安藤忠雄の建築コラム『連戦連敗』について
建築コラム『連戦連敗』は、「コンクリート打ちっぱなし」でお馴染みの世界的建築家、安藤忠雄氏が東京大学・大学院の学生に向けて行なった講義を書籍化したものです(2001年)。
有名建築家が自身のキャリアをドヤ顔で語る「建築論」と異なり、勝ては悩み、負けてはやり直し、異色のキャリアで出発した氏の孤軍奮闘の人生が窺える、読み応えのある建築談義に仕上がっています。(安藤氏は、大学に通わず、独学で一級建築士の資格を取得。業界内では、「大学出てないヤツに賞をやれるか」みたいなイジメもあった・・という話を別のコラムで読んだことがあります。あくまで私の記憶)
建築のみならず、音楽でも、イラストでも、芸術で食べていくのは難しい世にあって、それを志すものは何を目標に生きていけばいいのか、若い方の参考になると
「勝つことが全て」と思い込んでいる、キャリア半ばの方にもおすすめの一冊です。
概要
本書は、建築学科の一年生が最初に学ぶような『概論』です。
理想論といえば、その通りですが、理想を知らずして、現実を改革することはできません。
理想を知った上で妥協するのと、悪びれもせず開き直るのでは、大きな違いがありますし、一度は理解すべき事だと思います。
文章だけでなく、氏が手掛けたデザインや写真なども、多数掲載されていますので、基本に立ち返り、学び直したい方にもおすすめの一冊です。
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amazonストアで冒頭の試し読みができます。
創造とは,逆境の中でこそ見出されるもの あの名講義が帰ってきた!
東京大学大学院で行われた稀代の建築家による最新講義を集成.
〈主要目次〉
序 創造は,逆境の中でこそ見出される
第1講 建築は闘いである
第2講 新旧を衝突させる――都市・建築を保存と再生
第3講 産廃の島から未来へ――環境と建築
第4講 昨日を超えて,なお
建築は闘いである
コンペで勝てなくてもアイデアは残る
内容的に充分自信のあるものができた場合でも、大抵はこちらの提案が過剰・過大であるがために実際に課されている諸条件を逸脱してしまい、非現実的であるという理由でおとされてしまう。しかしコンペで勝てなくてもアイデアは残る。実際コンペのときに発見した新たなコンセプトが、その後に別なかたちで立ち上がることもある。
そもそも、実現する当てもないプロジェクトを常日頃から抱え、スタディをくり返し、自分なりの建築を日々模索していくのが建築家だろう。
だから、連戦連敗でも懲りずに、幾度もコンペに挑戦し続ける。建築科の資質として必要なのは、何をおいてもまず心身ともに頑強であること。これだけは間違いない。
これは建築に限らず、あらゆる芸術やビジネスに共通して言えるこどです。
特に建築は、どれほど素晴らしい作品を手掛けようと、実際に施主がつき、建築許可が下り、職人が十分に機能して、仕様書通りに仕上がらないことには報われません。
中には、実作に結びつかなくても、斬新なデザインを打ちだし、哲学的に問いかけるアンビルト・アーキテクトの手法もありますが、やはり自分の設計した建物が実際に建設され、アイデアを具現化する手応えに勝るものはないと思います。(ある建築家は、”自分の生きた時代、生きた場所に、生きた証しを残せる喜び”とコメントしていました)
その点、音楽や漫画は、いつでも自分でアイデアを具現化できて、大きなリスクを負うこともありません。下手なイラストを描いても、せいぜい「いいね」が付かなくて、落ち込む程度。設計ミスで、屋根が崩落することもなければ、工費が膨らんで社会問題になることもありません。自分だけの空間で、エロでも、グロでも、クリエイティブに楽しむことができます。(反社会的な表現が問題視されても、よほどのことがない限り、億単位の賠償を抱え込むことはない)
ところが、建築は、実際に人が住んだり、歩いたりするので、適当にデザインするわけにいきません。建設にかかるコストも膨大ですし、失敗すれば一からやり直しです……というより、訂正そのものが容易ではありません。また、自分が赤色が好きだからといって、伝統的な町屋の隣に真っ赤なアパートを建てることはできませんし、建築基準法も地域によって様々です。
そんな限られた世界で、常に神経を研ぎ澄まし、落選も覚悟の上で作品を作り続けるのは、並大抵のことではありません。
まして、やっても、やっても、コンペに負け続ける(世間に認めてもらえない)中で、より上質なものを目指して努力し続けることができるでしょうか。
クリエイティブな仕事に憧れる人は多いですが、連戦連敗でも続く人は少数ではないでしょうか。
何度でもコンペで闘う
20人程度の設計事務所なのに、年にいくつもの大規模なコンペ・プロジェクトに参加するから、それをこなそうとしているうちに、気がつくとスタッフ全員がいずれかのオンペにかかりきりになっているという状況もめずらしくはない、もちろんその一方で、契約された職業的建築家としての仕事もきっちり完遂していかねばならない。スタッフは肉体的、精神的に疲弊しきっている。特に敗退が続いたあとの新たな挑戦は応えるようだ。コンペの招待が来るとスタッフは一様に「またコンペを闘うのか」と諦めともつかない表情をする。
しかし、そのようなギリギリの緊張状態の中にあってこそ、創造する力は発揮される。
建築に限らず、ピアノでも、バレエでも、コンクールで落選するのは辛いものです。
