寺山修司– category –
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生まれた時代が悪いのか、それとも俺が悪いのか ~ガラクタでも輝けた1960年代
「生まれた時代が悪いのか、それとも俺が悪いのか。何もしないで生きてゆくなら、それはたやすいことだけど」。若者が権力に逆らった時代でもある1960年代の追想と、スポーツ界の敗者について綴るコラム。ガラクタでも光り輝ける時代の寛容さと現代の厳しさ。 -
なみだは にんげんのつくることのできる 一番 小さな海です ~寺山修司の海の詩
海への思いを美しい言葉で綴る初期の作品集。時に過激な言葉で若者を煽動する寺山修司の優しい感性が感じられる珠玉の少女詩集から、お気に入りの海の詩を紹介しています。 -
一生に一度だけ、誰でも詩人になる ~寺山修司の名言より
人は一生のうちで一度だけ、誰でも詩人になるものである。だが、やがて「歌のわかれ」をして詩を捨てる。そして、詩を捨て損なったものだけがとりのこされて詩人のままで年老いてゆくのである。 私もまた、詩を捨て損なったにがい心をいだきながら、群衆の中におし流されていきつつある。 だが、もし船出にまにあっていたら、私は冒険家にな... -
三年前の詩など、三年前の自分にまかせておけばいい ~どんな詩人も自分の書いた海で泳ぐことはできない
詩人が海で泳ぐ時 きみの詩は、人生に甘えすぎだし、感傷的すぎて、いい「方法」だとはいえません。 しかも、三年前の「入試で悩んでいたころ」の詩を、今では大切にしているなんて、感心できません。 「悩んでいたころ」のことなど、きっぱり忘れてしまうべきです。 いい女友だちでも捜して、人生を楽しく、別の詩を書いてください。 詩は毎... -
戯曲『血は立ったまま眠っている』~エクスペリエンスとしての政治
寺山修司の戯曲『血は立ったまま眠っている』の名言集。1960年代の安保闘争を背景に、二人の青年と周囲の葛藤や社会不信などを描く秀作。寺山氏自身の作品解説とコラム『エクスペリエンスとしての政治』。 -
革命を遠くから見ているだけでは何も変わらない ~『千一夜物語・新宿版』より
「目玉なんて何もなりゃしない。革命を遠くから、見ているだけだ。大切なのは心臓だけだ」ただ論じているだけでは無力で、縦のものを横にする勇気と行動力がなければ、どんな立派な論説も空回りに終わってしまう。 -
美というものは、本来、何かを欠いたものです ~『家出のすすめ』
美というものは、本来、何かを欠いたものです。完全な合理主義からは、美はおろかドラマも生まれてきません。多くの場合、『美』は様々な形で定義され、理想として植え付けられる。だが、完璧なもの、好ましいものだけが美であろうか。 -
子供の能力を商品化する大人 ~やりたい事は社会との関係性を持つことにある
大人が子どもの能力について考える時、『商品化された能力』を意味することが多い。「自分が今やりたいことが何かということを知ってることは、ある意味で、自分が社会との関係を持ってのことであって、自分が何もスペシャリストになることではない」 -
戦争とは国家によって正当化される殺人 『死者の書』より
「いま、殺人が容認されているのは、国家という単位だけなんです。国家は死刑という名の虐殺もできるし、戦争という名の大量殺人もできる。国の中で殺すのはいけないけど、国の外へ行って殺すと英雄になれる、という倫理です」 -
詩を書く心・言葉で一瞬を永遠に留める ~寺山修司の少女詩集に寄せて
ハイティーン詩集傑作選もみずみずしい筆致で綴られた可愛い作品ばかりだ。「寺山修司なら読んでくれる」。そんな信頼も感じられる。だから、みな「ポエム」などと自嘲したりしない。自分の言葉を大事にする者は、相手の言葉も大事にできる。幼い詩人に必要なのは、詩を批評する先生ではなく、その詩情を受け止めてくれる優しい大人だろう。 -
