カルラ・フラッチの『ジゼル』とモスクワの天才少女ラリサ・マクシモーヴァ ~水鳥のようなつま先(ポワント)

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モスクワの天才少女ラリサ・マクシモーヴァの『ジゼル』

真澄の人生を変えた マイヤ・プリセツカヤの黒鳥とバレエ『白鳥の湖』 有吉京子の『SWAN』を観る(1) の続きです。

国立バレエ学校の一期生となった聖真澄は、モスクワで公演される「眠りの森の美女」の主役・オーロラ姫を希望し、勝ち気なクラスメートの由加さんや、京極小夜子と競いますが、実力の差で主役抜擢は叶いませんでした。
しかしながら、ロシアの名教師、アレクセイ・ミハイロフの徹底した基礎訓練により、真澄の踊りは著しい進歩を遂げます。
一行は公演の成功に夢を膨らませて、モスクワに向かいます。

しかし、到着した彼らを待ち受けていたのは、天才少女と呼ばれるラリサ・マクシモーヴァの挑戦でした。
京極小夜子は、国立バレエ学校と日本ダンサーの誇りをかけて、ラリサの挑戦を受け入れます。

この時、ラリサが申し出た演目が、アダンの作曲『ジゼル』です。

『ジゼル』の物語

可憐な村娘のジゼルは、ロイスと名乗る素敵な青年に恋をします。
しかし、ロイスの正体は、シレジアの公爵アルブレヒトであり、マチルダという美しい婚約者もありました。
その事実を、嫉妬に燃える幼なじみのヒラリオンから聞かされたジゼルは、悲しみのあまり、狂気の中で息を引き取ります。

その頃、村では、愛に破れ、乙女のまま死んだ娘はウィリ(精霊)となり、森に迷い込んだ者を死ぬまで踊らせ、呪い殺すという言い伝えがありました。
ジゼルもまた、ウィリの女王ミルタが支配する森で、精霊となります。
そうとは知らず、ジゼルの墓を訪れたヒラリオンはウィリに取り囲まれ、沼に突き落とされて、息絶えます。

続いて、ウィリは、ジゼルの墓の前で嘆くアルブレヒトを取り囲み、死ぬまで踊るよう迫ります。
しかし、ジゼルの懇願によって、アルブレヒトは一命を取り留めます。
肉体は死んでも、愛は永遠に生き続けると約束し、ジゼルは朝日の中に消えてゆきます。

*

『ジゼル』は、第一幕を可憐な村娘、第二幕を慈愛に満ちた精霊と踊り分けなくてはならない為、ダンサーにとって非常に難しい役柄の一つと言われています。
(ダンサーによっては、第一幕は得意だけど、第二幕はいまいち、というように、バランスよく踊るのが難しい)

『SWAN』では、ラリサが第一幕の村娘を、京極小夜子が第二幕のウィリを踊ることになりますが、ラリサがジゼルのソロを踊って魅せた時、周りの人が口々に騒ぐ、

「彼女は、××ポワントを、完璧にマスターしている(水鳥のような足さばき)」 → 今本が手元になくて、名称が思い出せない
ジゼルを踊らせたら、天下一品と言われた、カルラ・フラッチ以来の舞だ
「天才だ……やはり天才だ!!」

カルラ・フラッチの『ジゼル』を観る

カルラ・フラッチについて

別冊ダンスマガジン『バレエって、何?』の解説。

1936年、ミラノの生まれ。
9歳でスカラ座バレエ学校に入学し、1954年、卒業と同時にスカラ座バレエに入団。
2年語にソリスト。
1956年に『シンデレラ』の演技がみとめられてプリマになった。
1959年にロンドン・フェスティバル・バレエの招きで『ジゼル』を踊り、1960年のネルヴィ・フェスティバルにおいて『パ・ド・カトル』をショヴィレ、マカロワ、ハイタワーとともに踊って、世界的なバレリーナとしての名声を確立した。
ロマンティック・バレエの表現に優れているが、チューダーの心理的な作品などにより演技派バレリーナと称せられてもいる。

(佐々木涼子)

第一幕

そのカルラ・フラッチの『ジゼル』がこちらです。足の動きに注目。

Carla Fracci as Giselle 第一幕ソロ(3分ぐらいから)

カルラ・フラッチは、ミラノ・スカラ座で活躍した、2世代ぐらい前の名プリマです。
(その次はアレッサンドラ・フェリが有名か。彼女も『ジゼル』を得意としています)
共演は、エリック・ブルーンとアメリカン・バレエ・シアターで、バレエのビデオにしては珍しく、劇画タッチの演出がなされています。
上記の映像は葡萄の収穫を祝うパレードに続くソロのパートですが、『ジゼルの第一幕のバリエーション』と言えば、このソロ・パートを指します。
『SWAN』で「水鳥のような足さばきが……」と表現される動きがどのようなものか、これでお分かり頂けるのではないかと思います。
カルラ・フラッチも、足さばきが非常に丁寧で、安定感があります。