それでも、何度でも挑戦するから、いつかチャンスも巡ってきます。
最初から負け犬根性では何をも成せません。
私は「続ける」のも才能のうちと思っています。
あるいは、才能があるからこそ、「やめる」「あきらめる」という選択肢がないのかもしれません。
才能とは逆境の中でこそ見出される
生きるとは何か、人間の生とは何か、その答えは一人一人が、それぞれの生き方を通じて表すものである。私もできるならば、カーン(建築家ルイス・カーンのこと)のように闘い続ける生き方を選びたい。自分の信じる道を最後まで貫き通したい。
カーンの遺した言葉の中に、私がこれまで目にした中で最も気に入ってるものがある。
「創造とは、逆境の中でこそ見出されるもの」
建築でも、ビジネスでも、「勝つこと」が人生になっている人も少なくないですが、勝てる方が少数で、多くは負け組です。
それでも、続ける。
その理由は何かと問われたら、作ること、そのものが人生だからでしょう。
作ることをやめるのは、生きるのをやめること。
たとえ世間に認められなくても、それが理由でいいのではないでしょうか。
建築の理想と現実――あるいは自分との闘い
こうしたコンペの本質を、安藤氏は次のように著されています。
コンペの役割、あるいは意義は、単なる芸術コンクールとしてではなく、その社会性にあるのだと思います。ある課題に対する建築家それぞれの提案の中から最も適切なものを選び出す、その過程で、時代の抱える問題と、進むべき道への手がかりが見えてくるのです。時代の文化を方向づける指針といってもよいかもしれません。
≪中略≫
しかし、先ほどの国際連盟のコンペを見ても明らかなように、歴史上行われてきた、そして現在行われているコンペの全てがその理想通りに実行されてきたかというと、そうではなく、むしろ多くの場合、理想とはかけ離れた状況にあったというのが実状でしょう。これは、一つの建造物をつくりあげていく過程に、多大な人間の動員と多額の資金の調達とが必要とされる。即ち、政治経済といった分野と関わらざるを得ない建築ゆえの必然かもしれません。
なぜ、建築家は実作されない可能性が高いと分かっても、作り続けずにいられないのか。
そこで無条件にYesと答えられること自体が天職であり、才能だからでしょう。
安藤氏いわく、
あまり負けばかりが続くので、最近は抵抗力がついたのか、落選の知らせを受けても全く動じなくなりました。一等案が創造性という点において明らかに魅力のないものであったり、私たちが拘ったコンペのルールを全く無視したものが無批判に「画期的である」として評価され優勝していたりと、腑に落ちないことが少なくない、何か自分が主催者側の計略に陥ってしまったような、そんな疑問を感じることもあります。
コンペの運営がどのように行われているかは、参加者である私達には窺い知ることはできない部分です。そしてその勝敗は、芸術的・文化的な事柄に加えて、政治経済といった諸要因が複雑に絡み合う中、建築家の預かり知らぬところで決定されるのが常なのです。
≪中略≫
けれども悪いことばかりではありません。コンペを闘っていると、現業ではなかなか関わりを持てないようなことについて考える機会が得られるものです。外国での国際コンペに参加すると、改めてその国の歴史や風土を振り返らざるをえないし、その都市がどのようなプロセスを経て現在の姿に至ったのかを勉強しなければなりません。敷地の近くにすぐれた建築家が仕事を残していれば、この機会に研究してみようと思いますし、プロジェクトが既存の歴史的建物の増築に関わるようなものならば、ごく自然にその様式をつくりだした前史にまで意識が及ぶものです。
このプラス思考と探究心。
止めるのは、いつでも止められます。
でも、勝つには、続けることが必要です。
止めれば、永久に勝つことはできないのです。
この闘いを勝ち抜くためには、建築の内容はもちろん、その周辺の状況に目を配り、戦略を考えなくてはなりません。政治、経済、文化、社会、あらゆるものとの関わりの中で考え、連想ゲームのようにして一つの物語として仕事を組み立てていくのです。
≪中略≫
理想主義とはかけ離れた、非常にドロドロとした現実的な闘いですが、建築とは本来、社会を相手にしなければならない、きわめて泥臭い部分を内包する仕事です。画家や彫刻家といった芸術家と違い、一人で仕事を完遂し得ないのです。そして、常に、クライアントと施工者という他者を介してしか実現し得ない仕事でもある。さまざまなしがらみの中での闘いなのです。
≪中略≫
連戦連敗で、よくも懲りずに挑戦を続けると思われるかもしれません。ただ私は、立ち止まることが嫌いなのです。たとえ負けても、次があるならば、そこに可能性を求めたい。許される限り、前へ進んでいきたい。そのように考えているのです。
新旧を衝突させる 都市・建築の保存と再生
公共の芸術としての建築と住民の精神的基盤
いうまでもなく、同潤会アパートは、日本の都市型集合住宅の先駆けとして、建築の分野にとどまらず、日本の生活文化史全体にとって重要な価値をもつ歴史遺産です。
≪中略≫
だから設計者である私達としては、難とかその都市の記憶をとどめていく方向で頑張りたい、という思いが計画当初からありました。もちろん、既存のアパートは老朽化が甚だしく、機能的にも限界を迎えているわけですから、残すとはいっても、博物館的、凍結的に保存するわけではありません。そこに新たな命を吹き込んで、現代に生かしていく<再生>を考えていたわけです。