人は「時を見る」ことなどできない ~認識の仕方は人それぞれ 『仮面画報』より
人は「時を見る」ことなどできない。見ることができるのは、「時計」なのである。人は「それ」をどのように認識するのだろう? 事象は事象であって、それ自体は何の意味もなさない。 -
現代人に欠けているのは「話し合い」より「黙りあい」 ~『東京零年』より
私は、現代人が失いかけているのは「話しあい」などではなくて、むしろ「黙りあい」だと思っている。絶え間ない情報の洪水というよりは、沈黙に対する耐性の低下。喋ってる間、人は深く考えないように、書いたり、覗いている間も、深く考えない。 -
手紙は距離を感じさせるだけ 寺山修司の戯曲『チャイナ・ドール』より
便りがない方が、身近に感じられていいの。手紙は距離を感じさせるだけだわ。何のレスポンスもない方が相手を身近に感じるのは、そこに無視も裏切りもないからだ。最後の便りの印象の中で、相手はいつまでも好ましい人物あり続ける。 -
詩心とは世界と人を愛する気持ち 『寺山修司 少女詩集』について
寺山修司の『少女詩集』の概要と「一ばんみじかい叙情詩 / しゃぼん玉 / 三匹の子豚 / 十九歳 / かなしみ / 汽車」を紹介。詩は役に立たないものにも美しさを見出し、人間社会に潤いをもたらす。コラム『詩心とは人と世界を愛する気持ち』と併せて。 -
美しいものへのあこがれが、どのように幸福を汚してゆくか
『この世で一番きれいな人は誰ですか』という問いかけは、美意識ではなく、自己顕示であり、支配欲である。美に対する理解から美しいものを求めるのではなく、グラビアの美女みたいに「誰よりも美しければ、権力を得られる」という野心が源にある。寺山修司の『幸福論』より美に関するコラムを解説。 -
全人的な意味での革命とは、自分が望んでいることが何かを知ること
政治的な革命というのは部分的な革命にすぎない。全人的な意味での革命とは、本当に自分が望んでいることがなにかを知ることから始めなければならない。寺山修司の名言をテーマにした生き方コラム。 -
懐かしのわが家(寺山修司の遺稿)
ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかって 完全な死体となるのである そのときが来たら ぼくは思いあたるだろう 青森市浦町字橋本の小さな陽あたりのいい家の庭で 外に向かって育ちすぎた桜の木が 内部から成長をはじめるときが来たことを -
芸術作品の権威と格付け ~舌足らずにしか書けない、ユニークな詩の世界もある
「ベートーベンは楽聖である。私がベートーベンを好きになれないのは、野球のジャイアンツ、相撲の大鵬を好きになれないのに似ている。それは、すでにできあがった権威であり、ゆるぎない古典だからである」「音による支配」「楽器が生み出す権力」という寺山評。 -
母の呪いと子の彷徨を描く 寺山修司の戯曲『身毒丸』
幼い頃に母を亡くした少年しんとくは生みの母を恋しがっていたが、父親はそんな息子を不憫に思い、見世物小屋で蛇娘の母親を買ってくる。しかし、しんとくは継母に懐かず、継母も息子を呪い、地獄のような光景が繰り広げられる。作り物の家族と歪な母子関係を描いた寺山修司の戯曲を解説。母の本性をえぐるような台詞が印象的な傑作。「母に疎まれ、虚しい土人形 / まま母の呪いと子の悲劇 / 母とは菩薩でもあり、鬼でもある」等。 -
孤独とは慣れるのではなく、利用するもの 寺山修司の小説『ああ、荒野』より
孤独な老人の話を誰が積極的に聞きたいと思うだろう? 一人の時間と空間を大切にして、自分の内なる世界を楽しもう。寺山修司の小説『あゝ、荒野』の名言をモチーフにした心のコラム。
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