物語は、幸せの絶頂で、ヒラリオンがロイスの正体をばらし、悲劇へと突き進みます。

第二幕

深い森の中。
愛に破れて、死んで精霊となった乙女たち(ウィリ)の登場です。
ここで重要な役割を果たすのが、ウィリの女王ミルタ。
恐ろしい精霊でありながら、女王の品格をたたえた、難しい役柄です。
第二幕の冒頭、ウィリたちが登場する場面は、コールド・バレエの見せ所でもあり、このパートでバレエ団の実力が分かるといっても過言ではありません。
また、ミルタに威厳がなく、群舞が乱れると、やはり白けます。

ちなみに、ウィリたちが胸の前で両腕を組むポーズは、乙女たちの純潔(処女性)を表しています。

ミルタを演じているのは、トニー・ランダー。
私が見た中では、一番威厳のある女王です。
特にヒラリオンを沼に突き落とす場面は迫力満点です。

カルラ・フラッチの第二幕も非常に見応えがあります。
カルラの精霊は安定感があり、儚さの中にも、アルブレヒトを守ろうとする強い意思を感じます。
第二幕になると、やたら精霊感を出そうとするダンサーも少なくない中で、カルラの演技は質感があり、ウィリというよりは、愛によって成熟した大人の女性の魅力を感じさせます。

こちらは、己の過ちを悔い、一人ひそかにジゼルの墓を訪れるアルブレヒト。
そんなアルブレヒトの前に、ジゼルが幻想となって現れます。
ジゼルが手に持っているのはローズマリーの枝で、花言葉は「私を忘れないで」。
ローズマリーは魔法の象徴とも言われています。

アルブレヒトはウィリに見つかり、ミルテに死を宣告されます。
ウィリに囚われた若者は死ぬまで踊り続けなければなりません。
ミルテに許しを請うジゼルの演技が印象的です。

やがて、朝日が差し込み、ウィリたちは森の奥に去ります。
ジゼルもアルブレヒトに別れを告げて、光の中に消えてゆきます。

リリアナと京極小夜子の対決

『SWAN』では、世界バレエ・コンクールで、京極小夜子と、もう一人の天才、リリアナ・マクシモーヴァが第二幕を競います。

まるで重力を感じさせないリリアナに対し、小夜子は人間的な感情を前面に打ち出して、まったく対称的な演技をします。

真澄曰く、「ジゼルは死んでも、アルブレヒトを愛し続ける。リリアナの演技にはアルブレヒトへの愛が見えないわ

しかし、第二幕の抜粋だけでは、小夜子の理想とするジゼルを伝えることはできず、審査の結果、リリアナの勝利になります。

私もいろんなジゼルを観ましたが、完全に精霊になりきってしまうダンサーと、人間らしさをとどめるダンサーと二通りあると感じます。

個人的には、真澄と同じように、『人間ジゼル』を高く評価しますが、プロの目にはどう映るのでしょうね。

*

こちらは、カルラ・フラッチの再来と言われた、ミラノスカラ座のプリマ、アレッサンドラ・フェリのジゼルです。
フェリも長い手足を生かした、透明感のある演技が印象的です。

『ジゼル』の魅力は人間らしさにあり

数あるバレエ作品の中でも、私が一番好きなのは『ジゼル』です。

理由の一つは、「愛を失って死んだ乙女は精霊になり、若い男を迷わせて、死に至らしめる」というウィリ伝説が興味深いこと。

もう一つは、古典バレエのヒロインの中で、もっとも人間らしいからです。

オデット姫やオーロラ姫も可憐で美しいですが、ジゼルは、お伽噺ではなく、実在の村娘なので、共感しやすいのかもしれません。

SWANでも指摘されているように、ジゼルはオデット姫やオーロラ姫と異なり、恋する乙女の心情が問われる役柄です。

第一幕は、恋に夢中の村娘、第二幕は、愛に浄化された大人の女性と、心の変容を表現することが問われます。

他のウィリたちが、いつまでも若い男性に怨恨を抱き続けるのに対し(恐らく、彼女らは、失恋のショックで自死したのでしょう)、ジゼルは、死んで精霊となっても、アルブレヒトへの愛を貫きます。

第一幕では、アルブレヒトに対する怒りもあったでしょうに、愛の方が勝ってしまうんですね。

いわば、第二幕のジゼルは慈愛の象徴であり、京極小夜子のように、「赦し」を表現することが重要なポイントになるわけです。

また、第二幕におけるジゼルの登場は三度あり、一度目は女王ミルテの呼びかけによって、墓の中から精霊となって現れる場面。二度目は墓を訪れたアルブレヒトの幻影として現れる場面。三度目は、ウィリに囚われたアルブレヒトを救うために、ミルテの前に躍り出る場面です。

