映画『敬愛なるベートーヴェン』
敬愛なるベートーヴェン(2006年) - Copying Beethoven(「ベートーヴェンの楽譜を写譜する」「影武者として指揮をサポートする」というダブルミーニング)
監督 : アニエスか・ホランド
主演 : エド・ハリス(ベートーヴェン)、ダイアン・クルーガー(アンナ・ホルツ)、ジョー・アンダーソン(甥っこカール)
あらすじ
写譜師のアンナ・ホルツは、耳の確かさからベートーヴェンに気に入られ、交響曲第九番『合唱付き』などの写譜を手がけるようになるが、ベートーヴェンは難聴に苦しみ、甥っこカールの素行にも悩まされていた。
アンナが舞台袖で指示を出すことで、合唱付きのコンサートも成功し、ベートーヴェンの名声はますます高まるかに見えたが、以降の音楽的な試みは大衆に理解されず、失意のうちに死の床につく。
だが、ベートーヴェンの才能を誰よりも理解していたアンナは、彼の不滅の栄光を信じて、新たな一歩を踏み出す。
オリジナルの予告編。
見どころ
正直、エド・ハリスは『楽聖ベートーヴェン』のイメージでないのだが、従来の伝記物と異なり、現実的なキャラクターとなっている。
下品で頑固、偏屈で気難しいが、作曲に並々ならぬ情熱を燃やし、強い意思で困難を乗り越えようとする姿に心を打たれるはずだ。
また、写譜師のアンナも、当時の女性に対する偏見に毅然と対処し、キャリアウーマンの応援歌のような作りになっている。
最大の見どころは、やはり第九の演奏会だ。
舞台脇からサポートするアンナとベートーヴェンのやり取りはもちろん、当時のコンサートホールを忠実に再現した美術と演出、万雷の拍手がベートーヴェンには聞こえなかったという有名なエピソードも描かれ、世界で初めて第九を耳にした観客の興奮が伝わってくるようだ。
PCも、コピー機もない時代、彼らの楽譜がどのように保存されたのか、知るきっかけにもなり、クラシック・ファンには興味深いのではないだろうか。
また、耳ホルンのような補聴器も凄まじく、現代人の想像をはるかに超える苦しみであったことが窺える。
本作で描かれるベートーヴェンは、お世辞にも「立派」と言い難いが、第九の栄光から失意の晩年まで、心揺さぶられるストーリーである。
ベートーヴェンの光と影
世界で初めて第九を聴いた人々
世界で一番幸せな人は、ベートーヴェンの交響曲第九番の初演に立ち会った聴衆だと思う。
当時にしてみたら、ビヨンセやレディ・ガガの新曲発表会のライブに出掛けるようなもの。
今夜はどんな名演を聴かせてくれるのか。
新たな旋律は、アダージョか、ブレストか。
期待に胸を膨らませ、コンサート会場に足を運ぶ人々の興奮が目に浮かぶ。
映画も、ゲームも無い時代、現代人には想像もつかないほどエキサイティングな催しだったに違いない。
そんな『第九』の初演をリアルに描いたのがエド・ハリス主演の映画『敬愛なるベートーヴェン』だ。
次第に聴覚を失っていくベートーヴェンと、彼の仕事を補佐する写譜師アンナ(架空の人物)との交流を通して、「人間ベートーヴェン」の苦悩をリアルに描いた良作である。
同時に、アンナと周囲のやり取りを通して、「働く女性」に対する社会の偏見を描いている点も興味深い。(写譜の仕事に来ているのに、夜の相手もしているように揶揄される、等々)
何かと偉大視されるベートーヴェンだが、暮らしも、人格も、何もかも完璧だったはずもなく、そういう点では、本作の意義も大きいだろう。
第九については、「演奏を終えたベートーヴェンは、会場が静まりかえっているので、不評だったのかと焦ったが、実は万雷の拍手が聞こえず、コンサートマスターに促されて、初めて聴衆の大喝采に気付いた」という有名なエピソードあるが、本作では、アンナがその役を務めている。
実際のところ、どんな状況だったのか、後世の人間は様々な資料をもとに想像する他ないが、ともあれ、世界で初めて第九の演奏に立ち会った聴衆は、世界一幸運だったに違いない。
※ 今ならYouTubeにアップされ、イイネが10万個ぐらい付いたのかもしれないが、無ければ無いで伝説となり、それも味わい深い。
理解されなかった『大フーガ』
第九の栄光の後、ベートーヴェンは最後の力を振り絞って、難解、かつ画期的な曲調の『大フーガ』を完成するが、あまりに新しすぎた為に、当時の聴衆は誰一人理解せず、ベートーヴェンは失意のうちに息を引き取る。
