴ・イン・パリ』

紳士淑女がグラスを傾ける高級バーの片隅で、お互いに名も知らぬ中年男と若い女が最後の杯を飲み交わし、酔いにまかせてダンス・コンテストの会場に紛れ込む。

下品きわまりないタンゴを踊り、審査員に叱責されながらも、悪びれることなく、上品ぶった中年女性にお尻の穴を見せて去って行く。

哀愁の旋律をバックに、無邪気に絡み合う二人の姿は、まるで幸せな恋人同士だ。

この後、悲劇が訪れるなど、誰が想像できるだろう。

しかし、若い恋人と、もう一度、人生を生き直したいというポールの願いは、あっけなく打ち砕かれてしまう。

それでも愛は愚かだろうか。

夢は無意味なものだろうか。

否、否。

人の思いも、生き方も、それほど単純ではないことを、ベルトリッチは教えてくれる。

ポールが人生の最後に辿り着いた I Love You のように。

一見、聖母マリアを陵辱するような作品に見えて、その実、人間の内なる神を描いているのではないかと思うほど。

二人のラストダンス。

つかの間、ジャンヌの笑顔が天使のように愛らしいだけに、その後の悲劇が胸に刺さる。

タンゴの旋律がどこまでも哀しい。

ガトー・バルビエリの主題曲 『ラストタンゴ・イン・パリのテーマ』

私が『ラストタンゴ・イン・パリ』というタイトルを初めて知ったのは、技巧派で知られるサックス奏者、リッチー・コールのアレンジ曲がきっかけだ。

流れるようなピアノに合わせて、アルト・サックスが炸裂する。

「ラストタンゴ・イン・パリ」というお洒落なタイトルとは裏腹に、パリの町中を全力で駆け抜けるような演奏に魅せられ、来る日も来る日もカセットテープの録音に聞き入ったものだ。

その後、リッチー・コール版のモチーフが、1970年代、「芸術か、猥褻か」で大問題となったベルナルド・ベルトリッチ監督の映画のテーマ曲と知り、大いに興味をもった次第。

※ リッチー・コールの名盤『ピュア・マッドネス』に収録されています。

さらに時を経て、オリジナルの作曲者はガトー・バルビエリと知った。

ラテン・ジャズの名手で、カルトな人気を誇るテナー・サックス奏者だ。

ラストタンゴ・イン・パリのテーマ曲は、アルゼンチン・タンゴで有名なアストル・ピアソラに依頼する手はずだった……というエピソードも目にしたが、この作品の主題曲は、ガトー以外のものは考えられない。

ねっとりと、粘りつくような響きは、ガトーにしか出せない音だ。

ガトーはこのサウンドトラックでグラミー賞を受賞したというが、納得の出来映え。

行き場のない哀しみを訴えるように、哭く、哭く、哭く。

こちらがダンスホールの場面で流れていたファイナル・ヴァージョンのタンゴ。

ガトー・バルビエリとアルバム『ラストタンゴ・イン・パリ』に関しては、下記URLにて詳しく紹介しているので、興味のある方は参照されたい。

  『哭きのサックス』 ガトー・バルビエリと映画音楽『ラストタンゴ・イン・パリ』 ~恐れずに「好き」と言おう

おまけ。
プラハ交響楽団によるオーケストラ・ヴァージョンもドラマティックで美しい。

ラストタンゴ・イン・パリと『バター』

バターはパンに塗るものです・・

ところで、なぜ『バター』かと言うと、生娘に乱暴する為に、あのマーロン・ブランドが !

偉大なるゴッドファーザーさまが !!

