映画『きっと、うまいくいく』 あらすじと見どころ
きっと、うまくいく(2009年) ー3 Idiots (三人の愚か者。3バカトリオ)
主演 : アーミル・カーン(秀才ランチョー)、R・マドハヴァン(語り手となるファルハーン)、シャルマン・ジョーシー(ラージュー)
あらすじ
インドの超難関工科大学に入学したファルハーン、ラージュー、ランチョーの三人は、仲の良いルームメイトとなる。
しかし、競争は熾烈で、エンジニアよりカメラマンになりたいファルハーンは葛藤を抱え、落ちこぼれのラーシューも恐怖心から祈ってばかりいる。
成績優秀なランチョーは、そんな彼らに、「きっと、うまくいく」と励まし、ファルハーンとラージューも、それぞれの道を逞しく歩み始める。
見どころ
本作は、インド映画らしく、歌あり、ダンスあり、お下品なギャグありとエンターテイメントに徹しており、最後まで一気に楽しめる。
随所にデフォルメされたキャラクターが登場し(何かといえば「この時計は40万ルピーしたんだぞ!」と価値をお金に換算するヒロインの婚約者など)、マンガ映画のようである。
一方では、受験戦争や過熱教育の弊害も描いており、いずこの国も、エスカレーター式に人生が決まるのは同じだと思い知らさせる。
上映時間は3時間の長編で、時系列も、現在→大学時代→ちょっと過去→現在(結果)と移り変わる為、注意して見ないと、誰が誰だったか、混乱する恐れがあるが、それぞれの役柄が際立っているので、理解しやすいと思う。
エンディングの湖の美しさも格別で、心温まる人間ドラマである。
作品のテーマである、Aal Izz Well(きっと、うまくいく)は、「全て自分の思い通りになる」ではなく、「すべて思い通りにならなくても、世の中には、楽しい出会いもあれば、思いがけない幸運もある。きっと、何とかなるさ」という意味。
ダイナミックな歌と躍りが印象的な挿入歌『Aal Izz Well(きっと、うまくいく)』
楽天こそ才能 ~成功は後から付いてくる
自己肯定感の低下は高い能力も腐らせる
映画の見どころは多々あるが、一番印象的だったのは、主人公・ランチョーが『AAL IZZ WELL(きっと、うまくいく)』とルームメイトのファルハーンとラージューを励ます場面だろう。
原題の『3 idiots』(日本風に言えば「3バカ・トリオ」)』は、いずれも超難関工科大学・ICEの男子学生。
それぞれに高い能力を有しながら、激しい競争の中で自信をなくし、どんどん心を磨り減らしていく。
そんな学友らにランチョーは言う。
「心は弱虫だから、騙してやらないといけない」。
そこで歌われるのが、『AAL IZZ WELL』。
私が見た動画の字幕では、次のような訳詞が付いていました。
唇を丸め 口笛を吹いて こう言え
うまーく いく
鶏は卵の運命を知らない
ヒナ誕生か それとも目玉焼きか
誰も将来のことはわからない
唇を丸め 口笛を吹いて こう言え
兄弟 うまーくいく
ランチョーの持ち味は、明るさと機知。
厳格な教授や学長とも堂々と渡り合い、嫌みや攻撃ではなく、ユーモアでさらりとかわす。
この世に、成績のいい人や要領のいい人はごまんといるが、肝心なところで勝てないのは、根本的に自信がなく、悲観的だからだろう。
特に日本人は自我の根っこがグラグラして、能力はあるけど、逆にそれが災いして、持てる力の半分も出せない人が多いと思う。
どれほど資質に恵まれても、「誰にも愛さされない」「社会に必要とされてない」という自己否定の気持があると、何をやっても満たされず、あらゆる努力が空回りするからだ。
それにプラスして、日本には「謙遜の美学がある。
『自分の作品を「拙い(つたない)」なんて言うな』にも書いているように、自分をわざと低く見せて、最初から傷つかないように先回りする人もある。
だから目の前に、ランチョーみたいに本物の強さや明るさをもった人間が現れると、心の根っこがぐらぐらして、攻撃的になったりする。
アリみたいに微弱な相手でも、「こいつに負けるんじゃないか」と焦ってしまう。
だから、余計で、「今まで自分が必死に努力してきたことは何だったのだ」とアイデンティティが崩壊してしまうのだ。
