ナンバーワンアイドルは、嫌われ方もトップレベル
1980年代、アイドル全盛期の話である。
若い女性を対象にアンケートをとったら、「好きな女性タレント」に1位も松田聖子なら、「嫌いな女性タレント」の1位も松田聖子だった。
この結果に、聖子サイドは慌てるどころか、ほくそ笑んだという。
松田聖子はそれだけ存在感がある、という証だからだ。
実際、松田聖子ほど、バブル世代の女性に影響を与えたタレントもないと思う。
「恋も、仕事も、ガッツで手に入れる! 欲しいものを『欲しい』と言って、何が悪いの?!」という生き方を身をもって宣言したのが聖子だった。
それまで、山口百恵のように、
「愛する男性に嫁ぎます。これからは一人の妻、一人の母として、家族に尽くして生きていきます」
というのが女性の模範像のように思われていたので、聖子のように、恋も仕事も真正面から取りに行く大胆かつポジティブな生き方は、ある人にとっては鮮烈だったが、一方では嫌悪を掻き立てた。
当時の女性誌も、「あなたは百恵的生き方? それとも聖子的生き方?」という特集を組むぐらい、聖子の芸能人として生き方は、世の女性のみならず、男性までも立ち止まらせずにいないような、強烈なインパクトを放っていたのである。
しかし『個性』というのは、そういうものなのだ。
それは「百恵ちゃんが個性的でない」という意味ではない。
百恵ちゃんも、「昔ながらの女性の幸せを体現した良妻賢母」というキャラクターにおいては、一つの個性を生きたタレントに違いない。
そして、聖子の場合は、「嫌いな女性タレント1位」という、芸能人にとっては命取りのようなアンケート結果さえ逆手にとって、自分を売り込むだけのエネルギーと図太さがあった。
いわば、「個性」というのは「万人受けする美点」ではなく、人が反応せずにいない「強烈な一面」を差すのだ。
言い換えれば、「人に嫌われる」という要素は、「愛されること」と表裏一体と言える。
もちろん、生活がだらしないとか、ウソをつくとか、思いやりがない、とか、誰もが嫌がるような欠点をそのまま放置して「これが個性だから」と開き直っているのは愛の対象になりにくいが、「うっとうしいほど几帳面」とか「やたらガンダムに詳しい」とか「すぐ感動して泣く」とか、どうにも変えようのない性質というのは、ある人にとっては非常に理解しやすいからだ。
何かで激しく嫌われたら、別のところで深く愛されるチャンスがあると思えばいい。
一人に否定されたからといって、項垂れる必要は決してない。
人に限らず、モノでも、何でもそう。
「否定」の背中に、「チャンス有り」である。
初出: 2003年(多分)
【追記】 個性的であることは、誰かを敵に回すこと
昭和の時代から、「個性的と思われたい」と願う人は少なくありませんが、本当に個性が際立てば、人を惹き付ける一方で、一部からは徹底して嫌われるものです。
それに、意識して「個性的」にならなくても、人はみな個性的なもの。
きれい好きな人もいれば、ずぼらな人もいる。
この世に個性のない人など存在しないし、人が「個性的だね」という時は、たいてい「我が強い」「よく、そんな事ができるわね(溜め息、呆れ)」のニュアンスで言っているもの。現実社会では、額面通りに受け取る言葉でもないと思います。
おそらく、多くの人は「目立ちたい」「人気者になりたい」という意味で、個性を求めているのでしょうね。
実際、今の世の中、炎上でも、裸踊りでも、何でもして目立たないことには、パン一つ売ることもできないのが現状です。いくら世界一美味しいパンを作ったところで、誰も知らなければPRのしようがないし、ちょっと看板を立てたぐらいでは誰も振り向きもしません。
町内に一つ、手作りパンの店があった時代ならともかく、今は大通りにずらりとベーカリーが並ぶ時代ですから、他とは違った演出をして、子供がこねたようなロールパンでも、1000円、2000円の価値があるように見せないことには、商売も成り立たないのが現実でしょう。
それは人間関係も同様。
今はいろんな意味で均一化されて、若い人でも洗練されてますから、ちょっとお洒落したぐらいでは目立たないし、あれもこれも出来るとアピールしたところで、他にもっと凄い奴が存在するのをネットなどで知っています。
5のものを、10にも、20にも見せたところで、実力などすぐに窺い知れるし、キツネが虎の皮をかぶっても、周りにはキツネしか見えません。
それでいて、世間というのは、たとえ相手が背伸びの小僧でも、虎の振りをしたキツネでも、突出したものに対して容赦ないのです。
そうなると、「個性的であること」の目的が、人気であったり、マウンティングであったりすると、こうした嫉みに耐えきれなくなり、逆に、他人の個性に対して否定的になったります。
もしかしたら、必要以上に「個性、個性」と拘る人は、現在の自分が好きではないのかもしれませんね。
先にも言ったように、どんな人もすでに個性的であるし、目立つか、目立たないかは、その時々の風潮にもよります。
人気云々も、「個性」というよりは、ただ単に立ち回りが上手いだけかもしれませんし、傍目には分からないだけで、逆に苦しんでいる人も少なくないのではないでしょうか。
そんなことよりも、今、現在の自分――一所懸命にやっている自分に「よし」と思える気持ちの方がうんと大事です。
個性、個性と気張らなくても、自分に「好き」と言える人は、自ずとその個性によって、周りにも愛されているのではないでしょうか。
追記: 2019/11/25