少年漫画の金字塔『あしたのジョー』(原作・梶原一騎、作画・ちばてつや)のアニメのOPの有名なフレーズ、
あしたは きっと 何がある
あしたは どっちだ
寺山修司の作詞なんですね。
2017年には「あしたは、どっちだ」というドキュメンタリー映画が作られたり、寺山修司の代名詞みたいなフレーズだと思います。
しかし、寺山修司ほど「あした」という言葉が似合わない人もない、と思うのですよ。
山田太一との往復書簡、『寺山修司からの手紙』にもあるように、大学時代に難病の一つであるネフローゼ腎症を患って、若い頃から死を意識した人生でした。
暢気な性格ならともかく、人一倍、生きることに真摯であった人が、いつまで続くか分からない『明日』――まだ始まってもない『あした』なんてものに人生を懸けたり、夢を見るとは到底思えないですからね。
普通の人は、昨日よりも今日、今日よりは明日――ですが、寺山修司の場合、「今、この瞬間」、「今日」こそが人生そのもの。
過ぎ去った日々にはもはや人生など存在しないし、明日なんてものに夢を見るほど悠長でもない。
寺山修司にとっては、今日こそ全て。
今、この瞬間こそが”人生”で、過ぎ去ったものにも、まだ訪れぬ明日にも、何の興味もない。
ただただ、今日という日を時速100キロで生きるのみ。
壮健で、夢追い人でもあるジョーの人生においては「あした」を謳うけれども、自分の人生に明日なんて日はない、と。
今、この瞬間だけを見つめて、全力で生きたような気がします。
人間、死を意識すれば、休むことも、立ち止まることもできなくなる。
当然、明日に人生を託すことも。
そんな人が「あした」を謳ったのは、決して若者を励ます為ではない。
まして、夢が叶うと説く為でもない。
大願成就して、人生を謳歌するか。
夢破れて、負け犬となるか。
野心と力に満ちあふれながらも、次の瞬間には自信をなくして、人生に絶望してしまう、若者の不安定さや思うにならない現実を歌った詞なんだろうなと思います。