自分を客観的にみられなくなっている人へ
このページを開いたあなたにとって、いま問題となっているのは「境界線」です。
「境界線」とは、自分の力の及ぶ範囲を定める限界のこと。つまり、そこまで行くことはできても、そこを越えることはできないのです。
そしていま、あなたは自分の「境界線」を明確にしなければなりません。私たちの周囲には、いたるところに目に見える境界線があります。自分の家と隣人の家とを分ける塀。一方通行の出口の標識。また、私たちの暮らしを守る法律や、他人と交わす約束なども、境界線の一種です。境界線は、あるものとあるものとを分けている線、つまり限界を定めているの
ですから、そこを越えるような真似をすれば、それなりの結果がともないます。
法を犯せば、罰せられます。約束を破れば、信用されなくなります。また、その反対の場合もあります。誰かが境界線を越えて侵入してくれば、私たちは猛烈に反発するでしょう。
じつは、私たちは誰しも、愛する人との間に境界線を必要とします。二人の間に線を引き、互いにそれをはっきり認識しなければなりません。何を許すことができて、何を許すことができないか。何に我慢でき、何に我慢できないか――具体的に例をあげ、明確にしてください。いったい、あなたのこれまでの境界線は、どういうものだったのでしょう?
いままであなたは「この人なら振り向いてくれる」というタイプを限定し、そういうタイプの異性だけを好きになってきたのではありませんか?そして、いったんつきあいはじめると、その人との関係にしがみついていませんでしたか?
あるいは、夫や恋人に嘘をつかれたり、裏切られたりしても、ぐっとこらえてきませんでしたか?
いまこそ、自分の境界線の外に立ち、客観的にあなたの行動を観察してください。あなたのような扱いを友人が受けていたら、はたしてあなたはどう思うでしょう?扱いを受けているのに、よく我慢しているわね、と思うのではありませんか?
自分の状況を客観的に見るためにも、ぜひあなたの境界線を見直してください。ただし、お互いにいったん境界線を設けたら、それを万が一破ったらどうなるかも決めておかなければなりません。
「この約束を破ったら、あなたとは別れるから」と相手に宣言したら、ほんとうにそうしなければならないのです。口先で相手を脅かすだけでなく、実際にそうして初めて、それが結果となり、境界線の意味が生まれてくるのです。
自分で境界線を設け、それを守っていくのは、じつはたいへんなことです。自分の力の及ぶ範囲、つまり自分の力の限界を認識する必要があるからです。それは、相手の意向に合わせ、相手の理不尽な行為に堪え忍ぶことではありません。
愛する人には尊敬の念を払わなければなりませんが、だからといって、許容できないものまで受け入れる必要はないのです。
じつは皮肉なことですが、境界線をはっきりさせるほうが周囲の人たちとの関係はうまくいきます。境界線があれば、あなたとどうつきあえばいいのかが、周囲の人にもはっきりわかるからです。
境界線を明確にし、自分の能力の限界を知り、自分自身を尊重し、大切にしましょう。
あなたには、自分の境界線を守る権利があるのです。
出典 : 望みをはっきり伝えよう ~自分を客観的に見られなくなっている人へ 『恋に揺れるあなたへ 56の処方箋』より
境界線は信用の証し
『会えない時間が愛を育てる ~人と人を繋ぐのは絶妙な間』にも書いているように、人が心地よさをを感じるには、適切な間が必要です。
「間」を空けたら、相手に嫌われ、捨てられると恐れている人は、相手の行動を監視したり、些細なことで粘着して、始終、相手の意識を自分に向けようとしますが、それは逆効果。
相手が一人になりたい時は、一人にしておける心の余裕があってこそ、あなたも「人間の機微が分かる人」と尊敬され、愛情と信頼を得ることができます。
また、相手の仕事や交友関係まで口出しして、「私はあなたの全てを知っている。私こそベストパートナー」みたいな態度もNGです。
どれほど親しくても、他人には踏みこまれたくない心の領域がありますし、相手が望みもしないのに、「ああしなさい、こうしなさい」とアドバイスされたところで、嬉しくも何ともありません。
それより、遠くから静かに見守り、相手が本当に困って助けを求めてきた時だけ、自然に手を差しのべられる方が感謝されると思いませんか。
境界線は、マナー線。
ショップの会計でも、次のお客さんは、前のお客さんから少し離れて、金銭やカードのやり取りが目に入らないよう、距離を置くのがマナーです。
恋人や友人も同じ。
相手がメッセンジャーを使っている時、じろじろ覗き込むのは失礼ですよね。
スマホの操作が終わるまで待てるのは、相手を信頼している証しです。
境界線をなくしてしまう人は、相手が信用できないから、監視したり、干渉するのではないでしょうか。
もし、そうだとすれば、なぜ信用できないのか考えてみましょう。
もしかしたら、相手は嘘つきかもしれないし、本当は愛してないかもしれません。
逆に、あなたが劣等感のかたまりで、猜疑心の強い人間なら、たとえ素晴らしい人が心を寄せても、信じることはできないでしょう。
恋人の境界線は信用の証しです。
どれほど相手のことが好きでも、マナーを破ってはいけません。
Boundaries 尊重の気持ちが自然に境界線を作る
この章の原題は、Boundariesです。
boundariesには、「境界」「範囲」といった意味があります。 [ジーニアス英和辞典第5版]
境界線というなら、犬や猫でも、自分のテリトリーを持っていますね。
人間の眼には見えませんが、臭いなどで縄張りを主張し、時に争うこともあります。
人間も動物と同じ、目には見えないテリトリーがあります。
職場でも、「自分の仕事場」をお互いに意識しているのと同じです。
互いに尊重する気持ちがあれば、むやみに相手のテリトリーに踏みこんで、指図したり、批判することはないですし、誰も何も言わなくても、交通整理みたいに動くことができます。
逆に、仕切り屋が一人でもいると、しょっちゅう他人の仕事に干渉するので、少人数にチームでも上手くいきません。
テリトリーは、マナーであると同時に、尊重の証しでもあるんですね。
『君子の交わりは淡きこと水のごとし(コトバンク)』のたとえもあるように、礼儀をわきまえた大人の付き合いは、傍目には淡泊なほどです。女子高生の付き合いみたいに、何所に行くのも○○ちゃんと一緒、みたいなことはありません。
たとえ親しくても、相手には相手の事情があることを思いやれるのが、大人の証しではないでしょうか。