バレエ『火の鳥』の物語 / マーゴ・フォンティーン「技の良し悪しよりも、印象に残る踊りが大事」

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シドニー・エクランドのバレエ『火の鳥』

カルラ・フラッチの『ジゼル』とモスクワの天才少女ラリサ・マクシモーヴァ ~水鳥のようなつま先(ポワント) ~有吉京子の『SWAN』を観る (3)の続きです

日本を代表するプリマ、京極小夜子は、ボリショイ劇場の『眠りの森の美女』で大成功を収めながらも、第三幕でアキレス腱を切ってしまい、長期の療養生活を余儀なくされます。
(参考 バレエ『眠りの森の美女』の物語と見どころ / 体力的にきついオーロラ姫の踊り

一方、聖真澄は、各国のバレエ学校から集まってきた優秀な生徒らと交流を深め、世界を広げます。

真澄のルームメイトで、英国ロイヤル・バレエ学校からやって来たシドニー・エクランドは、勝ち気で、闘争心あふれるダンサーです。
ボリショイ・バレエ学校が、その存在をひた隠しにする天才リリアナ・マクシモーヴァの練習をのぞき見したり、真澄に競演を持ちかけたり、非常に積極的で、山本鈴美香のテニス漫画『エースをねらえ!』の宝力冴子っぽいキャラクターです。

そんな彼女が発表会で演じたのが、ストラヴィンスキー作曲の『火の鳥』。
燃え盛るような踊りで、真澄を圧倒します。

こちらの動画は、マリンスキー劇場・バレエ・リュスの『春の祭典 / 火の鳥』のDVD予告編です。

ボリショイ・バレエ団の全幕。舞台収録ではなく、スタジオ録画のバレエ・ドラマです。火の鳥の登場から動画が始まります。

Yuri Possokhovとサンフランシスコ・バレエの火の鳥。モダンな演出が印象的です。

『火の鳥』の物語と創作秘話

1920年、ディアギレフのバレエ・リュスがパリ・オペラ座で初演したフォーキン振付の一幕バレエ『火の鳥』は満場の喝采を浴びた。以来、この鳥は、あるときは往時の姿をとどめ、あるときはまったく別の生き物へと変貌をとげながら、生命の炎を舞台上に燃やしつづけてきた。

初演の物語は、

「魔王カスチェイの棲む城に迷い込んだ王子言わんは、庭園で火の鳥を捕らえ、逃がしてやる大小に金の羽を手に入れる。城には美しい王女が囚われており、イワンは王女に恋をする。いったんはカスチェイにつかまるイワンだが、黄金の羽で呼び出した火の鳥が魔法で魔物達を踊らせている隙に、卵に閉じ込められていたカスチェイの魂を破壊し、王女と結ばれる」

というものである。

一見、自然な展開のおとぎ話だが、実はいくつかを巧みに融合させて作った「イメージとしてのロシア民話」である。王子イワンは『イワンのばか』他の<素朴で善良で、まぬけにさえ見えるが、結局は利口者を負かしてしまう>典型的な主人公の引用であり、火の鳥は『せむしの仔馬』等にも登場する<主人公を乙女の許へと導く善の精>である(ちなみにここでも男性の名はイワン)。

このように漠然と異国情緒を伝える象徴性の高いところへ不気味な魔王の伝説を組み合わせてできたのが、この物語である。当時のエキゾティシズム嗜好に叶ったものであり、現在も将来も≪ロシア≫という言葉が世界のバレエ観客の間で漠とした憧れをもって発せられている限り、その磁力の衰えることはないだろう。

その後の演出としては、まず49年のニューヨーク・シティ・バレエにおけるバランシン版が挙げられる。作曲者ストラヴィンスキーとも縁の深かった彼の火の鳥はトールチーフ、本物志向の彼の眼鏡にかなった美術はシャガールであった。

ノイマイヤーが70年にフランクフルトで初演した版も、基本的な展開はオリジナルに沿っている。違っていたのは、意表をつくSF仕立てで作品をロシア民謡の時間と空間から解き放った点である。

同年ベジャールがパリ・オペラ座に振付けたものになると、設定はさらに違ってくる。ベジャールは民話的要素を斬り捨て、<不死・再生>という火の鳥=フェニックスのイメージのみを抽出した。そこから二人の男性舞踊手が火の鳥を踊るパルチザンの物語が生まれたのである。

フォーキン版が同じ劇場で初演されてから、ちょうど60年後、火の鳥は性差の壁をも越えた。

さらに付け加えると、ショルツ版はより抽象度の高いソロで、両性具有的な振り付けの小品である。

これらの才気溢れる芸術かたちが揃って創作の核に据えたのがストラヴィンスキーの原曲である。音色豊かで示唆に富んだこの曲は、振付家にイメージの萌芽を力強く促すのであろうか。今なお観客を惹きつけ、しかも多くの注目すべき新演出・新解釈を産んだ火の鳥の不滅の生命は、この音楽とともに誕生したといっていいだろう。