挿入するのに『バター』を使ったから。

しかも前はでなくて、”後ろ”からです。

畑中洋子の「後ろから 前から どうぞ~」を思い出してしまう。

非常にショックでした。

しばらくの間、冷蔵庫のバターを見るのが哀しかったほど。

バターが見たい人は、YouTubeでどうぞ。

last tango in paris butter で検索すれば、いろいろ出てきます。

*

撮影時、女優のマリア・シュタイナーはわずか19歳。

Youtubeにアップされた情報によると、最初、この場面はオリジナルの脚本にはなく、マーロン・ブランドのアイデアで取り入れられたそうです。

後に、マリアは自分のエージェントか弁護士を呼ぶべきだったと述懐。

この場面で、彼女は本物の涙を流したと。

またWikiによれば、マーロン・ブランドは、前妻に『こんな恥さらしなセックス映画に出た人に父親の資格がない』と言われ、全面的に親権を奪われてしまったとか。「役者として拷問のような体験だった」と語っていたそうな。

当たり前だわな。

ちなみに、ミッキー・ロークはこの作品に触発されて、80年代の性愛ドラマ『ナインハーフ』を製作したという。(参考 どんな恋も9週間半で終わる 映画『ナインハーフ』 

それでも、バターに比べれば、氷の前戯や路上○○○○など、稚技に等しい。

ラストタンゴ・イン・パリといえば、バター。

バターといえば、ラストタンゴ・イン・パリ。

パンにはやっぱり、ネオソフト。

衝撃の『バター』です。

ワンワン

マリーナ・ショウの歌う『ラストタンゴ・イン・パリ』

ガトー・バルビエリの主題曲は、古今東西のアーティストにアレンジされ、今に語り継がれています。

こちらはマリーナ・ショウが歌う『ラストタンゴ・イン・パリ』。

歌詞もとてもロマンチックで、求め合う二人の心情をよく表しています。

「Making love not by choice, but by chance = 選んだのではなく、偶然によって愛し合う」という歌詞が象徴的ですね。

We are two illusions who touch in a trance
Making love not by choice, but by chance

We don't exist
We are nothing but shadow and mist
In the mirror we look as we pass
Our reflections revealed in the glass

Don't you know that the blood in your veins
Is as lifeless as yesterday's rain
It's a game where we come and conceal
The confusion we feel
As long as we're nameless
Our bodies are blameless

You cried when we kissed
It was nothing but shadow and mist
Two illusion who touch in a trance
Making love not by choice, but by chance
To a theme we tore from their past
To a tango we swore was their last
We are shadows of dance

As long as we're nameless
Our bodies are blameless

You cried when we kissed
It was nothing but shadow and mist
Two illusions who touch in a trance
Making love not by choice, but by chance
To a theme that we tore from their past
To a tango we swore was their last
We are shadows of dance

The last tango...
The last tango...

私たちは 恍惚に溺れる 二つの幻想
選択ではなく 偶然によって 愛を確かめ合う

私たちは存在しない
この世の何ものでもなく ただの影と霧にすぎない
鏡の中に 私たちが通り過ぎたように見つめる・・・?? (この部分がわからん・・)
私たちの姿が ガラスの中に現れる

あなたの血管の中を流れる血潮は 
昨日の雨のように 
死に絶えたものだということが分からないの?

これは私たちの秘かなゲーム
二人が感じる混沌たる世界

二人が名乗らない限り
私たちの交わりは 誰にも咎められることはない

二人が口付けた時 あなたは涙を流した
それはただの影と霧に過ぎなかったのに

恍惚たる二つの幻想は
選択ではなく 偶然によって 愛を確かめ合う

過去に涙する旋律に寄せて
これが最後と誓ったタンゴに寄せて
私たちは踊る影となる

ラストタンゴ
ラストタンゴ・・

DVDとCDの紹介

欲しい欲しいと思いながらなかなか手が出せなかったDVDとCD。やっと購入しました。

フォトカードの付いたDVD。

ラストタンゴ・イン・パリ DVD BOX

紙仕様のCDジャケットもお洒落です。

ラストタンゴ・イン・パリ DVD写真

初稿:2010年9月14日
加筆修正:2020年6月11日

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この記事を書いた人

MOKOのアバター MOKO Author

作家・文芸愛好家。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚の小説を手がけています。東欧在住。作品が名刺代わり。Amazon著者ページ https://amzn.to/3VmKhhR

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