一口に「文化の違い」「カルチャーショック」と言っても、人によって、感じ方、受け止め方は千差万別です。
私の場合、歯茎からごそっと歯が抜け落ちるような、喪失感に近いものがありましたが、軽度で済んだのは、「出来ないものは、出来ない」と開き直るのが早かったからだと思います。
ある国際結婚系の掲示板の管理人さんが、こんなことを書いておられました。
「とにかく愚痴でも悪口でもいいから、口に出して発散することだ。内に溜めずに、どんどん言った方がいい」
そのオーナーさんも、最初は「他国の文化や人間を悪く言うものではない」と考えておられたそうですが、やはり人間である以上、不満もたまるし、愚痴も言いたい。それを綺麗事で抑えていたら、自分自身がおかしくなってしまうから、(常識の範囲で)発散した方がいい、とのアドバイスでした。
愚痴や悪口で発散するというのも、ちょっと淋しい話ではありますが、それも一つの解決策に違いありません。どこかに逃げ道を作らないと、外国人社会に一人ぽつんと置かれた海外在住者は、あっという間に精神的に追い詰められて、心が不安定になるからです。
よく海外旅行から帰ってきた人が、「カルチャーショックを受けた」と現地の珍しいモノや習慣、外国人とのやり取りを面白おかしく語ってくれることがあります。
私もそうでした。外国で体験した「ビックリ」「ドキドキ」「フシギ」をカルチャーショックと呼ぶのだと思っていました。
でも、実際には、カルチャーショックって、本人がショックと口できるうちは、本当の意味で「ショック」を受けてないのだと思います。
私に言わせれば、カルチャーショックというのは、
「自分という存在が、根こそぎもぎ取られ、否定され、心の拠り所さえ失ったような、どーんとした重苦しさ。あるいは浮遊感」
自分自身、それがカルチャーショックと気付かないくらい、根深いものでした。
私がそれを体験したのは、日本から離れて三ヶ月目、通算三度目のアメリカ滞在の時です。
彼が遠い都市に出張することになり、私は彼の家族の家に一人で滞在することになったのですが、日が経つにつれ、だんだん身体の重苦しさを感じるようになり、日中でも眠くて眠くてたまらない、不快な症状に悩まされるようになったのです。
もちろん、家族の皆さんは親切だし、暮らしに不自由することもありません。
なのに、なんだろう、この言い知れぬ疲れは……。
今にも叫びたくなるような鬱々とした気分を抱えながら、週も半ばを過ぎた頃です。
台所の本棚に素敵な料理本があったので、「これ、お借りしていいですか?」と尋ねたら、彼の身内に次のように言われました。
「あなたは、何でもあなたの好きなものを手にしていいし、食べたいものがあれば、好きに冷蔵庫を開けて食べていいの。いちいち、断る必要はないのよ」
私は日本流で、何でも一言断るタイプだったので、先方の冷蔵庫にあるジュースを飲むのも、果物を食べるのも、一言断りを入れないとできなかったんですね。
恐らく、どこの日本人家庭でも、
「他人様のものを勝手に触ってはいけない」
「他人様の冷蔵庫や引き出しを勝手に開けては失礼だ」
と教えられて育っていると思います。
一朝一夕に感覚を切り替えることなどできません。
ところが、こうした日本的な価値観がことごとく覆され、しまいには、先方を苛立たせる始末。
それはもう「腹が立つ」とか「悲しい」とかいうものではなく、一夜にして地球の自転が逆回りに変わったような、大変なショックでした。
平気な人もあるかもしれませんが、私にとっては、自分が長年美徳としてきたことがまったく評価されず、正反対の行動を求められることに、大きな違和感があったんですね。
どんなに心の強い人でも、文化も生活様式も全く異なる社会に一人で置かれたら、「自分はいったい何ものなのか」「今までの社会生活は何だったのか」みたいに放心すると思います。これまで当たり前のように機能していた生活基盤や価値観が突然変容して、心の拠り所が失われるからです。
異文化社会における自己喪失感や浮遊感は、一日二日で克服できるものではありません。また一時期乗り越えたと思っても、忘れた頃に、ぶり返すこともあります。こういう事は理屈ではなく、鳥は空に、魚は海に、棲む如くなんですね。
異文化社会で新たな人生のスタートを切ることは、アイデンティティを再構築することでもあります。その過程で「他国の文化を理解できない私は駄目な人間かもしれない」とか、「いつまでたっても、こうした習慣に慣れない私は心が冷たいのでは無いか」とか、あまり自分を責めない方がいい。(どうせ相手は気にしていません)「駄目なものは駄目」と開き直るのも生活の知恵だと思います。
外国暮らしへの憧れから国際恋愛や国際結婚を夢見る人もありますが、カルチャーショックは自己喪失や自己否定、最悪、自己崩壊に繋がりかねない深刻なものですから、お互いに支え合い、励まし合えるような相手を選び、覚悟を決めて飛び込んで欲しいと思います。
※ メルマガ発行当時は、「相手国に移住する」が前提のケースが圧倒多数だったので、上記のような内容になりました。平成以降、人手不足で、外国人労働者を多数迎え入れるようになった現代では、逆のパターンが増えて、「日本語があまりできない外国人夫」や「いまだに日本文化に馴れない外国人夫」と、どうやって暮らしを立てていくか」という悩みに変わっていくのかもしれませんね。