映画『スラムドッグ$ミリオネア』僕と君の違いは『運』だけ

僕は幸運じゃなかった。違いはそれだけさ。『クイズ・ミリオネア』に出場した貧しいインドの青年が次々に難問を解いてファイナルアンサーに挑む。虚偽を疑う司会者は青年を警察の拷問にかけるが、彼が学んだことは真実だった。貧困、人身売買、売春など、インドの壮絶な現実を背景に、少年達のパワフルな生き様と知恵を描いたヒューマンドラマ。
主題歌『Jai-Ho』とプッシーキャット・ドールズ版を動画で紹介。エンディングのパワフルな群舞も素晴らしい。

目次 🏃

『スラムドッグ・ミリオネア』 あらすじと見どころ

作品の概要

スラムドッグ$ミリオネア(2008年) ー Slumdog Millionaire (原作は『ぼくと一ルピーの神様』)

監督 : ダニー・ボイル
主演 : デーヴ・パテール(ジャマール)、マドゥル・ミッタル(兄サリーム)、フリーダ・ビントー(少女ラティカ)

スラムドッグ$ミリオネア (字幕版)
スラムドッグ$ミリオネア (字幕版)

あらすじ

スラム出身の青年ジャマールは、優勝者に大金が送られる人気TV番組『クイズ$ミリオネア』に出演し、順調に勝ち進む。
だが、無学なジャマールが何でも知っているのはおかしいとインド警察に疑われ、厳しい取り調べを受ける。

ジャマールは、ムンバイのスラム地区で生まれ育ち、兄サリームとは大の仲好しだ。映画スターを追いかけ、仲間とガラクタをあさる暮らしだったが、ジャマールは幸せだった。
しかし、兄弟は地元の争いに巻き込まれて、親と住まいを失い、ストレート・チルドレンとなる。その後、食べ物につられて、ギャングに匿われるようになるが、ギャングが少年に物乞いさせる為に、わざと両目を潰したり、手足を切り落としたりすることを知った兄弟は、少女ラティカを連れて脱走。様々なアルバイトをしながら、路上で食いつなぐ。

やがて兄サリームはギャングの一員となり、ラティカは身売りし、ジャマールだけがまともな職に就くが、いつの日かラティカを救い出すことを願い続けていた。

そんなジャマールは『クイズ$ミリオネア』に出場し、次々に難問を解いて、視聴者を驚かせる。ジャマールが回答を知っているのは、彼が実際にそれを経験してきたからであった。

そして、ファイナル・アンサー。

果たして、ジャマールは大金を手にして、ラティカを救い出すことができるのか……。

見どころ

本作の見どころは、ジャマールの壮絶な過去とクイズの内容が見事に一致し、「なるほど、これなら正解する」と誰もが納得する点だ。

たとえば、「100ドル札に描かれているアメリカの偉人は誰か」という出題に対して、ジャマールが偶然、100ドル札を手に入れるまでのエピソードが描かれる。番組サイドは、「スラム出身のジャマールが100ドル札など目にするはずがない」と疑うが、ジャマールには100ドル札にまつわる切ない思い出があった。日常的に触れる機会はなくても、100ドル札に印刷された偉人の顔はイヤというほど瞼に焼き付いている。

このように、出題されるクイズが、ジャマールの生い立ちを解き明かす形で進むので、観る側も非常に分かりやすい。各界の映画賞を総なめにしたのも頷ける話である。

また、本作は社会派ドラマの一面も有している。

インドのスラムがどういう所か、頭では知っていても、実際は知らない人が大半だと思う。本作では、スラム地区のありのままが映し出され、あまりの惨状に目を覆いたくなるが、そこで暮らす子供達は元気で、まるで屈託がない。貧しいながらに知恵を働かせ、観光ガイドなどで日銭を稼ぐ姿は、逞しいという他ない。

本作では、ジャマールが不正を疑われ、無学な青年に勝たせたくない人気司会者の思惑も絡み合い、後半は非常にスリリングな内容になっている。特に、トイレの鏡に、ファイナル・アンサーを示唆する指文字を書き残す場面は、視聴者の興奮もマックスに達するのではないだろうか。(実際にこういう事があるのではないかと疑いたくなるレベル)

脚本も人気小説をベースにしている為、生い立ちからファイナル・アンサーまで、クイズ番組のように一気に見せる。スラムと、そこで暮らす子供達の現状を知る上でも、非常に参考になるのではないだろうか。(特に、子供の身体を損壊して物乞いさせる話は胸が痛む)