ところがいざ計画が現実に動き出すと、それほど単純にことは運ばない。そのコンセプトの実現の前に、経済、法規に関わる問題が次々と浮上してくるのです。
≪中略≫
昨日の会議でも半分以上の人が建物を残すという方針には反対のようでした。プロジェクトは、彼ら全員が納得するまで、前に進めることができない、非常にむずかしい情況です。それなのに、一方では、メディアを通じてプロジェクトの存在を知った歴史家などが、「何としても保存を」などという励ましのメッセージを送ってきたりする、同じ建築に関わるものとして、気持ちはよくわかるのですが、理想と現実との間には、やはり大きな壁があります。いかに理想を語ろうとも、当事者である住民が迷惑に思うようなものでは意味がないのです。
小綺麗な住宅街に行くと、住人もまた洒脱として、上品な暮らしをしていることが多いです。
逆に、雑多な町では、人の動きも忙しなく、賑やかな反面、「うるさい」「下品」「乱雑」など、不穏なところも少なくありません。
小綺麗な住宅街に暮らすから住人も洒脱とするのか、洒脱とした人が集まるから町並みも小綺麗になるのか、因果は分かりません。
多分、どちらも本当でしょう。
『割れ窓理論』に代表されるように、人間の精神状態や価値観は環境に大きく左右される。
地域によって、様々な建築法が施行され、建物の色、形状、高さなどが厳しく制限されるのも、文化財保護や災害対策だけでなく、公の精神衛生も大いに関係があるからでしょう。
建築物をデザインするからには、自身の個性や思想を前面に打ち出したものを作りたいのは誰しもですが、『公共の芸術』である以上、周囲を無視するわけにはいきません。
いかに斬新でも、重要文化財の隣にファッションビルは建てられないし、住宅街のコンセプトを無視して、趣意の異なる建物を作るわけにもいきません。
『表現の自由』は大事ですが、あくまで公の精神に則った中での自由であり、周囲とのバランスを欠いて、隣人に愛される建築は成り立たたないんですね。
伝統的な建物も、ユニークな商店街も、そこに暮らす人々の精神的基盤です。
周囲とのバランスを考えることは、社会を思いやることでもあり、建築家の歴史観やコモンセンスが問われる所以です。
リノベーションにも社会性とコモンセンスが問われる
また作るばかりでなく、老朽化した建物の保存や立て替えについて考えることも重要な使命であり、建築家は芸術家であると同時に、社会活動家の側面も持ちあわせます。
その点について、安藤氏は次のように述べられています。
いうまでもなく、同潤会アパートは、日本の都市型集合住宅の先駆けとして、建築の分野にとどまらず、日本の生活文化史全体にとって重要な価値をもつ歴史遺産です。
≪中略≫
だから設計者である私達としては、難とかその都市の記憶をとどめていく方向で頑張りたい、という思いが計画当初からありました。もちろん、既存のアパートは老朽化が甚だしく、機能的にも限界を迎えているわけですから、残すとはいっても、博物館的、凍結的に保存するわけではありません。そこに新たな命を吹き込んで、現代に生かしていく<再生>を考えていたわけです。
ところがいざ計画が現実に動き出すと、それほど単純にことは運ばない。そのコンセプトの実現の前に、経済、法規に関わる問題が次々と浮上してくるのです。
≪中略≫
昨日の会議でも半分以上の人が建物を残すという方針には反対のようでした。プロジェクトは、彼ら全員が納得するまで、前に進めることができない、非常にむずかしい情況です。それなのに、一方では、メディアを通じてプロジェクトの存在を知った歴史家などが、「何としても保存を」などという励ましのメッセージを送ってきたりする、同じ建築に関わるものとして、気持ちはよくわかるのですが、理想と現実との間には、やはり大きな壁があります。いかに理想を語ろうとも、当事者である住民が迷惑に思うようなものでは意味がないのです。
「新しいものをいかにつくるか」ではなくて、「旧いものをいかに残し、生かしていくか」という議論は、建築・都市を考えていく上でこれから非常に重要な位置を占めていくように思います。
≪中略≫
私は、新旧が共存してこそ都市だと考えています。過去が現在に生き、初めて未来の可能性が見えてくる。
本書では、世界的な成功例であるパリと、都市計画を指揮したアンドレ・マルローのエピソードを交えて、建築の保存と再生について、分かりやすく解説されています。
『創造』と言うと、新しさこそ最上の美徳であるように語られがちですが、既存の良さを生かし、より時代に即した形に作り直すのも、同じくらい難しいです。
要は、社会に対する感性とコモンセンスの問題。
そこでバランスの取れる人、深い洞察力のある人が、真に建設的なプランを打ち出せるのではないでしょうか。
デザインも、突き詰めれば、生き方の問題です。
「デザインを見れば、人が分かる」というのは、リノベーションにおいても同様と思います。
重要なのは、新しいものだけに目を向けるのではなく、旧いものと新しいもの、その双方を含め、都市を総体として眺める姿勢です。都市を形づくっていく建物の一つ一つがそのような意識をどこかで共有するものではくては、現在から未来へとつないでいくことはできません。
震災と復興と歴史の継承
また、本著では、震災と復興と歴史の継承にもふれ、日本と諸外国の成功例が比較されています。
