悪魔は嘘に巧妙に真実を織り交ぜる 映画『エクソシスト』
作品の概要
エクソシスト(1973年) ー The Exorcist
監督 : ウィリアム・フリードキン
主演 : リンダ・ブレア(少女リーガン)、エレン・バースティン(リーガンの母クリス)、ジェイソン・ミラー(カラス神父)、マックス・フォン・・シドー(メリン神父)
エクソシスト(Blue-ray)
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あらすじ
有名女優のシングルマザー、クリス・マクニールは一人娘のリーガンと幸せに暮らしていたが、次第にリーガンの言動がおかしくなる。方々の専門病院を訪ね歩くが、医学的に異常は何一つ見つからず、途方に暮れたクリスはカラス神父に悪魔祓いを依頼する。
最初、カラス神父は取り合わなかったかが、少女の腹部に「Help Me(助けて)」の文字が浮かび上がると、悪魔の憑依を信じるようになり、経験豊かなメリン神父と共に悪魔に立ち向かう。
現代の悪魔は言葉の中に潜む
本作は、ショッキングな映像が売りもののオカルトでありながら、どこか善と悪の戦いが美しく、この地上こそ、神と悪魔の戦場と痛感させられる点だ。
その象徴となるのが、善の側のカラス神父である。
若いカラス神父は高齢の母親を施設に入所させ、それが心の重荷となっていた。
カラス神父の良心の呵責を知った悪魔は、母親の悲しげな幻影を見せて、カラスの心を激しく揺さぶる。
そんなカラスに「悪魔の言うことに耳を傾けてはならない。悪魔は嘘に真実を巧妙に織り交ぜる」と力づけるのが、ベテランのメリン神父だ。
メリン神父は、それまでも幾多の戦いを経験しており、悪魔がいかに巧妙かを熟知している。
(前日譚は、レニー・ハーリン監督のスピンオフ映画『エクソシスト ビギニング』でも詳細に描かれている)
悪魔の真の恐ろしさは、超能力や魔術ではなく、人間の欲望や弱点を知り尽くし、騙し、誘惑して、本人も周りも破滅させる点にある。
では、その防御壁となるのは何か。
それが善なる考え = 神である。
多くの人が、たとえ空腹でも、むやみに店頭からパンや牛乳を盗んだりしないのは、私たちが「それは、いけないこと」と弁え、自身の行動をコントロールする術を身に付けているからである。
その「神なるもの」は、親の場合もあるし、教師や叔父さんやネットで知り合った匿名のアカウントだったりする。
神そのものに実体はなく、多くの場合、神の善性は「人の言葉」として現れる。
新約聖書において「初めに≪御言葉≫があった。≪御言葉≫は神とともにいた。≪御言葉≫は神であった」(聖書 新共同訳 新約聖書 Kindle版 ヨハンネスによる福音)と記されている所以だ。
そして、それは悪魔も同じ。
「スマホ一台で、ラクラク稼げる。資料請求はこちら」
「○○はやっても無駄。FIRE達成の近道を教えます」
「○○でガンが消えた。病院では教えない治療法」
「恋愛で悩んでいませんか。アカウントをフォローの上、DMください」
弱った人の心につけこんで、お金や善意を搾取する文言の何と多いこと。
現代の悪魔は、まさに言葉の中に潜んでおり、迷い込む子羊を、真っ赤な口を開けて、今か今かと待ち構えている。
一度、悪魔の言葉に捕らえられたら、抜け出すのは至難の業で、中毒みたいに染まっている人も何と多いこと。
しかもタチが悪いのは、彼らの話には、いつでも一握の真実が織り交ぜられている点だ。
例えば、○○治療で悪性腫瘍が縮小した症例があるのは本当だし、彼らの示唆する方法で、小遣い程度に稼げるのも事実である。
ちょっと調べれば、そうした情報がいくらでも出てくるので(公式サイトでも)、信用する人は信用してしまう。
「この霊水を飲めば、死んだ人も生き返ります」とか「月会費1万円でデンマーク王子と結婚できます」みたいな荒唐無稽な話なら、誰も信じないが、彼らの話には、必ず真実が織り交ぜられているので、わらをつかむ思いの人から見れば、「ほんとかな?」と期待してしまう。
そうして、一度でも悪魔と関わりを持てば、もうお終い。