役者も演技が上手いし、ラストのJai-Hoダンスも見応えがある。(これほど子役・少年役が上手い映画も珍しい)

映画ファンなら一度は見ておきたい、青春&社会派ドラマの傑作。

こちらは、Hei-Hoにあわせたトリビュート動画。本作の内容がダイジェストで理解できます。

貧困を生き抜いた兄弟 ~正義に生きるか、暴力に走るか

子供たちの現状

少しでも「スラム」や「ストリート・チルドレン」について見聞したことのある人なら、悲惨な路上生活や物乞いはもちろんのこと、哀れな子供たちのわずかな稼ぎを搾取する為に、悪い大人が子供の手足を切断したり、クスリ漬けにして売春させたり、という事実を知っていると思う。

実際、この作品でも、路上で寝泊まりする子供をコーラや食べ物で引き寄せて、集団で監禁し、物乞いさせたり。

通行人の同情を誘う為に、歌の上手い少年の両目をわざとスプーンで潰したり。

可憐な少女ラティカを売春宿で働かせたり。

目を覆いたくなるようなエピソードが次々に登場する。

それでも路上に放置され、飢えて死ぬよりは、悪の手先となり、搾取されても、衣食住にありつける方がましだ。

そうして奴隷のように扱われるうち、自らもまた搾取する側の人間になり、今度は自分自身が子供を監禁して、物乞いをさせるようになる。

そんな底辺で、「正しく生きろ」と説いたところで、何の説得力もないだろう。

目を潰された少年や、売春宿で搾取されている少女からすれば、「正論はいいから、お金をちょうだい」と言いたくなるはずだ。

『生きる』の意味は底辺と金持ちでは大きく異なる

『生きる』の意味は、底辺と金持ちでは大きく異なる。

先進国で暮らす我々の感覚からすれば、生きるということは、自己実現であったり、社会貢献であったり、洒落た一軒家に暮らしてスローライフを楽しむ……といったことだろう。

しかし、スラムではまさに生存をかけた戦いであり、過酷な現実が待ち受けている。

そんな中、親と住まいを失ったジャマールと兄サリームは、タージ・マハールを訪れる観光客の靴を盗んで、街角で打ったり、観光ガイドの流暢な英語を耳で覚えて、自らもガイドを名乗って、観光客から案内料を取ったり、ありとあらゆる手を使って生き抜こうとする。

普通に考えれば、それは犯罪。

だが、そうでもしなければ、今日食べる物もない。

そんな子供たちにとって、『正義』とは何なのか。

神は、何のために存在するのか。

そうした、根源的、かつ永久に答えの出ないような、哲学的海溝に叩き落とされるのが、この映画の最大のポイントである。

愛と正義

やがてサリームは暴力と恐怖によって支配することを学び、ジャマールは労働という真っ当な手段で一般社会に溶け込んでいく。

ジャマールを人間たらしめたのは、初恋の少女ラティカへの想いだ。

いつか彼女を泥沼から救い出し、日の当たる場所で一緒に生きていきたい。

まっとうな願いを胸に、ジャマールは懸命に働き、学び続ける。

だが、マフィアの情婦として軟禁状態にあるラティカに励ましのメッセージを送り、生活資金を得るには、国民的人気の『クイズ$ミリオネア』に出場するしかない。

次々に繰り出される人生の難問を見事にクリアしたジャマールは、晴れて自由の身となったラティカと歓びのダンスを踊りながら、映画も幕を閉じる。

僕と君の違いは『運』だけ

これらの物語を、映画監督のダニー・ボイルは『ジャマールはいかにして2000万ルピーのクイズの答えを知るに至ったか?
という観客への問いかけに対し、次の四つの選択肢を用意している。

A) He chated.(ズルをした)
B) He's lucky.(ラッキーだった)
C) He's a genius.(彼は天才)
D) It's written.(書かれた)