同じ瓦礫の山からの復興事業でも、ポーランドのワルシャワやドイツのフランクフルトなどでは、第二次世界大戦で徹底的に破壊された旧市街を、困難を十分承知の上で忠実に復元し、その歴史的な風貌をもって都市のアイデンティティとするのに成功しているのですが、日本では戦争や大災害による街の破壊が逆に再開発の絶好の機会として処されてしまうのが常です。
≪中略≫
それを壊して新たな環境を整えようとすること自体は、理屈として必ずしも間違いではありません。ただその新しい環境が過去との連続性を全く絶ったものになってしまっては、都市として薄っぺらなものにしかならないということを強調したいのです。旧い建物を安全に補強していくことで、都市の記憶を保持しながらもその環境をより強固にしていく、このような選択肢もあるのです。
安藤先生いわく、「これまでにも、数多くの都市提案を行ってきました。結果的には連戦連敗でしたが、この都市提案の一つ一つで考えたことや、提起した問題意識が、現在に至るその後の仕事にどこかでつながっている」。
創造において、自分がこしらえたもの、考えたこと、学んだことに一つの無駄もなく、全てが明日の創作に繋がっていく、といったところでしょうか。
生きること、それ自体が芸術になるほど、創作に徹するのが理想なのかもしれません。
ちなみに、中之島公園の再開発計画においては、「単なる保存でも破壊でもない、再生とはどのようなものか」という問いを投げかけておられますが、それは住民の気質にもよるものが大きいと思います。新しいもの好きの若い街と、保守的な高齢者が大半を占める地域では考えもライフスタイルも異なるし、時代によって受け入れられるものも違うからです。
だとしても、未来に軸足を移し、数世紀にわたる道標を描くのは、やり甲斐があるでしょう。都市や建築をデザインすることは、そこに暮らす人々の生活や価値観をデザインすることでもあるから。
人間は、一代限りの命ではなく、その後にも、思想は続いていくものです。
産廃の島から未来へ 環境と建築
生かす創造 壊す創造 ~環境と建築
創造とは、その名の通り、自分も生かし、周りも活かすことです。
創作物のために、大勢が不幸になるとしたら、それは創造ではなく、破壊でしょう。
日本では、一口に、「つくる」と言いますが、英語には、make、create、produce、buildなど、いろんな言い回しがあり、それぞれにニュアンスが異なります。
わけても、『create』には天地創造の意味もあり、無から価値あるものを創出するイメージです。
日本でも「クリエイティブ」という言葉は、特別な響きを有していますが、創作物が何でも偉大かといえば、決してそうではなく、人や地域に破壊をもたらす創作物も少なくありません。わざと座りにくく設計した『排除アート』などは、その典型でしょう。色も材質も陰気で、とげとげした形状の公共ベンチや休憩スペースが、行き交う人々にどのような印象を与えるか、隣人への無関心や社会の冷淡さと決して無関係ではありません。
その点について、安藤氏は次のように述べておられます。
戦後日本が憧れ、夢見て追い求めたのは戦勝国アメリカの圧倒的な物質の豊富さとその消費の仕方、その便利さという<豊かさ>でした。50年代の、アメリカ西海岸のケーススタディ・ハウスに通じるような大きな冷蔵庫と洗濯機を備えた白くて明るい郊外型住居、そして自家用車を乗り回すアメリカ風の近代生活、人々はそんな暮らしを夢見てがむしゃらに働き続け、セイフもまたそうした傾向を助長するような制作を打ち出していく。国土の大小、資源の倦む、生活習慣の違いといった問題を顧みることなく、ただその結果だけを真似ようとした、その無理が、瀬戸内海の傷跡として残されてきたのです。<前に、瀬戸内海の環境破壊について述べられている>
無論、これまでの日本人の生き方の全てを否定するつもりはありません。アメリカに夢を見た人々の頑張りこそが、敗戦国日本の奇跡的な復興を可能にし、驚くべき経済成長を可能にした原動力となったのですから。けれども、少なくとも今を生きる私達までもが、いつまでもその延長戦で自分たちの生活を考えてはいけないのは確かだと思います。皆が意識を変えていかなければ、受け継いでいくべき未来への遺産は、失われていく一方です。
昭和の大量消費社会的な物作りが通じなくなっているのは、政治、経済、文化など、全てにおいて言えることです。
現代は、力まかせのブルードーザーではなく、弱いものや異質なものと共に歩むような、調和的な考え方が求められています。
今が稼ぎ時だからといって、そこら中にタワーマンションを建てればいいというものではありませんし、何でもリニューアルすれば社会が豊かになるわけでもありません。
思想を欠いた建築物は、いつか社会に取り返しのつかない傷痕を残すだけではないでしょうか。
建築と建築家に求められる資質
建築とは美学的な視点、歴史的、社会的な視点をもって、素材、技術、工法、構造力学、経済条件といったさまざまな要素を総合的に組み立てることで成り立つものです。最終的な構造物をイメージしながら積み重ねられるそれぞれの過程での一つ一つの意志決定こそが、デザインと呼ばれるわけです。
建築家は、自らの思う建築概念の実現と地理的条件、力学的条件、技術的条件、法規による棋聖、経済的制約といった現実の諸条件の双方を考えながら、その状況における最適な解答を見つけていきます。このせめぎ合いの中で、概念に形が与えられるのです。
