生き甲斐を感じさせる『仕事』と苦役としての『労働』の違い ~Work, Job, Labor

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生き甲斐を感じさせる『仕事』と苦役である『労働』の違い

人が『仕事』と呼ぶものには三つの種類があります。

  • Work ・・ 生き甲斐としての仕事
  • Job ・・ 職業、生業としての労働
  • Labor ・・ 苦役としての労働

人は労働を通して社会的存在になる カール・マルクスの哲学にも書いているように、この社会で生きていく上で、労働は欠かせないものです。

それは単に、給料を得るだけでなく、労働を通じて、社会の一員となり、人としての価値を認識する手段でもあります。

また、収入=生き甲斐ではなく、たとえそこそこの手取りがあっても、職場でモノのように扱われ、誰にも「ありがとう」を言ってもらえないと、空しくなります。

労働は、人としての価値を高め、社会に還元することで、いっそう豊かな人生をもたらすものです。

「給料さえもらえれば、それでいいいい(渡せばいい)」というものではないんですね。

日本では、「労働」とひと言で表されますが、英語には、『Work』『Job』『Labor』の三つの言葉が存在します。

Workは、「ライフワーク」で知られるように、生き甲斐、天職、好きなもの、といったニュアンスがあります。Workは報酬に依らず、それに打ちこむことが存在理由なので、仕事の中では最高に価値あるものと言えます。

一方、Jobは、「マックジョブ」で知られるように、給料を得るための仕事です。心底からやりたいわけではないが、条件がいいので、あえてその仕事に従事している人も少なくないでしょう。だからといって、何のやり甲斐も感じないわけではなく、電車を運転したり、お客さんにサービスしたり、規格通りにきちっと仕上げたり、そういう事が「楽しい」と感じる人も多いと思います。生き甲斐とまでいかなくても、楽しさや手応えを感じることは何よりも大事ですし、またそれを真っ当することも、生き甲斐を追求するのと同じくらい、価値あることではないでしょうか。

それに比べて、人も社会も不幸にするのが、Laborです。Laborには、「苦役」「労役」といった意味があり、「させられている」というニュアンスが強いです。

強制労働を目的とした収容所のことを『Labor Camp』と呼びますが、一般社会においても、そのような精神的状況に置かれる労働者は少なくないのではないでしょうか。

シーシュポスの喩えもあるように、無意味に感じる労働ほど人間にとって辛いものはありません。

地位や賞与といったものは、労働の対価であって、本質ではないからです。

労働について考えることは、人を尊重することであり、給料や労働時間の改善が、直接、労働者を幸福にするわけではありません。

一人の人間として、社会に役立つこと、また必要とされることが、この社会で幸福に生きていくための絶対条件です。

人として軽んじられ、無価値とみなされることは、この社会において、死ねと言われるのも同然なのです。

疎外された労働には経済的側面と心理的側面とがあり、経済的側面とは、それが搾取された労働であることであり、心理的側面とは、労働に充実感や幸福感を感ずることができないということである。

人は労働を通して社会的存在になる カール・マルクスの哲学

原罪としての労働 ~男の宿命

有名な旧約聖書の『楽園追放』では、労働は、男(アダム)に課せられた原罪と記されています。

創世記、男(アダム)と女(エヴァ)は、エデンの園にのんびり暮らしていました。

ヤハウェの神いわく、「君は園のどの樹からでも好きなように食べてよろしい。しかし善悪の知恵の樹からは食べてはならない。その樹から食べるときは、君はしなねばならないのだ」。

ところが、狡猾な蛇にそそのかされ、女は知恵の実を取って食べ、男も女に誘われて、知恵の実を口にします。

怒ったヤハウェ神は、男と女をエデンの園から追放し、女に厳しく言いつけます。

「わたしは君の苦痛と欲求を大いに増し加える。君は子を産むとき苦しまねばならない。そして君は夫を渇望し、しかも彼は君の支配者だ」

男には働く一生を運命づけます。

「君のために土地は呪われる。そこから君は一生の間労しつつ食を得ねばならない。土地は君のためにイバラとトゲを生じ、君は野の草を食せねばならない。君は額に汗して、パンを食らい、ついに土に帰るであろう。君はそこから取られたのだから。君は塵だから、塵に帰るのだ」