正解は「D」。

直訳すれば、「書かれた」になるが、「運命に導かれた」といったニュアンスもある。

日本語字幕では『運命』と訳されているが、ここでいう運命は、ラッキーとは異なる、“神のドリル(練習帳)”と解釈すると分かりやすい。

つまり、神が栄光への道筋(クイズ)を用意し、ジャマールは、その難問を次々に解き明かして、見事、神の与えた試練に合格した、というわけだ。

『運命』という言葉だけ見れば、これだけ過酷な試練を課して、「勝利の秘訣は運命か?!」と疑問を感じる人もあるかもしれない。

だが、見方を変えれば、『運命』とは、誰にとっても優しいものだ。

たとえば、100ドル札の問題では、なまじ歌が上手い為にマフィアに両目を潰され、今も地下道で歌って物乞いをする少年が登場する。

兄サリームの助けがなければ、ジャマールも同じ運命を辿っていたかもしれず、決してその少年が特別劣っていた訳ではない。

目を潰された少年は、自分の不遇を次のような言葉で表現する。

I wasn't so lucky. That's the only difference.
僕は幸運じゃなかった。違いはそれだけさ

多くの人は、自分の努力で道を切り開き、幸せを掴むのが当たり前と思っている。

人知を超えた第三の力によって、幸不幸が決まるなど、考えたくないものだ。

しかし、現実には、世界最悪のスラムに生まれ落ちる子もあれば、裕福な家に生まれ育ち、飢えや暴力とは一生無縁な人生を送る子もいる。

これを『運』と呼ばずに、なんと呼ぶ?

能力や人格の問題ではなく、紙一重の差で運がなかったと思えば、諦めもつくだろう。

もちろん、両目を潰された少年に対しては、とても『運』などという言葉で慰められるものではない。

しかし、もし少年が、「両目を潰されたのは、自分が愚図だったから」と自分を責めるようになれば、到底、生きていけないだろう。

世の中には、「運がなかった」と割り切ることで、得られる力もあるはずだ。

この世のことは、人間が考えるより、もっと複雑で、奇跡的なものである。

一方、ジャマールについても、このシンデレラのような結末が『努力や心ばえによって得られた』と言われると、途端に白々しくなる。

努力や心ばえによって幸福になれると言うなら、今も地下道で健気に歌い続ける全盲の少年はどうなるのか。

身を寄せ合って生きるストリート・チルドレンには、知恵も優しさも無いのか。

彼等が貧しい境遇のまま一生を終えるのは、「ジャマールのようなガッツと努力に欠けていたから」で済まされるだろうか?

誰でも努力して、心ばえがよければ、ジャマールのように恋も大金もゲットできますよ……というオチは、それこそ説教であり、お伽話だろう。

現実は、『運』に大きく左右され、皆が皆、同じように報われるわけではない。

ゆえに、この作品も、『運』という観点で落ち着くのである。

暴力こそ救い ~兄サリームの生き様

一方、忘れてはならないのは、ジャマールと全く正反対の道を歩んでしまった兄サリームである。

貧困にあえぐサリームは、マフィアのボスを撃ち殺したことがきっかけで暴力に目覚め、ジャマールと袂を分かって、組織の一員となる。

普通に考えれば、非難されるべき人物かもしれないが、ジャマールが過酷な少年時代を生き抜いたのも、サリームという腕っ節の強い兄が存在したからで、サリームが居なければ、ジャマールも目を潰されて、一生、地下道の物乞いで終ったかもしれない。

サリームにとっては、暴力こそが救いで、愛も正義も何の助けにもならなかった。

そんなサリームも根っからの悪人ではなく、最後はラティカの為に身体を張り、札束の風呂に沈むわけだが、見方によっては、サリームの方が本作のテーマを色濃く反映しているような気がする。

何故なら、サリームが最後に運命のルーレットを回したから、ラティカは脱出に成功し、ジャマールも大金を手にすることが出来たからである。

全てはジャマール一人の努力神話ではなく、サリームという負の要素も絡んで、一つの物語を織り上げている。

サリームもまたジャマールの運の一部であり、勝利に不可欠なステップだった。

そういう意味でも、本作は、「Its witten. 運命によって得た」という言葉で締めくくるのが妥当と言える。

エンディングと主題歌『Jai-Ho』

本作は、エンディングも見事です。
インド映画なのに、歌と踊りが出てこなかったよ? という視聴者のために、ちゃんとオマージュとして出演者総出のダンスが盛り込まれています。

ザ・プッシーキャット・ドールズの『Jai-Ho』もパワフルで素敵です。
メインヴォーカルのニコール・シャージンガーお姉さまは、何度見てもセクシーで、歌も上手い。

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初稿 2011年12月1日

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