世の中には、ダンスや歌唱のように、刹那に生まれ、刹那に消えていく、無形の芸術も数多く存在しますが、建築は何十年、何百年の長きにわたり、形を留め、コミュニティの基盤となるものですから、全方位的な視点が求められるのは言うまでもありません。
「せめぎ合いの中で、概念に形が与えられる」というのは、本当にその通りで、「キャンディポップのように可愛いビルを建てたい」からといって、その通りになるとは限りません。第一に、周囲とのバランスを考える必要がありますし、ヴィヴィッドな色彩や奇抜な形状は禁じられている地区もあります。その中で、いかに可愛さを追求し、調和のとれたものを形作っていくか。まさに安藤氏に言う通り、『闘う建築』です。
技術者あっての建築家
また、一つのデザインが形を成すまで、多くの時間と、多くの人手が必要です。
安藤氏いわく、「丹下健三と坪井善勝、ルイス・カーンとオーガスト・コマンダント、ル・コルビュジェとピエール・ジャンヌレなど、すぐれた建築家の才能をすぐれた技術者が支えた例は少なくありません」。
建築家の求める空間の美と質と量の獲得のために、構造家がそれに最も相応しい材料、構造方式、工法を合理的に選択する、異なる精神がぶつかり合い、刺激しあう、そのコラボレーションの過程を経て、時代を画する力をもった建築が生まれてきました。作家のイマジネーションとそれを規定する議寿的・力学的条件の葛藤から建築の形が導きだされる、というような明快な図式、ひいては形の論理が、かつては確かにあったように思います。
建築家がどれほど素晴らしいデザインを思いついても、物理を無視した建物を作ることはできません。
屋根を丸くするにも、天井を高くするにも、物理に基づいた設計が不可欠であり、デザインを具現化するには、多くの人手を必要とします。
映画に喩えれば、脚本家よりも、映画監督に近いですね。
シナリオの世界観をいかに形にするか。美術、照明、音響、衣装、時代考証、様々な分野の専門家が知恵を出し合って、はじめて一本の映画に仕上げることができます。
映画監督は、その中心にいる人であり、スキル以外に、統率力や信望も求められます。
建築家もそれと同じ、「こんなものを作りたい」という気持ちだけではどうにもなりません。
実作において、多くの協力者を得られるか否かも、才能のうちです。
地域主義とアルヴァ・アアルトの偉業
実作の過程において注目されるのが、『地域主義』と呼ばれるものです。
建設予定地の歴史、文化、精神風土は、建築家の個性と同じくらい大事です。
京都には京都の、福岡には福岡の特徴があり、その地にふさわしい建築があります。
地域性を無視して、建築家の個性だけが先走るのは、建築の本質から外れる、という考え方ですね。
「風土に応じて材料も違えば工法も違う。生活様式も違うから、それぞれの場所にそこにしかない風景があってしかるべきだ」
ルドルフスキーによる文明批判は、現在のグローバリズムの時代における環境の問題においても非常に重要な意味を持っています。≪中略≫
建物単体の維持・管理におけるエネルギー消費をただ抑え、そのエネルギー効率を追求することだけが建築における環境の全てではありません。技術的な問題に注目するのも決して間違いではないと思いますが、そもそも合理的で経済性にすぐれた快適な建物をつくるのは、建築それ自体の目的にすぎないともいえます。広義の環境の問題に応えていこうとするのなら、それが立地する地域やシステムにまで目を向けて、その建物が地域の環境形成においていかなる役割を果たすものか、そのような総合的視点から状況を組み立てていく思考が必要になります。
こう考えたとき、その地域の素材を発見し、それを積極的に用いることが非常に重要な意味を持ってくるように思います。
ここで紹介されているのが、フィンランドの紙幣にもあしらわれている建築家アルヴァ・アアルトのエピソードです。
皆さんは、アルヴァ・アアルトの肖像がフィンランドで紙幣にあしらわれるほど英雄視されていることをご存じですか? それはアアルトが、ただすぐれた建築や家具のデザイナーであったからだけではなく、そのデザイン・コンセプトに集成材(木材の板を繊維方向に合わせて接着剤で貼り合わせた材)を取り入れたことで、国の木材産業勃興の機械を創出したからです。
フィンランドというと、今でこそ木材資源の豊富な国というイメージが強いですが、実際はそのままで材として市場に流せるような質の高い木材は数が少なかったのです。その打開策として集成材という加工手段が開発され、実用化されつつあったのが、ちょうどビアルトが活躍し始めた1950年代でした。
その集成材の材料特性に備わった創造的可能性がアアルトによって発見され、あの波打つ曲面のデザイン・モチーフと結びつけられたとき、かつては無用の存在であった国土の大半を埋める森林の類いが、一気に国家を潤すかけがえのない資産となったのです。
「創造」というのは、終わりのない連鎖であり、無限に拡がる化学反応だと思います。
一つのユニークな建築物が大勢の観光客を呼び、屋台、観光船、土産物屋といった様々なビジネスを創出することもあれば、写真、ダンス、ライブといったパフォーマンスを生み出すこともあり、そのムーブは時代を超えて、とめどなく拡がっていきます。
その源流は何かと問われたら、やはり社会に対する訴求力であり、人に対する想像力です。自己満足的なものは、いつか飽きられ、その場所からも、人々の記憶からも、消え去っていくでしょう。かつて京都の観光地に乱立したタレントショップのように。