旧約聖書の頃から、人は食べるために働かなくてはならず、じっとしていても、誰も食糧など運んできてくれません。

しかも、野獣のように、たくましい爪も牙もないので、人間自ら武器を作らなければならないし、野菜や果物を植えても、理想どおりに実るわけではなく、不作の時もあれば、洪水に流されることもあります。

コンビニに行けば、24時間、いつでもおにぎりが食べられるようになったのは、ほんの数十年前のこと。

それ以前は、額に汗して土を耕し、その日食べるものを得るのがやっとだったんですね。

それに比べて、現代はずいぶん豊かになりましたが、食事だけでは物足りず、この社会で幸せに生きていくには、暖かい家、きれいな洋服、映画や観光といった娯楽も必要です。その為に、必要なものの量も、昔とは比較にならないほど増え、それを得るために、いっそう長く働かねばならない、その繰り返しです。

労働者の全てが天罰として働かされている――とは思いませんが、豊かな暮らしの代償に、長時間労働を強いられ、逆に「欲しいもの」が私たちを苦しめているといっても過言ではありません。

私たちは、少しでもいい暮らしを手に入れる為に働くのであって、欲しいものの為に人生を損なっては本末転倒です。

時には、立ち止まり、振り返りしながら、自分にとって本当に幸せといえる働き方について考えることが大切ですね。

ちなみに、Laborには「陣痛」という意味もあります。産婦人科の陣痛室は「Labor Room」と呼ばれます。男も苦役を課せられますが、女も出産という大変な仕事を経験しなければなりません。旧約聖書の時代から、人は男女の本質と宿命を感じとっていた、ということです。

Jobとは神の与えた試練

職業や生業を表す『Job』の綴りは、旧約聖書「ヨブ記」の主人公ヨブと同じです。

高潔で、信心深いヨブは、神とサタンに試され、苦難の日々を送ります。

しかし、サタンの目論見は失敗し、ヨブは神を呪うどころか、ますます信仰を深め、潔く苦難も受け入れます。

その信仰心に打たれた神は、ヨブの苦難を取り除き、ヨブはいっそう祝福されて、前の倍の財産を得た――という筋書きです。

労働を意味する「Job」は、必ずしもヨブを意味するわけではありませんが、「数々の苦難によって試される」というのは現代の労働者も同じではないでしょうか。

あまりの辛さに、弱音を吐くこともあれば、職場の仲間と喧嘩して、互いに傷つけ合うこともあります。

楽したいばかりに、大事な作業を手抜きする人もあれば、儲けに目がくらんで、顧客を騙す人もあります。

しかし、数々の苦難や誘惑に打ち克ち、真っ当な人生を送れば、裕福とまではいかなくても、それなりに安定した人生を送ることができるでしょう。社会から孤立したり、詐欺で逮捕されては、仕事の意味がありません。

旧約聖書のヨブがそうであるように、どんな時も、誠実、公正、思いやり、といった気持ちを持ち続けることが、Jobとしての仕事を幸福にするのではないでしょうか。

Gonzalo Carrasco - Job on the Dunghill - Google Art Project
Gonzalo Carrasco – Job on the Dunghill

参考文献: 創世記(旧約聖書) (岩波文庫)

JobはJobと割り切り、賢く生きよう

「Work」「Job」「Labor」と比べてみれば、多くの人は、Workに憧れるし、それが栄誉や大金に結びつくことを望むと思います。

しかし、誰もがWorkに恵まれるわけではないし(本人が希望しても、実際にその職に就けないこともある)、自分が何をすべきなのか、一生分からないままの人も少なくありません。

それでも、Jobに就き、一つの任務を真っ当すれば、それは十分にWorkと言えるし、社会にとっても価値があります。人間として自立すること、役割を真っ当することは、何よりも大事だからです。

今の世の中、どうしてもマウンティング競争になって、稼ぐ人や偉い人、すごい事やってる(ように見える)人ばかりが注目されて、配送業や接客業、建設業みたいに、縁の下の力持ちなJobは、仕事も、労働者も軽視されがちですが、個々の人生において、評判はさほど関係なく、JobにはJobの価値があり、幸せがあると思います。

「好きなことをして生きる」や「才能をマネタイズ」が全てではなく、Jobで得たものを元に、人生を豊かにする道もあります。

誰かにこっそり教えたい 👂
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