一度目のジゼルは、「単なる精霊」であり、そこに愛の芽生えはまだ見られません。

二度目のジゼルも、アルブレヒトの幻影なので、愛に浄化されたジゼルとは少し異なります。

三度目になって、ようやく、私たちが期待するジゼルが現れます。

たったひと幕の中でも、これだけキャラクター性が異なるので、演じ分けるのが本当に難しいです。

だからこそ、『デキるプリマ』が最後に挑戦したくなるのが、「完璧なジゼル」なのでしょう。

私は、ジゼルを鑑賞する時、第一幕と第二幕の違い、さらには、第二幕での心の変容に注目します。

こうした内面の変化に物語性を感じさせる踊り手が本物の天才だと思います。

「精霊っぽく」というなら、誰でもそこそこに表現できますが、内面の変化は技術だけではどうにもならないからです。

リリアナと京極小夜子の対決において、草壁飛翔という恋人のいる小夜子が、精霊リリアナよりも、よりリアルで、人間味を感じさせるジゼルを演じたのも、納得のいく話です。

バレエの中では明確に語られていませんが、エンディング、ジゼルが光の中に消えていくのは、ジゼルの魂もまた浄化され、天国に迎え入れられたことの象徴です。

よって、アルブレヒトが再びジゼルの墓を訪れても、二度とジゼルに会うことは叶いません。(いつまでも森を彷徨うのは、怨みを抱いたウィリだけ)

そういう意味でも、最後のジゼルとアルブレヒトの別れは永遠であり、感動も胸に残るのです。

『ジゼル』の誕生とエピソード

上演の歴史

ぴあ『バレエワンダーランド』(1994年)を参考にしています。

バレエ『ジゼル 」が誕生したのは、今から180年以上も昔。
台本はハイネが紹介したウィリー伝説に想を得て、テオフィル・ゴーチェが台本作家のヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュと共同執筆しています。
ジゼルのパートをジュール・ペロー、その他をジャン・コラーリが振付けて、1841年にパリ・オペラ座で初演されました。
ジゼルの初演は、当時の人気バレリーナ、カルロッタ・グリジが演じました。

この初演版は数年のうちに欧米に広く伝えられましたが、残念ながら、本家オペラ座での命は短く、27年後には上演が途絶えます。
以後、『ジゼル』は、一時期、ヨーロッパで忘れ去られました。

しかし19世紀後半にバレエが盛んになったロシアには何回かの改訂版を経て定着していきました。
そして、1884年にマリインスキー劇場でプティパが大幅な改訂版を発表し、これが現在上演されている版の原型となっています。

『ジゼル』がヨーロッパでよみがえったのは、1911年、ディアギレフのバレエ・リュッスのロンドン公演です。
そして、1924年にマリインスキー版に基づくヴィク・ウェルズ・バレエ(英国ロイヤル・バレエ)で誕生し、、『ジゼル』は再び世界中で上演される人気バレエの地位を取り戻します。

解説

別冊ダンスマガジン『バレエって、何?』(1993年)

当時のバレエのほとんどが失われてしまったなかにあって、このバレエのみが命脈を永らえて今日に至った。今世紀の前半にはソ連を除くと、数えるほどのバレエ団(バレエ団自体も少なかったが)のレパートリーにしかのっていなかったが、現在では非常に多くのバレエ団がこれを上演している。

なぜこのバレエだけが生き残ったのか、その理由を的確に述べるのは難しいが、ひとつにはロシア古典バレエの父マリウス・プティパが手を入れて、踊りを面白くし、群舞の動きを整理したためもあろう。この作品はパリ・オペラ座で初演されたが、その版は失われてしまい、現在われわれが見ているのは、ペテルブルグ・マリンスキー劇場に伝えられたものである。

マリインスキー劇場では、アンナ・パヴロワ、オリガ・スペシフツェワといった伝説に近いバレリーナがこれを踊り、革命後キーロフ劇場となってしばらく途絶えていたが、ガリーナ・ウラーノワのために再演された。1932年のことでウラーノワはまだ22歳。匂うような新進バレリーナで、たちまちこのバレエを手中に収めた。このときは、じつは『ジゼル』は、テクニシャンで有名な、先輩のエリーナ・リュコームが踊ることになっていたが、病気とあってウラーノワにチャンスが巡ってきた。