(長野由紀)
別冊ダンスマガジン『バレエって、何?』(1993年)より

解説で紹介されている、モーリス・ベジャール版の『火の鳥』がこちら。
無駄な装飾を排し、古典的な世界観を超越した演出になっています。

マーゴ・フォンティーンについて

SWANにおいて、女神のように称されているマーゴ・フォンティーン。

別冊ダンスマガジン『バレエって、何?』の解説によると、

20世紀のもっとも優雅で豪華な英国のプリマ・バレリーナ。
1915年5月18日、イングランドのライゲイト生まれ。本名ペギー・フッカム。
1932年、グイック-ウェルズ学校(後のロイヤル・バレエ学校)乳酪。
1935年に主役デビューして以来、ロイヤルのほとんどのレパートリーに出演。
特に『眠れる森の美女』を得意とし、アシュトンとともにロイヤル・スタイルを確立した。
1956年、デイムの称号を受ける。
1956年よりロイヤルのゲスト・バレリーナ。
1962年に誕生したヌレーエフとの名パートナーシップは奇跡と言われた。
1991年2月21日、政治家だった夫、ロベルト・アリアスの故郷、パナマで死去

(ケイコ・キーン)

SWANでは、シドニーと真澄が技を競い合おうとした時、突然、二人の前に、マーゴ・フォンティーンが現れます。
「面白そうね。私にも見せて頂きたいわ」
すると、シドニーは、「私たちの踊りを見て頂けるなら、『白鳥』をお願いします』と懇願し、マーゴの了承を取り付けます。

突然、世界一のプリマに踊りを見てもらえることになった真澄は、ガチガチに緊張して、立ち尽くすだけでしたが、マーゴの優しい言葉にリラックスし、技術だけでなく、人間的にも優れた芸術性に深い感銘を受けます。

「ちょっと手を動かしただけで、白鳥が羽ばたくみたいに」見えた、マーゴ・フォンティーン。

その歴史的な名演がこちらです。
奇跡のパートナーと言われた、ルドルフ・ヌレエフと踊る、『白鳥の湖』 第二幕のパ・ド・ドゥ。

『白鳥の湖 第三幕』から。
ヌレエフ版は、王子もオデットも死んでしまう、悲劇のエンディングです。
(参考 マイヤ・プリセツカヤの黒鳥とバレエ『白鳥の湖』 ~有吉京子の『SWAN』を観る (1)

奇跡のパートナー・シップと呼ばれた、ルドルフ・ヌレエフとのパ・ド・ドゥ。
マーゴとの出会いについて、「この出会いこそ生涯を通じての最良の一瞬」というヌレエフの言葉が残っています。

『ロミオとジュリエット』 第一幕、バルコニーの場面。

現代プリマの超絶技巧や、バービー人形のような容姿を見慣れている現代の観客には「?」な印象もありますが、ソ連時代のロシア系ダンサーに比べれば、、マーゴの動きはとても優美で、女神と称されたのも分かる気がします。

さて、聖真澄とシドニー・エクランドの競演ですが、マーゴのコメントは、「そちら(真澄)の踊りの方が印象に残りますね」。
それを聞いたシドニーは、「私の踊りのどこが悪いのですか?」とマーゴに食ってかかります。
するとマーゴは、
良いとか悪いとかではなく、“印象に残る ”のです

このエピソードの前後に、「芸術とは何か」について語られ、非常に読み応えのある内容に仕上がっています。

技の良し悪しよりも、印象に残る踊りが大事

文学でも、絵画でも、「印象に残る方が大事」というのは同じだと思います。

たとえば、クラシック・ピアノでは、フジ子・ヘミングさんが有名ですが、あの方の活躍を快く思わない人もいて、「ファンだ」と言うと、クラシック通に揶揄されるのは、よく知られた話です。
(参考 プロ VS 素人 権威主義・商業主義を生みだす背景

確かに、素人には、テクニック云々は分かりません。

TVで苦難の人生を紹介されると、そうした背景も込みで演奏を聴くので、上手いだけのピアニストより心を動かされるのは当然です。

素人は、テクニックよりも、ドラマを求めるからです。

そうした大衆性が、一方で、『ゴーストライター事件』のような問題を引き起こすのも事実ですが、プロ、アマチュアにかかわらず、「人が求めているのは『人』である」と考えると、上手いだけのピアニストより、物語性のあるピアニストの方が好まれるのも当然ではないでしょうか。

SWANでも、技術的には真澄よりシドニーの方が上ですが、マーゴ・フォンティーンは、シドニーのドヤ顔な踊りより、白鳥の世界を真摯に表現しようとする真澄の踊りに心を惹かれます。

「凄いものを見せれば評価される」というシドニーの計算は打ち砕かれ、芸術家はいかにあるべきかを再考する機会になります。

技巧は、あくまで技巧。

自分が表現したいものを表現する為の手段に過ぎません。

料理に喩えれば、包丁です。

包丁だけ鋭く研磨しても、料理の創意工夫や食客への思いやりがなければ、食した方は嫌な思い出で終ってしまうでしょう。

ARTとは、心技一体。

どちらを欠いても、芸術として成り立ちません。

人を感動させ、なおかつ愛されるには、上手いだけではダメで、最終的には人間性を問われるものだと思います。

クラシック・ピアノでも、ヘミング氏の活躍を快く思わない人は少なくないようですが、技巧こそプロの証しみたいな人に、「ヘミングさん、すごい~」と純粋に感動するファンの気持ちが分からないように、ヘミング派のファンも、ただ上手いだけのピアニストのどこが良いのか、さっぱり分からないと思います。

音楽家も、人に聞いてもらって、初めて音楽を奏でることができます。

「これだから無知な大衆は……」と見下すような人に、決してファンはつかないのです。

初稿 2010年4月30日

ウォールの写真 : マイアミ・シティ・バレエ

誰かにこっそり教えたい 👂
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