作品の概要
危険な情事(1987年) - Fatal Attraction (破滅的な魅力「Fatal」には運命の~という意味もある)
監督 ; エイドリアン・ライン
主演 : マイケル・ダグラス(ダン・ギャラガー)、グレン・クローズ(アレックス・フォレスト)、アン・アーチャー(ダンの妻、ベス)
あらすじ
弁護士のダンは、仕事も、私生活も順調で、幸せな日々を過ごしていた。
ある時、妻ベスが娘を連れて、実家に帰省する。
久々の一人暮らしを満喫し、開放的な気分になったダンは、出版社のパーティーで知り合った魅力的な女性アレックスと再会し、その日のうちに肉体関係をもつ。
ダンは一夜限りの情事だったが、アレックスは運命の恋と思い込み、執拗にダンに絡むようになる。
ダンが拒むと、アレックスの狂気はますますエスカレートし、妻と娘の身に危険が及ぶようになる……。
見どころ
妻の側から見ても、愛人の側から見ても、非常に興味深い映画。
アレックスを演じるグレン・クローズの演技があまりに凄まじいので、「ホラー」や「サイコ・サスペンス」に位置づけられるが、本作は男の本音と女の勘違いを鋭く描いた恋愛ドラマであり、クライマックスの浴室のカメラワークも、ヒッチコックの名作『サイコ』に匹敵するほどスリリングだ。
私の中では、80年代洋画のベストテンに入る作品。
初めて見たのは20才の時だったが、非常に勉強になった(・ω・)
『恋愛上手』の女の正体 ~アレックスの狂気
女の本性は『ヘビ』
「私って、恋愛上手なの」
そう自称する女性ほど厄介なものはない。
その多くは、依存体質の恋愛中毒で、恋愛どころか、自分の人生さえ上手くいってない人が多いからだ。
ところが、男性には女性の本性は分からない。
恋愛上手を真に受けて、軽い気持で遊んでみたりする。
しかし、女性の本性はヘビだ。
最初は遊びのつもりでも、身体の関係をもてば、ヘビのように相手に執着するようになる。
女性にとって、一番許せないのは、「身体だけ」というシチュエーションだからだ。
狂ったように男を追いかける女
映画『危険な情事』のアレックスも同じ。
「私たち、大人でしょ?」と都会の女を気取るが、いざ、関係をもつと、男性の冷淡さを詰るようになる。
ダンが、「お互い大人で、チャンスを楽しんだだけ。ルールは分かっていたはずだ」となだめても、すでにヘビと化したアレックスの耳に届くはずがない。
男を自分の元に繋ぎ止めるためなら、自傷することも厭わない。
台所で手首を切り、とことん、自分のいいように仕向けようとする。
男が本当に愛しているのは妻子
それでもダンの気持は変わらない。
ダンが愛しているのは妻子であり、アレックスではないからだ。
そうして、ダンが自分から離れていくと、アレックスはあの手この手でダンを振り向かせようとする。
何でもない振りを装って、男の職場を訪ねたり、「深い意味はないの」と言いながら、オペラに誘ったり。
そこまでされると、最初は魅力的に見えた女も、だんだん鬱陶しい、魔女みたいに見えてくる。
だが、邪険にされると、ますます追いかけたくなるのが女心だ。
なぜなら、自分が「遊ばれた」とは絶対に認めたくないからだ。
※ 男を引き留める為の、女の常套手段。「あなたの子を妊娠した」
※ ついにはダンの家に上がり込み、妻ベスの友だちになる。
アレックスは頭のイカれた女性と思うかもしれないが、どんな女性にもアレックスに似た部分は大なり小なりある。
だから、全米で、我が事みたいに大ヒットしたのだ。
不倫をテーマにした映画は数あるが、『危険な情事』ほど不倫の顛末をリアルに描いた作品はまたとない。
80年代の作品ではあるが、現代にも十分通じる、衝撃のサスペンス・ドラマである。
オペラ『蝶々夫人』 ~男に捨てられた女
「恋愛上手」を自称する女の末路を端的に表現した、オペラ「蝶々夫人」の場面。
情事も終わり、ダンはいつもの日常に戻るが、アレックスはそうではない。仕事を装って、ダンのオフィスを訪ね、オペラ『蝶々夫人』を一緒に見に行こうと誘うが、ダンはきっぱり断る。
その後、二度とダンがアレックスの誘いに応じることはなく、一人淋しく蝶々夫人のアリアを聴きながら、狂気に取り憑かれていくアレックス。
部屋の明かりを、ぷっちん、ぱっちんと、点けたり消したりしながら、情念をたぎらせる演技が凄まじい。
アレックスが聞き入る『ある晴れた日に』は、ピンカートンの愛を信じて帰りを待つ蝶々夫人の心情を歌った、有名なアリアである。
【恋愛コラム】 肉体関係ができれば女は変わる
この世で一番危ないのは、「自分で自分のことがよく分かってない女」と思う。
「私は強いから、大丈夫」「自分はこんな馬鹿なことは絶対にしない」と、自分で自分を買いかぶっている女性ほど、いざとなると理性を失い、常軌を逸した行動に出る。
相手に愛されない現実を認めることができず、何が何でも、自分の思う通りにしようとするからだ。
本作のアレックスも、いよいよ気持が煮詰まると、自分の気持ちを延々と吹き込んだカセットテープをダンに送りつける。
そこには相手の幸せを願う気持ちは一つもなく、ただただ弁解と自己主張があるだけだ。
普通に考えれば、こんなテープを送りつけた時点でアウトなのに、彼女には分からない。
自分の真心を届ければ、彼もきっと分かってくれると期待しているからである。
だが、何故、こうまで恋に狂ってしまうのか。
理由は簡単、プライドが高いからである。
「付き合いに失敗した」とか「愛されない」という現実を受け入れることができない。
だから、自分が勝利するまで、わめき、絡み、物事をコントロールしようとする。
諦められないのは、相手の存在ではなく、自分自身だ。
常に最高の自分で居続けるために、「失敗した」とか「愛されない」みたいな現実は、自分の歴史から消し去らなければならないのである。
だが、そんな心持ちで幸せがつかめるだろうか。
そこが素直に前に進める女性と、いつまでも気持をこじらせて、無駄に年だけ取っていく女性との違いである。
そして、この手の女性が深入りすると一番危険なのは、不倫である。
妻から夫を奪った事に対して、彼女は一時期、優越感にひたるが、そんな幻想もすぐに崩れ去る。
日頃、重荷に感じようと、男にとっては家庭が第一であり、妻子はその要だからだ。
だから、本作のダグも、自ら妻子を裏切りながらも、いざ自分の家族に危険が及ぶと、途端に保守的になり、不倫相手を憎むようになる。
それを勝手と断じるか否かは、人それぞれだが、それが男というものだ。
その現実を受け入れない限り、不倫の恋に苦しむ若い女性は後を絶たないだろう。
この世に「遊びの恋」など存在せず、肉体関係ができれば、女は変わる。
そのことを、女性自身がまったく理解してないのが問題であって、男の性情など、さほど重要ではない。
肝心なのは、己を知ること。
自分はいい女だと、心のどこかで自惚れないことだ。