だが、彼の死後、弦楽四重奏曲『大フーガ』は、後世の作曲家に大いなるインスピレーションを与えることになる。
↓ 次々に座席を離れる聴衆の姿と、最後までベートーヴェンに寄り添い、写譜を続けるアンナの姿が感動的。
難聴に苦しみながらも、作曲に打ち込むベートーヴェン。
当時はろくな補聴器もなく、巨大なカタツムリみたいな器械を耳に差し込んで、どうにか音を拾っていたのは本当です。
世界で一番幸運な隣人
本作で一番印象的だったのは、ベートーヴェンの隣の部屋に済む、おばあさんの一言だ。
いつも廊下に椅子を出し、長時間、座っている老女に対し、アンナが(毎日、ピアノの音がうるさいのだろう)と気づかい、「どうして引っ越さないのですか?」と尋ねると、老婆は急に立ちあがり、
「引っ越す? ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの隣に住んで、誰よりも早く作品を聴けるのよ。初演前に聴けば、ウィーン中が嫉妬するわ。“交響曲7番”の時から住んでるの。」
今風に喩えれば、スティングやフレディ・マーキュリーの隣に住むようなもの。
『誰よりも早く新曲を聴ける』など、ファンにとって、これ以上の僥倖があるだろうか。
私も隣に住みたかった。
『歓喜の歌』 日本語訳と歌唱のコツ
『歓喜の歌』の日本語訳
以下は、私が所有するCD『ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」 』(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)のライナーノーツに記載されている日本語訳です。
頌詩(歓喜に寄す)
ああ友よ、そんな調べではだめなのだ!
声を合わせて もっと楽しくうたおうではないか。
もっとよろこびにあふれる調べで!よろこび、それは神から発する美しい火花、
楽園の遣わす美しい娘、
わたしたちは熱い感動の思いに突き動かされて、
気高いよろこびよ、おまえの国へ歩み入る!
おまえは世のしきたりがつめたく引き裂いたものを、
不思議な力でふたたびとけ合わせる。
おまえのやさしいつばさに懐かれると、
すべてのものは同胞となる。心の通じ合える真友を得るという
むずかしい望みのかなったものも、
気だてのやさしい妻をめとることができたのも、
よろこびの気持ちを声に出して合わせよ!
そうだ この広い世の中で たったひとりでも
心をわかち合える相手がいると言えるものも和すのだ!
だがそれさえできぬものは、よろこびの仲間から
ひと知れずみじめに去って行くがよい。すべてのものは自然の胸にいだかれ、
その乳房からよろこびをいっぱいに飲んでいる。
操正しいひとも邪なものもみなすべて
ばらの香りに誘われて自然のふところへ入って行く。自然はわたしたちにくちづけと ぶどうと
死の試練をくぐりぬけた友を与えてくれた。
快楽などはうじ虫に投げ与えてしまうと、
知と正を司る天使が神のまえに姿をあらわす!よろこびにあふれて、ちょうど満点の星々が
壮大な天の夜空を悠然とめぐるように、
同胞よ、おまえたちも与えられた道を歩むのだ、
よろこびに勇み、勝利の大道を歩む英雄のように。たがいにいだき合うのだ、もろびとよ。
全世界のひとたちと くちづけをかわし合うのだ!
同胞よ! 満点の星々のかなたには
父なる神はかならずやおわしますのだ。
そうすれば おまえたちはひれ伏すか、もろびとよ。
この世のものたちよ、おまえを創造した神がわかるか。
満点の星々のかなたに神を求めよ!
星々のかなたに神はかならずや おわしますのだ。訳 : 喜多尾道冬
ドイツ語の歌詞と読み方(シラーの詩)
日本でも、年末の第九シーズンに合唱団に参加する人も少なくないと思います。
以下は、私が参加した第九合唱団で教わったものです。参考にどうぞ。
(井上道義・指揮 京都市交響楽団 / 合唱指揮 伊吹新一氏)
フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン
Tochter aus Elysium
トホテル アウス エリージウム
Wir betreten feuertrunken.
ヴィル ベトレンテン フェウエルトルンケン
Himmlische, dein Heiligtum!