建築も、美的センスや技術力が全てではなく、愛には愛が、傲慢には不満が返ってくるものです。作り手の哲学は、スロープの傾斜や、階段の高さや、照明の配置などに現われ、居心地の悪い建物は住民に嫌われるし、逆に、愛や使命感にあふれたデザインは人々の心を捉え、時代を超えて、文化や歴史を形作っていきます。
アルヴァ・アアルトの選択も故国の繁栄を思えばこそ。
「自分が作りたいから」「これが売れ筋だから」ではないんですね。
昨日を超えて、なお
アイデアの原点は情報収集、体験、生きる姿勢
建築に限らず、小説でも、映画でも、漫画でも、魅力的な作品のバックグラウンドには「周辺の要素」があるものです。
たとえば、今世紀最大のミステリーと言われ、世界的ヒットとなったダン・ブラウン原作、ロン・ハワード監督の『ダ・ヴィンチ・コード』は、「キリスト教」や「西洋美術」の要素がふんだんに取り入れられ、「イエス・キリストの子孫」というフィクションにリアリティを持たせることに成功しました。もし、ミステリーの一点にこだわり、教徒の気持ちや史実を無視して、キテレツな設定にしていたら、多くの人が不快感を示したでしょう。
(参考 我に触れるな Noli Me Tangere ~マグダラのマリアと西洋絵画
建築も、「新しければ、それでいい」というものではなく、その地域の特色、歴史、自然環境、住民の趣向など、様々な要素を取り入れ、総合的に組み立てる必要があります。
たとえば、「スペイン風のデザイン」でも、実際にスペインに行って、このようなデザインが生まれた歴史や自然環境、住民のスピリットを理解するのと、本やネットで聞きかじった話だけを頼りに、「なんとなくスペイン」を模倣するのでは雲泥の差があります。
安藤氏が学生に対して訓諭されるのも、まさにその点で、勉強というのはただ譚に己の専門分野だけ知悉しておればいい、というわけではないんですね。
製品を見れば企業が分かる、建築物を見れば建築家が分かる
≪中略≫
私はアイディアの原点、発想の核となる部分は、やはり建築家として社会的に認知される以前の時間をどう過ごしたかに関わってくるものだと思っています。その後どれほどに激しく飛躍し、展開したとしても、この根幹となるそれぞれの目指す方向性は変わらないし、また最終的には必ずそこに戻ってしまうものではないか。
HONDAの創業者、本田宗一郎は、「製品を見れば、企業が分かる」と説き、企業の象徴となるようなバイク作りに全力を注ぎました。
建築家も同じ、デザインを見れば、人柄や思想が分かります。お洒落な商業施設でも、間取りが悪く、歩いているだけで疲れてしまう建物もありますね。休憩所も不便で、足腰の弱った高齢者もいれば、幼子を連れて、慌ただしく買い物をしている家族もあることを考えないのかなと思います。予算や技術の縛りがあったとしても、どこかしら工夫の心は感じるものです。突き詰めれば、ユーザーに対する想像力の問題であり、美的センスが全てではないんですね。
「リアリティをもって臨む」というのは抽象的な表現ですが、建築の場合、絵画や映画と異なり、アイデアが図面の中から具現化するわけですから、いかにアイデアに優れても、人々の役に立たなければ何の意味もありません。建物が完成するまで、実験も、シミュレーションもできないわけですから(いずれヴァーチャルで可能になるかもしれませんが、どこまで現実に近づくかは未知数です)、設計の段階で、どこまで使い勝手や人の気持ちを思いやれるかが重要なポイントになります。
想像力の源は、知能や人柄ではなく、引き出しの多さです。
雑学、経験、興味、好奇心。
専門分野だけでは身につかないものが、たくさんあります。
それぞれに異なる道を歩んできた彼らにもある共通点がありました。それは建築を志しつつも決して専門分野にとらわれず、さまざまな領域に興味をもち、さまざまな活動に積極的にチャレンジしてきたということです。たとえばゲーリーの講義の大半はアーティストとの関わりとアートの話題に終始していましたけれども、それがあったからこそ、現在の彼独自の建築的スタンスが確立されたのだということを忘れてはなりません。皆あらゆることに貪欲で挑戦的なのです。
消費される建築 ~永続する価値を目指して
建築といえば、その場所に永続するようなイメージがありますが、時間と共に老朽化しますし、人気がなくなり、人が寄りつかなくなれば、早々に取り壊されることもあります。
建築といえど、『商品』に変わりなく、ベルサイユ宮殿のように時を超えて愛される建物もあれば、数年で閉館、そのまま廃墟と化す建物も少なくありません。
安藤氏の指摘する「つまらない建築」、「消費される建築」は、決して言い過ぎではなく、今まさに起きている現実なんですね。
建築をつくる、とは非常に長い時間を要するものです。大体一つのプロジェクトについて構想から完成に至るまでに5年、10年かかるのが普通です。規模が大きく、複雑な状況での仕事ならば、20年という場合もめずらしくありません。だから、計画段階で建築雑誌などに載り、「新しい建築の搭乗」ともてはやされたものが、数年後、実現の暁には時流から取り残された「つまらない建築」となっていることが少なくない。メディア上の、実体をもたないイメージの段階で<建築>が消費され尽くしてしまう、それが現在の私たちが置かれている状況なのです。
では、消費されない建築を作るにはどうすればいいのか。
