アダムス・ファミリー 1 & 2 (1991年~1993年)
作品の概要
アダムス・ファミリー 2 (1993年)
原作 : アメリカのコミック『アダムス・ファミリー(Addams Family Values)』
主演 : モーティシア・アダムス(アンジェリカ・ヒューストン)、ゴメズ・アダムス(ラウル・ジュリア)、ウェンズデー・アダムス(クリスティーナ・リッチ)
町の人に気味悪がられながらも、普通に学校に通い、普通にスーパーで買い物する。
そんな一家に、25年前に失踪した兄のフェスターが現れて……。
ファミリードラマに、ブラックユーモアとゴシックホラーを混ぜ合わせた、異色のコメディ。
現代の魔女狩りとキャンセルカルチャー
何とも息苦しい時代になった。
あれもダメ、これもダメ、表現警察みたいなクレイマーが目を光らせて、あらゆる作品を監視し、少しでも不快な表現があれば、「差別だ」と切り込んでくる。
下手すれば、配信停止。
最悪の場合は、キャンセルカルチャー(ちびくろサンボのように、作品自体が消滅する)。
こんな精神風土で、ユーモアを解する余裕も、笑いを生み出す機微も、育つはずがない。
『アダムス・ファミリー』も、今となっては「過激な表現」が問題視され、TV放送はおろか、作品自体が消滅しかねない恐れがある。
確かに、子供同士でギロチンごっこをしたり、学校の演劇で弟の腕を切り落として、血しぶきが噴いたり(もちろん演出)、賛美歌を歌うコーラス隊に熱湯を浴びせたり(実際に浴びせるのではなく、間接的に描いている)、挙げ句の果ては、インディアンの虐殺ネタ(Part2の野外キャンプにて。さすがにこれは笑えなかった)。
むしろ、こんな映画をよく製作したものだと恐れ入る。
また、それがさほど問題視されず、全世界が笑い転げていたのだから、何とものんびりした時代である。
今、見返してみると、「さすがに、やり過ぎでは・・?」と感じる箇所もいくつかあるが(特にインディアン・ネタ)、ゴメズ&モーティシア夫妻は、二人の子持ち(Part2で三人になる)にもかかわらず、若い恋人同士みたいにラブラブだし、兄のフェスターも、おばあちゃんも、皆、優しくて、ユーモアに溢れている。
ちっとも笑わない娘のウェンズデーも愛嬌があるし(この子はシャーリーズ・セロン主演の『モンスター』でレズビアンの恋人役を演じている)、手だけで、カタカタと動き回るハンド君も、ンバ? としか言わないフランケンのラーチも非常に魅力的だ。
脚本も、ドタバタ劇に終始するのではなく、温かい家族愛を感じさせ、最後はなぜかほっこりする、極上の作りである。
ただ、「腕が飛ぶ」「インディアンが襲われる」というだけで、キャンセル・カルチャーの対象になってしまっては、それこそ文化の終わりではなかろうか。
作中では、魔女裁判や拷問にあって死んだ先祖のエピソードが出てくるが、今となっては、『アダムス・ファミリー』という作品自体が魔女狩りの対象になりかねず、一体、本物のモンスターはどちらなのかと考えさせられる。
映画『ジョーカー』もそうだが、本来、ジョークやユーモアというのは、非常に難しいものだ。
当たり障りのないジョークなど、何の面白さもないし、逆に、過激なイジリは、大衆受けしても、人を傷つける。
その真ん中ぐらい――誰をも傷つけない、面白いジョークを、プロのコメディアンは日々研鑽を積んで、独特の芸術に高めてきたのだが、こうも世の中厳しいと、育つものも育たないだろう。
この世からユーモアが失われることは、知性の終わりであり、貧しさの表れでもある。
いつかまた、アダムス・ファミリーのような作品を、皆でにやりと笑いながら楽しみたいものだが、それでも、インディアン・ネタは、さすがにやり過ぎと思う、今日この頃である。