リュコームも革命後のソ連を代表するバレリーナだが、のちに西欧バレエ界を驚かすことになる、いわゆるソ連型アクロバット・アダジオの代表でもある。ウラーノワのほうが、このバレエに向いていたのは間違いなく、ウラーノワの名演によって、ソ連ではこのバレエが失われずにきたといっていいかもしれない。

もうこのときにはすでに、アンナ・パヴロワ・バレエ団、ディアギレフ・バレエ団、ニコライ・セルゲーエフの記録によって、このバレエは西欧に里帰りしていたから、失われる気づかいはなかったが、ソ連バレエ界での『ジゼル』の復活にウラーノワの果たした役割は計り知れない。

こちらが、ガリーナ・ウラーノワの踊る『ジゼル』。埋め込みできないので、直接リンクから視聴して下さい。

第一幕 狂乱の場
https://youtu.be/IiepFSwIMZQ

第二幕 ジゼルとアルブレヒトのパ・ド・ドゥ
https://youtu.be/vH6_tFRdpy4

話をもとに戻すと、『ジゼル』の初演社はカルロッタ・グリジ、イタリア人である。どうしてパリ・オペラ座にはこのバレエを主演できるフランス人がいなかったのだろう。これは割合不思議なことで、ロマンティック・バレエの、最初の舞姫は、やはりイタリア系のマリー・タッリオーニ、次にその対抗馬として現れるのはオーストリア人のファニー・エルスラー、グリジのあとにはデンマーク人のルシル・グラーンもつづく。

もうひとつの重要な役、第一幕に挿入の村人のパ・ド・ドゥはナタリー・フィッシャジームが踊った。やはりフランス人でルイーズという姉がおり、こちらのほうはたっりおーにが初演した『悪魔のロベール 」のバレエ場面(『ジゼル』第二幕によく似ている)の主演者として絶大な人気を誇っていた。

しかし、なぜ『ジゼル』の第一幕にナタリーの踊るパ・ド・ドゥが挿入されたのだろう。ロシア古典バレエには挿入の踊りはいくらもあるが、ロマンティック・バレエでは、台本で見る限りはないようだ。『ジゼル』の台本にも何の言及もない。そればかりか、『ジゼル』の研究者として有名なボーモント著『ジゼルという名のバレエ』にもこのパ・ド・ドゥについて述べてない。

さらにいえば、このパ・ド・ドゥの曲はアダンではなく、ブル具ミュラーの旧作である。恐らくは、オペラ座に契約されている何人ものフランス人の踊り手が、新作の主役をイタリア人にとられて抗議をし、それをなだめるために、フィッツジャームの顔を立てたのではないだろうか。またボーモントが何もいっていないのは、ボーモントが見ていたころには、このパ・ド・ドゥはカットされていたのではなかろうか。

アメリカで戦後間もなく出版された本に、アメリカでの『ジゼル』の上演記録の詳細があり、そのなかに、第一幕にジゼルとアルブレヒトのグラン・パ・ド・ドゥがあったことが記されている。また古いバレエの権威、故メアリー・スキーピングの版の『ジゼル』にも、第一幕に二人のパ・ド・ドゥがあった。村人のパ・ド・ドゥは余分だったのではなかろうか。

バレエ・リュス・ド・モンテカルロ時代には『ジゼル』は短い作品として扱われ、必ず『パリの賑わい』か『ボロうヴェッツの踊り』がついていた。

ロシアのバレエ団が来日するようになって、われわれは『ジゼル』の一本だけと聞いて、損したような気がしたものである。

だが、このパ・ド・ドゥが現在、常に第一幕に含まれていることは、観客の身からすれば、非常に嬉しいことである。

(薄井憲二)

アリーナ・コヨカルとマニュエル・ルグリの第一幕 パ・ド・ドゥ

個人的には、アリーナ・コヨカルが好きなので。
村娘らしい、第一幕のパ・ド・ドゥです。
コヨカル版のブルーレイはこちら https://amzn.to/3IAJQXl

アクラム・カーンの『ジゼル』

アクラム・カーン の《ジゼル》 イングリッシュ・ナショナル・バレエ  の予告編。
https://amzn.to/3qwqAnp

最近、オペラでも現代解釈が流行ですが、アクラム・カーンの演出も前衛的で、古典的な舞台を見慣れている人には衝撃的です。

デンマーク王立バレエの現代版『ジゼル』

現代的な演出が興味深いです。

ディスクの案内

カルラ・フラッチの『ジゼル』はDVDで入手可能です。
舞台というよりは、バレエ・ドラマであり、スタジオで撮影されているのが特徴。
古い映像ながら、画質は非常によく、現代でも視聴にたえるクオリティ。
とにかく、ミルタのトニー・ランダ女史がコワイのです・・(^_^;

バレエ《ジゼル》 [DVD]
バレエ《ジゼル》 [DVD]

初稿 2010年4月30日

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