その点について、安藤氏は次のように指摘しています。
だから建築家として生きていこうとするならば、まず自分というものがしっかり確立されていなければならない。デザイン感覚、知力も無論必要な能力ですが、それ以前の、人間としての芯の強さ、即ちいかに生きるかという、その生き方が、何より重要なのです。
恐れない。流されない。あきらめない。妥協しない。
生きる姿勢が、そのまま建築物にも現れるものです。
理想論と言えば、その通りですが、長年、地域のシンボルとして愛されている建築物がどのような理念のもとに作られたか考えれば、「単なる理想」と切って捨てることはできないのではないでしょうか。
しかし最近の学生を見ていると、知識ばかりが先行していて、実際に体験して身体で確かめていくという実体験の過程がすっぽりと抜け落ちているような印象を受けます。コンピュータの普及のあおりか、建築を完全にコンセプチュアルなものとして、現実的な部分をそっくり欠落させたまま考える傾向が目立つのです。
設計課題で具体的な敷地が設定されているにも関わらず、現地を確認しないままスタディを開始している学生がいるのも驚きです。一体何を手がかりに建築のイメージを組み立てていくつもりなのか。
私の事務所でも、美術館を計画するに当たって、そこにどんな作品が収蔵されようとしているのかという点に関心すら示さず、収められる美術作品を写真でさえも見たこともないという若いスタッフが平気で図面を描いているという由々しき事態が起こっています。生活がわからなければ住宅が考えられないように、建築はその使われ方を知らなければ発想のしようがないはずです。
今はGoogle Mapや動画サイトがあるから、わざわざ現地に出かける必要もないと、クールに構える向きもありますが、ユーザーの側からすれば、一度も現地を訪れたことのない建築家が設計した建物など、心底信頼することはできないですよね。
敷地自体は安全でも、潮風が強いとか、住宅密集地であるとか、過去に何度も土砂崩れを引き起こしているとか、現地に行かないと実感できないこともたくさんあります。地図検索や測量データなどで、科学的な情報は得られても、自分の五感にまさるデータは無いのではないでしょうか。
『生活がわからなければ住宅が考えられない』というのは本当にその通りで、想像の域を出ないものに、説得力はありません。
最近の建築を見ると、どうも質感といったものが取り除かれてしまったように感じます。私はこれまで、少なくとも手や足など人間の身体が直接触れる部分には常に生命のある自然材を使用してきました。木や石やコンクリートのようにそれぞれの質感をもった実体のあるものが建築を構成する重要な素材なのであって、身体を通してこそ本質的に建築を認識できると考えているからです。その材料を自分のものとし、使いこなすためには、まず「こんなものができないだろうか」という強い思いとともに、その物理的特性に対する理解はもちろんのこと、その歴史や事例を含め、さまざまなことに意識を及ぼさなければなりません。
何より大きいのは、その建築にかける建築家の思いの強さです。コンクリートを建築材料としてどのように捉えるか、そしてそれによって何を表現しようとしているのか、普遍性が特徴であるからこそ、それが建築として成立するためには表現者の強い意志が必要なのだと思うのです。
≪中略≫
コンクリートの美しさのみを求めても建築をつくることはできない。それは美しさを求める建築家の強い理念がそこにあって初めて成り立つものなのです。
どこまで突き詰められるかは、その人の素養によるところが大きいです。動機が弱ければ、情熱は長続きしないし、知識がなければ、興味の持ちようもないからです。
日常こそ勉強、実際に線を引かなくても、いつも頭の中でデザインしているのがプロではないでしょうか。
身体で社会を理解する
(フォートワースのコンペにおいて)
まず、実施設計に入るにあたって設計チームを編成しなければなりません。実施計画は勿論、構造計画、設備計画、照明計画、展示計画に至るまで、分業化し得るありとあらゆる計画分野ごとに、担当チームを編成して連合していかねばならない、そのために、それぞれの分野で評判のよい構造事務所や設備事務所などから、彼らの仕事の内容や実力を知るためのドキュメントを送ってもらいます。これはこちらから頼まなくても、噂を聞きつけて先方からどんどん送ってきます。書類選考でいくつかのチームを選んだあと、アメリカ各地を選考のためのインタビューの回らなければなりません。日本なら、それまでの経験上、お互いにその力を知悉している構造設計家なり設備技術者と、信用によるチーム編成をするので、一回ずつの面接など実施しないのが普通ですが、アメリカではそうはいかない。この準備が事業の成否を決定するものとして、非常に重要視されているのです。
≪中略≫
先日も施工会社がコンクリートの打設に失敗するという自体が起こりました。≪中略≫ 結局、取り壊して打設しなおすことになりましたが、その責任を誰がとるのか、つまり工事費用を誰が負担するかでずいぶんもめて、そのために少なからぬ時間と労力が費やされました。けれども、こんな程度のことで疲れてはいられない。他国で仕事をしていこうと思うと、その国の生活習慣、精神文化とまともに付き合っていかねばなりませんから、日本での仕事とはわけが違う、そうしたプレッシャーに潰されないようにするためには、建築以前に、まず社会を身体で理解していかねばなりません。敗退もつらいものですが、勝ったら勝ったで、また別の次元での闘いが待っているのです。やはり建築は厳しい。