最初は優しい言葉で取り入って、千円、二千円、やがて、1万、10万と、骨の髄まで搾り取られる。
騙された方には、「これだけ犠牲を払ったのだから、最後には報われたい」「自分が騙されたとは思いたくない」という心理が働くから、逃げるに逃げられず、ますます泥沼化するわけだ。
こうした言葉の悪魔に対抗するのも、また『言葉』である。
「嘘をついてはいけません」
「独り占めはダメですよ」
「お友達を大事にしましょう」
「社会の役に立つことを考えよう」
幼少時より、私たちは何と多くのことを言葉で教えられることか。
人間をかどかわすのも言葉なら、人を救い、道を正すのも、言葉なのだ。
だから、メリル神父は言う。
特に大事なのは、悪魔との会話を避けることです。
必要な話はするが、深入りするのは危険です。
悪魔は嘘つきです。
悪魔は嘘に真実を混ぜるのです。
どれほど心に刺さっても、そこに救いがあるように感じても、悪魔の言うことに耳を傾けてはならない。
悪魔は親切な顔で近づいて、迷える子羊から、ありとあらゆるものを奪う。
弱った心に、『悪魔』と『神』の見極めは難しいかもしれないが、もし、あなたに善の心が存在するならば、親切な言葉の裏側に潜む悪意を感じ取ることができるはずだ。
その決め手となるのは、「対価以上のものを寄越せ」という、搾取の言葉である。
対価は自分に対して支払うものであって、他人に払うものではない。(努力の時間や労力など)
この世には、自分の為だけに用意された特別な幸福があると、自惚れてもいけない。
悪魔の一番のご馳走は、人間の虚栄心ということを忘れぬように。
映画『エクソシスト』の悪魔は、父不在の少女の淋しさにつけ込み、ウイジャボード(降霊術のテーブル・ターニング)の友となって現れた。
現代では、SNSといったところだろうか。
悪魔の言葉から完全に目と耳を塞ぐのは難しいかもしれないが、行動は自分でコントロールすることができる。
どんな時も誘惑に陥らないよう、強く、賢く、生きていきたいものである。
↓ リーガンの影に重なる悪魔の演出が素晴らしい。
カラス神父の救いと赦し ~神は愛、悪魔は利己主義
カトリック教には、洗礼・堅信・聖体・ゆるし・病者の塗油・叙階・結婚という「七つの秘跡」が存在する。
そのうち、最も重要なのは「ゆるしの秘跡」だろう。
~してもよい、という許可のゆるしではなく、神の慈愛によって人を受け入れ、過ちをゆるす赦しだ。
本作では、若いカラス神父の葛藤が一つのテーマになっている。
人を救済する身でありながら、老いた母を施設に預け、淋しい思いをさせている事実は、カラス神父の心を苦しめていた。
悪魔との死闘の後、カラス神父は、仲間の神父に看取られ、少女を庇う形で息絶えるが、仲間の神父による『ゆるしの秘蹟』が意味するところは、老いた母に対する赦しであり、少女も救われたが、カラス神父も救われた、ということだ。
神とは、単に善意の象徴ではなく、愛そのものである。
何故なら、悪魔の本質は利己主義であり、他者に惜しみなく真心を注ぐ愛とは、決して相容れないものだからである。
ルネ・マグリットの「The Empire of Lights」とポスター
映画『エクソシスト』のポスターは、抽象画家ルネ・マグリットの代表作『The Empire of Lights』からインスピレーションを得たことは非常に有名だ。
-元記事 「The Empire of Lights (René Magritte) inspired The Exorcistより(引用元は削除されています)」
辺りは真っ暗。
目の前には、悪魔に怯える母子家庭があり、神父だけが希望の光だ。
マルグリットが描くように、この地上には、昼の光と夜の闇が同時に存在する。
そして、私たちは夜の中で、個々の家に捨て置かれ、救いを待ちわびる、孤独な住人の如くだ。
それは、いつ訪れるのか。本当に救われるのか。誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは、天上には日が差すとういことだ。
初稿 2015年4月4日