ヒムリッシェ ダイン ハイリヒトゥム
Deine Zauber binden wieder,
ダイネ ツァウベル ビンデン ヴィーデル
Was die Mode streng geteilt;
ヴァス ディ モデ シュトレング ゲタイルト
Alle Menschen werden Brüder,
アレ メンシェン ヴェルデン ブリューデル
Wo dein sanfter Flügel weilt.
ヴォー ダイン サンフテル フリューゲル ヴァイルト
Seid umschlungen, Millionen!
サイト ウムシュルンゲン ミリオネン
Diesen Kuß der ganzen Welt!
ディーゼン クス デル ガンゼン ヴェルト
Brüder, über’m Sternenzelt
ブリューデル イーベルム シュテルネンツェルト
Muß ein lieber Vater wohnen.
ムス アイン リーベル ファーテル ヴォーネン
Ihr stürzt nieder, Millionen?
イール シュトゥルシュト ニーデル ミリオーネン
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
アハネスト ドゥ デン ショプフェル ヴェルト
Such’ ihn über’m Sternenzelt!
スフ イーン イーベルム シュテルネンツェルト
Über Sternen muß er wohnen.
イーベル シュテルネン ムス エル ヴォーネン
Küsse gab sie uns und Reben,
クッセ ガブ シエ ウンス ウント レーベン
Einen Freund, geprüft im Tod;
アイネン フロウント ゲプリューフト イム トート
Wollust ward dem Wurm gegeben,
ヴォラスト ワルト デム ヴルム ゲゲーベン
und der Cherub steht vor Gott.
ウント デル ケエルプ シュテフト フォル ゴット
[ t ] は舌打ちするように音を切る。母音を付けない。
「t」(Tの小文字)は、ツ や ト のイメージがありますが、ドイツ語では母音を付けず、舌打ちするように音を切ります。
たとえば、Welt(ヴェルト)の最後の「t」は、to(ト)ではなく、、舌先を口蓋の上に付けて、舌打ちするように、「t」の音だけを発音します。
この「t」を歯切れ良く、明瞭に発音すると、ドイツ語っぽく聞こえます。
歌詞の心髄は「Welt」「Gott」「Götterfunken」
シラーの詩の心髄は、「Welt(世界)」「Gott(神)」「Götterfunken(神の火花)」
たとえば、
Diesen Kuß der ganzen Welt (この口づけを全世界に!)では、「Welt」に心を込めます。
und der Cherub steht vor Gott.(智天使ケルビムは神の御前に立つ)では、「Gott」に燦然たる輝きを灯します。
Freude, schöner Götterfunken (歓喜よ、神々の麗しき霊感よ)では、「Götterfunken」神の火花が弾けるように、高らかに歌います。
いずれも、曲のクライマックスにあたる歌詞なので、ここで歓喜を爆発させるのが上手に聞こえるコツです。
『人類愛と神々の祝祭』をイメージしましょう。
中間部のフォルテで気張らない
合唱の一番難しいパートは、中間部です。
Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such’ ihn über’m Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.
ピアニッシモから、フォルテへ。
フォルテから、ピアニッシモへ。
寄せては返す波のように、強弱をつけて表現しなければならないパートだけに、ついつい山場の「Welt」で頑張ってしまいがちですが、この箇所のWeltは他のパートと異なり、天国を思わせるような透明感が重要。
Welt はもちろん、他のフォルテも、崇高、かつ上品に歌うのがコツです。
フーガは周りの音をよく聞いて
フーガは、ソプラノやテノールなど、各パートが掛け合うように歌う場面なので、つい飛び出したり、出遅れたりする人が続出する難所で知られます。
Brüder, über’m Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.
このパートのポイントは、「Brüder」。
「全世界の兄弟よ」と呼びかける、このブリューデルは優しく。
それに続く「Sternenzelt」は、星のきらめきを思わせるように。
ここが美しくないと、演奏全体が死んでしまいます。
ラストの爆発感が肝心
クライマックスは、次の歌詞の繰り返し。
Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über’m Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.
Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
最後は Götterfunken が意味するように、神々の火花をチラして、壮麗にフィニッシュするのがコツ。
指揮者によっては、「ゲッテルフンケン!」と歯切れ良く歌い終わるパターンと、「ゲッテルフ・ン・ケ・ン」と、一音一音、溜めるように歌うパターンと二通りあるので、しっかり指示を確認しましょう。
ベートーヴェンと『第九』作曲の過程について
以下、カラヤン盤のライナーノーツより。
ベートーヴェン(1970-1827)の作曲した9曲の交響曲は、どの1曲をとっても決して相似してはいない。その中でもこの『第九』は、彼の作品中で特異なだけでなく、交響曲史上でもユニークな姿を維持し続け、その独自の芸術的価値はその後の交響曲史に照らしても少しも色褪せていない。そもそも純粋な器楽様式の中に声楽を導入したこと自体が革命であったし、その試みが初演時にして大成功を博したことも奇跡的なのである。
知的欲旺盛な少年として育った部オートーヴェンは18歳半になった1798年5月にボン大学に聴講生として入学している。ボン大学はいわゆるライン啓蒙運動の拠点となっていたわけで、啓蒙君主として誉れの高かったオーストリアのヨーゼフ二世皇帝を兄にもつケルン選帝侯のマックス・フランツが前選帝侯の設立したアカデミーを発展的に解消してボン大学に昇格させていたのである。
≪中略≫
ボンの街は学生街さながらゲーテやシラーの文学を論じ合ったり、当時流行し始めていたカント哲学の談論が街のレストランの日常的な光景になっていた。
ベートーヴェンが入学した時期はまさにあのフランス大革命勃発の前夜であった。1789年7月14日の人民軍によるバスチーユ襲撃を機に人民が蜂起したというニュースはどこよりも早くボンに伝わってきた。シュナイダー教授の熱のこもった革命思想に関する臨時講義にはほとんど全ての学生が感動したのである。この講義をベートーヴェンが直接にせよ、関節にせよ、聴いたことは間違いないだろう。18世紀後半の音楽家で、政治や社会に深い関心を示したのはベートーヴェン以外の大作曲家には見られない。こうした革命精神は、芸術家の創造精神にとって、ある意味では不可欠であり、後のベートーヴェン音楽の様々な様式革新に何も影響を与えなかったとは考えられないのである。
一方、直接的な政治思想ではないが、その創造精神において極めて急進的であったのがフリードリヒ・シラーであった。シラーの友人であるB.L.フィッシェニヒがイエナ大学からボン大学に招かれてシラーの講義をしたのが1792年であった。ベートーヴェンはこの講義を聴き、また街のレストランでは個人的にフィッシェニヒとの知古も得ていたのである。
このフィッシェニヒが1793年1月26日付けのシラー夫人シャルロッテに宛てた手紙が残されており、「この少年は選帝侯の命により、先日ウィーンのハイドンの元に派遣されたところです。彼はシラーの「歓喜」を作曲しようとしています。しかも全節にわたってです」といった記述が見られるのである。
約30年後に第九交響曲終楽章として結実することになるシラーの詩「歓喜に寄す」との最初の出会いが革命思想に関する談論が溢れていたボン時代の大学聴講生時代にあったのである。
しかし、このシラーの詩との出会いを「第九」と直接結びつけることはできない。確かに『第九』の終楽章主題に似た音形やこの詩への付曲の試みを30年間の長い創作活動の中に何度か見出すこともできる。
しかし、それは『第九』に限ったことでも、ベートーヴェンに限ったことでもないのである。肝腎なことは交響曲構想としてこの詩への付曲を具体的に考え始めた時点にこそあるのだ。
1813年初春までに「第七」と「第八」の交響曲を完成させていたベートーヴェンはしばらく交響曲創作から身を引いている。
1817年にベートーヴェンはロンドンの友人から、ロンドン・フィルハーモニー協会が次の冬のシーズンにロンドンに招待したい、そのためにも2曲の新しい大交響曲を作曲してもらいたいという手紙を6月9日付けで受け取っている。
しかし、この年のスケッチ帳には作品106の《ハンマークラーヴィア・ソナタ》への着手こそ見られるものの、ひとつとして交響曲のためのスケッチも生まれていないのである。この年の暮れから翌1818年前半までに使用していたスケッチ帳の終わりの方にようやく「第九」第一楽章のための断片的スケッチが現れてくる。このスケッチ帳には「第九」とは別の交響曲の構想が言葉で記述されている。そこには「アダージョの頌歌、交響曲中に教会施法による頌歌を加える……終楽章で次第に声楽が加わるように……構成は普通の10倍の大きさで」といった内容である。結果的に見れば、1818年段階でのふたつの異なる交響曲構想が「第九」というひとつの姿に統合されたことになるのである。