今の時点では先行きも決して明るいとはいえないこの世界に参画していこうとするのなら、皆さんもそれ相応の覚悟をしておいた方がいいでしょう。
『社会を身体で理解していかねばなりません』というのは、本当にその通りです。こればかりは、自分で経験を重ねて身に付けないと、誰も教えてくれません。
建築のデザインとはそこで使う材料をはじめ、素材、工法、技術といったさまざまな要素を、個別の状況に応じて一回一回組み立て直す過程における意志決定、一つ一つの積み重ねにほかなりません。建築設計の本質とは決定することにあるといっても過言ではないのです。
しかし、こうした何かを決めるということが、実にむずかしいのです。そこには膨大なエネルギーが費やされます。何もないところに新たな関係性を構築していかなくてはならず、しかもより価値あるものを築いていかねばならないのですから、それも当然かもしれません。
これは建築設計に限らず、どんな仕事についたとしてもいえることでしょう。その意志決定の迅速さや的確さによって、その人間の仕事における評価が決まります。そのとき重要になってくるのが、情報です。できるだけたくさんの情報を集め、そこから前へ進むための手がかりを見つけなければなりません。だからこそ、情報技術が社会に革命を起こすと考えられ、IT革命などという言葉が生まれるのです。
そこで重要なことは何かといえば、誰にも等しく手に入る情報を、自分なりに正しく選び取って構築してゆくのは人間の総合的な判断力にかかっているということにほかなりません。しかし私は、人間の想像力は、数量化されて平均化された情報の山から、ただ一つの決定的な選択ができるほどにすぐれたものではないと考えています。
≪中略≫
材料にしても構法にしても、部分の寸法一つとってみても、自らの身体で確かめ、血肉化された知識がなければ、確信をもって決定することは決してできないのです。
人間の生き方、すべてに共通していることです。
新しい情報を入手したところで、どれが正しく、どれが間違いなのか、正しく取捨選択する能力がなければ、役に立ちません。
情報は情報以上の何ものでもなく、自身の素養と一体になって、初めて有用な知識となります。
あれこれ知っていても、実人生に活かすことができなければ、それは耳学です。
【終わりに】 建築は専門家だけのものではない
SNSの影響もあってか、「専門家でもないのに、口出しするな」という風潮がだんだん強くなっているように感じます。
確かに、素人にエクスキューズされて、喜ぶ専門家はないでしょう。
だからといって、「おかしいものは、おかしい」と言えない世の中になれば、社会はいっそう偏ったものになるのではないでしょうか。
とりわけ、建築は人々の暮らしに直結するものです。
「排除アート」のように、見るのも、使うのも、まがまがしい印象の建築物が増えれば、そこに暮らす人々の気持ちもまがまがしいものになっていきます。
その際、素人が感じる素朴な疑問も、「専門家じゃないのに」と封じ込めてしまったら、ますます偏り、問題解決の機会も失われるのではないでしょうか。
私も専門家ではありませんが、建築には並々ならぬ関心を寄せています。なぜなら、「建築賞と住み心地は必ずしも一致しない」ということを、身をもって体験したからです。
今後も、業者に騙されて、クソ物件に大損することがないように――
また、ハザードエリアであることも知らされず、災害に巻き込まれる被害者がないように――
今後も建築について書き綴っていく所存です。
誰かに届け。
初稿 2018年2月14日
安藤忠雄と五角形のアパート
私が建築家の安藤忠雄氏を知ったのは、コンクリート打ちっぱなしの五角形のアパートに住んだのがきっかけです。
初めての賃貸物件。
そこそこ名の知れた不動産屋に、「このアパート、今流行のコンクリート打ちっぱなしで、建築賞を受賞した建物なんですよ。若い人にも人気があります」とすすめられ、賃料も手頃だったことから、契約したのはいいですが、実際に住んでみると、五角形の間取りが不便この上ない。正確には、長方形の片隅が斜めに切り取られたような、縦長の五角形で、決して悪いデザインではないのですが、家具を置こうにも、部屋の隅が斜角なので、空間を十分に活かすことができません。おまけにバルコニー以外の開口部は、刑務所のように小さな窓が一つだけで、昼間も薄暗く、寝ていても、起きていても、心の安まる時がなく、本当に居心地の悪い建物でした。こんな建物が建築賞を受賞するなど、何かの間違いではないかと思わずにいられなかったほどです。
同時期、北川圭子氏の『ガウディの生涯―バルセロナに響く音』を読んで、アントニオ・ガウディの作品に魅了された理由も大きいです。
それから、フランク・ロイド、丹下健三、ル・コルビジェといった建築に関する本を読み始め、その続きで知ったのが、『安藤忠雄=コンクリート打ちっぱなし』でした。
この人のせいで……と思うと、何とも複雑な気分だったものです。
今でも、安藤氏の著作を読むと、あの薄暗い五角形のアパートを思い出します。
それにも増して、心に引っかかるのは、あれが建築賞を受賞した作品ということです。
いったい建築とは何なのか。
考えるにつけ、あの居心地の悪さが、人生最大、あるいは最高の建築的体験として、胸に蘇ってくるのです。