こういう場合、より上のレベルをもとめて、ガツガツしても、決して上手くいかない。
その人にとって、ゴールとは、自分の能力を周りに認めさせることであり、ランチョーみたいな自己肯定感とは程遠いからだ。
これでは、いくら高い能力があっても、磨り減る一方である。
その点、ランチョーのようなポジティブ精神は、優れた知識や技術にも勝る。
10しかないものを、希望やユーモアで、30にも、50にも膨らませることができるので、逆境にも強い。
優秀だけど、悲観的な人から見れば、存在そのものが脅威だろう。
元々の才能を薪に喩えるなら、自己肯定感はエネルギーだ。
どれほど良質な薪も、じめじめしていれば、火も付かないように、才能は自己肯定感と一体になって、初めて頭角を現す。
自分で自分に「良し」と言えない100点は、何点取ろうと、何の意味もないだろう。
楽天性を身に付けるのは難しい
「楽天的」と言えば、「前向きで、挫けない」みたいに解釈されることが多いが、前向きに頑張りさえすれば、人は幸福になれるのだろうか。
確かに、この社会を生きていく上で、「コップの水がもう半分、ではなく、『まだ半分』と考える」「どこからでも道は開ける」みたいな前向き思考は大事だが、自分で納得できないものを、無理やり自分に言い聞かせても、真のポジティブ・シンキングにはなり得ない。
たとえば、一流大学に合格できなかった人が、「人間、学歴は関係ない。前向き生きていれば、いつか必ず良い事がある!」としゃにむに頑張っても、決して幸せにはなれないだろう。
何故なら、心の根底には、一流大卒ではない自分を否定する気持があるからだ。
一つ上手くいっても、心の底には、「本当の自分はこれではない」という不満が常にあるので、頑張っても、頑張っても、虚しい気持ちになる。
その点、真の楽天家は、もはや大卒であるとか、最終学歴とか、意識もしないほどだ。
学歴の話題が出る度に、眉間に皺を寄せ、やたら攻撃的になったり、自虐的になる人間とは質が違う。
そうした楽天精神はどこから生まれるのかと言えば、やはり自己肯定感であり、今の自分を受け入れる気持だろう。
楽天精神を欠いて、必死で努力しても、虚しさしか感じない。
むしろ、頑張れば頑張るほど、報われない思いは恨みとなってつのり、自分も周りも不幸にするだろう。
楽天的=脳天気のイメージがあるせいか、人は簡単に楽天的になれると思いがちだが、実は、楽天的になることは非常に難しく、人間の知恵の中でも、かなり上位にランクづけられる。
ある意味、楽天思考を身に付けた時点で、幸福の8割は決まっているのではないだろうか。
悲観的な秀才10人より、楽天的な凡人100人の方がいい仕事ができる
学問でも、仕事でも、100点取れる秀才が100人集まった方が偉業が成し遂げられるように見えるが、悲観的な人ばかりでは大した結果は残せない。
失敗したといっては落ち込み、理想通りでなければ、やる気をなくす。
それどころか、組織内で足を引っ張り合い、ちょっとでも心が傷ついたら、逆恨み。
こんな職場では、たとえ能力的に優れても、何一つ形に出来ないだろう。
それよりは、60点しか取れなくても、楽天的な人間が100人集まった方が伸びしろは大きい。
一緒に働いても楽しいし、顧客にも楽しさは伝わる。
そう考えると、ランチョーみたいな若者で溢れかえっている国や会社は強い。
今は下から二番目でも、伸びてくる勢いが違う。
生きること、働くこと自体が楽しい人にとって、負けも、絶望も、存在しないからだ。
どんな人間も、訓練すれば、100点取れるようになるが、楽天性だけは、教科書や口頭で教えられるものではない。
真の才能とは何かと問われたら、100点取る能力より、自分自身を肯定して、縦横無尽に心の枝葉を拡げられる柔軟性だと思う。
*
映画のラストシーン。
インドには、こんな美しい場所があるんですね。
ずっともやもやしていた人も、このラストの景色で心洗われるのではないでしょうか。
案内役のファランの最後の台詞、「まずは実力をつけること。そうすれば成功は後から付いてくる」。
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初稿 2017年1月12日