しかしこれらふたつの交響曲創作はほとんど進展しないまま1822年秋まで時が過ぎている。この間に使われた12種類のスケッチ帳のいうれにも『第九』関連のスケッチは見られないのである。この4年間は《ミサ・ソレニムス》と最後の5曲のピアノの大作、すなわち《ディアベリ変奏曲》と《ハンマークラヴィーア》以後の4曲のソナタの創作に充てられていたのである。
従来『第九』の創作期を可能な限り若い時代に遡ろうとすることで、この作品に対するベートーヴェンの思い入れの大きさを見ようとする傾向があったが、実際に作曲した期間は1818年春に着手した経緯はあるものの、実質的創作は1822年暮れから1824年2月中旬までの1年3ヶ月程度であったのである。
演奏会場の調達や日時の決定に並行して、オーケストラの増強とソリストや合唱団の選手編成などで手間取りながらも、異例の練習時間も十分にとって、『第九』は、1824年5月7日金曜日の夜7時から満員のケルントナートーア劇場で初演されたのである。
黒い礼服がなく、濃い緑色の上着を身につけたベートーヴェンは4度も聴衆のアンコールに呼び出され、しまいには警察官が「静粛に!」と叫ぶほどであった。当時は皇帝への喝采でさえ3度までが慣例となっていたのである。
初演時のスタッフは、総監督=ベートーヴェン、総指揮者=宮廷劇場楽長=ウムラウフ、オーケストラ指揮者=シュヴァンツィヒ、独唱陣は、ソプラノ=ゾンターク、アルト=ウンガー、バリトン=ザイベルト。ヴァイオリン=24、ヴィオラ=10、チェロ・バス=12、管楽器=スコアの倍管編成、合唱は各声部20~24名であった。
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」 ライナーノーツより 平野昭
CDアルバムとSpotifyの紹介
第九も名盤揃いですが、合唱の表現も多種多様で、万人に共通の名演というのはありません。
聴く方も、演奏する方も、あまりに思い入れが強く、イメージと違った時の「これじゃない!」感が半端ないからです。
しかしながら、耳に心地よい、BGMのような『第九』は存在します。
ヘルベルト・フォン・カラヤン&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団がその典型。
特にこだわりもなく、「とりあえず、一枚買ってみるか」という方におすすめです。
Spotifyでも視聴できます。
手堅く視聴するなら、ベームおじさんの『第九』がおすすめ。
ソリストも、ギネス・ジョーンズ、カール・リッダーブッシュなど、20世紀を代表する歌い手が重厚な歌唱を聴かせます。
カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
楽天市場で買う
Spotifyでは、ベートーヴェン交響曲・全集の中に収録されています。
『第九』は六枚目ディスクの一番最後です。
これを機会に、全曲、聴破(?)するのもいいかもしれません。
第三(英雄)、第五(運命)、第六(田園)、第七、いずれも名曲です。
ベームおじさんは、いかにもドイツ・グラモフォ~ンな、安定感のある演奏が特徴です。
(その教科書的なところが気に食わない、という人が、バーンスタインにハマったりする)
フルトヴェングラーも持ってました。「足音入り」です。
フルトヴェングラーがコツコツと舞台袖から出てきて指揮台に立つまでの、その足音まで収録されているというレアものです。
歴史的背景を知れば、この演奏の良さが分かります(amazonのレビューでも一部紹介されていますが、第二次大戦後、初めてバイロイト音楽祭が再会された記念演奏会の実況録音です)。
現代のスタイリッシュな演奏が好みの方には、古臭く感じるかもしれませんが、マニアが最後に辿り着く「歴史的に意義のある」名盤です。
それぐらい、この第九も好きだ。
一般参加の第九合唱団も、そろそろ次の段階に進み、本番に備えていっそう練習が厳しくなる時期と思う。
ミーハーと言われようと、ええかっこしいと思われようと、
「第九を歌いたい」という人の気持ちは、これからも永遠に続 く – @novella_one
初稿 2008年11月4日
【おまけ】 谷川俊太郎の詩
ベートーベン
ちびだった
金はなかった
かっこわるかった
つんぼになった
女にふられた
かっこわるか
った
遺書を書いた
死ななかった
かっこわるかった
さんざんだった
ひどいもんだった
なんともかっこわるい運命だったかっこよすぎるカラヤン